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弁財天の湧水地あたり。 [気になる下落合]

 弁天池のあったところは、小さな谷間になっている。箱根土地本社のあった谷間や第四文化村の小さな谷もそうだが、前谷戸と呼ばれた一帯の谷あいには、こういう小さな渓谷が連なっていて、多くの泉水が湧いていた。だから、「谷戸」と呼ばれたようだ。
 関東地方には、「谷戸」または「谷津」と表記される地名が多い。横浜や鎌倉、湘南海岸一帯では、「谷」という1字で「やつ」と読ませる音が数多く残っている。これは単なる谷間の意味ではなく、湧水地であり、なおかつ泉水によってできた池や沼地をともなっている土地・・・という意味だ。本来は原日本語(アイヌ語に継承)の「ヤティ」、すなわち「沼沢谷」を意味する音から訛化したものだと思われる。
 この弁財天のあった第一文化村の小谷も、まさに「谷戸」のひとつだ。第一文化村が販売された当時、この池の周囲は沼地となっていて、住宅の区画割りはなされていない。北西から入る道も、途中で行き止まりになっていた。当時は子供たちのかっこうの遊び場になっていたらしく、池に落ちて泥まみれになり、叱られた子の話も残っている。しかし、戦前に沼沢地を横切る道が造られ、両側には家々が建ち並ぶことになる。つづきは・・・

「目白文化村」サイト Click!
■写真:かろうじて空襲から焼け残った、昭和初期と思われる住宅。


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