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盆栽老人とその周辺。 [気になる本]

 わたしの母方の祖父は一時期、盆栽にものすごく凝っていた。家に遊びに行くと、100鉢以上もの盆栽が庭にズラリと並んでいたのを憶えている。いつごろから始めたのかは知らないが、死ぬまでつづけていた趣味のひとつだった。江戸期の染井地区(現・駒込/日暮里あたり)に、世界最大のフラワーセンター(幕末の英国人フォーチュン報告)が存在したせいで、町辻いたるところに花木や鉢植えがいきわたっていた。いちばん有名なのは、ここで山桜と在来桜をかけあわせて品種改良された、ピンクも鮮やかな江戸桜ソメイヨシノだが、さまざまな鉢植えも江戸の町辻へと供給していた。文字どおり「花の大江戸」といわれるゆえんだが、“鉢植え文化”はいまだ健在だ。でも、わたしは盆栽のどこがそんなに面白いのか、いまでもわからない。盆栽というと、老人の趣味というイメージがあるが、それがとんだ間違いだと知ったのは、深沢七郎の小説『盆栽老人とその周辺』からだ。
 深沢七郎というと、あまりにも『楢山節考』や『笛吹川』が突出して有名で、どこか暗く陰惨なイメージがつきまとうのだが、もともとジャズギタリストであり小説家でもある彼の作品は、思わず噴き出してしまうようなとぼけた作品がかなり多い。長編『盆栽老人とその周辺』の中で、ある老人がこんなことを言うシーンがある。「盆栽は最低10年ぐらいやらなければダメですから、やるなら、50鉢ぐらいやらなければツマラないですよ、10鉢や、20鉢で、5年も、10年も育ててはツマラないでしょう」。10年で初心者、50年ほどつづけて、ようやく一人前になる世界が盆栽の趣味なのだそうだ。つまり、引き算をすれば、20歳あたりで盆栽を始めても、ようやく鉢が人さまに見せても恥ずかしくない作品に仕上がるのは、70歳ごろということになる。60歳で盆栽を始めたりしたら、初心者のまま亡くなってしまう人も少なくないに違いない。こんな趣味はめずらしい。10年もひとつの趣味に没頭すれば、かなりのベテランになるのが普通じゃなかろうか。
 祖父は何十年つづけていたのか知らないが、『盆栽老人とその周辺』には次のような台詞も出てくる。「あの3百万の松なども、5千円で買ったんだよ」・・・。植木市で5千円で買った盆栽が、ちょいと手を加えることで翌年には3百万円で売れたというのだ。これが盆栽趣味のもうひとつの側面、ほとんど詐欺に近いような商売の醍醐味があるようなのだ。5千円が、わずか1年で3百万円になるのだから、紙きれのどんな株よりも植木の株のほうがはるかに効率がいい。この方面に“趣味”を求める人には、たまらないのかもしれない。“いい枝ぶり”というのが非常に主観的なものだから、個人の好みによっては千円の鉢が百万円に化けたりもする。小説の主人公も、わけのわからない人々にふりまわされつづけ、最後まで目を白黒させて終わってしまう。
 祖父が死んだとき、形見分けに大きな梅の盆栽をもらった。巨大な鉢に入った高さ1mぐらいの、みごとな枝ぶりの老梅で、幹には洞などもあって150年は経過している鉢だと言われた。でも、気の短いわたしがもちろん手入れをするはずもなく、鉢から地面に移したら、剪定されないものだからアッというまに倍以上の背丈に伸びてしまった。おそらく、もらった当初は3百万円したかもしれないが、いまではきっと5千円なのだろう。

『盆栽老人とその周辺』(深沢七郎集第四巻・小説4/筑摩書房)


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ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>さらまわしさん
by ChinchikoPapa (2014-08-07 18:06) 

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