So-net無料ブログ作成

かちどきをあげなくなった勝鬨橋。 [気になるエトセトラ]

 

 東京湾への出口、大川(隅田川)の最下流にかかる橋が勝鬨橋。1932年(昭和7)に着工し、「♪紀元はにせ~んろっぴゃくね~ん」・・・と世の中が浮かれていた1940年(昭和15)に完成した。東京万国博覧会に間に合うよう工事が進んだのだが、かんじんの万博は中止されてしまう。明治から大正にかけて埋め立てられた月島・勝鬨との間をまたぐ橋で、大川(隅田川)の中では比較的新しい橋だ。完成とともに、ここでも渡船が廃止されている。3,000トンクラスの船舶が通行できたが、橋上の交通量が増えたせいで1970年(昭和45)以来、一度も開閉していない。
 わたしが物心つくころ、勝鬨橋の船舶事故をときどき耳にした。大きな船が通行できるよう、ちゃんと橋梁が開くにもかかわらず、なんで船の事故が起きたのだろう? 子供の時分には不思議だったのだが、橋が開かなくなってからいろいろな話を聞いた。勝鬨橋は1日5回、およそ15~20分間開いたままになったのだが、気の短い船が開きはじめたとたんに通ろうとするため、マストやクレーンを開きかけの橋梁にひっかけてしまうケース。クルマなら急ブレーキがきくが、船では全速後進をかけてもそう簡単には止まらない。また、橋が閉まっているときに通り抜けようとして、同様に船の上部を接触して壊してしまう事故。行きは通れたのに帰りは通れなかったという、笑い話のようなケースもあった。大川は、潮の満ち引きの影響を大きく受けているため、その水位差を考慮しないで見込み運転ならぬ見込み航行すると、橋桁に船をぶつけてしまう。
 この橋が開いたところを、わたしは何度か見たことがある。鮮明に憶えているところをみると、子供心にも鮮烈な印象を残していたようだ。橋上の制御室では、濃紺の作業服を着たおじさんたちが盛んにレバーを操作していた。橋が閉まっているとき、そのおじさんと記念写真を撮った記憶があるのだが、どこに仕舞われてしまったのかいまだ見つからない。
 1970年の12月を最後に勝鬨橋は開かなくなってしまったけれど、当時、晴海通りでクルマがそれほどの大渋滞を起こしていた・・・という印象がない。それとも、いまの渋滞感覚で回想するから、たいした交通量ではなかったように思えてしまうのかな。この橋が開くところを、もう一度見たいものだ。

■写真:左は2005年1月、右は1940年(昭和15)完成時の記念絵はがき。


読んだ!(2)  コメント(2)  トラックバック(3) 
共通テーマ:旅行・地域(旧テーマ)

読んだ! 2

コメント 2

プラナリア

勝鬨橋の貴重なお話楽しく拝読させていただきました。
今日「かちどき 橋の資料館」に行ってきましたので、TBさせて頂きました。
by プラナリア (2005-05-06 20:00) 

ChinchikoPapa

ご丁寧に、ありがとうございました。わたしもさっそく、TBさせていただきます。わたしも、早々に「資料館」へ出かけてみたいです。
by ChinchikoPapa (2005-05-07 00:26) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 3

トラックバックの受付は締め切りました