SSブログ

下落合は巨大なミステリーサークルだらけ。(1) [気になる神田川]

 新宿区が発行した目白学園の遺跡発掘調査報告には、下落合に残る畑のそこかしこの地面から、石器や土器、古墳の副葬品などの破片が露出している様子が書かれている。また、新宿歴史博物館の出版物にも、同様の記載が見える。でも、実際に遺跡や古墳だと確定されたのは、目白学園遺跡と目白・下落合横穴古墳群、それに移転する前の月見岡八幡(上落合)敷地の境内=八幡公園あたりの古墳(円墳)のみで、他はすべて住宅地の地下に呑みこまれてしまった。いまでは、かろうじて氷川明神社が古墳だったんじゃないかな?…と、状況証拠を積みあげながら推測できるのみだ。
 ところが、少し前に(財)日本地図センターから取り寄せた空中写真に、妙なものがたくさん写りこんでいるのに気がついた。焼け跡の下落合一帯、家々や木々に邪魔されず、生の地表がそのまま露出した西武新宿線と神田川周辺の空中写真なのだが、そこらじゅうに幾何学的な図形がたくさん確認できるのだ。まるで、ナスカの地上絵のようでもある。巨大なものから小規模なかたちまで、それこそ数えあげたらキリがなくなるぐらいに、人工的と思われる幾何学図形が散在している。これらの象形は、江戸期の切絵図には記載されておらず(当時は田畑か森だったろう)、また地上の家屋や樹木が焼けて空中高くから眺めなければ、決して浮き上がってはこなかったフォルムに違いない。
 明らかに前方後円墳と思われるかたちもあるが、もっと驚くのは巨大なサークルがいくつも点在していることだ。盛り土ないしは濠の痕跡かと思われるが、氷川明神の境内よりもはるかにサイズが大きい。また、サークルの一端が方形をしていそうなものもある。そのまま素直に考えれば、円墳や帆立貝式古墳・・・ということになるのだろうが、それにしてもものすごい密度で並んでいる。下落合に沿った河岸段丘の直下ばかりでなく、神田川をはさんで早稲田通り寄りの崖線下にもいくつか確認できる。だが、現状を観察しようとしても、ほとんどすべてのエリアが住宅密集地で確認のしようがない。また、最新の下落合一帯の空中写真を眺めてみても、すでに家々が建てこんでいて、これらの図形は隠れてしまって見えない。
 たとえば、現在の下落合2丁目から4丁目にかけての坂下、あるいは崖下に並んだサークルは、直径が100m前後のものが多い。これだけ正円に近い図形が、自然現象によってひとつの地域に次々と形成されたとは、確率論的にみても考えずらい。人の手による、なんらかの人工構造物だった可能性が非常に高いと思われる。それにつけ、思い出すのは山手線のガード向こうに拡がる、同じく神田川沿いの戸塚(十塚)・早稲田地区の庄屋文書だ。江戸期に、古墳の築山を次々と崩しては田畑へと開墾していった様子が、数多くいまに伝わっている。とすれば、ここ下落合村でも同様の開墾事業が、江戸期を通じて、あるいはそれ以前の古い時期から行われていたのではないか?
 焼け野原となった、下落合一帯に拡がるミステリーサークルの正体Click!は、目白・下落合横穴古墳群のサイズなど足元にもおよばない、巨大な築山をともなう古墳群だったのではなかろうか?


読んだ!(2)  コメント(2)  トラックバック(3) 

読んだ! 2

コメント 2

hedawhig

「現在の下落合2丁目から4丁目にかけての坂下・・・」
日立クラブのテニスコートです。露出したこんもり、以前報告したところ。
掘ると何か出てくるのかしら? 夜こっそり掘りに行って見ます?
by hedawhig (2005-04-16 00:56) 

ChinchikoPapa

戸塚の庄屋文書にも書かれていますが、江戸期にずいぶん埋蔵物がいろいろと出てきたようですが、いまは散逸してしまっているようです。下落合の円墳と思われる痕跡も、ひょっとしますと江戸期前に掘り返されてしまってるじゃないかと・・・。
唯一、水稲荷神社の境内に円墳が残っているようですけれど、早い時期に盗掘されてしまっているのかもしれませんね。玄室はそのままかもしれませんが・・・。
by ChinchikoPapa (2005-04-16 19:21) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 3

トラックバックの受付は締め切りました