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旧・武者小路実篤邸あたり [気になる下落合]

 なだらかな坂をのぼり切ると、まず左手に改正道路(山手通り)へと下る坂道がある。第二文化村の南部に突き出している、細長く伸びためずらしい区画だ。この坂の両側に並ぶ家々が、第二文化村の敷地に入る。ただし、なぜか坂の途中までで箱根土地は開発を終えている。坂道沿いの家々の外側も、その後順調に宅地化が進んでいるのをみると、箱根土地による土地買収がうまくいかなかったのかもしれない。
 この山手通りへと下る坂道の反対側、斜向かいに北へとつづく道がある。これが沿道に下落合教会(下落合みどり幼稚園)があり、第二文化村を横断するメインストリートだ。ちょうど第一文化村に敷設された、弁天通りに相当する。この道の突き当り、第二文化村の北辺はすでに中落合(旧・下落合)ではなく、西落合のエリアとなる。第二文化村に隣接した、この西落合のエリアも急速に宅地化が進むが、当時の写真を見ると街並みのモデルとなったのは目白文化村のようだ。
 第二文化村は、4つに分けられる目白文化村の中でも最大の面積を誇っていた。だから、ひとつひとつの敷地面積も、第一文化村に比べて広めとなっている。1923年(大正12)に売り出された総面積は、1万3千2百坪あった。堤康次郎がもっとも力を入れたのが、この第二文化村の開発だといわれている。電気、ガス、上下水道などの生活インフラも、第一文化村とまったく同様の設備が用意された。
 第一文化村が、売り出されてからほぼ1ヶ月で完売したのに対し、第二文化村が事実上完売するのは、発売から1年以上たってからのことだ。これは、文化村の人気が下降したからではなく、第一文化村の好評に気をよくした堤康次郎が、販売価格を一気に5~7倍に吊り上げたせいだと考えられる。前年の第一文化村の販売価格は、1坪あたり10円だった。ところが、翌年の第二文化村になると、1坪50~70円で売りに出されている。
 第一文化村の街並みにあこがれて、第二文化村の販売を心待ちにしていた人たちは、価格を聞いて愕然としたに違いない。それでも購入希望者は、無理な借金をしてまで憧憬の第二文化村の土地を求めたようだ。つづきは・・・

「目白文化村」サイト Click!
■写真:南へ下る坂道にあるT邸。この区画は再開発が計画されているとうかがった。


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