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中村彝の下落合散歩。 [気になる下落合]

 

 目白駅のホームで、「絵のモデルになってくれませんか?」と、盛んにアプローチしているベレー帽の男がいた。大久保清ではない。時代は1920年(大正9)の9月、声をかけていたのは下落合に住む画家・鶴田吾郎、声をかけられていたのは盲目の詩人・童話作家でありエスペランティストでもあったロシア人のワシーリー・エロシェンコだ。偶然だが、このふたりは新宿・中村屋サロンClick!に出入りしている者同士だとは、このときまでお互いまったく知らなかった。
 さて、佐伯祐三があこがれた画家、中村彝(つね)の終の棲家も下落合にあった。中村彝のアトリエがあったから、佐伯は下落合へ引っ越してきた・・・といわれるほど強く惹かれていたようだ。目白駅でモデル探しをしていた鶴田吾郎は中村彝の学生時代からの親友で、同じ中村屋サロンに出入りしていた画家仲間だった。鶴田は、さっそく近所に住む中村彝のアトリエへ立ち寄り、いいモデルが見つかったことを報告した。すると、「ぜひ、いっしょに描かせてくれ」ということで、ふたりはエロシェンコを中村彝のアトリエへ招き、期せずして競作することになる。
 夜も昼も、8日間ぶっつづけで描きつづけ、結核で喀血を繰り返していた中村彝の身体を心配した鶴田が、8日目にストップをかけて創作はようやく終了する。こうして、中村彝『エロシェンコ氏の像』と鶴田吾郎『盲目のエロシェンコ』は完成した。ふたつの作品は帝展へ出品されたが、ここで明暗が分かれた。中村の『エロシェンコ氏の像』は、明治以降の肖像画の最高傑作とされたのに対し、鶴田の『盲目のエロシェンコ』は単に入選を果たしただけだった。
 
 中村彝(つね)が、豊多摩郡落合村下落合464番地にアトリエと母屋を建てて引っ越してきたのは、1916年(大正5)夏のことだった。若山牧水が「其處の窪地全體が落合遊園地といふものになつてゐた」と書いた場所、のちに「林泉園」と呼ばれる谷戸地形の尾根上に、中村彝の住居兼アトリエは建てられた。
 結核の末期症状だった中村彝は、下落合に移り住んだ当初は近所へ写生散歩などにも出かけているが、少しずつ病状が深刻化するにつれて、家から外へ一歩も出られなくなっていった。「エロシェンコ」作品の明暗にもかかわらず、同じく下落合に住んだ鶴田吾郎は、最後まで中村彝を気遣いつづけていたようだ。1924年(大正13)11月24日、中村は大量喀血により38歳で亡くなっている。佐伯祐三が、下落合662番地へ念願のアトリエを建ててから、わずか4年後のことだった。臨終の当日、中村邸へ駈けつけた鶴田吾郎の手記が残っている。
  ●
 ドアを開けて、目に映じた瞬間、しまつた、これは絶望だなと直感した、何んて静な光景だらう、まるで人跡のない林の中へ、太陽の落ちて行くその日射しが照らしてゐる如く、原始自然の気息が漲つてゐるやうであつた。
 いつも吾々と会つてゐた時と同じく、枕を南にして、寝台に横はり、西の方へ頭を斜めに傾けた侭、眼を開けて寂然としてゐるのである、冬の午後の光は、ガラス窓を透して髪から額、耳、髯といつた様に、絵に描いたキリストの顔その侭の上に暖な光を投げてゐた。
 何等の苦悶も見えない、たゞいつもの中村君が、未だ吾々にあまり見せなかつた、血を唇のあたりにつけて、幾分口を開けてゐたに過ぎない。私は先づ手をとつてみた、温味はあつたが脈は既に途絶えてゐた、中村君、中村君、中村君と私は三四度呼んだ、と、その口の中から「アー」といふ千切れる様な声が出た、更に名を呼んだ、而しそれは遂に求めることのできない頼みであつた。(『中村君の最後』より)
  

 わたしは、大きな勘違いをしていた。「林泉園」の谷間が埋めたてられて大きなマンション群が建ち、茨城県立近代美術館に中村彝のアトリエが新築再現されたと聞き、「ああ、下落合のアトリエと母屋がとうとう壊されてしまったんだ」・・・と、勝手に思い込んでいた。まさに、アタマへ刷り込まれたという感じなのだ。ところが、十返千鶴子さんのエッセイ、「雑木林を右に歩を進めると、中村彝の住んだアトリエがある」という一文を読んで、「あれ、いったいいつごろまで残っていたのだろう?」とにわかに疑問がわいた。近所なので、さっそく寄ってみると・・・。
 中村彝の母屋とアトリエは、下落合の同所にそのまま丸ごと、いまでも手つかずに現存している。佐伯祐三アトリエよりも、さらに古い大正初期の建築だ。濃い屋敷森にスッポリと覆われ、まるで隠れ家のような建物なので、よけいに気づきにくかったのかもしれない。いま、北側の家が壊されて更地化され、住宅を新築中なので、ちょうどアトリエ北面をとてもよく観察できる。アトリエをかいま見るなら、絶好の機会、ちょうどこの数週間しかないのだ。いまは、Sさんのお宅となっているようだが、なんとか佐伯公園のように保存できないものだろうか?
 では、1916~1924年(大正5~13)に中村彝が病身を押して、下落合や目白あたりを写生をするために逍遥した下落合散歩Click!を偲んでみよう。

下落合みどりトラスト基金
■写真上は、下落合の旧・林泉園端に現存する中村彝アトリエ(北面)。この角度からの眺めは、これから二度と見られないだろう。は下落合界隈の素描『目白の冬』。
■写真中は中村彝『エロシェンコ氏の像』(重要文化財)、は鶴田吾郎『盲目のエロシェンコ』。ともに、下落合のこのアトリエで描かれた。
■写真下:戦後すぐの林泉園界隈の空中写真。中村彝の母屋とアトリエも、そのままなのが見てとれる。


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hedawhig

以前のブログに、中村氏のアトリエのことがあって?疑問に思っていました。 凄い発見です!あの通りはわん仔とよく通る道、独特な雰囲気のある道・・・そして、あのエロシェンコがこの地で描かれたものだなんて・・・感慨が深いです。 そして、高村光太郎・・・高村夫人には私が22歳の時、入院していた隣のベッドの方を、お見舞いにいらしていました。 明治生まれの患者はその後7年、旅立つ日まで、交友がありましたが、明治生まれの自由な気質というか素敵な方でした。 私の最高齢の親友でした。もちろん高村夫人も可愛い素敵な方でした。
保存して欲しいですね。 昨夜は呼んで興奮して寝付かれませんでした。図録を引っ張り出したり、遅くまでガタゴトして・・・今も目白の駅にエロシェンコが、何処かにたたずんでいるんでしょうね・・・・ 
素敵なブログに心から感謝します。 
by hedawhig (2005-05-20 07:51) 

ChinchikoPapa

ほんとに、わたしはマヌケでした。あの道を何度も通りながら、中村彝のアトリエが目の前にそのまま存在するのに、まったく見ようとはしてなかったのですね。茨城にアトリエが“再現”されたと聞いてから、「とうに壊されてしまった」という先入観で目が曇っていたとしか思えません。それと、家の周囲をスッポリ緑が覆っているのも、気づきにくい点でした。ブログをやっているおかげで、あちこちキョロキョロと細かく観察するようになっていましたので(笑)、「げげっ、まだ建ってるじゃんか!」と、いまさらながら気がついたしだいです。(汗)
高村智恵子夫人に、お逢いになったことがあるのですか!? それはすごいです! 東北や塩原温泉などへ旅立つ前の、おふたりの姿でしょうか?
by ChinchikoPapa (2005-05-20 12:05) 

hedawhig

昔の手帳と何回忌かの書籍も探してみても見つかりません。・・・友人になった方は、尾山さんなのですが、紹介された高村夫人は再婚だったのか?親族なのか、定かではないです。尾山さんのご主人は同時代の詩人だったようですね。 尾山雪子さんの個性が強かったので、聞くこともしないで、悔やまれています。 正直なところ、詩に興味が無かったこともあって残念でした。 私は、当時は印象派の絵を追いかけていました。 家の再築時、いろいろ処分してしまって後悔しています。 思い出のある書籍は処分などするものではないですね。 昨夜、室生犀星のつくしこいしの詩集初版本が出てきました。 酷い保存状態でボロボロ、差し上げます。
by hedawhig (2005-05-20 23:17) 

ChinchikoPapa

高村光太郎は、いちおう文学史上では死ぬまで長沼智恵子ひと筋・・・だったはずですが、お逢いになった方が同棲にしろ恋人にしろ、「高村夫人」と名乗っていたとすれば、ちょっとしたスクープではないでしょうか。昭和13年に、ゼームズ病院で智恵子さんは亡くなってますから、それ以降のこととなりますと、文芸誌が、すぐにも目の色変えて飛びつきそうな・・・。(笑)
その昔、金沢の犀川のほとりにねそべって、室生犀星の本を読んだ覚えがあります。なんの本だったかは、もう忘れてしまいましたが、「つくしこいしの歌」だったかもしれません。もし、機会がありましたら、ぜひお譲りください。<(_ _)>
by ChinchikoPapa (2005-05-21 00:45) 

hedawhig

情報感謝します。 みどりトラスト活動が終了してから尋ねました。
下落合の最高の場所ですね。
当時の、関係者の中村への想いを感じました。
このアトリエで、元気に筆を振るって欲しかったでしょうに。
このガラスの下で、エロシェンコが描かれ・・・
どんな時間が流れていたんでしょう。
素晴らしい光があふれるアトリエだったと感じます。
きっと絵の感じから、左の窓の下に座っていたと思います。
中村は右側、鶴田は部屋の奥、中央左よりで筆を持っていたと思う。
絵の出来は、場所によるもので、鶴田の絵も逆光の具合はあのようになるのでは・・・・と思います。
翁の話では、この家は、前々任小野田区長の時、家主が申し出て区に買取をお願いしたそうです。
近くにコトブキ会館があるという理由で?(・・・わけがわからない理由)、  
断られたそうです。 翁は緑も文化も職員の話聞くと血圧が上がるから、遠ざかることにしている。 どうしいようも無いやつばかりだ。と言っていました。
たぶん、遠藤邸も、同じだったのでは、と感じました。 

今日、隣地職人が居ました、お話しすると、高い認識の持ち主で、私が,区を「豚に真珠なの」というと、まさにその通りだ!
ん~~~と残念そうにうなっていました。 職員の文化認識が低俗なので、諦めるしかないのでしょうか?
ああ~~~諦められない。 残したいですね。

それにしても素敵なアトリエですね。中に入って、光の色を見たいです。
by hedawhig (2005-05-21 14:00) 

hedawhig

■追伸、
隣地職人の話・・・アトリエ側が見えるのは来月第一週まで辺りのようです。
その後は永久に見ることはできません。 光の具合も変わってしまうでしょうね。
by hedawhig (2005-05-21 14:09) 

いのうえ

 実は この建物 前から気になっていた物件でしたので 本日 カフェ杏奴に行く途中に 現場検証してきました。 工事中のおじちゃん達に 「取材撮影でござる」と断り 工事現場の中から 至近距離で見てきたのですが、 保存状態は厳しいですね。 話は変りますが、 「目白の森」 ができた時、 お隣の画家の方の奔走もあって 豊島区が買い上げた実績があるようです。 
by いのうえ (2005-05-21 20:58) 

ChinchikoPapa

hedawhigさん、いつもコメントありがとうございます。Sさんが新宿区に申し出てるのに、新宿区が「寿会館」があるから断った・・・というのは、腹が立つを通りこしてもう笑ってしまうしかないですね。寿会館と中村彝のアトリエを並列に論じて、いったいなにをどのように考えて、どうしたいというのでしょ?(笑)
美術史の見方によっては、大半を下落合よりもフランスで過ごしていた佐伯祐三のアトリエよりも、はるかに重要な建築物だってのに、なんでわからなかったんでしょうね。しかも、日本における西洋画の、本格的な「アトリエ」建築黎明期たる大正初期の作だというのに・・・。茨城県のほうが、ちゃんと重要性や価値をわかってらっしゃるようで、だからあえて新築でも“再現”してるんでしょうに・・・。
かなり昔のこととはいえ、ちょっと新宿区の担当者の言質が、あまりに稚拙で情けなさすぎると思います。自分の区に、いったいどのようなものが存在しているのか、認識できないんでしょうかね。中村彝の家と聞いて、敬老会館にでもするつもりだったんでしょうか?(笑) Sさんは、新宿区じゃなくて、国へ話をもっていったほうが話が通じたのかもしれませんね。
by ChinchikoPapa (2005-05-22 02:13) 

ChinchikoPapa

いのうえさん、こんばんは。表(南側)はともかく、裏(北側)は手がゆきとどかないせいか、痛みが激しいですね。・・・と、他所様のおうちを、あれこれ批評してしまうのは気がひけるのですが、そこは歴史的な建造物ということでお許しいただいて。なぜ、住人の方がせっかく申し出てらっしゃるのに、10数年前に新宿区がなんとかしなかったのかと思うと残念でなりません。
近隣の方が、いろいろと影に日に保存へ向けて動かれていたようですが、新宿区が興味をしめさない・・・というか、「中村彝って誰?」的な反応しか返ってこないので、やめちゃったんじゃないかと。(^^; お隣りに入っている大工さんの、「豚に真珠」という言葉が妙にリアリティあって、ちょっと情けないですね。
by ChinchikoPapa (2005-05-22 02:29) 

YKK

ChinchikoPapalogのみごとさ、すばらしさには常々ほとほと感心、敬服し、密かに愛読させていただいております。小生も古くからの落合の住人で、変貌(破壊)激しいこの界隈(落合・目白界隈)のかつての姿を、少しでも記録に残したいと考えているものです。
今日たまたまこのページを見ていたら、ごく最近の中村彝邸のことが書かれており、それに心を動かされている方々がいることを知って、ひとこと言わせていただきたくなりました。
今このあたりでは、例の‘タヌキの森’遠藤邸がかなり強い関心を集め、その保存運動が大きな動きとなっています。こういう森が残されることを小生ももちろん強く願っていますが、その一方で日本の美術史、文化史的にはさらに大きな意味をもつということのできる中村彝の本物のアトリエが、何の関心も呼ぶことなく消えていこうとしていることにひじょうに辛い思いをしておりました。
今このログが何人かの人の心に火をつけたのをきっかけに、このような文化的な価値をもう少し大切にしようとする方向に、この社会が少しfでも動かないものでしょうか。何かというと、すぐ商売がらみのお祭り騒ぎにしてしまうのではなく、静かに力強く、本当のボランティアの力や、基金など積み上げるというような形で……。、
by YKK (2005-05-23 12:16) 

ChinchikoPapa

まず、とてつもなく過分なお言葉に、ただ赤面するばかりです。(汗) 少しずつ、下落合・目白界隈の「物語」を掘り起こして、<いま>と<これから>を照射できる内容にできたらいいなぁ・・・と始めたのですが、「物語」は下落合のそこかしこに、それこそ無数に存在していて、5年間ブログをつづけても終わりそうもありません。それだけ、数多くの人たちが生き、さまざまなドラマが生まれていったということなんですね。ほんとうは、わたしのふるさとである日本橋あるいは本所・深川界隈のことを書きたいと思って始めたブログなのですが、下落合がなかなか放してくれません。(^^;
中村彝のアトリエ、ぜひ保存したいですね。茨城県立近代美術館の「再現アトリエ」よりも、下落合のホンモノのほうがいいに決まっていますもの。
by ChinchikoPapa (2005-05-23 13:12) 

hedawhig

YKK様 papa様 井上様 90年の歳月が流れて、現在は、重要文化財のエロシェンコは特別展で無ければ見ることができない名画、そのエロシェンコは目白駅で詩の朗読、音楽に乗ったその声は、優しく清らかで人々の足を止め、聞き入らせたといいます。どんな声だったのでしょう。 現存するアトリエを見ていると、不思議な気分になりました。
残していただきたいですね。
何をどうすればいいのでしょう。 遠藤邸で有識者の声が無視されている現実があります。 溜息ばかり出ています。
もし、日本美術史の有識者の声があっても・・・同じように思えて、 遠藤邸の自治体の破壊行為は、私にとって意外と傷が深かった~ 価値を理解できない人々をどのように・・・皆目見当が付きません。
by hedawhig (2005-05-23 22:50) 

ChinchikoPapa

『エロシェンコ氏の像』は、新宿・中村屋に保存されているとばかり思っていたのですが、東京国立近代美術館に所蔵されているようですね。『盲目のエロシェンコ』のほうは、現在も中村屋にあるようですが・・・。鶴田吾郎作のほうは、「いらない」と言われてしまったのか・・・。(^^;
わたしも、もう一度オスガキを連れて足を運んでみましたが、北面の窓下に立つとなんとも不思議な気分になりますね。この窓下が運よく更地になって、90年後に住民のみなさんが見にくるなんて、当時(大正5年)の中村彝は思いもしなかったでしょうに。
by ChinchikoPapa (2005-05-24 13:15) 

hedawhig

今日は、午前の光を見てきました。 
オスガキくんと素敵な時間を過ごしましたね~♪
私も毎日のように、見に行って・・・
by hedawhig (2005-05-24 18:00) 

ChinchikoPapa

でも、子供はぜんぜん興味を持ってはくれませんねえ。中村彝のアトリエの下で、盛んにピコピコ携帯メールをしてたりして・・・。彼の幽霊が出てきて、「それは、いったいなんなのだ?」・・・と、訊かれそうな気配がしました。(笑)
by ChinchikoPapa (2005-05-24 20:31) 

hedawhig

ピーコック前の活動用 ポスターに写真いくつか頂きました。ご了承ください。
声がかれてしまい、明日はポスターに頑張ってもらいます。
また、活動前に立ち寄ってしまいそうです。

「彼の幽霊が出てきて・・・」 感じましたか?
アトリエを見ていると、温かな誰か? 何時も傍に入るような気がします。
俊子、智恵子、エロシェンコ、五郎 彼を慕った人たちが今も居る様な
樹木に宿って、輝いた時間を守ってるようです。
by hedawhig (2005-05-24 21:27) 

ChinchikoPapa

はい、どの写真でもご自由にお使いください。
>声がかれてしまい、明日はポスターに頑張ってもらいます。
ありがとうございます。くれぐれもご無理なさいませんよう。

俊子とのことがあって、中村彝を中村屋から追い出した相馬夫妻ですけれど、最後まで援助はやめなかったようですね。なかなか、できないことだと思います。鶴田吾郎も、のちに「戦争画家」なんて呼ばれるようになるとは、思ってもみなかったでしょうね。
by ChinchikoPapa (2005-05-24 22:59) 

hedawhig

考えなくてもですが、下落合も空襲があり焼け出された方も居ます。
このアトリエが現存していることが稀有なことなのですね。
戦争画家・・嫌な言葉です。 藤田もそれが無ければ多くを日本で過ごせた・・・
難しいことは解りませんが、美術文化にとって今は、第三次世界大戦の渦中のような?     薄ら寒さを覚えます。
by hedawhig (2005-05-24 23:13) 

ChinchikoPapa

下落合の空襲跡を見てますと、やはり濃い緑が残っていたから類焼をまぬがれているエリアが、とても多いのに気づきます。4月13日夜半は、南西からの風が吹いていたようですが、神田川沿いが炎上しても森林にさえぎられて、下落合の南斜面を火が這いのぼらなかったようですね。
濃い森林がなかった旧・下落合4丁目(目白文化村)は、類焼を止められずに北側の府営住宅へと燃え移り、目白通りをなめるように北東方向へ延焼していったようです。「空襲の火は、谷から這い上がってきた」という、目白通り沿いにお住まいだった方の証言が生々しく残っています。
by ChinchikoPapa (2005-05-25 13:14) 

hedawhig

署名運動、運動していることを知らない方がまだたくさんいました。
署名は本当に少なく、区を動かす力が足りません。 ご協力くださ~い。 24日4名25日8名…少ない署名ですが、運動が終わっていないことをアピールできたと思います。 「活動の様子がわからない」「数字が見えないので、本当に市民運動なの?」・・・の声を聞く。 
トラストの運動形態の疑問の声もあった。署名総数の公表、募金の総額の公表をトラストにお願いしたいですね。

新宿区長は早く英断して解決して欲しいですね。
区長ではなく、職員代表のような仕事ぶり?… やはり、長年職員してきて、政治家ではないので無理なんでしょうか。 

女性区長で応援していたのですが、残念です。 
ああ~~お嬢様区長でなく、大人の政治家が区長になって欲しい!
区長リコールして、みどりを守りたい!
by hedawhig (2005-05-26 07:49) 

ChinchikoPapa

署名活動、お疲れさまです。これだけ呼びかけているのに、寄付は巨額にもかかわらず、署名が思いのほか少ないようですね。わたしも、会社のメールニュースへ掲載したり、知り合いへ呼びかけたりしたのですが、それによってどれぐらいの署名が事務局あてにリターンされてきたのかはわかりません。
新宿区は、早稲田南公園を整備・リニューアルして夏目邸(漱石山房)を3年計画で再建するそうですが、早稲田南公園はもう新宿区のものだから逃げていきません。中村彝のアトリエも、個人が住まわれていますので、すぐにも取り壊し・・・なんて心配はありません。でも、旧・遠藤邸の屋敷森保存は、いましかチャンスがないんですよね。1日でも早く、決断していただきたい。
by ChinchikoPapa (2005-05-26 11:11) 

hedawhig

YKKさま パパ様
昨日アトリエを見てきました。 隣地建築が始まりました。
日曜で作業はお休み・・はしほそカラスが、母屋の屋根を啄ばんで剥がしていました! 「non!」 ・・「なんで?」 と首をかしげて「カアカア!」・・・屋根を剥がす犯人だわ!・・・ 
どうにか残す運動を始めたいですね。 
by hedawhig (2005-06-06 10:40) 

ChinchikoPapa

M様のご紹介で、お住まいのS様へご連絡を差し上げたのですが、お留守のようでした。M様は何度も電話を入れられているようですが、お出にならないようですね。どちらか別宅にお住まいなのでしょうか?
by ChinchikoPapa (2005-06-06 12:38) 

YKK

もう何日も(2-3週間?)前になりますが、S邸前に救急車が止まっているのを見ました。老夫妻のお住まいなので、心配しながらも、ただの通行人のこととて、横目で見るだけで通りました。別邸でご静養とでもいうことならいいのですが……
ところで前にこの欄に書いたような気がしていたのですが、ここに見あたらないので、別の話をもうひとつ。落合の隅々にまで目配りをしておいでのChinchikoPapさんなどはとっくにお聞き及びのこととは思いますが、このログに関心をお持ちのその他の方たちにも聞いていただきたく……
下落合2丁目の旧相馬邸東側に、ツタのからんだ戦前からの半洋館T邸があります。世界に名を知られるGKデザイン事務所の発祥の地ですが、GKが最近他に移り、この建物は取り壊されるということです。また、中井の林芙美子記念館の東側にある画家の刑部人(おさかべじん)旧邸も、現在売りに出されているという噂を聞きました。この周辺の屋敷林などはそれだけでじゅうぶん区民公園としての価値のあるものです(例の遠藤邸もですが)。このような文化史的記念物が次々と取壊されてしまうことも、それと同時にまわりの木立が切り倒されてしまうのも残念でなりません。何とかならないものでしょうか。
by YKK (2005-06-12 12:37) 

ChinchikoPapa

旧・中村彝アトリエのS様には、先週お手紙を差し上げたのですが、まだお返事もお電話もいただけていません。ご紹介いただいたM様も、入院されているのではないか・・・と、ご心配の様子です。
>とっくにお聞き及びのこととは思いますが、このログに関心を
>お持ちのその他の方たちにも聞いていただきたく……
そうなんです。YKKさんご報告のとおり、ここへきていっせいに下落合(広義の下落合/中落合・中井含む)の旧邸が、大きなピンチを迎えています。昨日も、旧宅へうかがって、イヤなことを耳にしてしまいました。広大だった旧・英語学校の象徴である、ピーコック裏の「メーヤー館」がついに壊されそうだ・・・という一件です。これら全部を、新宿区に保存してくれ・・・と持ち込んで、果たして可能かどうかですね。いまや都内でも貴重な武蔵野原生林さえも、保存をしぶっている新宿区ですから、建物となるとどうでしょう。困ったもんですね。
by ChinchikoPapa (2005-06-12 19:46) 

ChinchikoPapa

そうそう、とうとう裏の新築のお宅が建ちはじめ、アトリエの北側は隠れてしまいました。これで、半永久的に北側を観ることはできなくなってしまいましたね。裏の新しい家は1戸建つのではなく、小さなお宅がいくつか建設されるそうです。
by ChinchikoPapa (2005-06-12 19:49) 

hedawhig

心配、無力感・・・・・・
M様にお聞きして、ご親族に連絡が取れないものでしょうか。
ちょっと不躾ですね・・・
by hedawhig (2005-06-13 21:55) 

ChinchikoPapa

そうですね、すでにどちらかでお会いしてれば、それもお許しいただけるかもしれませんが、お手紙を差し上げたばかりですから、失礼になるかもしれません。
それにしても、蔦屋敷(GKグラフィックス)、メーヤー館、刑部邸…と、こう立てつづけに不安なお話を耳にしますと、すべての案件をパラレルで考えていくのは、悔しいですけれど難しいですね。
by ChinchikoPapa (2005-06-13 23:19) 

hedawhig

昨夜11時ごろ、ジョナハナの夜の散歩で立ち寄ってみました。 家の明かりは煌々とついていました。 おかしいのは? 玄関にお正月の藁のようなお飾りがあることです。
遠目でメガネをかけていないので・・・ 2階のお部屋にも明かりがありました。
約2週間・・・まだお返事がないのですね。
by hedawhig (2005-06-25 21:11) 

ChinchikoPapa

灯りがともるのは、M様も指摘されているんですね。ただし、その時間に電話をお入れしても、どなたも出られないそうなんです。一応、プライバシーに関することですので、それ以上突っ込んで調べてみるわけにもいかず、困ってらっしゃいました。
わたしのほうも、お返事はありませんね。
by ChinchikoPapa (2005-06-25 21:44) 

渡辺貞明

建築家の渡辺貞明と申します。
昭和初期の建物について調べている時に、このサイトに辿り着きました。
私の事務所の目指す建築様式として、西洋文化に憧れながらも日本建築の様式の延長線上にある、大正から昭和初期にたてられた優れた建物の人間くさい雰囲気を規範とするのが、工業製品としての住宅があふれる中、間違っていない選択のような気がいたしております。

このような建物はどんどん消滅し続けており、まとまった資料に辿り着くのは容易なことではありません。
そんな中こちらのサイトに出会い100人力を得たような気がいたしました。
私は文化財としてではなく、人間の感覚とバランスの撮れたこの時期の建物の雰囲気を現代のすまいとなんとか結びつけたいと願うものです。

大変不躾とは思いますが、一度お会いして、いろいろとお話を伺うことはできませんでしょうか。

メールでもお電話でも結構です、一度そのことの可否をお知らせいただけませんでしょうか。
もちろん、あいての御都合も考えず、突然の不躾なお尋ねですので、お断りになられても致し方ございません。

宜しくお願いいたします。

渡辺貞明

渡  辺 貞 明 建 築 設 計事 務 所
〒211-0025 川崎市中原区木月1丁目4-15
E-mail        :      sadwat@mac.com
http://www.sadwat.com/
TEL、FAX  :       044-434-4777 

by 渡辺貞明 (2013-08-02 17:37) 

ChinchikoPapa

渡辺さん、ごていねいにコメントをありがとうございます。
ただいま、メールを差し上げました。会社の所在地や電話番号、メルアド等が書かれてあります上記のコメントですが、必要でしたらこちらで消去いたします。その際は、お申し出ください。
よろしくお願いいたします。
by ChinchikoPapa (2013-08-02 21:19) 

ChinchikoPapa

昔の記事にまで、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。
 >kurakichiさん
 >さらまわしさん
by ChinchikoPapa (2015-06-16 22:01) 

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