SSブログ

まあ棟梁、お暑うござんす。 [気になる下落合]

 「おや、めずらしいね。お屋敷のばあやさん、そんな格好(なり)でどちらへ?」
 「まあ、棟梁、お暑うござんす。いえ、ちょいと、お嬢さまにお買い物頼まれましてす」
 「暑(あち)いやねえ。このぶんでいくてえと、今年ゃカラ梅雨かてんだ」
 「棟梁はどちらへ?」
 「いや、なぁにね。あんまし暑いもんだから、文化村の小野田製油裏の氷屋さね」
 「あたしも、ひと休みしたくなっちまった」
 「お嬢さまのお買い物てえな、なんだい?」
 「それがさ、棟梁、まいっちまってんのよ」
 「ってえと?」
 「あたしゃ、両国河岸の生まれだから、こういうの弱いんだわ」
 「こちとらも根は海辺大工町だからねぇ、このへんのお屋敷町は得意てえわけじゃねえが」
 「お嬢さまが、パイだぁパイだぁっておっしゃんのよ」
 「パ、パイ、パイ?」
 「そう、パ、パイの生地を買ってこいっておっしゃんの」
 「パイ、パイの生地?」
 「あたしゃさ、カタカナのハイカラもんにゃ弱いんだ。それが、知ったかぶりしてたらさ、こんなことになっちまって・・・。棟梁、どうしょ?」
 「どうしょたって、そんなこたぁオレに言われてもさ。・・・けどさ、なんでお屋敷のお嬢さんは女中さんに買い物頼まないで、ばあやさんにわざわざ・・・?」
 「屹度さ、あのこと根にもってんのよ。・・・桜のイモムシ事件Click!なんだわ」
 「イ、イモムシ? パイパイの話じゃねえのかい?」
 「いえ、こっちの話ですのさ。そいより、あっちもんのパイの生地って、どこへ行きゃ按配できるのかねえ?」
 「パイてえなぁ、ばあやさん、あれだろ?」
 「あれって、なにさ?」
 「そりゃ、ナニさね、・・・ほれ、オッパイのことだ」
 「ああ、やっぱしそうだわねえ! じゃ、お嬢さんは、やっぱし乳バンドの生地を買ってこいってお言いなのよねえ」
 「そ、そりゃ、そうじゃねえかなぁ」
 「じゃあ、最初っから乳バンドって言やあいいんだ。パイなんていうから・・・」
 「でもほれ、ばあやさん、パイパイだのオッパイだのてなぁ、ついこないだまで敵性語だったから」
 「そうかね、あたしゃ横文字に弱いんだ。最初から、そ言やぁいいのに・・・。乳バンドの生地っていやあ、やっぱりメリヤスかしら? このへんで売ってたかねえ。国産は質が悪いから、進駐軍から流れたのが屹度いいって、そうおっしゃってんのよ」
 「そこのよ、元英語学校んとこまっつぐ行くと、近衛さんちの手前にメリヤス問屋があらぁね。こりゃ内緒らしいが、アメちゃんからの横流しもあるらしいやな」

 「ばあや、おかえり。買ってきてくれて?」
 「はい、お嬢さま。進駐軍から流れた、とてもいい生地がございました」
 「まあ、嬉しいこと! では、ばあや、さっそく着替えて、ていねいに練っておくれ」
 「も、もう、縫ってしまわれるので? ・・・あたくしが縫っても、およろしいので?」
 「だって、わたくし、いま中身を作っているんですもの」
 「なっ、中身・・・があるんでございますか?」
 「ええ、わたくしは甘酸っぱい香りの、林檎がいいと思うのですけれど」
 「り、り、林檎を、中に、入れる・・・のでございますか!?」
 「ええ、みごとな國光が手に入ったのよ、ばあや。そうね、2個ぐらいは入れようかしら?」
 「そ、そりゃ、3個ってわけにも・・・まさか、ねえ。まあ、お嬢さまのナニは、少しお小さいように見えますけれど、で、でも、なにも・・・」
 「それからね、お父さまが夏みかんも大人好みでいいっておっしゃってよ。殿方がお喜びになるそうだわ。ほら、ちょうどお庭にたわわになっててよ」
 「なっ、夏みかんも、入れっちまうの!? ・・・でございますか?」
 「まあ、ばあや、お口が汚くてよ。ふふ、夏みかんには、アオムシはあまりいなさそうね」
 「・・・旦那さままでとうとう、おつむが斜陽になられて。お気の毒に、ご一家でおかしくなっちまってるんだわ。なんとまぁ、おかわいそうなこって・・・」
 「なにを、ぶつぶつお言いなの? あっ、そうですわ、干しぶどうも入れたいの」
 「・・・ま、まさか、干しぶどうぐらいは、おありでしょ!?」
 「ねえ、ばあや、さっきからなにをお驚きなの? わけのわからないことばかりお言いね。まあ、蒼い顔をして、暑気あたりにでもおなり?」
 「い、いえ、も、もうなにがなにやら、おいたわしくて胸のあたりがおっぱい・・・いえ、いっぱいで、お嬢さま」


読んだ!(0)  コメント(2)  トラックバック(2) 
共通テーマ:旅行・地域(旧テーマ)

読んだ! 0

コメント 2

hedawhig

かなり~~~フッフッフ♪
そろそろ導火線に火を点けたほうが宜しいのでは?
でも、江戸弁は読みにくいですね。それだけ遠のいた、ある意味で方言になっているのでしょうか? 私の中の語彙世界がびっくりしています。
子供の頃、古典落語が好きで時々読んでいました。 吉原の由来、湯女の由来など面白いことがたくさんありますね~くまさん、はっさん、の世界。
私のアップルパイは「紅玉」で作ります。 ワア~~ジュッパイ、唾液腺が元気です。
by hedawhig (2005-05-30 20:30) 

ChinchikoPapa

江戸弁といいますか、東京弁の下町言葉はとても文字にしにくいです。微妙な詰まり具合や、「さ・し・す・せ・そ」の歯擦音のイキな表現が難しい。上記の会話文の中で、「~頼まれましてす」という「てす」言葉を遣うのは、明治生まれの下町女性が丁寧にしゃべるときに多いですね。男の場合は、「てす」言葉の前が詰まることが多くて「困ったこってす」など、現在の「です」に近い用法が多いように思います。いまでは、女性の「てす」言葉はほとんど聞かれなくなってしまいました。
すっぱいアップルパイにアイスクリームを添えると、もうたまりませんね。(笑)
by ChinchikoPapa (2005-05-30 20:49) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 2

トラックバックの受付は締め切りました