下落合は巨大なミステリーサークルだらけ。(5) [気になる神田川]
以前の記事Click!の最後で触れた、問題の箱根山だ。箱根山の周囲は、古墳時代の遺跡が密集しており、戸塚古墳(前方後円墳)や穴八幡(前方後円墳または横穴古墳)、戸山古墳跡などに近接しているため、もともと円墳だった墳丘を利用し、尾張徳川家ではそれを築山に流用して庭園を造成したのではないか?・・・と書いた。
従来の説明では、箱根山は回遊式の庭園を造成する際、池を掘削するために出た土砂を、築山として築き上げたという説明がなされてきた。確かに、ここが陸軍の戸山学校練兵場になってからも、明治の半ばぐらいまでは庭園の名残りである大きな池が存在していた。この池を掘るために出た土砂の量は、確かに膨大だったろう。だが、わたしが疑問に思うのは、箱根山のかたちなのだ。箱根山は、ちょうどお椀を伏せたような半球形をしていない。いや、正確に表現するなら、お椀を伏せた上に、さらに山頂を築くために南側へよけいに土砂をかぶせられている点だ。しかも、サークルが二重になっているように見える。あたかも、そこにあった円丘あるいはその跡地に、あとから土砂をかぶせているかのように見えるのだ。
この点、地図を見たり、現場で箱根山を眺めたりしただけでは、なかなかわかりにくい。しかも現在は、70年代とは異なり樹木が大きく育ってしまっている。しかし、これを上空から見おろすと、地上から観察しただけではわからない、いびつな箱根山の姿がよくわかる。しかも、空襲後の禿山に近い状態になった箱根山のフカン写真は、そのむき出しのかたちをもっともよく観察することができる。箱根山の山頂は、二重になったサークルの南側に、こんもりと盛られているのが見てとれる。いや、箱根山ばかりではない、現在は住宅や団地の下になってしまったところに、さらに大きなサークルが存在しているのも観察できる。
では、箱根山のある戸山公園界隈のサークルを、1947年(昭和22)の米軍による空中写真で観察Click!してみよう。このあたりは、陸軍の広大な施設があったために、格好な空襲の目標となっていた。だから、地表面の露出度はかなり高い。
■写真上:1960年(昭和35)ごろの、大久保側(旧・西大久保)から眺めた箱根山。まだ樹木は茂っていない。
■写真下:空襲で丸焼けになった箱根山と、築山部のベースとなるサークルの様子。
私のブログにコメント下さり、いつもありがとうございます。
ここ、とても面白いです!こんな面白いブログがあったとは!
もう少し時間と心の余裕が有るときに知りたかったかも・・・。
今はこんなことしか書けなくて情けないですが、後日ゆっくり読ませて下さい。
by りえ (2005-09-02 02:01)
いつもお寄りくださり、ありがとうございます。また過分なお言葉、かなり恐縮してしまいます。(汗)
はい、お時間がたっぷりおありのとき、ゆっくりとお訪ねください。わたしも、ちょくちょくりえさんのサイトを訪問させていただいてます。(^^
by ChinchikoPapa (2005-09-02 13:47)
はじめまして。かなりさかのぼった話題に対するコメントで申し訳ありません。
記事、たいへん興味深く読ませていただいております。
今穴八幡宮周辺を調べているのと、以前西部新宿線沿線に住んでいたので余計に面白いです。まだ少ししか読んでいませんが、これからじっくり読ませていただきます。
今回記事にリンク&トラックバックさせていただきました。
何か不都合などございましたら至急対処いたしますのでお手数ですがご連絡ください。
それではよろしくお願いいたします。
by 閑話休題 (2006-01-18 22:27)
閑話休題さん、はじめまして。コメントをありがとうございました。
わたしの知り合いに、穴八幡は前方後円墳だったのではないかと、調べている方がいらっしゃいます。ちょうど、富塚古墳と向かい合うような配置ですから、可能性としては高いんじゃないかと思いますね。
トラックバックをいただいたとのことですが、So-netの不具合のせいか、反映されていないようです。不都合なことなど全然ございません。こちらこそ、よろしくお願いいたします。
by ChinchikoPapa (2006-01-19 09:42)
すみません反映されてませんでしたか!
もう一度試してみましたが、どうもURLが対応していないとかで無理なようでした。
うちのブログです。→http://blog.livedoor.jp/iridescent22/archives/50338756.html
なんか拙い記事で恥ずかしいのですが。
はー、穴八幡宮は前方後円墳・・・。富塚もそうなんですよね?早稲田のあたりがそんな古墳だらけなんて少し前まで考えたこともなかったです。
記事少しずつじっくり読ませていただきます。
ありがとうございました。
by 閑話休題 (2006-01-19 22:35)
こちらからのTBは、大丈夫のようです。
このコメント欄のさらに下段にあります、「この記事のトラックバックURL:」の下にある、/trackbackの入ったURLを再度試みられてください。ときどき、TBを設定しても反映されないブログ同士があるようですね。
「高田八幡=穴八幡」のこと、ぜひ詳しく研究されてください。江戸時代の初期、上野は東照宮近くの花園稲荷から、やはり羨道や玄室が発見され、以来「穴稲荷」と呼ばれるようになりました。ちょうど、「穴八幡」とまったく同様の経緯ですね。ご参考にされてください。
http://blog.so-net.ne.jp/chinchiko/2005-10-03
by ChinchikoPapa (2006-01-20 00:32)
ChinchikoPapa 様
TBありがとうございました。ウチからはやはり無理みたいでした。
はっ、そういやありますね、上野に穴稲荷。
上野は江戸城の鬼門守護と聞いたことがありますんで、城の丑寅に穴稲荷、戌亥に穴八幡というとやはりちょっと意図的な感じがしますね。
すごく面白いです。情報ありがとうございました!
by 閑話休題 (2006-01-20 17:41)
いえいえ、これからもぜひ、お気軽にお立ち寄りください。
また、なにかお気づきの点がありましたら、ご指摘ください。
よろしくお願い申し上げます。
by ChinchikoPapa (2006-01-20 18:59)
ずいぶん以前の記事をお読みいただき、nice!をありがとうございました。>じみぃさん
by ChinchikoPapa (2012-09-12 16:06)