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闇の向こうに浮かび上がるのは・・・? [気になるエトセトラ]

 戸山公園内に、ひっそりと横たわる建物がある。石を緻密に組み合わせ、頑強に築き上げた印象深い建造物だ。まるで地面にめり込むように建てられていて、いかにも秘密めいた臭いがする。夜な夜なここに集まった人間たちは、なにやらコソコソと相談しては四方へ散っていく、まるで秘密結社が利用しそうな風情なのだ。この建物は、1945年(昭和20)8月15日まで、陸軍将校たちの「会議室」だったと伝えられている。
 ここには戦前、陸軍戸山学校や陸軍幼年学校、戸山練兵場・射撃場、近衛騎兵連隊、軍医学校、軍医学校防疫研究室、東京第一衛戍病院などが点在していたところで、病院外来部を除いて地域全体がすべて秘密のベールに包まれていた。当時の地図(1941年)を見ても、建物や道筋などは描かれておらず、すべてホワイトスペースになっている地帯の一画だ。だから、この建物が将校用の会議室だったのか、将校倶楽部だったのか、あるいは別の目的で建てられたものか、いまや正確にはわからない。「○○○といわれている」という、非常に曖昧な表現のまま伝承されている。ひょっとすると、箱根山の森陰に隠れるように築かれたこの建物は、会議室以上に重要な役割を果たしていたのかもしれない。戸山公園の周囲は、戦後60年たった現在でも、いまだ「軍極秘」や「軍機」の臭いが漂っている。
 1982年7月、近くの軍医学校の跡地から大量の人骨が発見された。それらの骨は、人為的に明らかに「加工」された形跡があり、頭蓋に規則的ともいえる銃創や刺創のあるもの、頭蓋を半分切り取られた子供の遺骸、大腿骨ばかりが何本もまとめて出土するなど、すべてが異様なものだった。新宿区議会では早々に調査要求決議をし、山本忠克区長(当時)も一体となって遺骨の身元確認究明を求めたが、厚生省は三度にわたって区の調査要請を拒否している。そのうち、当時の軍医学校に勤務していた人たちなどの証言も出はじめて、新宿区は厚生省を見かぎり、区議会本会議で「独自調査」を行う決定をする。毎年、調査のための予算も計上されることになった。

 当初は、国立科学博物館へ調査依頼をするはずだったのだが、明らかに国によるさまざまな調査妨害が行われ、最終的には1991年9月、国立科学博物館を退職した形質人類学の第一人者・佐倉朔教授(札幌学院大学)が人骨を精査することになった。半年にもおよぶ調査の結果は、頭蓋骨だけで62体、アジア系外国人(中国人など)のものが多く含まれていることが判明した。(のちに発見された人骨は100体以上にもおよぶ) これらの人骨は、陸軍軍医学校の「教材」であり、中国に派遣された防疫給水部隊(731部隊)からとどけられた、「人体実験標本」の一部だった可能性がきわめて高いとみられている。軍医学校には軍医学校防疫研究室(細菌兵器研究)があり、まさに石井部隊の本拠地だったところだ。
 戸山公園の8月、昼間はギンヤンマが上空を飛び、すべり台プールではしゃぐ子供たちの歓声が響き、学習院女子大や戸山高校の運動部にはかっこうの練習場となっている明るい緑地帯だが、夜になるととたんにあたりはまっ暗闇となってしまう。いまや、都内でも有数の「心霊スポット」となっているそうだが、戸山公園周辺の闇はとても濃く、底知れないほどきわめて深い。

■写真上:現在は戸山教会の基礎となっている、陸軍将校用の「会議室」。
■写真下は1936年(昭和11)、は1947年(昭和22)の同所。陸軍の施設が集中していたため、1945年(昭和20)4~5月の空襲では徹底的に爆撃された。


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中島茂信

小学生の頃、学校の図書室にあった南京大虐殺の本を何度か手にとったことがあります。それはそれはむごたらしい、恐ろしい写真が掲載された本でした。近年、「南京大虐殺はなかった、あれはでっちあげだ」と否定する人もいますが、どちらが真実かは別にして、いまもあのときの「何か」が、戸山公園周辺に「遺跡」として残っているのかもしれません。戦後60年、いまも過去の汚点、傷(なんといったらいいのでしょうか)がきざまれているのですね。
読み続けていて、まさか石井部隊の名前が出てくるとは思いもしませんでした。けっこうショックな記事でした。
by 中島茂信 (2005-08-18 08:20) 

ChinchikoPapa

わたしも、児童書の『屋根裏部屋の秘密-直樹とゆう子の物語-』(松谷みよ子)の旧版で、731部隊を初めて意識しました。いまの新版は未読なので、ストーリーが大きく変わっているかもしれませんが、中国から復員した経歴を持つ祖父が、ひそかに屋根裏部屋の奥になにかを隠していて、それを孫たちが冒険がてら宝探しに行く・・・という展開だったと思います。ところが、隠していたものは石井部隊長から預かった人体実験の「研究資料」だったんですね。強く印象に残る物語でした。今年の4月に新版が出て、再びかなり売れているようなので嬉しいです。
やってしまった事実は事実として、それを認めない、あるいは矮小化する、ときにウソで塗りかためるのは卑劣で卑怯きわまりない・・・というのが、本来の日本人としての「いさぎよさの感覚」であり「美意識」のはずなのですが、どうも最近、いさぎよくなく情けない日本人が増えているようで嫌ですね。
by ChinchikoPapa (2005-08-18 11:31) 

ChinchikoPapa

戸山ヶ原の箱根山へ登られたのですね。3、4年前からつづいていた寺側の大規模な工事で、穴八幡の斜面から見つかった羨道はふさがれてしまった可能性があります。穴八幡の北側にあった、前方後円墳の冨塚古墳(戸塚富士)から出土した玄室は、甘泉園公園に隣接した水稲荷社本殿の裏側に、溶岩ともどもそのまま保存されていますので、今度ぜひご覧なってください。わたしは明日、久しぶりに訪れた「ハケの道」の記事をアップする予定です。nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2009-10-25 16:58) 

ChinchikoPapa

以前の記事にまで、nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2011-01-23 21:16) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
by ChinchikoPapa (2011-01-23 21:31) 

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