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ひそかに何を思う前島密。 [気になるエトセトラ]

 ほんとうは、医者になりたかった前島密(ひそか)。越後(新潟県)出身の彼は、長崎で語学を勉強したり、薩摩の怪しげな動きを幕府へ報告したり、開成所で数学教師の仕事をしたり・・・と、幕末の混乱の中でけんめいに生き方を模索した人だった。ところが、明治維新後に彼を待っていたのは、明治政府から押しつけられた、とんだ“貧乏クジ”の仕事だったのだ。
 上野戦争の残虐さClick!や、薩摩示現流の試し斬りとばかり、江戸東京の街中で女性や子供の辻斬りを繰り返す薩摩藩士たち(京都にも同様の記録が多く残る)を嫌悪し、亀甲萬醤油Click!をことさらもてはやし、薩長政府のいうことなどまったくきかなくなってしまった江戸東京市民とのパイプ役を、幕府の仕事をしていた彼が引き受けさせられたのだ。彼の勤め先は民部省、つまり東京市民との接点がもっとも多い役所だった。薩長の出身者が、江戸東京市民へなにか働きかけてもまったくいうことをきかないので、民部省をはじめ各省庁は、一度すべて追放したはずの街中に顔のきく、あるいは人気のある旧幕臣や佐幕派を次々と登用せざるをえなくなっていた。
 余談だが、いまでも東京の土地っ子の年寄り連中には、「薩摩」や「鹿児島」と聞くと嫌悪感をあらわにする人がいる。東京の「薩摩」は、ちょうど会津の「長州」の位置づけに近いだろうか。「鹿児島出身です」というと、なぜ東京では、代々年寄りが“引いて”しまうのか、まったくわからない人たちがけっこういる。「次に長州が攻めてきやがったら」と、いまだ重代の刀を研師に出しつづけている会津ほどではないにせよ、ちょいと東京では考えさせられるテーマのひとつ。江戸時代までの歴史だけでなく、明治以降、日本はもちろんその土地の近代史を知ること、あるいは教えることは、とても重要なことだと改めて感じる現象だ。
 さて、明治政府から前島が課せられたテーマは、駅逓司(えきていし)つまり郵便や役人が旅行するための交通整備の仕事だった。でも、これはあくまでも政府の郵便や交通の仕事であって、民間のものではない。当時、民間の郵便機関は、江戸期とまったく同様に飛脚便が活用されていた。彼が民間へ郵便事業を拡大しようとしたとき、当然のことながら市中からは大きな反発があった。町飛脚ばかりでなく、一般の東京市民からの反発も強かったようだ。これはもちろん、郵便制度に反対しているというよりも、明治政府のやることがなにからなにまで気に入らない東京市民たちの、当然の反応だったろう。
 駅逓権正(えきていごんのかみ=現在の郵政大臣)だった前島は、自ら街中を必死に説得してまわった。東京の各地にあった飛脚屋仲間(組合)には、協力してくれるように次々と頭を下げた。「明治政府の役人」が民間へ頭を下げてまわるなど、当時では常識外れの出来事だったろう。だが、いくら薩長出身ではない旧幕派の彼の頼みでも、江戸東京の飛脚屋たちは首を縦にふらなかった。こうして、明治政府により見切り発車というかたちで、東海道の起点である日本橋に初の日本橋郵便局が設置され、東京~大阪間から郵便制度が導入された。
 

 当初の郵便料金は、街中の飛脚屋の料金と同じに設定されていた。しかし、飛脚屋仲間はすぐに対抗策を打ち出す。郵便料金よりも、かなり安い新たな飛脚料金を設定して、東京じゅうに宣伝したのだ。しかも、早飛脚をさらにスピードアップし、政府の速達郵便よりも早く手紙や品物を目的地へとどけるサービスも開始。同じ土俵の上で、官民競争の始まりだった。でも、これではハナから勝負にならなかった。東京市民は、相変わらず早くて安い昔から馴染みの飛脚便を利用し、横柄で高い郵便局など見向きもされなくなっていく。
 こうして、前島は再び頭を下げ、街中を説得してまわることになる。イギリスまで出かけて研究してきた郵便制度が、近代国家には不可欠で有意義な制度だと認識していた彼にせよ、こんな役どころはまさに“貧乏クジ”だったにちがいない。江戸東京市民を納得させるためか、「いまの政府のためではなく、日本という国家のために協力してくれ」と、彼は飛脚仲間へ説得したとも伝えられている。こうして、大江戸からつづく町飛脚便を郵便事業へ併合するかたちで、ようやく日本の郵便制度は確立することになる。
 いま、前島密がいたら、ひそかに何を思うのだろうか? 明治政府から矢面となる、イヤな役どころを押しつけられた前島は、「国家郵便はもういいのさ。飛脚屋の仕事にもどすんじゃ」と言うか、あるいは「ネットが普及したとはいえ、物流を含む通信は国家の要だわい」と言うのか、日本橋郵便局前にいる少し不機嫌そうな彼は、黙して語らない。

■写真上:日本初の郵便局である日本橋郵便局。入り口には、前島密の胸像が置かれている。
■写真下は前島密の1円切手。「あれだけ苦労したのに、なんでわしが1円なんじゃ! いまどき、せめて80円切手ぐらいにしてくれろ」という声が聞こえそうだ。は日本橋郵便局に設置された、特別デザインの赤くないポスト。


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ChinchikoPapa

昔の記事にまで、nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2010-12-27 12:33) 

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