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柳橋物語。(5) [気になる神田川]

 神田川の水面に姿を映した柳橋芸者は、ではどのような姿かたちをしていたのだろうか? よく芝居や小説などに描かれる柳橋の芸妓だが、柳橋が最盛期だった幕末から大正期にかけての、一般的なファッションを見てみよう。
 まず足元は、下町らしく足袋をはかず素足のまま、歯のついた東下駄をつっかけていた。このあたり、足元が軽やかで涼しげな装いなのだ。江戸期から明治初期には、素足に爪紅をしてみせていた記録があるが、その後、そんな芸妓はいなくなったようだ。褄をはしょって、素足に素爪、急く足どりでカラコロン・・・というのが、柳橋芸者のイキなところ。長めの笄(こうがい/たいがいは地味な色合いの鼈甲)を、たった1本きり前髪に挿し、簪(かんざし)は真紅の琉球珊瑚玉を後ろ髪にかっしと挿していた。明治期の後半からは、白い象牙玉や緑の翡翠玉の簪も少しずつ登場したようだ。髪飾りは、たったこれだけ。ゴテゴテと花簪や蒔絵の笄など、必要以上に髪を飾るのは、野暮の骨頂といわれて忌避され、ことさら嫌われていた。シンプル・イズ・ビューティフルが、一部に辰巳芸者の血を引くスマートな柳橋のねえさんたちだ。
 帯はあえて太鼓にせず、だらりと垂らしたまま。この装いで、屋形や屋根舟にスルリとすばやく乗り込まなければならない。柳橋芸者の特技のひとつに、舟へ座ったまま美しくスムーズに乗り込む・・・というのがあった。これが一人前にできないと、舟の船頭がバカにして言うことを聞いてくれない。舟といっても、屋形や屋根はすぐに畳敷きだから、立っていては乗り込めない。しかも、絶えず上下に揺れている。鴨居にちょいと指をそえ、タイミングを見計らって身体を反らし、スルリと膝から滑りこむようにして乗るのだが、これがなかなかマスターするのが難しかったようだ。他所の芸者が、柳橋出身と偽っても(当時は箔をつけるために、よくこのようなウソが流行ったそうだが)、舟に乗るところを見られて嘘がバレた・・・なんてエピソードも多く残っている。当時の柳橋の様子を、後藤末雄の文章から引用してみよう。
  
 江戸時代から柳橋は柳暗花明の地として東都第一の教坊であつた。その繁盛ぶりに就いては『柳橋新誌』の記述に譲りたい。新橋が出来てから、柳橋も大分、お株を奪われたが、新橋は野暮な官員さん、田舎大尽の遊び場と相場がきまつていた。
 粋人は柳橋で遊んだのである。柳橋には東京つ子が多く、言葉にもナマリがなかつた。流石に昔からの土地柄だけに芸者の腕がよく、品もよかつた。新鮮な色彩に乏しかつたが、どことなく古典的な匂いがしていた。(後藤末雄『昔の両国界隈』より)
  
 
ここでいう「ナマリがなかつた」と書いているのは、「標準語」(放送用言語)を話しているわけではない。地元の言語=東京方言(山手弁/下町弁)を話している・・・という意味だ。東京弁の視座から見れば、人工的につくられた「標準語」はナマリだらけの得体の知れないしゃべり言葉ということになる。

 

 贅沢な装いではなくシンプルなのに、所作のなにもかもがスマートな柳橋芸者は、東京中の芸妓の“あこがれ”だった。「昭和」風に言えば、戦後銀座の一流どこのホステスさんの位置づけが、昭和初期以前の時代における柳橋芸妓のスタンスだったのだ。
 その柳橋も、1923年(大正12)の関東大震災と1945年(昭和20)の東京大空襲で、壊滅的な打撃を受ける。江戸期からの茶屋や由緒ある料亭も、すべて焼失している。そのたびに、道筋の変更や区画整理などによって、街並みは大きく変化した。江戸の面影は消え、大正の香りが残る落ち着いた街並みも消えてしまったが、柳橋は二度にわたるカタストロフから、そのたびごとにたくましく甦った。関東大震災の直後、高村光雲は両国や柳橋界隈の変貌を嘆いて、こう描写している。
  
 唯昔と同じなのは両国の橋のかかつてゐる川と、それから横に這入つて柳橋の川とが変らないだけで、あとは殆んどもう姿が変つて、今日の両国を見て、昔のことを考へると、なんだか混雑して自分でもわからなくなつて、昔のことの方が間違つてゐるかと思ふやうな気がしておつかなくつて話しが出来ない位変つてをります。(高村光雲『江戸は過ぎる』より)
  
 次回はいよいよ、江戸時代の後半から神田川河口の柳橋へ集中しはじめた茶屋や料亭の歴史と、東京大空襲から戦後みごとに復興した、柳橋の一流料亭街を実際に訪ねてみよう。

■写真上:柳橋から、大川(隅田川)を眺める。写真下の銅版画の視点と、ほぼ同じ位置から。
■写真下は幕末、日本に滞在した外国人による柳橋(木橋)と柳橋芸者のリトグラフ。河口の左手に関東大震災で焼ける前、料理茶屋「亀清楼」の一部が見えているのがめずらしい。は、戦後すぐの柳橋。1950年(昭和25)ごろ。


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ChinchikoPapa

昔の記事にまで、nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2011-04-29 13:36) 

岡田 耕

興味深く拝読しております。引用されている『昔の両国界隈』を自分も読んでみたいのですが、中古本など見当たりません。図書館など、どこか入手か閲覧できる方法があれば教えてください。
by 岡田 耕 (2020-10-30 07:58) 

ChinchikoPapa

岡田耕さん、コメントをありがとうございます。
1953年(昭和28)に「互笑会」が編集し東峰書房から出版された『柳橋界隈』に、後藤末雄の『昔の両国界隈』が収録されています。日本の古本屋サイトで「柳橋界隈 互笑会」で検索しますと、いまのところ7冊ひっかかりますが高価ですね。
https://www.kosho.or.jp/

by ChinchikoPapa (2020-10-30 09:48) 

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