物売りが流してまわる下落合。 [気になる下落合]
以前、風邪を引いて平日に自宅で寝ていたら、いろいろな物売りの声が聞こえてきて面白かったことがある。竿竹屋や粗大ゴミ、壊れた家電製品の回収はめずらしくないのだが、下落合を鋳掛屋(いかけや)がまわっているのには驚いた。「鍋・釜・フライパン修理をいたしま~す」・・・と、スピーカーを使わず、道筋を肉声で触れ歩いているのだ。何度かまわってきたので、近くにいつも腰を据える場所が決まっていて、そこでお客が出てくるのを待っているのかもしれない。
研ぎ屋も来た。こちらもスピーカーは使わずに、「♪包丁にハサミ研ぎ~」・・・と抑揚をつけた独特な呼び声で、ゆっくりと下落合を流しているようだ。研ぎ屋は、下落合ばかりでなく、最近は東京のあちこちで見かける。近くの公園などに一見、靴磨きのような見世を広げて、お客が持ってきた包丁やハサミを、大きめの砥石で研いでたりする。なんだか、東京の下町のような風情だ。
わたしが思わずのけぞってしまったのは、目白駅の近く、刀の飯田高遠堂さんの前あたりでラオ屋さんを見かけたときだ。ピーーッという音がするので、ケンタッキーフライドチキンの圧力釜か?・・・などと冗談半分に思いながら近づいていくと、わが目を疑うラオ屋だった。浅草あたりでは、いまでもたま~に見かけたりはするが、ここは山手の下落合だ。小型トラックの荷台に、おそらくは雁首や吸口、ラオ材などが入っているのだろう、引き出しのたくさん付いた箪笥のようなものを載っけて、細い管からピーーッと蒸気が景気よく出ていた。いまだに下落合には、煙管(きせる)の愛好者が大勢いるのだろうか?
もうひとつ、転びそうになりわが耳を疑ってしまった物売りは、「玄米パンのほっかほか~」。ここは、1930年代の日本橋か!・・・と、思わず笑い出してしまった。親父からさんざん話には聞いていたけれど、売り声の抑揚までがそっくりだ。スピーカーを通しているとはいえ、21世紀の下落合で玄米パン売りを実際に耳にするとは思わなかった。
いまは壊されてしまったが、下落合駅前のホテル山楽附近では、風鈴売りをよく見かけた。屋台のような造りのリアカーに、江戸風鈴や吊忍(つりしのぶ)、風車(かざぐるま)などを満載してまわっていた。風鈴売りのおじさんは黙ったまま、まったく売り声を出さない。たくさんの風鈴の音色で、風鈴売りが通るのを知らせているのだろう。風鈴売りは、夏になると頻繁に見かけたものだが、ホテル山楽が壊された時分から見ていない。
冬になると、焼き芋屋が巡回してくるのはどこの町内でも同じだが、下落合では焼き芋屋が集中的に集まる場所がある。聖母坂の上だ。おそらく、聖母病院に詰める夜勤の看護婦さんや、聖母大学(旧・聖母女子短大)の寮に住む女学生がよく買うのだろう。聖母坂に住んでいたころ、坂上のあたりから頻繁に焼き芋屋の売り声が聞こえてきた。焼き芋屋にも縄張りがあると聞くが、聖母坂はとっかえひっかえ異なる焼き芋屋がやってきた。
物売り辻売りが商売になる土地は、いまだ住宅地としてはいたって「健全」なのだろう。日本橋あたりのビルやマンションだらけの住宅街には、もはや物売りの声さえ響かないと聞いた。ラオ屋も鋳掛屋も、ついでに玄米パンのほっかほか~もまわってくる下落合に、さて、今度は早朝の東銀座あたりを流している、棒手振(ぼてふり)の魚屋でも登場しないかとひそかに期待している。
■写真:目白ヶ丘教会前にやってくる移動青果屋。
写真の目白ヶ丘教会からそれほど遠くないところに実家がありますが、そういえば物売りが多い地域だったかもしれません。
一番印象深いのは千葉方面からの行商のおばちゃん。
名前は知らないけれど定期的に「千葉のおばさん」(といっても自分が子どものころ覚えているのは70ぐらいのおばあちゃん)が玄関先までやってきて、新鮮な野菜や卵などを売りにきていました。もうかれこれ20年ぐらい前にはこなくなってしまいましたが、千葉のおばさんがいた頃の時代ってよかったですね。そういえば、焼き芋も年末年始実家に戻るとトラックで売りに来るから本当に風情がなくなっちゃいました。はい。
そうそう、行商のおばちゃんといえば、目白駅の改札口の右側に降りていく階段の下あたりにももう30年ぐらい前まででしょうか、行商の人が野菜とか売りに来ていたことを思い出します。
by 生まれも育ちも下落合! (2005-12-05 22:53)
あっ、すっかり書き忘れてしまいました。流すだけでなく、戸別訪問の物売りがいましたね。(^^
「千葉のおばさん」の後代は健在で、うちにもたまにやってきますが、いまでは野菜や卵ではなく、房総で育てた花の鉢植えや球根を「いらないかね?」と廻っています。でも、行商のおばちゃんが、目白駅で見世を拡げているところは、わたしは残念ながら見たことがありません。早朝、JR飯田橋駅で降りたりしますと、いまだに行商のおばちゃん部隊が大きな荷物を背負って、街中へ散っていくのが見られますね。
あと、うちには「富山の薬売り」もやってきます。救急箱を置かせてあげているのですが、ほんとうに富山市に本社のある会社で、インターホンの向こうから「富山の薬売りです」といって訪ねてきます。江戸時代から変わらないんですね。(笑)
by ChinchikoPapa (2005-12-06 00:13)
その後、豆腐・納豆売りも下落合では健在なことを知った。
昔と同じように、あの夕暮れの物悲しいラッパの音を響かせ
ながら、下落合の道をあちこちまわっているらしい。
by ChinchikoPapa (2006-01-11 19:21)