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目白界隈のネコたち。 [気になる猫]

 わたしはイヌやネコを見つけると、つい近寄って撫でてしまう。その確率は、イヌのほうが多いだろう。・・・なぜか? ネコは人間の「されるがままにならない」から、こちらの思いどおりにはなかなか身体を触らせてくれない。そこがまた、人間を対等の“動物”と見ているらしい、ネコの面白味なのだろう。イヌとネコとどちらが好きか?・・・と問われると困るけれど、たとえばイヌのチワワとネコのキジトラならば、迷わずネコを取ってしまう。(シェパードとキジトラだったら迷うかもしれないが・・・)
  
 マヤは、こわれやすいものの間を自然に歩けるネコでした。人も、こわれやすい、はりめぐらされた関係の糸のようなものの間を、気にしていないような、しらん顔して歩きたいものです。
  
 これは、写真集『三春の小路~めじろ、わたしの猫たち~』(安藤三春著・2003年)に収められた、陶芸家・川崎毅氏の印象深い言葉だ。三春さんは、目白駅近くの自由学園明日館へと抜ける“F.L.ライトの小路”で、クラフト&アートのショップ「三春堂」を、日立目白クラブの道沿いではギャラリー「MIHARU」を経営されている。わたしも、下落合散歩のついでにときどきお邪魔をして、三春さんの楽しいお話をうかがう。また、「下落合みどりトラスト基金」では、パンフレットをショップとギャラリーの双方に置いてくださり、署名や募金で多大なご尽力もいただいている。
 
 そんな三春さんが出版された『三春の小路~めじろ、わたしの猫たち~』は、目白界隈で暮らすネコたちの様子をとらえた写真集。下落合もそうだけれど、目白通りをはさんで向かいの目白3丁目あたりも、ほんとうにネコが多い。四季折々、ネコたちの表情をつれづれ撮影したのがこの作品集だ。ネコは、あまり表情が変わらず、いつもすましているように感じるのだが、実は、感情の起伏に応じてさまざまな表情をしてみせる。気を許した人間だけにしか見せない、そんな無防備かつ感情があらわになった刹那の表情が、この写真集にはいっぱいだ。かくいうわたしの家にも、もともとは野鳥の森へ棄てられていた、そこいらの得体の知れない雑種ネコが1匹、居ついて暮らしている。
 「こわれやすいものの間を自然に歩けるネコ」という言葉に惹かれるのは、川崎氏の後段と同様、「こわれやすいものの間をうまく歩けない人間」という想いに、どこかで結びつくからなのか。それは、わたしの場合、人間同士が織りなす関係の難しさ・・・という意味ではない。こわれやすい自然を、ことさら意図的に破壊しようとする人間の姿は、ネコやタヌキの目から見れば、とても不器用で醜いありさまなのかもしれない。ネコ嫌いの人間はたくさんいるが、人間嫌いのネコやタヌキだって、下落合や目白にはたくさんいるだろう。

■写真上:たたきの上に残された足跡、「嵐の日のわすれもの」。
■写真下は、写真集『三春の小路~めじろ、わたしの猫たち~』(encounter the cats in Mejiro/安藤三春著/遊人工房・2003年)。は、TVをジッと見入る「Rei」。写真集はショップでも、サイト通販でも入手可能。


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miharu

写真集「三春の小路-めじろ、わたしの猫たち」のご紹介、ありがとうございました。目白、下落合には野良猫さんが多いような気がしています。それは、野良さんが生きていける自然環境と人の優しさが、少しだけ多くあるのかしらと思っています。今より悪くなりませんようにと思う日々。
人はあたりまえのように人間主体に考えてしまいますが、「人間嫌いのネコ」というところに妙に納得してしまいました。Papaさん、ありがとう。(これはネコさんより)
by miharu (2005-12-13 00:50) 

ChinchikoPapa

日曜日は寒い中、最後までありがとうございました。ネコやタヌキが生きていける環境、言い換えますと人間が人間らしく生きていける環境というのは、とても抽象的で難しいテーマなのですが、最近「三丁目の夕陽」(映画)とかが流行っているのを見ますと、単なるノスタルジーではなく、住みやすい(やすかった)「町」への憧憬、人が無理をしないで暮らせた「町づくり」への希求・・・のようなものを感じてしまいます。
小説家の小林信彦は(うちの実家の数軒先で生まれた人です)、1960年代からの日本橋を中心とする下町の様子を「町殺し」と表現していますが、目白・下落合に「町殺し」が波及しないよう、なんとか喰いとめたいものです。
議員の方々も、最優先課題は「中村彝アトリエ」と、広大な「財務省官舎跡地」だ・・・と認識されているようですので、なんとかよい方向に向かってくれるといいのですが・・・。
by ChinchikoPapa (2005-12-13 11:45) 

fuRu

日曜日は参加できずにとても残念でした。
小林信彦の「町殺し」という言葉は鮮烈ですね。
松山巌さんの書かれた「住み家殺人事件」を思い出しました。
http://af-site.sub.jp/blog/archives/2004/10/post_115.html
by fuRu (2005-12-13 12:03) 

ChinchikoPapa

わたしも、日曜日はお会いできずに残念でした。行政区画は違いますが、目白と下落合の町は一体だ・・・という強い意識を再確認できたのは、いちばんの収穫でした。下落合の明治期や大正期の建物も間近で、あるいは屋内に入れていただいて拝見できましたので、とても貴重な体験でした。
よい本のご紹介、ありがとうございます。読んでみたいと思います。
by ChinchikoPapa (2005-12-13 13:24) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>さらまわしさん
by ChinchikoPapa (2014-05-19 19:27) 

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