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アトリエですごす中村彝。 [気になる下落合]

 アトリエの中村彝をとらえた、何枚かの記念写真が残っている。庭の写真もあれば、画室内のものもある。現在のアトリエと照合し、たいがいはその場所を特定することができる。これらの写真は、友人たちによって庭先で撮影されたものが多い。そこには彝が信頼していた、岡崎キイの姿も多く残されている。
 1枚目の写真は、頻繁に引用されるアトリエ前でのショット。左から雨谷美文、彝、中原悌二郎、鈴木金平(手前)。左には居間(応接室)の白い扉が見える、アトリエの向かって右手だ。現在は、並んだ人物たちの背後に、1929年(昭和4)に造られた玄関がある。アトリエへ移り住んだ翌年、1917年(大正6)の撮影だ。
 
 次の写真も、アトリエ新築後の間もない時期だろう。庭の芝の上に籐椅子を持ち出し、くつろいでいる彝の姿をとらえている。1918年(大正7)ぐらいのスナップだろうか? 当時の仕事着である、袖丈の短いルバシカを着ているのがわかる。居間の前に竹で組んだ藤棚に、藤蔓がよく育っているのが見てとれる。
 
 下の写真も、中村彝の関連図書でよく引用されるものだ。前面に座ってソッポを向いているのは、のちに彝の母親のようにふるまう岡崎キイだ。うしろは、左から中原悌二郎、彝、長谷部英一の面々。庭に面した居間の扉下が、当時は木製の階段だったのがわかる。現在では、この階段部分が段差のあるタイル張りのテラスになっている。
 
 次の写真は、彝の病状がかなり進んだ大正10年代のものだろう。岡崎キイが階段に座り、暖かい冬の日の昼間なのだろう、居間の扉を開け放って病臥する中村彝を、扉のところまでベッドごと移動し日光浴をさせているようだ。キイは怖い顔をしてレンズをニラんでいるが、ベッド上の彝は眠っているのか目を閉じている。喀血すると、ベッドから数日間離れられないこともあり、寝たり起きたりの生活がつづいていた。それでも、絵を描くことは最後までやめなかった。
 
 亡くなる直前に撮影された、1924年(大正13)の衰えた彝をとらえたポートレート。身体が衰弱し、やつれた面影をしているが、逆に眼差しは輝きを増していった。まるでキリストのようだと、周囲の人々は囁き合っていたようだ。背もたれのたっぷりした椅子に腰掛けた彝の背後には、画室西側の壁にうがたれた、作品にもときどき登場するアーチ型の凹み棚が見えている。岡崎キイをモデルにした『老母像』(1924年・大正13)では、ここに水差しが置かれている。現在は、洋画家・鈴木誠氏の作品類が置かれた裏あたりの壁面に位置している。同年の12月24日クリスマスイヴの日に、中村彝はついに力尽きた。
 
 中村彝をとらえた写真は、それほど多く残ってはいない。渡欧歴もなく、国内旅行をしてもひとりで出かけたり、あるいは結核療養のための転地だったりして、記念写真を撮る機会も少なかったのだろう。残された写真の多くは、下落合のアトリエで撮影されたものだ。その中で、どうしても撮影場所を特定できない、1枚の写真がある。
 こんな小さなアトリエで、撮影ポイントが不明なのもおかしな話なのだが、関東大震災で一部を改築する前の、初期のアトリエの姿なのかもしれない。次回は、その写真をめぐるナゾを追ってみたい。 


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