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下落合の郵便ポストを洗え。 [気になる下落合]

 
 1926年(大正15)に描かれた、この佐伯祐三『下落合風景』にはハッキリとした特徴がある。もちろん、懐かしいデザインの赤い郵便ポストだ。目白通りから入る商店街の、いずれかの小路だろうと考えて、すぐに特定できるとタカをくくっていたのだけれど、こんな場所は目白通り沿いには存在しない。のちに、目白通りから折れたすぐの小路に、ポストなど存在しないことがわかった。目白通り沿いにあったポストは、すべて表通りに面していて、葛ヶ谷の直前までわずか3箇所しか設置されていないことが、あとで判明することになる。
 手前左には、ショウウィンドウを備えた明らかに商店と思われる店先に、郵便ポストが設置されている。この店の向こう側には路地があるらしく、ポストよりもかなり低い人影(子供だろう)が出てきているのがわかる。右手にも看板が多く並び、商店であるのは明らかだ。でも、佐伯のパリ作品とは異なり、看板の文字は記録されていない。道はほんの少し左へカーブしているように見え、奥へ行くと右側の家並みに正面がふさがれているようだ。路上にも、子供らしい小さな人影が複数確認できる。
 では、いくらかの商店が並んでいて、ポストが設置されているこの風景はどこだろうか? 下落合の住宅街の中にも、このような小規模な商店街がいくつか見られる。現在の下落合側にもあるし、目白文化村の中落合側にもあった。でも、結局はそこにポストはなかったのだ。佐伯祐三は、いったいどこのポストを描いたのだろうか? 考えあぐねた末に、郵便局の古い資料にポストの設置場所を記録したものがないかどうか探してみた。でも、永久的にその場所に設置されるわけではない、過去のポスト設置場所を記録した資料など、ありはしなかったのだ。
 
 では、地図に記載された記号ではどうだろうか? 1926年(大正15)に作成された、「下落合事情明細図」では郵便局が1箇所、ポストが2箇所描きこまれているが、これが下落合にあったポストのすべてではないことは明らかだ。1935年(昭和10)以降に発行された「淀橋区詳細図」には、ポストが茶色の点で描きこまれている。でも、佐伯がこの絵を描いてから、すでに10年の歳月がすぎている。ポストの数も増え、また移動していないとも限らないのだ。
 ポストが描きこまれた、もっと古い地図はないだろうかと探したところ、佐伯がこの『下落合風景』描いてからわずか3年後に発行された、「豊多摩郡落合町全図」(1929年・昭和4)を見つけた。この地図では、ポストはブルーの点で記載されている。これを見ると、ポストの設置数は下落合全域で12箇所。以下が、その設置場所のリストだ。
  (01)下落合488番地(落合郵便局前/目白通り)
  (02)下落合367番地(巡査合宿所前/相馬邸の黒門近く)
  (03)下落合607番地(子安地蔵前/目白通り)
  (04)下落合281番地(氷川明神前/七曲坂の下)
  (05)下落合893番地(馬場下道の田島橋手前)
  (06)下落合970番地(久七坂の下)
  (07)下落合1421番地(落合小学校前/落合町役場の裏)
  (08)下落合1600番地(第一文化村北端/小野田製油所の裏)
  (09)下落合1551番地(玄光社前/目白通り)
  (10)下落合1370番地(第二文化村の南東端)
  (11)下落合2196番地(四ノ坂上の五叉路)
  (12)下落合1794番地(和泉堂前/六天坂下と見晴坂下の中間)
 この中で、空中写真で確認しつつ、すぐにも風景的にありえないのは(01)~(04)、(07)~(11)だ。まず、目白通りに面して設置されていた(01)(03)(09)の可能性はありえない。お屋敷街ないしは大きな建物前に設置された、(02)(07)(08)も考えにくい。また、ポストがあったとみられる周囲に人家が少ない、あるいはほとんどない(04)(10)(11)もこんな風景ではなかったろう。
 
 残る箇所は3つ。(05)の田島橋へと向かう馬場下道だが、ポストの位置を左に見るとやや左カーブがかった道は一致するが、左折の路地がない。また、正面には目白崖線の丘が大きく見えなければならず、風景が地形的にイマイチ噛み合わない。(06)の久七坂下はどうだろうか? 現在では、十三間通りの下になってしまった東西に抜ける道。ここも左折する路地はないが、道筋はなんとなく一致するものの、ポストのあった左手は商店ではなくランプ工場だった。
 最後の(12)和泉堂前、つまり六天坂と見晴坂にはさまれた中ノ道はどうだろう? あいにく、この道は大正末から昭和初期にかけ、西武電気鉄道の中井駅開設をひかえて、大規模な道筋の直線化と拡幅が行われている。だから、1936年(昭和11)の写真を見ても、かなり変化していると考えなければならない。また、昭和初期につづき、戦後も拡幅工事が繰り返されたようで、佐伯が描いたころに比べて道幅が倍近くに拡げられているようだ。
 
 さっそく、現場へ出かけてみる。もちろん「下落合事情明細図」に記載された細い道ではなく、いまはクルマが行きかう商店街の道筋となっている。描画ポイントと思われるあたりに立つと、背後には六天坂へ上る坂口があり、その斜向かいには以前に描画ポイントに登場した「草津温泉」Click!が建っていた「ゆ~ザ中井」がある。ポストの向こう側、左へ折れる路地はいまでもあるが、この路地の先は上り坂になっていて、ほどなく行き止まりだ。このあたりは、大正末の「事情明細図」に見えるような商店は少なく、マンションや個人宅が多い。商店街は、もう少し西側へと移動してしまったようだ。昔日の面影はほとんどないが、他の11箇所のポストを捨象していくと、おそらくこの位置に間違いないだろう。
 面白いことに、いまでもこの場所には郵便ポストが設置されていた。佐伯の絵のように、道の左側ではなく右側だ。「事情明細図」でいうと、「和泉堂」と記載された左、南へ入る道路端あたりになる。では、この作品を描画ポイントClick!へ加えよう。

■写真上は、佐伯祐三『下落合風景』(1926年・大正15)。は、さま変わりした現在の風景。
●地図上は、1929年(昭和4)の「豊多摩郡落合町全図」。ポストは、ブルーの点で描かれている。は、1935年(昭和10)の「淀橋区詳細図」。ポストは、茶色の点で記載されている。同じエリアでも、ポストの位置が微妙に移動している。「豊多摩郡落合町全図」で、下落合(志もをちあい)駅が氷川明神前に描かれているがめずらしい。地図下段のブルーの点線が、下落合駅前を通り早稲田通りと合流する予定だった、1929年(昭和4)時点での十三間通り(新目白通り)計画。
●地図下は、1926年(大正15)の「下落合事情明細図」。「山崎屋」「花月堂」「安田洋品」「和泉屋」「寄合会(商店会)」「栗原家具」など、さまざまな店舗が並んでいたのがわかる。青丸が当時のポスト位置で、赤丸が現在のポスト位置。が、「豊多摩郡落合町全図」に記載されたポスト位置。
■写真下は1936年(昭和11)の空中写真。大正期の道筋から、すでに拡幅が行われたあとで、絵に描かれた商店は大きくセットバックするか、移転を余儀なくされたろう。は、いまでも設置されている同所のポスト。元の設置場所から10mほど離れ、道路の反対側に移っている。


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