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『赤い鳥』にみる大正期の媒体広告。(2) [気になるエトセトラ]

 いまでも健在な「森永ミルクキャラメル」の広告。このイラストは、以前にご紹介したカラスがくわえてきた「ライオン歯磨きチューブ入り」Click!と同じイラストレーターによるものだ。コピーの表現も似ているので同じライター、もしかすると鈴木三重吉自身かもしれない。もちろん、大正時代にはイラストレーターやコピーライターといった専門職は存在しないので、小説家や詩人、画家などがアルバイトで手がけていた。
 風ふこが・・・
 雪ふろが・・・
 嬢やのノドをとゝのへて
 坊やにカゼもひかせぬは
 森永ミルクキヤラメル
 キャラメルが「滋養強壮によい」と言われていた時代のコピーだ。「風ふこ」と「雪ふろ」という言葉が、どういう意味なのかわからない。いまなら、糖分の摂りすぎは身体を冷やすので風邪引きのもと、あるいはキャラメルは歯間にはさまるので虫歯のもと・・・と言われてしまうだろう。
 もはやキャラメルといっても、どのような菓子なのか通じない子供たちがいる時代だ。知り合いの子にチョコレートやキャラメルを上げると、「歯に悪いから」と親に顔をしかめられるようになってから久しい。おそらく、キャラメルが子供たちに「ときめき」を与える菓子にもどることは、二度とないだろう。

 次は、「世界的大新聞」の「東京朝日新聞」。毎号8ページで、新聞が「年中無休」とうたっているのが面白い。新聞社の中には、年じゅうお休みしていたところもあったのだろうか? 「本紙の広告は悉く信用ある記事其物也」と書くほど、やたらめったら自信にあふれた姿勢が少々おこがましい。
 平和の新世界は如何に進転するか
 其活写図は今や刻々本紙に展開さる
 あらゆる機関の整備は我等をして
 常に新しき文化の先駆たらしむ
 書斎にお台所に勤先に総ての人に
 豊かなる趣味と知識と判断とを與ふ
 たゞ一語東京朝日それのみにて
 本紙の全き価値は万人に肯づかる
 その「世界的大新聞」の「東京朝日新聞」が、数十年後に「大本営」の走狗となってウソ八百の記事ばかりを並べ、自らジャーナリズムを死滅させるようになるとは、このとき誰も想像だにしなかっただろう。いや、それは「東京朝日」に限らない。すべての大新聞がそうだった。軍部に最後まで抵抗し、当局発表を疑ってかかったジャーナリストを抱える新聞は、このような「世界的大新聞」ではなく中小の専門紙や地方紙だったことは、もっと広く語り継がれてしかるべきだと思う。

 もうひとつ、鮮やかな赤色インクで刷られた「クラブ歯磨」の広告。キャッチフレーズもボディコピーも、社名すら掲載されていない大胆な広告。ただ、大きく「クラブ歯磨」と書かれているだけの、まるで後世の「PARCO」広告を彷彿とさせるような表現だ。クラブ歯磨は当時、かなり市場で認知度が高かったのだろう。大正の中期ごろは、まだチューブ入りの練り歯磨きよりも、このような袋入りの粉歯磨きのほうが一般的だった。練り歯磨きが普及するのは、昭和に入ってからだ。
 でも、そこに描かれたイラストを見るや愕然とする。アヒルが、よりによって歯磨き粉を食べているのだ。アヒルのエサになるほど、クラブ歯磨は美味しかったのだろうか? アヒルも喜ぶクラブ歯磨って、いったいどのような成分でできていたのだろう。子供の誤飲はなかったのだろうか? それとも、アヒルが食べても大丈夫なほど“安全”な成分でできている・・・というアピールなのだろうか。
 いま、アヒルが歯磨きを食べている広告を作ったら、「子供が真似して食べたらど~するのよ!」というクレームがすぐにも殺到しそうだ。アヒルは、やっぱり保険会社あたりのキャラクターが無難なのかもしれない。

■写真:『赤い鳥』1920年(大正9)2月号に掲載された広告より。


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コメント 4

『赤い鳥』の読者より

ずいぶん昔のbrogにコメントを書くのは、気が引けたのですが、
「風が吹こうが、雪が降ろうが」という意味だと思います。

by 『赤い鳥』の読者より (2021-08-10 16:01) 

ChinchikoPapa

『赤い鳥』の読者よりさん、コメントをありがとうございます。
昔の記事に、わざわざご親切に恐縮です。はい、わたしもこの記事を書いてしばらくしてから、「あれはね……」というご指摘を受けました。戦前の童謡や詩には、「あそぼ(う)」など「う」が省略されるものがけっこうありますね。
by ChinchikoPapa (2021-08-10 18:07) 

『赤い鳥』の読者より

私は、20年代のメディアとしての児童雑誌を研究している学生です。ChinchikoPapaさんのblogを拝見して、広告メディアとしての『赤い鳥』に注目を致しました。
このblogでは、私の専攻もありますが、20年代の文化、美術、文学を担っていた芸術家たちがそこに生きていたという息遣いや汗を感じます。村山知義にまつわる話は特に面白く、彼や家族、戦友(?)たちのいろいろな関係を知ることが出来ました。
今、札幌では三岸幸太郎・節子の出会いから100年展が開催されています。二人の絵画を対峙させて展示していました。
by 『赤い鳥』の読者より (2021-08-10 20:55) 

ChinchikoPapa

『赤い鳥』の読者よりさん、重ねてコメントをありがとうございます。
このサイトは、落合地域とその周辺に住んだ美術家や作家たちの、どちらかといいますと作品や成果物そのものよりも、その人間性に焦点を当てた記事が多いかと思います。ですので、「息遣いや汗を感じ」るといっていただけると、とても嬉しいですね。拙い記事ばかりですが、なにかお役に立てば幸いです。
北海道立美術館の方々には、三岸好太郎の記事を書くときにたいへんお世話になりました。同美術館内の三岸好太郎美術館で、三岸夫妻の展覧会が開かれているのですね。新型コロナ禍で、移動が難しいのが残念です。
by ChinchikoPapa (2021-08-11 09:55) 

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