SSブログ

母親が悲鳴をあげるとき。 [気になるエトセトラ]

 その昔、わたしも駄菓子屋へさんざん通った。衛生上の問題からだろう、母親が「行っちゃダメ!」というにもかかわらず、懲りずに毎日欠かさず通っていた。子供のころ住んでいた家の近くには、お婆さんとおばさんたちがやっている3軒の駄菓子屋があった。どれも小さな店で、子供が4~5人入れば、すぐいっぱいになってしまうぐらいのスペースだった。
 その中の1軒では、コンロの上に小さな鉄板が設置されていて、お世辞にも美味しそうには見えないもんじゃ焼きやお好み焼きを作っては、数十円で食べさせてくれた。おばさんは、小さな子供を背負いながらせっせと焼いてくれるのだが、肉は見あたらず野菜(もやし中心)ばかりだった憶えがある。お好み焼きへオプションの卵を落とすと、確か50円ぐらいは取られたので、デフォルトの場合は30円ぐらいではなかっただろうか?
 お婆さんの駄菓子屋は、ギャンブル性の高いクジが中心だった。10円を出すと、ミシン目の入った紙箱表面の好きなところを押す。すると、ハズレだと中から小さなガムやキャンデーが出てきて、アタリだと口に入れてもなかなか溶けない、いかにも質の悪そうなチョコレートが箱の中身とは別にもらえた。このお婆さん、子供がクジを引く段になると、とたんに目がギラギラと光りだす。アタリが出てしまえば、その情報はまたたく間に近所じゅうの子供に拡がって、「あのクジは、もうアタリが出てるぜ」ということで、クジ箱が新しくなるまで誰も引かなくなってしまうからだ。だから、「どうぞ神様、アタリがまだ出ませんように」・・・と、お婆さんもギャンブル根性を丸出しにして、目も生々しくギラギラと光ってくるわけだ。アタリが出てしまったときの、目を細めて「あ、そう。・・・出たの」というあのガッカリした表情が、いまでも忘れられない。

 いまでも見かけるが、ひもを引っぱるとイチゴかパインの飴があたる飴クジもあった。小さなイチゴがハズレで、大きなパインがアタリなのだが、イチゴにもいろいろな大きさがあって、少しでも大きいのを引こうと真剣に勝負した。当時は、1回5円だったと思う。黄色4号の着色パインがあがってくると、とたんに夢見心地で気が遠くなり、赤色104号の着色イチゴがあがってくるとがっかりしたものだ。20回引いて、1回あたればいいほうなのだけれど・・・。
 おばさんがやっている、もうひとつの駄菓子屋では夏になるとかき氷を売っていた。だから、夏休みには子供たちがよく集まったのだが、3軒の店の中では子供の目から見ても、もっとも不衛生な店だった。煎餅を買おうとすると、おカネを受け取ったその手で1枚1枚数えはじめたので、たまたま一緒にいて駄菓子屋へ立ち寄ったわたしに顔をしかめていた母親が、おばさんにも聞こえるほどの悲鳴をあげたほどだ。あっという間に、わたしは駄菓子屋の店先から連れ去られた。
 こうして、わたしは毒々しくて添加物いっぱいの駄菓子と、お婆さんやおばさんたちのギラギラした眼差しと、母親の悲鳴の中で育ったのだけれど、運よく身体も壊さずに成長できた。いつだったか、駄菓子屋で買い食いして赤痢だか疫痢にかかった子供の話が伝わってきたけれど、知らない子なので外国の話を聞いているようだった。その子と、赤痢だか疫痢を出してしまった駄菓子屋がどうなったかは、さだかでない。

■写真上:駄菓子屋へ殴りこんだ子供たち。上野にて。
■写真下:こちらは、由緒正しいほんとの菓子屋。言問橋の東詰めは言問団子。


読んだ!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

読んだ! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました