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お嬢様、いかれちまっておいでです? [気になる下落合]

 「おや、お嬢様、灯りもつけずに・・・。目にお悪うございますよ」
 「・・・思い浮かべると、あの家は肩幅の広い頑固な男に似ていた。いや、まさに下落合の高台に君臨する仁王様のようでもあった・・・※1
 「お嬢様、矢絣に袴なんぞ召されて、急にどうなさいましてす?」
 「・・・わたしはいま、仁王様の倒れる姿を、しかと見とどけたいと思う。人間の人間らしい生き方が、あの大きな家を維持するために窒息してしまうなら、いさぎよく外へ飛び出そう・・・」
 「・・・いったい、どうなすったんでございます、お嬢様? また、お熱でもおありで?」
 「お隣りの、吉良みどり様Click!のお作です。素晴らしいわ!」
 「お、お嬢様、お言葉ではございますが、吉良家のみどり様は、1歳になったばかりでらっしゃいます。そのお作は、23年後に書かれたものかと。ああ、ばあやは、め、めまいがして吐きそう!」
 「ど、どうりで、ばあや、わたくしもさっきから、少し偏頭痛がして、もどしそうになっていました」
 「あたくしは、お嬢様がとうとう、いかれちまったんじゃないかと思いましてす」
 「わたくし、どこにもまいりませんよ」
 「ねえ、お嬢様、いったい、いかがなされたんでございます?」
 「・・・ねえ、ばあや」
 「はいはい?」
 「“はい?”もひとつです、ばあや」
 「はい?」
 「・・・わたくし、小説家になろうと思うの」
 「ああ、さようでございますか。・・・げ、げげぇーっ!?」
 「げげぇーってことはないでしょ、ばあや」
 「だ、だって、お嬢様。嫁入り前の乃手のお嬢様が、小説家なんぞに・・・」
 「あら、ばあやは、意外と古いことをお言いね」
 「だ、だって、だってお嬢様。・・・そうでございましょうか?」
 「これからは、民主主義のもとで女性も自立しなければなりません。わたくしの場合、文章を書くのが好きだし、お父様やお母様も褒めてくださるから、きっと小説家が似合うと思うの」
 「親バカでございましょう?」
 「ばか? ばあや、いま、ばかとお言い?」
 「いえ、・・・親ばかりではございません。あたくしも、お嬢様のお身の上が、たいっぎゃ心配で」
 「まあ、ばあや、シゲやClick!の口ぐせが移っていますよ」
 「あれま、ほんとだ」
 「ばあやは、シゲやがたいそうお気に入りなのね」
 「ええ、そうでございますとも。このところ、ず~っと傍に置いてかわいがってますです」
 「・・・まあ、おかわいそうに」
 「ほんと、シゲやは、かわいいんでございますよ、お嬢様」
 「ねえ、ばあや、ご近所には壺井栄先生だって、林芙美子先生だって、鎌倉へ越されてしまいましたけれど吉屋信子先生だって、平林たい子先生だって、宮本百合子先生だっていらっしゃってよ」
 「でも、お嬢様、みなさん乃手のお嬢様じゃあございません」
 「それが古いというのです、ばあや」
 「そうでございましょうか? お嬢様」
 「では、ご近所ですので、いまから女性の自立について、おうかがいしにまいりましょう」
 「お、お嬢様、ねえ、うかがうって、どちらへ?」
 「林芙美子先生※2のお宅です」
 「げげぇーーっ」
 「まあ。また、ばあやのげげぇーです」
 「だ、だって、お嬢様。通油町の時雨先生にさんざん世話んなっときながら、ちょいと売れ出すてえと、うしろ足で砂しっかけるような義理の立たないマネしゃがる野暮、あたしゃ大嫌いですのさ」
 「では、ばあやはここで、お留守番をしておいで」
 「・・・そっ、そうはまいりませんですよ、お嬢様」
 「では、小西にクルマを回すよう、伝えておくれ」
 「・・・どうせまた、いつもの、気まぐれてえやつなんだから」
 「なにかお言い? ばあや」
 「いえいえ、いつものばあやの独り言、でございますよ」

 「ところで、お嬢様。なにかお作は、書かれたんでございますか?」
 「ええ、林先生に見ていただこうと、ここに持ってまいりました」
 「おや、手まわしのよろしいこって。・・・なんてえお題なんです?」
 「恥ずかしいわ、ばあや。・・・『朦朧記』というのよ」
 「あれま、林芙美子の『放浪記』じゃなくて、『朦朧記』でございますか?」
 「わたくし、意識が朦朧とすることがあるでしょう。だから、それを主題に書いてみたの」
 「お嬢様、オツムのほうはぜんたい、大丈夫でございますか?」
 「朦朧とすると、ときどき未来が見えることがあるのよ。ねえ、ばあやも、そうではなくて?」
 「おやまあ、ついに神がかりで、いかれちまっておいででございましょうかしら?」
 「いいえ、神様のお話を書いているわけではないのよ、ばあや」
 「ちょいと、小西、なにを笑ってんの? ちゃんと、前見て運転おしってば」
 「ねえ、ばあや、こちらの作品はね、『わすれなさい』っていうの」
 「あれまあ、吉屋信子の『わすれなぐさ』じゃなくて、『わすれなさい』でございますか?」
 「そうなの。山手に住む乙女のお嬢様とばあやの、それは美しくも悲しい運命の物語なのよ」
 「おやまあ。・・・なんとなく、身につまされそうな筋書きでございますねえ」
 「太宰先生の『斜陽』のように、敗戦でお家が傾いてしまうのだわ」
 「やっぱり、旦那様が、流行りの手形のパクリてえもんに、ひっかかったんでございましょうか?」
 「そうじゃなくてよ。敗戦で気落ちしたお父様とお母様が、相ついで病気で死んでしまうの」
 「あれま、そいじゃお嬢様、ばあやとたったふたりきりてえ寸法でございますか?」
 「いいえ、運転手と3人で、貧しいアパート暮らしが始まるのです」
 「・・・あ、あの、ひょっとしておクルマも、まだあるんでございますか?」
 「ええ、そのクルマに乗って、お嬢様は銀座へ毎日、お花を売りに出かけるのよ」
 「・・・あの吉屋先生でさえ、思いつかない設定さね。・・・そいで、結局、どうなるてんです?」
 「数寄屋橋のところで、素敵な殿方とお逢いするのですが、お名前を聞きそびれてしまうのです」
 「な、なにやら朦朧と、菊田一夫の匂いがしてきましてす」
 「でもね、ばあや、安心おし。ある夜、ふたりは小雨にけむる有楽町で、偶然に再会するのです。 それがね、夜霧の国道で濡れたお嬢様に、そっとやさしく傘を差し出した殿方がいるのだわ!」
 「頭痛といっしょに、フランク永井の匂いも・・・。あいたたた」
 「熱烈に燃えあがったふたりの恋は、ついに最後には、大磯のあの坂田山で結ばれるのです!」
 「おや、坂田山てえぐらいだから、心中じゃないんで?※3 まあまあ、そりゃようござんした。・・・であの、お嬢様、そんで、ばあやはどうなりましてす?」
 「・・・ああ、ばあやはね、真冬の霜柱が立つ朝に、寺斉橋から友禅の水洗いを見物するために身を乗り出しすぎて、妙正寺川へ落ちて溺れ死ぬのです」
 「・・・ちょ、ちょいと、お待ちください、お嬢様! お嬢様は、最後に殿方とご一緒でお幸せなのに、なんでばあやは、よりんよって寺斉橋から落っこって、トンマな土左衛門になっちまうんです!?」
 「そういう小説のストーリーなのだから、しかたがないのよ、ばあや」
 「で、ですけど、お嬢様。・・・あたしゃ、まったく承知できませんです!」
 「そこが、悲しい運命の物語、『わすれなさい』なのだわ」
 「・・・じゃっ、じゃあだんじゃございませんですよ、お嬢様!」
 「わすれなさい。・・・あら、そろそろ寺斉橋よ。ねえ、小西、笑ってないで、このへんで停めておくれ」
 「ちょ、ちょいと、お嬢様。・・・お待ちください!」
 「雨でぬかるんでいるから、川に落ちないよう足元にお気をつけなさい、ばあや」
 「ねえ、いまのばあやの、筋書きのこってす!」
 「林先生は、ご在宅でいらっしゃるかしら?」
 「せめて、両国橋から大川に落っこって死ぬてえんなら本望ですけど、なっ、なんでこんなちっぽけな小川にはまって、ばあやは死ななきゃならないんです!?」
 「あら、ねえ、ばあや。・・・このお屋敷は、どちら様のお宅?」
 「・・・ここですか? ええと、林様の東隣りだから、・・・刑部様のお屋敷です」
 「まあ、ここがあの金山平三画伯Click!とご一緒に、よくあちらこちらへ写生旅行をなされる刑部人様Click!のお宅なのね」
 「ねえ、お嬢様。後生ですから、寺斉橋をせめて、大橋か日本橋に変えていただくわけにゃ・・・」
 「スペイン風のお家で、なんておしゃれなのでしょう!」
 「せめて、お嬢様、冬の朝は寒(さぶ)いですから、夏のお昼てえ設定にしていただければ・・・」

 「まあ、ばあや、ご覧! すごく素敵なアトリエ※4があるわ」
 「・・・あれまあ、ほんとうだ。あたしも、ちっとも気づきませんでした」
 「木々に囲まれて、なんて素敵なアトリエなのでしょう!」
 「お嬢様、こちらにはバラ園もございますよ」
 「わたくしもぜひ、このようなアトリエを、ひとつ欲しくてよ!」
 「お嬢様、小説家てえことなら、アトリエじゃなくて書斎でございましょう?」
 「・・・ねえ、ばあや」
 「はい?」
 「わたくし、小説家はやめて、画家になろうかしら」
 「げげぇーーっ」
 「・・・“げぇ”もひとつです、ばあや」
 「げぇーーっ」

※1:NTV『さよなら・今日は』(1974年1月12日放送分)の「吉良みどり」のエッセイより。
※2:林芙美子は、1951年(昭和26)6月28日に急死している。
※3:1932年(昭和7)5月に起きた、坂田山心中のこと。親に結婚を反対された慶大生と深窓の令嬢とが、大磯駅の裏山である坂田山で心中した事件。「天国へ結ぶ恋」としてたちまち評判となり、昭和初期には同名の歌が爆発的なヒットをした。同世代の多感な男女の同情や共感をよび、全国から若者たちが大磯めざして殺到した。昭和初期の“自殺ブーム”の端緒となった心中事件。
※4:刑部人邸にあったこの建物はアトリエではなく、吉武東里が設計したと思われる本館の別館の離れとして建てられたようだ。刑部画伯のアトリエは、本館の北西側に北に面して設置されていた。


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エム

相変わらずのお嬢様のぶっ飛び振り、面白いですねぇ。
今度お嬢様がお描きになった絵を載せてください。
きっと具象画のつもりで描いているのに抽象画のようなものを
お描きになるんじゃないかと・・・(笑)
by エム (2006-11-07 12:44) 

ChinchikoPapa

エムさん、こんにちは。
画家をめざすとなると、今度はお嬢様はどこのアトリエへ出かけると言い始めるんでしょうね。描くとすると印象派までがせいぜいで、フォーヴとかシュールレアリズムとかは似合わなさそうな・・・。『下落合風景』を描かせると、佐伯祐三とはまったく違うポイントを描きそうではありますが・・・。(笑)
アビラ村の金山平三アトリエへ絵を習いに行ったのに、いつの間にか芝居や踊りを習ってるなんてことにならなけりゃいいのですが・・・。(爆!)
by ChinchikoPapa (2006-11-07 15:00) 

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