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下落合を描いた画家たち・鶴田吾郎。 [気になる下落合]

 下落合に住んだ洋画家・鶴田吾郎が描いた作品の中に、1922年(大正11)の『初秋』がある。建物のドアを開けて、いままさに男が「じゃ、行ってきます」と、戸外へ出ようとしているところだ。外はいい天気らしく、男の全身にまばゆい陽光が当たっている。手には、コンパクトな絵の具箱を持っているようだが、なぜかスケッチブックは手にしていない。鶴田のモデルとなって、ポーズを決めているせいだからだろうか?
 鶴田吾郎によれば、このオシャレな画家はアトリエを出て写生に向かおうとしている、曾宮一念ということだ。鶴田は、下落合645番地にあった自宅にアトリエを持っていなかったので、このアトリエは下落合623番地にあった曾宮一念のアトリエに間違いないだろう。つまり、鶴田は諏訪谷Click!に面した曾宮一念Click!のアトリエに入りこんで、この作品を仕上げたことになる。
 太陽光のさす方角から、画面の左が南側だろう。左手には、曾宮が『冬日』Click!(1925年・大正14)で描いた諏訪谷が口を開けており、いまドアを開けたばかりの彼はその方角を眺めているところのようだ。そして、ドアの向こう側に拡がる風景は、曾宮アトリエの西側に拡がる空地ということになる。今日的な表現をすれば、ドアの向こうの情景は聖母坂から佐伯公園のあるあたりを望んでいることになる。もちろん、当時は聖母病院も聖母坂も存在せず、池田米子と結婚したばかりの佐伯祐三が、下落合661番地にアトリエClick!を建てたばかりのころの風景だ。
 
 一面に草原のような空き地が拡がっているのが見え、笠のついた街路灯がひとつ見えている。手前にビワかヤツデのような木が植えられていて、はっきりとは見えないが、原っぱを横切るように黒い小路らしい影が右手へ、つまり北へとつづいているのがわかる。この小路をまっすぐ行くと、森田亀之助邸Click!と借家の里見勝蔵邸Click!が建っていた(建つ予定の)、下落合630番地の一画にぶつかる。現在でいえば、聖母大学のテニスコートに突き当たることになる。また、画面の背後、つまり曽宮一念邸の東隣りには、佐伯祐三が描いた『下落合風景』の諏訪谷シリーズのひとつ、「浅川ヘイ」Click!の浅川邸(のちにY邸)がすでに建っていただろうか?
 以前、佐伯が描いた『下落合風景』Click!は、友人知人や高名な画家たちのアトリエ周辺で採集した風景を描いたのではないかという記事を書いた。まさに佐伯の諏訪谷シリーズは、ことに親しかった曾宮一念のアトリエがあったからこそ、何度でも繰り返し描かれたポイントなのだろう。第2次渡仏の直前、佐伯は曾宮に画架をはじめ大切な絵道具を譲っている。彼の制作メモには、「曾宮さんの前」Click!というタイトルの作品さえ存在しているが、それが現存するどの作品を指しているのか、あるいはすでに失われてしまった作品なのかは不明のままだ。
 
 この作品に描かれた曾宮アトリエは、1945年(昭和20)5月25日夜半の空襲で焼けてしまった。このとき、佐伯からプレゼントされた『下落合風景』も描かれたであろう画室用の大きなイーゼルも、一緒に燃えている。現在、曾宮邸跡は大きめの駐車場となっているが、わたしが知りうる限り1970年代からずっと空き地で、クルマが停められていたような気がする。

■写真上:鶴田吾郎の『初秋』(1922年・大正11)。描かれているのは、曾宮一念と彼のアトリエ。
■写真中は、ドアの向こうの風景を拡大したもの。佐伯アトリエが見えないかと探したが、それらしい建物は見当らない。は、1926年(大正15)の『中央美術』10月号に掲載された、二科賞を受賞直後の曾宮一念。作品の帽子をかぶった男の横顔に、なんとなく面影が似ている。
■写真下は、1936年(昭和11)の空中写真。すでに草原の空き地には、大きな西洋館が建てられているのが見える。は、1926年(大正15)の「下落合事情明細図」。


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ChinchikoPapa

plotさん、nice!をありがとうございました。
by ChinchikoPapa (2006-11-21 11:20) 

ChinchikoPapa

いつも、数多くのnice!をありがとうございます。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2009-08-04 11:50) 

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