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下落合芸術資料館(仮称)・活用企画趣意書。 [気になる下落合]

 あけましておめでとうございます。本年も、Chinchiko Papalogをよろしくお願いいたします。
  ★
 中村彝のアトリエ保存に関して、急に動きがあわただしくなってきた。保存の方向へは動きつつあるものの、佐伯祐三アトリエのような単に建物のみを保存して公園化するのではなく、区が保存する必然性のある地域の活動拠点としての保存のしかた、なんらかの施設として活かし、ひいては新宿区のプラスとなる方向性を意識したコンセプトワークが求められているのだ。予算が潤沢にあったバブル期ならともかく、現状を考えれば当然といえば当然のなりいきなのだろう。
 そこで、いままでいろいろな方々にお会いし、保存後のことも含めてお話をうかがってきているのを前提に、ひとつの試案として「活用企画趣意書」なるものを作成してみた。地域のアンケートなどを取ったわけでもなく、あくまでもわたし個人の保存・活用イメージなので、異論のある方も多いにちがいない。別のご意見がある方は、ぜひ新宿区議会あるいは新宿区長あてに、企画書をお送りいただきプレゼンテーションをしていただきたいと思う。
 わたしがお話をうかがったのは、6月に行われた目白バ・ロック音楽祭と連携した「目白・下落合歴史的建物のある散歩道」写真展Click!へみえた方々や、落合地区にお住まいの新宿区全体からみれば限定されたほんのわずかな方々なのだけれど、とりあえず1月初旬までに急遽活用の方向性が必要ということで時間もなく、突貫で作成せざるをえなかったのだ。なにかたたき台がなければ、話は前へ進まない・・・とのこと。休みを利用して、とりあえず作ってみた。
 
 もうひとつ、彝アトリエにお住まいの方にも、もちろん事情がある。新宿区が、いつまでも保存・買い取りの具体的なプランを策定しなければ、生活のあるS様にしてみても困ってしまう。調査ばかりで話が前に進まなければ、建物や土地を維持しつづけるのだって並たいていのことではないし、経済的な負担だってたいへんだ。建物の傷みについては、以前にご報告Click!したけれど、タイムリミットはなにも建物の限界ばかりではない。
 まず、中村彝のアトリエである以上、その保存・活用には彝関連の資料を全的にそろえるのは自明のこと。画室にも、モデルのエロシェンコが座った位置にイス、彝が描いた『エロシェンコ氏の像』Click!の描画位置と、鶴田吾郎の『盲目のエロシェンコ』の描画位置にはイーゼルぐらいは置きたい。部屋がいくつかあるので、それぞれの部屋にテーマ別の展示あるいは役割りを持たせたい。詳細は、活用企画趣意書のPDFファイル(最新版Ver.20070102)をダウンロードいただき、ご笑覧いただければ幸いだ。
  「下落合芸術資料館(仮称)活用企画趣意書」Click!(363KB)
 
 本音を言わせていただければ、このような保存後の活用企画はいち早く新宿区が構想し、企画書ないしは保存趣意書を用意し、区民へプレゼンテーションしなければならないのでは?・・・とも思うのだけれど、ご多忙な当該部局からはなかなか出てこないようなのだ。保存が決定し、それからじっくり考えても遅くはないとも思うのだが、それでは予算がつきにくい事情があるようだ。あくまでも、保存活用するための、ひとつのアイデア=たたき台としてご考慮いただければと思う。しかも、意思決定いただくリードタイムが、もはやそれほど残されてはいない。
 新宿というと、すぐに新宿駅周辺の街並みやビジネス・商業地区がイメージされがちだけれど、中山弘子新宿区長もマニフェストの中で提唱する「落合文士村」に象徴されるように、実は東京都内でもっとも画家や美術家、作家、音楽家などが参集した、新宿は一大「芸術家の街」というもうひとつ別の顔を持っている。特に落合地区(旧・下落合の中井地区含む)は、中村彝や佐伯祐三、安井曾太郎、松本竣介などがアトリエをかまえた近代洋画界の中心地であり、画家の居住数はゆうに100名を超えている。その事跡を偲んで散策される方も、全国からあとを絶たない。それらの美術史的事跡や文化財資源の情報が、いままであまり発信されてこなかったような気がするのだ。
 
 もし、中村彝アトリエの保存が決まり、「下落合芸術資料館(仮称)」のような施設がオープンするとすれば、人が集まる新宿区、人が住んでみたくなる新宿区のもうひとつの魅力として、大きな役割を果たすのではないかと考えている。よりよい新宿の街づくり、地域へ愛情と親しみが持てる新宿の風土づくりの一環として、本企画趣意書がお役立てばよいのだけれど・・・。

■写真上:1929年(昭和4)以降、中村彝アトリエで仕事をする洋画家・鈴木誠の貴重なショット。
■写真中:おそらく、1990年前後に撮影されたアトリエ風景のいろいろ。
■写真下:佐伯祐三アトリエから転居してきたアトリエの鈴木誠。当時の画室内の様子がわかる。


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かもめ

あけまして おめでとうございます。 今年もときどきお邪魔します。よろしく。
 板ガラスのいっぱいある高い窓は当時モダンな建物だったでしょうね。
 昔、近所にあった“オンリーさん”の住んでいた白い家は色ガラスが入っていて、ちょっと外国の雰囲気でした。銭湯でいい匂いのする石鹸で私を洗ってくれたきれいな人が多分住人だったかと思います。無人になって雑草に埋もれていましたが、いつしか壊されてしまいました。文化財ではないけど、時代の面影がなくなってしまった寂しさを感じましたね。
 作品を生み出した環境や建物、当時のままの光はないとしても、その雰囲気は残しておきたいものです。でも住んでいらっしゃる方は大変ですね。
 そうそう、杏奴=アンヌって、読めなかったんです。オハズカシィ・・・。
by かもめ (2007-01-01 13:26) 

ChinchikoPapa

かもめさん、あけましておめでとうございます。
アトリエをそのまま維持するのは、お住まいの方にしてみればたいへんだったと思います。なにしろ築90年ですから、ことに冬は暖かいサッシの窓にされたかったでしょうし、いっそのこと全部建て替えてしまいたい・・・と思われたことも、再三ではなかったかと想像します。でも、それをされなかったところに、どうしても貴重な文化財としての中村彝アトリエをどうしても残したいという、お住まいの方の熱意と情熱を強く感じます。ここで新宿区がモタモタしないことを、祈るばかりですね。
「杏奴」は開店当時、わたしもコーヒーを飲みに入る前は、読めずに「あやつ」とか「あんど」などと勝手に想像していました。(^^; PCには辞書登録していて一発変換なのですが、携帯で変換するときは「あんずやつ」と入力してます。(笑)
by ChinchikoPapa (2007-01-01 18:29) 

小道

いゃあ、すごいです。
もう、館長はパパさんですかね。
あまりの出来に、ゆっくり勉強させていただきます。
今日は郡山です。
by 小道 (2007-01-01 18:50) 

いのうえ

Papaさん さきほどはどうもでした。 
趣意書を杏奴にて拝読させて頂きました。 前向きでとても良い企画、 またPapaさんの力仕事が増えちゃいましたネエ.。 新宿区民ではないのですが影ながらお手伝いさせていただけたらと思います。 ということで今年もよろしくお願い申し上げます。 
by いのうえ (2007-01-01 19:26) 

ChinchikoPapa

小道さん、こんばんは。
もしアトリエの保存が決まったら、わたしは目白・下落合の次のテーマに早く移りたい。資料館の館長は、ちゃんと新宿区のご担当部局に人材がいらっしゃると思いますので、お仕事してもらいましょう。(^^;
いま、岸田劉生を追いかけています。
by ChinchikoPapa (2007-01-01 20:31) 

ChinchikoPapa

いのうえさん、先ほどはどうもでした。わたし、力仕事はしません。(爆!) 新宿区の担当部局のお仕事を奪っては悪いです。
画家ばかりでなく、上落合の作家たちも気になりますねえ。中山区長の言われる“落合文士村”を取り上げると、必然的に「東中野プロレタリア通り」から「落合ソビエト」へ・・・というテーマへまともに直結するはずですが、新宿区はほんとに取り組むつもりなのでしょうか?(^^;
村山知義と小林多喜二ぐらいしか、まだ取り上げていませんけれど、本気でやるのでしたらブログでもシンクロして取材したいと思うのですが・・・。
by ChinchikoPapa (2007-01-01 20:40) 

うつぎ・れい

ふたたび隣の長崎村住人です。
かつて椎名町のトキワ荘について、跡地がまだ更地になる直前に旧トキワ荘の復元とその「マンガ博物館」化の草案を、私は豊島区にぶつけてみたことがあります。
しかしお金の無い?豊島区の役人は「予算がない」の一点張りで、結局跡地はバラバラに分割され別々の建物の敷地となり、いまや一枚のプレート以外何の痕跡も無いという体たらくです。
実際にその程度のお金が当時の豊島区に無かったとは今では思えないのですが、当時の私は役所というものの無責任さや全体としての感受性の低さ、そしてハンコ行政による硬直化というものを未だ良く理解できていませんでした。
その為に「お金が無いならどうしようもない」と考えて途中で諦めてしまいました。
が、今になって考えてみると「豊島区」に本当にお金が無いなら「文化庁」や「通産省」「財務省」に話を持っていって話を通す…という方法は十分に有り得たのです。
本来なら、そうした可能性について最も良く分かっているのは役人なので、役人のほうからそういう示唆があってしかるべきなのですが、役人特有の縄張り意識とか沽券意識によって、そういう話は一切出て来なかったのです。
自らの給与が極めて安定的で、毎年ついた予算をただ一円も残さずに使い切って合格点…というフヌケた意識の役人には、たまたま自分の2年間のポストの一年目のうちに目を付け、2年目の初めに取り組みを始めた仕事をたった1年だけやって、後は次の人に引き継ぐ以上の事などできません。つまり自分が完成させた仕事…という自尊心を殆ど持ち得ないシステムになっているのです。
この酷いシステムは人間を無感覚な、やる気のない、無責任な寄生虫として育て上げる為の云わば「悪魔の鋳型」ですが、このやり方だと既に手法が決まっていてルーチンワークで済むもの以外には殆ど手を出せなくなります。
云うまでもなくこうしたシステム自体が、役人というもののほぼ全体を腐らせ駄目にしているのですが、更に加えて下から稟議を上げてもそれが上がってく途中の何処かで誰かに1人でも臍を曲げられてハンコを押してもらえなければ、稟議は絶対に通らない…という、果てしない封建的位階制によってまさに雁字搦めの彼らには、頭越しの直訴や、他省庁への振り…というのは( 責任逃れにタライ回しにしたい場合を除いて )、基本的に想定外なのです。

だからたった一軒の豪邸を買い付けるという予算なら、そのような規模の予算ワクを持っていて、しかもその分野の一応の目利きの居る筈の文化庁あたりに、あるいは石原都知事辺りに、先ず直接パラレルで別の人間名義で話を持ち込んでみてはどうでしょう。
民間人が役人の勝手な都合で言ってる条件やルールに、オタオタと従ったり只働きさせられなければならない理由など、全然ないのです。

或いは、或いは、匿名出資組合を使って資金を作り、その資金で買い取って、無期限、償還なしの名誉証券にしてしまう…という手方もありえるのでは?
この方法をまだ使ってる人は居ませんが、本来的論理的には十分可能な筈です。
そのまま地域貨幣にしてしまうという手もありますよね。地域文化貨幣!
裏づけとしてはなかなかに最善かも。
これ面白い! シルヴィオ・ゲゼルが聞いたら何と言うだろう? 訊いてみたいもんだ。

でわでわ、頑張ってください。
うつぎ・れい より
by うつぎ・れい (2007-01-19 10:15) 

ChinchikoPapa

おカネがないのは、新宿区もまったく同様ですね。(笑) ただ、地域振興と結びつけたなんらかの活性化プラン、あるいは“町づくり”(町はすでにできているわけですから妙な表現ですが)の新たなイメージ戦略などと結びつけば、なんとか保存・運用を考えてくれるのではないか・・・ということで、この稚拙な企画書を作成してみました。暮れから正月にかけての数日しか時間がありませんでしたので、わたしの企画書としてはまったく不十分かつ不本意きわまりないのですが、それでもなにもないよりはマシだろうというぐらいの感覚でこしらえたものです。
この企画書をもとに、区議の方が新宿区以外でも各方面へいろいろなアプローチをされてまして、今後の新たな進展が待たれます。もちろん、国レベルも当然射程に入っていますが、中村彝のふるさと水戸や関連団体など、考えられるところはすべてアプローチしていただいています。わたしも、あの中村彝のアトリエなのだから、これは区レベルだけのテーマじゃないんじゃないか・・・という感触が、当初から強くしていますね。それでも保存できなければ、区レベルばかりでなく、この国の文化行政あるいは施策がその程度のものなのだ・・・と思うより仕方がないのかもしれません。
新宿区も、縦割り行政の悪弊がつい最近も顔をのぞかせましたね。「下落合みどりトラスト基金」の“たぬきの森”保存・公園化のテーマでは、公園課では公園にするための買い取り予算を用意しているのに、建築課では保存に前向きだった区長にも知らせず、マンション(重層長屋)建設の業者へ特例認定を下してしまう・・・というような、チグハグなことをしています。
by ChinchikoPapa (2007-01-19 14:57) 

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