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『赤い鳥』にみる大正期の媒体広告。(4) [気になるエトセトラ]


 1921年(大正10)ごろの『赤い鳥』は、各号とも広告が豊作だ。第1次世界大戦が終わって不況だったはずなのだが、この年は特別景気がよかったのかもしれない。まずは明るく、東京電気の「マツダC電球」の広告。東京電気は、のちに芝浦製作所と合併して東芝になる会社。ショルダーにキャッチにボディと、盛りだくさんのコピーが並んでいる。
  気持よき上品な家庭用 マツダC(瓦斯填充)電球
  明るい処に 平和あり
  家庭用マツダC電球は僅かな電気で非常に明るい徳用な電球で
  ベルリア反射笠と併用しますと更に良い照明が得られます。
  殊にC-2昼光電球は夜分色物の御仕事に最も適当です。
 現在の照明器具をアピールする手法と、基本的にまったく変わらない。「気持よき上品」じゃない家庭は買えないのか?・・・と、少し反感を覚えるくすぐりもうまい。どこか反発を覚えても、つい指名買いしてしまいそうだ。「瓦斯填充」とあるのは、フィラメントの輝きを増加させるため、電球内にアルゴンガスでも注入されているのだろう。「夜分色物の御仕事」は、夜になっても針仕事や仕立物などなにかと忙しかった、当時の女性向けコピーのように思える。

 次は、日本蓄音器商会の芝居(しばや)レコード。演目を見れば、人気の江戸芝居がズラリと並んでいるけれど、録音はイギリス人の専門技師が担当したとある。「予約が殺到するので間に合ひません」とあるが、金弐円と高価であるにもかかわらず、芝居レコードは飛ぶように売れたのだろう。わが家にも、戦前の芝居や謡曲のレコードがずいぶん残っていた。
 わざわざ「全部両面」と、断り書きを入れているところが大正時代らしい。片面だけ刻まれたレコードも、まだまだたくさん売られていた時代だった。日蓄の社名ロゴが、「ニッポノホン」というのを初めて知ったしだい。

 次は、今村製菓の「水無飴」。これがどのような飴だったのか、ちょっとわからない。黄色いパッケージだったようだけれど、商品名は「日本書紀」の神武逸話からでもとったのだろうか? 「純国産」と、いまのお菓子のパッケージにでもありそうな断り書きをみると、輸入モノの菓子(アメ)が大正期からあったものか、それともことさら国粋主義を詠っているのか。「学習院/陸軍糧秣本廠・御用」となっていて、だからどうしたってんだ?・・・と突っこみたくなるけれど、当時はこういう表現がありがたがられた時代だったのだろう。
 それにしても、ビジュアルがもう少しなんとかならなかったのだろうか。カンカン帽をかぶったお父さんに連れられ、セーラー服を着た幼児が夕暮れの郊外を散歩しているように見えるが、このデザインもだからどうしたってんだ?・・・という感触。いま、このようなふたり連れを見たら、お祖父ちゃんと孫に見られてしまうに違いない。

 次は、コピーが特に秀逸だと思う、「細沼の万年筆」広告だ。
  遥かに遠き恒星の如く 小(ささ)やかに輝くイリジューム尖端(ポイント)
  そこに我が心集中して 涸れざる泉の湧くにも似て
  無尽蔵に流出る文字の愉快さよ 我が愛するサンエスペン

  この万年筆を使って、なんとなく文章を書いてみたくなる銘コピー。まるで、城達也のジェットストリームばりの、「サンエス万年筆」コピーなのだ。ルバシカもどきの上着を着て、森でなにかを瞑想しているハンサムな青年。きっと文学志望なのだろうが、ペン先が顔のほうを向いているのが気になる。インクが噴き出さないことを祈るばかり・・・。
 
 そして最後は、赤い鳥社が販売代理店となって売っていた商品広告、いまでいう通販カタログだ。赤い鳥社が扱うのだから、子供向けの商品かと思いきや、これがまったく違うのだ。電球からカミソリ、蓄音器にシャープペンシルまで売っている。鈴木三重吉Click!も「ジャパネットタカタ」並みに、なかなかやってくれる。でも、お父さんがカミソリを使いながら「カナリア」を唄い、『赤い鳥』を楽しそうに読んでいる様子は、不気味以外のなにものでもないのでやめてほしい。「荷造送料」が付記されているので、地方発送がメインの通販事業だったのだろう。
 このカタログの中で、わたしがいまだ愛用している商品がひとつ。シャープが発明した、「シャープ鉛筆」の最初期型、つまりシャーペンだ。当時とまったく同じしくみで同じ仕様の製品を、プレゼントにいただいて愛用している。ノック式よりも、なぜか初期の回し式のほうが、馴れるとわたしには使いやすい。もっとも、復刻されたいまの「シャープ鉛筆」は0.5mm芯だが、当時の芯は1.0mm以上の太さがあっただろう。

■写真:すべて1921年(大正10)に発行された、『赤い鳥』12月号の広告より。


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ChinchikoPapa

takagakiさん、いつもありがとうございます。<(__)>
by ChinchikoPapa (2007-05-06 22:27) 

かもめ

 「今村の水無飴:水あめを原料とした透明の飴、水無飴」だそうですが、現物は誰も知りませんでした。飴の字は柔らかい水あめを意味するそうです。固いキャンデーは「糖」の字をあてると。そういえば「ボンタン飴」は甘いモチのようだし、金平糖は固い。母が幼い頃は、むくみが出ると"すいか糖"というものをなめて治療したと聞きました。たぶんブドウ糖か果糖の類ではないかと思われます。「水無飴」も疲労回復の薬あつかいだったかも知れませんね。
 また余禄で、電球の明るさは四燭とか十燭(しょく)とか呼んで、戦時中は制限以上の電球をつけるときは暗幕でもれないようにしたとか、私にとっては時代劇みたいな話も聞きました。
by かもめ (2007-05-07 22:01) 

ChinchikoPapa

確かに「鼈甲飴」は、もともと柔らかいときに細工をしてかたちを作りますね。「浅田飴」は、現在は固いキャンデー状ですが、もともとは水飴状だったようですし、桶に棒飴を突っとして頭に載せて売りにきたという江戸期の飴屋も、確かにねっとりした柔らかめの飴だったみたいですね。1700年代半ば、平賀源内が精白糖(純白糖)の生成に初めて成功してから、江戸の街中でいろいろな色素を使った美しい飴が爆発的に産まれたんじゃないかと想像しています。わたしの知らない紙芝居屋の飴は、やはり柔らかかったのでしょうか。
その昔、うちにも灯火管制用の電球と電気の傘(暗幕付き)が残っていました。白色ににごらず透明な電球なのですが、やたら薄暗くてトイレの電球にさえ使えませんでした。こんな電球が配給されるようになり、飢えがすぐそこまで迫っているのに、「日本が負けるわけがない」とは思ってた人びとが大勢いたかと思うと、ホントに情けなくなります。
by ChinchikoPapa (2007-05-08 00:43) 

ChinchikoPapa

以前の記事にまで、nice!をありがとうございます。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2010-08-10 10:24) 

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