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とってもうれしい『下落合風景』の話。 [気になる下落合]

 

 先日、ここでご紹介したばかりの、諏訪谷開発にともなって巨木がおそらく移植Click!された谷戸上に面し、佐伯祐三の「下落合風景」シリーズClick!に描かれた唯一現存する最後のお宅に、少し前から貼り紙が出されていた。またしても建て替えにより、貴重で美しい建築がひとつ消えようとしていると早合点し、わたしは解体される前にと、さっそくT邸へ取材にうかがった。大正中期に建てられた、非常に良質の部材で造りのしっかりした美しい日本家屋だ。
 
1919(大正8)に建設された同邸は築88年、1916(大正5)築の中村彝アトリエClick!と並び、下落合でもおそらく最古の住宅建築のひとつだろう。Tさんをお訪ねしたところ、わたしの悪い予感とは正反対に、とてもうれしいお話をうかがえた。家を建て替えるのではなく、“古建築再生”のような手法を用いて傷んだところをすべて修復し、ほとんど元の姿のまま再構築されるとのこと。この大正建築を、ご家族のみなさんが大好きで愛され、とても大切にされていたのだ。誰かが取材に訪れるのを、ずっとお待ちになっていたご様子で、どうやらわたしが栄えある第1号にさせていただいたらしい。

 
また、佐伯祐三「下落合風景」の1作に描かれていることはまったくご存じなく、作品画像をお見せするとびっくりされていた。そして「そういえば・・・」と、諏訪谷界隈を佐伯らしき画家が盛んに描いていたというおばあちゃんの記憶と、ストレートにつながってしまったようだ。さらに、散策マップClick!をお持ちしたところ、地図面が見えるよう裏表を逆にしたほうがすぐにわかりやすいし、みなさんにもっとアピールします・・・とアドバイスまでいただいた。散策マップの花表紙を、喫茶店ル・プティ・ニですでに気づかれていたそうだが、中までは開いてご覧にならなかったとのこと。
 
T邸は、玄関先にみごとな藤棚があり、5月の初めごろになると花房がいくつも下がって、わたしは前の道を散歩するのをいつも楽しみにしてきた。この藤棚が、佐伯の描いた当時からあったのかどうかは、絵を観察しても判然としないけれど、T邸は諏訪谷Click!の北側上に面していた曾宮一念邸Click!からも、大六天の木立をはさんでよく見えただろう。画面の左手に描かれている2階建ての住宅(N)も、わたしは実際に1970年代半ば目にしているが、いまから10年以上も前に、同じ向きで同じような形状の新しい建物にリニューアルされている。
 
 
佐伯がイーゼルを立てたあたりから、この作品に見られる風景を70年代、特に樹木の葉が落ちた冬場には、ほぼそのまま目にすることができた。手前にある「セメントの坪(ヘイ)Click!はとうの昔に存在せず(おそらく戦前か戦後すぐに壊されている)、諏訪谷の下に建てられた家の青い屋根が、ちょうど描かれた塀ぐらいの高さでT邸の手前を斜めに低く横切って見え、曾宮一念邸跡にできた駐車場の西側の一角、少し高くなったところから東南東の方角を見ると、ほとんど佐伯が描くこの「下落合風景」と変わらない景色が展開していたのだ。
 
また、1926(大正15)1023日に「セメントの坪(ヘイ)」と同時に描かれた、制作メモClick!に「浅川ヘイ」として名前をとどめている浅川邸(戦後はY)も、画面左のキャンバス枠外にあったけれど、1945(昭和20)525日の空襲で母屋が焼失している。わたしは、現在のマンションができる前、広い旧・浅川邸の古い屋敷塀も実際に目にしている。でも、40点以上は画像が確認されている佐伯の「下落合風景」に、いまだ「浅川ヘイ」を見つけることができない。佐伯の制作から、実に45年以上が経過した1970年代に入ってからも、諏訪谷の東側は大正期からの面影を色濃くとどめていた。
「セメントの坪(ヘイ)」には、制作メモに残る15号のほかに曾宮一念が証言する40号サイズと、1926年(大正15)8月以前に10号前後の作品Click!が描かれた可能性が高い。
 
 
 
「下落合風景」に描かれた、最後のお宅がなくなってしまったら寂しい限り・・・と、わたしは意気消沈しながらお訪ねしたのだけれど、結果はまったく逆で、とってもうれしいお話をうかがうことができた。T邸の修復は、古建築の再生が得意な神楽坂にあるS建築工房が手がけるのだそうだ。正面にある藤棚や裏の柿の木はもちろん、大正時代の風情をほとんど壊さず、この先5060年ぐらいは大丈夫なように、今年から来年にかけて邸は美しく甦ろうとしている。
 
突然おうかがいしたのに、ごていねいな対応をしていただきありがとうございました>T様

■写真上は、1926年(大正151023日に描かれた佐伯祐三『下落合風景』の「セメントの坪(ヘイ)」。は、わたしも開花を楽しみにしているT邸の美しい藤棚。
■写真中上1938(昭和13)制作の「火保図」にみる、「セメントの坪(ヘイ)」の描画ポイント。
■写真中下は、1980(昭和55)前後のT邸界隈。は、ほぼ同じ位置からの現状。
■写真下1919(大正8)に建設された、T邸の美しいたたずまいいろいろ。


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ものたがひ

大事に暮らしてこられた家なのですね。これからも、ずっと目にすることが出来るのですね。ほんとに、うれしいことです。木の建具に嵌った硝子窓に、心惹かれます。
(大六天の小屋が、もう少し低くなって下さったならば、佐伯の眼差しを追体験できるのですが…。)
by ものたがひ (2007-05-23 01:18) 

ChinchikoPapa

新築の家に建て替えるよりも、はるかに手間とコストがかかるとおっしゃっていました。以前、こちらでも書きましたけれど、古い邸宅をそのままの風情で維持・管理するのには、住んでいる方のとてつもない努力と熱意が必要なんですね。
文中には、「下落合風景」に描かれた最後のお宅・・・と書きましたけれど、実はもう1棟、おそらく残っているお宅の作品を発見していますので、お楽しみに。(^^
by ChinchikoPapa (2007-05-23 11:11) 

K.yamada

何とも嬉しいお話です。
きっと下落合を愛する皆様の熱意が知らずと伝わっているのでしょうね。

東京にもこんなに静かでいい町 家がある。
ご家族で我が家を大切にしていたからこそ佐伯さんは自分の視界の中に入って来られたんだと思います。パリまで行って佐伯のスケッチの足跡を皆さん訪ねているんですから、もっと下落合を行政も含めて文化遺産の町として保存できる(援助)様になれたらと思っています。

駄目もとで取材に行かれた熱意も本当に尊敬です。家主さんも喜ばれた様で嬉しいですね^^
コミ写真UPありがとうございました。

佐伯さんが絵の中からメッセージ送っているみたいです。
by K.yamada (2007-05-23 13:39) 

ChinchikoPapa

美術にスポットを当てたツアーで、佐伯と藤田のゆかりの地を巡るプログラムは、特に人気があるようですね。ゴッホゆかりの地を訪ねるゴッホツアーも、日本人には人気があるようです。ちょっとした工夫で、下落合でもそれができてしまうことに、なかなか行政は気づいてくれませんでした。
下落合に残る近代建築のことをよくご存じで、ここでもご紹介していますF.L.ライトの伝承が残るお宅のことを気にされていました。
http://blog.so-net.ne.jp/chinchiko/2005-10-20
お住まいのみなさんは、少しでも「下落合らしい」風情を残せないかと、いろいろ努力をされているようですね。
by ChinchikoPapa (2007-05-23 17:49) 

ChinchikoPapa

takagakiさん、nice!をありがとうございました。<(_ _)>
by ChinchikoPapa (2007-05-23 22:42) 

ChinchikoPapa

こちらへもnice!をありがとうございました。>sigさん
by ChinchikoPapa (2009-03-13 15:05) 

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