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カラー版「商工地図」を入手した。 [気になる下落合]

 1925年(大正14)2月に発行された、落合町の「商工地図」Click!(大日本職業別明細図)については以前にここでもご紹介した。関東大震災のすぐあと、1924年(大正13)現在と思われる落合町・高田町・長崎村の様子を知るには、またとない貴重な地図だ。そのカラー版を、ある方のご好意で手に入れることができた。
 「商工地図」は以前にも書いたけれど、ほぼ同時期に作られた「事情明細図」や「住宅詳細図」などとは異なり、誰がどこに住んでいたかというマップではなく、どのような企業や工場、商店などが上記の地域に存在したかを記録する、いわば大正時代のビジネスマップだ。同様に淀橋区エリアの「商工地図」は昭和初期(1934年・昭和9)にも作成されており、以前こちらでも「いまも昔も歯医者さんだらけ」Click!としてご紹介している。この地図の裏面には、これらの地域で営業していたさまざまな企業やおもな商店などの一覧表が、社屋あるいは店舗の写真入りで掲載されており、表面の地図の掲載位置と照応している。それらを眺めているだけでも、いろいろな想像がかき立てられて楽しく、時間のたつのを忘れるほど面白い。
 以前、アビラ村Click!の西部にあるお宅で、きさくなご主人に「載せるのならキレイに撮ってね」といわれた、1923年(大正12)に建てられたアトリエ風の建築、そのお店が場所こそ異なるけれど、この当時から営業していたのがわかる。また、佐伯が『下落合風景』で描いた「富永醫院」Click!は、まだ開業していないのか広告を出さなかったものか、残念ながら収録されていない。これらの企業や商店は、現在でもそのまま営業をつづけているところもあれば、異なる業種に商売変えをしたお店もあるし、とうに消滅してしまったものも数多く含まれている。


 裏面に掲載された、多彩な商工の分類項目を羅列しただけでも、当時の目白・下落合界隈の街の姿や、住民たちの暮らしの様子をうかがい知ることができる。以下、列挙してみよう。
 官衛及学校/社寺及名所/銀行会社/医院/印刷業/糸繭業/履物業/花商/肉類商/ポンプ商/米穀肥料商/ペンキ商/陶漆器商/時計商/土木建築材料商/凍氷商/茶商/旅館/料理店/金物商/菓子商/乾物食料品商/紙商/楽器商/家具指物商/瓦商/硝子商/洋服商/種物商/畳商/染物及晒業/蕎麦商/漬物商/縄筵商/運送業/魚商/請負業/薬商/靴商/錻力(ブリキ)商/小間物化粧品商/呉服太物商/工場/ゴム商/演芸娯楽場/鉄工所/電気器具商/青物果実商/油商/荒物雑貨商/酒醤油味噌類商/材木商/産婆業/牛乳商/銘家/質商/新聞雑誌業/写真業/自動車及自転車業/書籍文房具商/薪炭及石炭商/シート商/表具師/石材商/製麺所/諸業・・・
 これらの分類で「肥料商」「種物商」「縄筵商」などは、まだ野菜栽培Click!を中心とする東京市近郊の農家が数多く点在していた、このころの地域の特色を示している。荒玉水道Click!が敷設される前なので、井戸には欠かせない「ポンプ商」は繁盛していただろう。冷蔵庫などないので、夏には「凍氷商」は引っぱりだこだったにちがいない。高田町から落合町を流れる神田川や妙正寺川沿いは、“江戸友禅染めのふるさと”Click!といわれるだけあって、「染物及晒業」の軒数はさすがに多い。また、関東大震災後の下町から山手への人口流入を反映して、住宅建設に関連する会社や商店、「ペンキ商」「土木建築材料商」「瓦商」「硝子商」「畳商」「請負業」「材木商」「石材商」などの数が圧倒的に多い時期でもある。
 ずっと以前から、ひとつ気にかかっていたことがある。『落合町誌』Click!(1933年・昭和8)の「人物事業編」に掲載された、「土木建築請負業・服部政吉/下落合768」だ。一昨年(2005年5月)まで、タヌキの森Click!に建っていた旧・前田子爵邸Click!の建物を、どこからか移築してきた人物とみられる。前田子爵邸のみならず、周囲に点在する古い邸宅は、目白の旧・戸田邸Click!など貴重な建物の移築と思われ、この人物の仕事ではないかと以前ここでもご紹介した。だから、「商工地図」の裏面を広げたときに、真っ先に「土木建築材料商」や「請負業」の項目をチェックしたのだが、残念ながら「服部」と名のつく会社も商店も存在しなかった。
 
 1925年(大正14)の「商工地図」では、“案内記”として落合町を次のように紹介している。
  
 豊多摩郡ニ属シ山手線ノ西側低地ヨリ起リテ丘陵ヲ為シ北ハ北豊島郡長崎村ニ南ハ中野淀橋両町ニ東ハ戸塚町ニ西ハ野方町ニ接ス 郊外住宅地「文化村」ノ建設ハ箱根土地株式会社ノ経営ニ依リテ面目ヲ一新セリ 戸数六千人口二万五千 大正十三年六月町村制施行
  
 膨大な情報を内在している「商工地図」は、まだまだ精査すれば面白いことがわかるだろう。大正時代の下落合が、いきなり顔をのぞかせた・・・そんな感じさえ受ける。なにか面白い物語を見つけたら、また随時こちらでご報告したい。

■写真上:1925年(大正14)2月に発行された、「大日本職業別明細図」の目白駅周辺。
■写真中:裏面の“営業別索引”から、「米穀肥料商」と「油商」「荒物雑貨商」の項目。
■写真下は、1924~25年(大正13~14)ごろの目白駅。は、F.L.ライト設計の設計で遠藤新などの弟子たちにより建設された、完成して間もない自由学園。


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エム

「大野商店」はついこの間閉店してしまった目白通りのお店でしょうか。
店はもう何年も前に建て替えてビルになっていましたけど。
「小野田精油所」は今はごま油だけですが、昔は椰子油も作って
いたんですね。
by エム (2007-05-24 18:18) 

ChinchikoPapa

エムさん、こんばんは。
えっ、日用品雑貨の大野屋さんは閉店しちゃったのですか? つい先だて目白通りを歩いたのに、ぜんぜん気づきませんでした。(汗)
文化村御用達の小野田製油所は、わたしもゴマ油一筋かと思ってましたら、いろいろな種類の油を精製していたんですね。もうひとつ、ぜんぜん目立たない広告ですが、小野田精米店も健在ですね。
by ChinchikoPapa (2007-05-24 20:09) 

ChinchikoPapa

takagakiさん、いつもありがとうございます。<(__)>
by ChinchikoPapa (2007-05-24 20:10) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2010-08-10 10:23) 

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