「かしの木のある家」だと思うが・・・。 [気になる下落合]
この佐伯の『下落合風景』は、1926年(大正12)9月24日に描かれた、おそらく「かしの木のある家(風景)」だと思うのだが、描画場所がどこだか特定できない。もう1年近くも、空中写真や地図とにらめっこし、例によって旧・下落合全域の心当たりのある場所を片っぱしから歩いて調べているのだけれど、まったく見当がつかないのだ。
制作メモClick!に書かれた、その前後の描画ポイントから類推しようにも、9月下旬のこの数日間は、佐伯の足取りがまったく落ち着かない。目白文化村の第一文化村から第二文化村、やがてアビラ村の尾根筋の道をたどるように描いた、同年の10月11日から15日までの、一連の作品群Click!とは、まったく事情が違っている。では、9月24日をはさんで、前後の描画ポイントを見てみよう。
9月19日 「道」「原」・・・第ニ文化村の北外れ/葛ヶ谷(西落合)にある富永醫院近く
9月20日 「曾宮さんの前」Click!「散歩の道」・・・曾宮一念アトリエ近く/諏訪谷の界隈
9月21日 「洗濯物のある風景」・・・下落合西端の城北学園(目白学園)下/上高田との隣接地
9月22日 「墓のある風景」・・・諏訪谷南の薬王院墓地/池田邸のある瑠璃山の上
9月24日 「かしの木のある家(風景)」
9月25日 「曇日」・・・不明/いまの下落合側か?
9月26日 「上落合の橋の附近」・・・旧・昭和橋あるいは寺斉橋あたり/上落合との隣接地
★のちに上記「上落合の橋の附近」の実物を日動画廊のご好意で間近に拝見し、「八島さんの前通り」(1927年6月ごろ)の1作であることが判明している。詳細はこちらの記事Click!で。
このように、旧・下落合の中を西へ東へバラバラに歩きまわりながら仕事をしている。下落合の外れ、いまの中野区の上高田へ出かけたかと思えば、翌日には目白駅寄りの薬王院へ姿を現すといったぐあいで、佐伯の足取りに規則性がまったくないのだ。
強いて規則性を見出すとすれば、佐伯アトリエを基点として考えると、毎日まったく逆の方角へ出かけて写生している・・・ということだろうか。一覧表にすると、以下のようなぐあいだ。
9月19日 「道」「原」・・・佐伯アトリエの西①
9月20日 「曾宮さんの前」「散歩の道」・・・佐伯アトリエの東②
9月21日 「洗濯物のある風景」・・・佐伯アトリエの西③
9月22日 「墓のある風景」・・・佐伯アトリエの東④
9月24日 「かしの木のある家(風景)」・・・(佐伯アトリエの西⑤?)
9月25日 「曇日」・・・(佐伯アトリエの東⑥?)
9月26日 「上落合の橋の附近」・・・佐伯アトリエの西⑦
こう考えると、9月24日の「かしの木のある家(風景)」は佐伯アトリエの西側のどこか、翌日の「曇日」は東側のどこかのようにも思えてくる。翌々日の「上落合の橋の附近」が、西側であることを考えるとなおさらなのだ。「きのうは西側やったから、今日は東やで」なんて、はたして佐伯は意識していただろうか?
「かしの木のある家(風景)」をフカンで見ると、おそらく上図のようになるだろう。尾根上と思われるところに、日本家屋が3棟並んで建っている。その前には、かなり広めの草原が拡がっていて、手前にくるにしたがってゆるやかな下りとなる斜面のようだ。草原の中にイーゼルを立てたのか、あるいは原を横切る道に立てたのか、佐伯は3棟の家を下から仰ぎ見るように描いている。空には雲が多く、9月24日当日の東京の天候は小雨もようだったことが記録されている。毎日、逆の方角へと足を向ける先の仕事ぶりを考慮しつつ、このような風景が展開する下落合のポイントは、佐伯アトリエの西側ないしは南西方面の可能性が高い。
でも、どこをどう見わたしても、このような家々と草原の描画ポイントは空中写真から特定することができなかった。おそらく、3棟の家々が住宅街の中にまぎれこんでしまったか、あるいは1936年(昭和11)の時点では、すでに建て替えられてしまったかのいずれかだろう。どれか1棟でも建て替えられてしまえば、残り2棟を探し出すことさえ難しいかもしれない。作品に描かれた草原は、大正末の当時では下落合西部の随所に見られただろうが、このような傾斜のついた場所というとポイントは絞られてくる。だが、すべての草原や、元は草原の傾斜地だったと思われるところを探しても、この3棟の家は見つからない。佐伯はいったい、どこの風景を描いたのだろうか?
場所が見つからないけれど、いちおう描画ポイントページClick!へ、「かしの木のある家」と思われる当作を加えておこう。引きつづき、本作品の描画ポイントと「絵馬堂」Click!の所在地を探そうと考えているが、下落合にお住まいの方でこれらの風景に見憶えのある方、あるいはなにかお気づきの方がいらっしゃれば、ぜひコメント欄へお知らせいただきたい。
これで、佐伯祐三が描いた『下落合風景』シリーズの中で、画像がいまに伝えられる作品は、おそらくすべて網羅したと思われる。いまだ、未収録の作品画像があれば、ぜひご指摘いただきたい。さらに、まだ掲載されていない『下落合風景』を「わたくし、実はナイショで持っててよ」という方、特に八島邸の奥様(爆!)などがいらっしゃれば、税務署には匿名厳守をお約束しますので(^^;、ぜひ画像を見せていただければと思う。
佐伯祐三が暮らした大正末の下落合(特に下落合西部)の姿が、作品の向こう側からリアルに浮かびあがるとともに、この界隈を歩きつづけた佐伯祐三の、いかにも乃手の「下落合らしい」日本ばなれした豪邸群はほとんど描かないで、ごく普通のなんの変哲もない一般住宅や農家、造成工事中のエリアばかりを選んで描いていた不思議な足跡が、さらに明らかになることを願って・・・。
■写真上:佐伯祐三『下落合風景』(1926年・大正15)。おそらく、制作メモに残る9月24日に描かれた、「かしの木のある家」ではないかと思われる。
■写真中:同年9月21日~9月26日における、佐伯祐三の足取り。自身のアトリエを基点として、東と西へ交互に足を向け『下落合風景』を仕上げていたようにうかがえる。
■写真下:下落合の西南部に残る、1936年(昭和11)当時の草原地。作品のような少し傾斜のあるところを、グリーンの点線でマーキングしてみた。
うなっくすさん、Qちゃんさん、nice!をありがとうございます。
by ChinchikoPapa (2007-06-16 00:08)
takagakiさん、nice!をありがとうございました。<(_ _)>
by ChinchikoPapa (2007-06-16 15:42)