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アラハバキ神が奉られている「堂」。 [気になる下落合]

 講談社カルチャーブックス27巻、朝日晃が監修した『佐伯祐三 絵と生涯 ~パリに燃えつきた天才画家の芸術~』(1991年)にカラー写真が掲載された、『絵馬堂』(1926年現在のタイトルは『堂』)を観てみよう。カラー画像がはっきりと残されているのに、1991年現在で、相変わらず「行方不明」とされているのが不可解な作品だ。きっと、相続税を想定して怖れをなした所有者の方が、ひっそりとどこかへ仕舞われてしまったのかもしれない。
 画面の左側に描かれているのは、やはり絵馬堂を見あげる人物と思われ、この堂がかなり大きめな建物であるのがわかる。堂には絵馬ばかりでなく、布切れや袋のようなものがたくさん結びつけられているようだ。そして、拝礼の際に鳴らすのであろう、堂前の軒下に吊るされている五色の帯の先に見えるのは、鈴ではなく鰐口のように見える。つまり、鈴が多い社(やしろ)の建物とは限らず、やはり寺院の堂建築の可能性も高いようにも思える。
 また、いっそう興味深いのは、堂の右手になにやら文字を書いた、赤い看板のようなものが見えることだ。モノクロ画像では、まったくわからなかった描きこみだ。文字を白く染め抜いた、赤い布状のものがたれさがっているようにも見える。いちばん上の文字が、カタカナの「サ」のように見える。その下の文字は不明だが、下半分が漢字で「小巾」というように読める。これは、きわめて重要な手がかりといえる。なぜなら、この文字から類推するかぎり、この「堂」は佐伯が帰省した大阪周辺ではなく、東日本の可能性がきわめて高いことがわかるからだ。
 「小巾」とは「こはばき」と読むのだろう。下駄や草履、足袋、靴下などの履物全般、ひいては足の病気全般に関わる信仰を、この「堂」は集めていたと想定できる。扉に下げられている白いものは、履物の袋だろうか。「アラハバキ(荒脛巾)」あるいは「アラバキ(荒吐/巾)」が、まったく関係のない“履物(足)の神”として信仰を集めるようになるのは、近世に入ってからのことだ。それまでのアラハバキ(荒脛巾)信仰は、溶炉を見つづけて利き目がつぶれ、重たいふいご板を踏みつづけることで片足が萎えてしまった、文字通り“タタラ”を踏んで歩く製鉄神、あるいは龍または大蛇の伝説と結びついた神だったのだ。ご神体の多くは、片目と片足をあえて疵つけられた木像であることが多い。出雲との関わりもきわめて深く、スサノウやクシナダヒメ伝説とのつながりから、アラハバキ(荒脛巾)神は氷川明神の属社(門客神)として奉られることが非常に多く見られる。
 佐伯はこの堂を描くことで、なんらかの願かけでもしたのだろうか? 別に彼は足を悪くしていないけれど、彼の連れ合いである米子夫人は、松葉杖に頼らなければ歩行できなかった。
 
 
 もっとも重要なポイントは、アラハバキの信仰は山陰地方の一部を除けば、西日本にはほとんど見られず、関東地方から東北地方にかけて、そのほとんどが展開しているということだ。古代の製鉄集団、あるいは龍神や蛇神を信仰した集団(炉からあふれる溶鉄のイメージ=スサノウが鉄剣を得るヤマタノオロチ伝説など)が、奉っていた聖域である可能性がきわめて高い。つまり、この作品に描かれた堂は、佐伯が大阪へ帰省した際に、その周辺を散策しながら描いたものではなく、下落合の佐伯アトリエにいるときに、東京のどこかへ出かけて描いた可能性が非常に高い・・・ということになる。ひょっとすると、この作品も一連の『下落合風景』シリーズClick!の1作となるのだろうか? ちなみに、千代田城の中にも荒脛巾(アラハバキ)祠堂は存在している。
 「堂」の周辺に拡がる情景も、たいへん興味深い。堂の背景には、やや低めの木立があるだけで、建物も電柱もなにも見えない。ガランとした空間が拡がっているだけだ。この堂は、住宅街から外れたエリア、それも背景がストンと抜けるような地形の場所、たとえば坂上や崖沿いの敷地などの高所か、あるいは河原や海辺のような遮蔽物が少ない場所に建っているように見える。
 軒下の壁面には、おそらく千社札がベタベタ貼られているので参詣者が比較的多く、堂に結ばれた絵馬をはじめとする奉納品などからも、付近の人々から手厚い信仰を受けていたような気配を感じる。もし、この堂が下落合か、あるいはその周辺に建っていたとすれば、そう簡単に忘れられるような存在にはどうしても思えない。やはり、戦災で焼けてしまったにせよ、どこか付近の寺院や神社の伝承を、わたしは見逃しているのだろうか?
 
 下落合の周辺で、アラハバキから導き出される出雲神や氷川明神、ヤマタノオロチ、鍛冶場遺跡・・・などをキーワードをつなげて浮かび上がるのは、オロチ伝説が伝わる七曲坂下の氷川明神女体宮(クシナダヒメ)と、中井鍛冶場遺跡にほど近い中井(下落合)御霊神社の2社だ。でも、この2社の境内に、このような「堂」があったという話を、いまだ確認できないでいる。少なくとも氷川明神では、「絵馬を架けるような堂は、かつてなかった」と断言されているのだ。さて、下落合でアラハバキ神と因縁が深い聖域は、はたしてどこだろうか?

■写真上:1926年(大正15)に描かれたとされる、佐伯祐三『堂(絵馬堂)』。
■写真中左上から右下へ、軒下にさがった鰐口あるいは鈴、「サ」と「小巾」の文字が見える赤い布切れのようなもの、屋根の上の宝珠(?)、そして左側の人物。
■写真下は1955年(昭和30)ごろの、は現在の、オロチ伝説が伝わる七曲坂。目白崖線に通う坂道としては、目白・下落合界隈では最古の坂といわれている。


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ChinchikoPapa

いつもnice!をありがとうございます。>takagakiさん
by ChinchikoPapa (2007-09-23 01:12) 

かもめ

 あまり参考にはならないでしょうが、築土八幡神社(現:新宿区築土八幡町)が似てるかなぁ。築土(津久戸)神社ともいいますが。現存は戦後のものですし、屋根が明らかに違います。
 ただ、この社は太田道灌公が江戸城内に勧請してより、以後転々としており、伝え聞くところでは“将門の足”を祀ったとか、氷川神社の流れをくむとか。
 ま、何かの折にでもあたってみては如何でしょうか。イイカゲンデ、スイマセン。 <(_ _)>  
by かもめ (2007-09-24 00:14) 

ChinchikoPapa

かもめさん、情報をありがとうございます。
築土八幡は、わたしの勤め先から5分ほどのところで、ときどき足を向ける散歩コースです。いまの八幡を奉る社殿は戦後のもので、この絵とはかなり異なるようですが、もう1社、戦災で焼けて九段へ移転してしまった築土明神のほうが、ご指摘のようになんとなく“気配”がありますね。
ちょっと調べてみたいと思います。ありがとうございました。
by ChinchikoPapa (2007-09-24 01:16) 

ナカムラ

絵馬堂の場所、気になりますね。全く違う視点であらはばき神のこと、面白いなと思いました。鉄の精錬と関係ある神様なら出雲系ですよね。山陰を除けば東日本にしかないという点、非常に象徴的だなと思います。つまり、大和系民族との戦いに敗れた出雲族が東日本に逃れたことの証左なのでしょうね。出雲族はその全てではないのかもしれませんが諏訪地方に一旦逃げたようですね。祭神をみるとわかると聞いたことがあります。その後諏訪も追われ、東北地方へと逃げていったと聞いたことがあります。
by ナカムラ (2007-10-17 12:25) 

ChinchikoPapa

ナカムラさん、コメントをありがとうございます。
わたしも、この「堂」が気になって仕方がないんです。先日、上高田の氷川明神で、1917年(大正6)現在の東京府下豊多摩郡に建っていた社(やしろ)の本殿写真を、ほとんどすべて拝見したのですが、該当する建築はありませんでした。属社の建築まではわかりませんでしたが、なんとなく寺院内の建物のような気がしています。しかも、同社の宮司さんがおっしゃるには、神仏習合期に建てられた寺院建築と社殿建築の折衷のようなデザインだとのこと。つまり、江戸期の建築の可能性が高い・・・ということになりますね。
諏訪のタテミナカタ(建御名方神)のルートは、とても面白いですね。湘南海岸の各地に残る出雲の「風(魔)」一族の上陸伝承や龍・大蛇の伝承、神奈川(かんな・た・ら/かわ)の地名、東京湾沿いに残った神田(カンタ・ナ・ラ)の地名・・・等々、産鉄/製鉄/鍛冶を得意とする民族が川沿いを上流へ上流へと、たどっていった形跡が顕著です。関東に亡命してきた彼らの足跡を、地名や伝承からたどるだけで、かなり巨大なサイトができそうですね。(笑) 「目白(鋼)」や「藤」、「御霊」、「神田」、「大蛇伝説」、「中井鍛冶場遺跡」、「氷川(斐川)」のキーワードが、あまりに揃いすぎている目白・下落合地域だけでも、当分楽しめるサイトが作れそうです。
by ChinchikoPapa (2007-10-17 12:57) 

ChinchikoPapa

以前の記事にまで、nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2014-06-15 17:11) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>さらまわしさん
by ChinchikoPapa (2014-06-15 17:12) 

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