目白文化村へ通う岸田国士。 [気になる下落合]
1923年(大正12)にフランスから帰国した劇作家・岸田国士(くにお)は、1966年(昭和41)に出版された『日本現代文学全集62』(講談社)の年譜によれば、翌年から法政大学の講師をつとめている。そこで、同じ大学の同僚だったドイツ語学の予科講師(のちに文学部教授)だった、関口存男(つぎお)とたいへん親しくなったようだ。目白文化村Click!の関口邸へ、岸田が頻繁に訪れていた証言が、1987年(昭和62)に出版された山口廣・編『郊外住宅地の系譜』(鹿島出版会)の藤谷陽悦「目白文化村」に、当時の関口家ご子孫の証言として収録されている。
『古い玩具』や『チロルの秋』を発表して注目を集めた翌年、1925年(大正14)に発行された「文藝春秋」5月号に、岸田は戯曲『紙風船』を掲載している。目白・下落合界隈にお住まいのみなさんにとっては、あまりにも有名な一節なのだけれど、改めてその冒頭を引用しておこう。
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晴れた日曜の午後、庭に面した座敷。
夫 (縁側の籐椅子に座り、新聞を読んでいる) 「米国フラー建材会社のターナー支配人が一日目白文化村を訪れて、おおロスアンゼルスの縮図よ! と申したように、目白文化村は今日瀟洒たる美しい住宅地になりました。」
妻 (縁側近くに座布団を敷き、編物をしている) なに、それは。
夫 (読みふける) 「四万坪の地区には、整然たる道路、衛生的な下水水道電熱供給装置、テニスコート等の設備があり、多くの小奇麗なバンガローや荘重なライト式建築、さては、優雅な別荘風の日本建築などが、富士の眺めや樹木に富む高台一帯の晴れやかな環境に包まれて・・・・・・」 (新聞を投出して) おい、散歩でもして見るか。
妻 いいから川上さんとこへ行ってらっしゃいよ。 (岩波書店『岸田国士全集1巻/戯曲1』より)
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法政大学のドイツ語講師だった関口存男は、のちに吉屋信子がよく散歩Click!を楽しんだ、第一文化村に家を建てて住んでいた。以前にご紹介した、会津八一Click!の文化村秋艸堂となるAI邸Click!と、女性が設計した早大教授のSS邸Click!とにはさまれた位置、斜向かいには河野伝設計によるポーチが特徴的なNM邸Click!のある二間道路だ。文化村絵はがきの写真にも、ライト風デザインの瀟洒な邸Click!が、モデルハウスとみられるK-2邸の向こう側に少しのぞいている。
岸田国士は、目白駅から乗合自動車Click!に乗って停留所「文化村」で降り、第二府営住宅の中を南へと歩き、箱根土地本社わきの交番があった文化村入口Click!から、第一文化村の関口邸へと向かったのだろう。目白駅から、当時はのろのろ運転の乗合(バス)で10分弱、「文化村」停留所からは歩いて5分ほどの行程だろう。下落合へ何度も足を運んでいる岸田だけれど、『紙風船』以外に目白文化村界隈が描かれたような作品を、いまだ見つけられないでいる。
『紙風船』が書かれた翌年、1926年(大正15)に小説家・佐々木邦が『文化村の喜劇』Click!(のち1942年に改題されて『文化村奇譚』)を発表しているが、東京市街に住んでいた佐々木自身が、目白文化村を実際に訪れて住民たちへ取材しているかどうかは、居住者の職業設定あるいは生活感のズレや、その皮肉まじりの描写などから、わたしはかなり怪しいとにらんでいる。
先日、目白文化村のこの第一文化村敷地=前谷戸界隈の土地を、大正期に所有されていた方のご子孫とお話しをする機会があった。すると、お父様は現在でも、「西武」と名のつく施設や交通はいっさい利用されないとのこと。堤康次郎が下落合で推し進めた土地買収は、非常に強引かつ執拗だったようだ。もともとの地主が、所有地を手放さざるをえないような状況へと追いこむ、嫌がらせや脅しに近い手段まで用いた用地買収だったらしい。堤康次郎は、地元の人たちにとってみれば、いまでも元祖・地上げ屋のような存在としてしか映っていないのかもしれない。
余談だが、わたしの連れ合いは文学座出身なのだけれど、岸田国士の作品には非常に馴染み深いとのこと。たいがいの作品は、練習あるいは上演したことがあるようだが、目白文化村が登場する『紙風船』は記憶にないらしい。四谷の稽古場で掃除をしていると、母屋から杉村春子がやってきてピリッとした空気がみなぎり、ほどなく岸田劇などの練習がはじまったのだという。
■写真上:左は、関口存男邸のあった第一文化村の二間道路。右は、昭和初期の岸田国士。
■写真中:1926年(大正15)の「下落合事情明細図」にみる、岸田の目白文化村来訪ルート。
■写真下:左は、1949年(昭和24)に文学座の還暦祝いに出席した岸田(中央)。岸田の右側は二女の岸田今日子、左側に立つのは杉村春子。右は、第一文化村の面影が残る関口邸の界隈。
法善寺横町は、一度ゆっくり歩いて味わってみたい道筋です。「夫婦善哉」以来のあこがれですね。nice!をありがとうございました。>Krauseさん
by ChinchikoPapa (2008-03-14 19:55)
八雲本陣というのは、初めて拝見しました。
nice!をありがとうございました。>一真さん
by ChinchikoPapa (2008-03-14 23:56)
C.ヘイデンの『リベレーション・ミュージック Och.』がことさら印象深いのは、学生時代にちょうどこのアルバムを聴いたのと前後して、エイゼンシュテインの『メキシコ万歳』を観たせいでしょうか。nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2008-03-15 11:48)
最近、汗まみれで何かに熱中するのと、喉が鳴るほどメシをかっこむことが少なくなってますね。nice!をありがとうございました。>takagakiさん
by ChinchikoPapa (2008-03-16 18:10)
こちらにも、nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2012-02-14 17:54)