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佐伯祐三の下落合画帖はどこに? [気になる下落合]

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 横浜駅前のそごう美術館Click!で、「没後80年・佐伯祐三展-鮮烈な生涯-」展が今月10日からスタートしている。割引チケットとパンフレットは、下落合のカフェ「杏奴」Click!で入手できる。
  
 佐伯祐三は風景画を描くにあたり、多くのスケッチや習作を残しているように思うのだけれど、現存する点数は驚くほど少ない。アトリエからキャンバスと絵道具を持って出ないときは、スケッチブックとペンをたいがい携帯していたはずなのだ。スケッチの中には、水彩やパステルで彩色されたものも残っているが、インクの墨1色で描かれっぱなしのものも多い。第1次の滞仏からもどったあたり、1926~27年(大正15~昭和2)に描かれたスケッチには、どうやら下落合のアトリエ周辺をとらえたと思われる作品が何点か現存している。
 でも、いまに伝えられるこれら風景のスケッチは、ほとんど彩色されておらず素描に近いものなので、細かなディテールが省略されており、具体的に下落合のどこの情景を描いたものかはまったく不明だ。また、とりあえず戦後に付けられたとみられる「風景」というタイトルでも、どこかの庭の片すみや路地裏を描いたものも見られ、あえて場所を特定するのが非常にむずかしい。①②③のスケッチが、まさにそのような情景となっている。
 は、どこかの路地裏だろう。おそらく、佐伯アトリエのごく近くのような気がする。左手の塀は、佐伯アトリエの地主だった酒井億尋Click!敷地の周囲にめぐらしていたものだろうか。これに近い雰囲気で、丈の高い塀囲みを佐伯自身も写った1930年協会の記念写真で見ることができる。(右写真) 「制作メモ」Click!風にサブタイトルを付けるとすれば、「酒井ヘイ」とでも書き入れそうだ。
8219119.jpg②  8219121.jpg
 は、佐伯アトリエ+母屋が建っていた敷地内を描いたものだろうか。右手に見えているのは、母屋の一部のような気がする。左手に描かれた、材木を組み合わせたような特異な形状のものは、庭に設置されたゴミ棄て場だろうか、それとも造りかけの風呂場だろうか。
 は遠景も描かれ、ようやく拡がりのある風景画らしくなっているけれど、画面から読み取れる情報がかなり少なく、どこを描いたものかまったく不明だ。手前に黒く描かれているのは、フタをした小さな井戸か肥溜めだろうか。背景となっている、まるで山々のように表現されているものが、森なのか下落合のバッケ(崖線)なのかもわからない。ただし、家の影がほとんど見えないところをみると(省略されていなければだが)、旧・下落合西部のどこか、または目白崖線下あたりの下落合、あるいは上落合の景色を描いたものだろうか。

 は雰囲気からすると、目白崖線を下りたあたりのような風情が感じられる。画面のかなり高い位置に引かれた、山並みのような描線が崖線の高度を表現しているように見えるのだ。神田川あるいは妙正寺川の沿岸で大正期に見られた、景色のひとつなのかもしれない。描かれた家々はごく一般的な住宅で、これといった特徴はみられない。手前にはどうやら道があるようだが、走り描きのせいかはっきりとした輪郭がつかめない。
 も、どのあたりを描いたのか見当がつかない。右手の小高くなった土手上には、木の杭らしい影が並んで柵囲いがしてあるようだ。柵の中には、なにやら建物らしいかたちが描かれているけれど、ボンヤリとしたかたちではっきりしない。道の左側にも建物が見え、住宅街を抜ける道路を人が歩いている。なにか荷物を担ぐ行商か、御用聞きの配達か、あるいは市場へ野菜を卸しにいく農民なのか、肩のうえに白い大きな袋状のかたまりを載せているようだ。
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 佐伯祐三は、その生涯に数多くの風景画を制作しているけれど、それらのほとんどがキャンバスにぶっつけ本番で描かれたものばかりとは思われない。スケッチブックへ素描してきたあと、アトリエで仕上げたものや、数は少ないかもしれないが習作も存在したのではないか。『近代洋画研究資料Ⅱ/佐伯祐三』(東出版/1980年)に収録された、里見勝蔵の証言(初出『中央公論』1953年12月号)によれば、佐伯は絵ハガキを見ながら「フランス風景」画をアトリエで制作していた様子が語られている。つまり、その風景の“現場”で描かれたものではなく、アトリエで絵ハガキやスケッチ資料などをもとに、仕上げられた風景画も存在するかもしれないのだ。
 朝日新聞社の『佐伯祐三全画集』(1979年)に掲載されたスケッチで、下落合風景らしい作品をピックアップすると、上掲の5作品ほどしか存在していない。ほんとうは、風景や人物の素描で埋めつくされた画帖が、丸ごと1冊出てきてもよさそうなものなのだが、佐伯祐三には不思議なことに、そのような資料がきわめて少ないのだ。

■写真上は、1926~27年(大正15~昭和2)に描かれた『風景』。は、作品と近似している高い塀に囲まれた一画。1930年協会の記念写真の部分拡大だが、酒井億尋の敷地内だろうか。
■写真中は、同時期の佐伯祐三『風景』。は、佐伯アトリエの増築部分の一画。
■写真下③④⑤も、同時期の『風景』とタイトルされた佐伯祐三スケッチ。佐伯が画帖の素描にタイトルを付けていたとは思えないので、『風景』というのはのちに付加された題名だろう。


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ChinchikoPapa

「べか」が現役のときに、一度乗ってみたかったですね。観光べかは、まだあるでしょうか。nice!をありがとうございました。>一真さん
by ChinchikoPapa (2008-05-18 22:10) 

ChinchikoPapa

OS/2は使ったことありませんが、山口智子がキャラクターだったのは憶えています。nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2008-05-18 22:16) 

ChinchikoPapa

新鮮な「わに」料理は、わたしも大好きです。
nice!をありがとうございました。>Krauseさん
by ChinchikoPapa (2008-05-18 22:20) 

ChinchikoPapa

ほんとうに吼えているようで、nice!なモチーフです。
nice!をありがとうございました。>takagakiさん
by ChinchikoPapa (2008-05-18 22:26) 

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