没後80年佐伯展を観に横浜へ。 [気になる下落合]
そごう美術館の「没後80年・佐伯祐三展―鮮烈なる生涯―」展Click!へ、同美術館の渡邉様のお招きでうかがってきた。佐伯の作品は、パリや国内を問わずどれも面白くて観入ってしまうけれど、今回のおもな目的は『下落合風景』シリーズClick!の「文化村前通り」Click!と思われる作品をじっくり観ることだ。先年、練馬区立美術館で開かれた「佐伯祐三―芸術家への道―」展では展示されていなかった、およそ11年ぶりに公開される個人蔵の作品だ。今回の展覧会には、新宿区の「テニス」Click!と目白崖線下の雑司ヶ谷道(新井薬師道)をまたぐ山手線のガードClick!を描いた風景作品、そして「文化村前通り」と3点の『下落合風景』が出品されている。
実物の作品を鑑賞すると、画集のグラビア印刷や図録のオフセット印刷ではうかがい知れない、多くの新たな情報が得られる。『下落合風景』は、おそらくいずれも佐伯がこしらえた独特なキャンバス地の上に描かれているのだろう。この“佐伯キャンバス”Click!は、油絵具の乗せやすさや筆運びのしやすさ、そして乾きの早さが、佐伯ならではの技法や驚異的な描画スピードClick!に、おそらくマッチしていたのだ。でも、画布を木枠からはずして丸めてしまうと、描かれたばかりの作品にもかかわらず画面にはヒビやクラックが生じたらしい。しかも、経年とともに画面の傷みは加速され、展示作品の多くにもその修復跡があちこちに確認できた。
「文化村前通り」を仔細に観ると、画集などでは曖昧でわかりにくかった、画面右端を歩いている黒いスカートをはいた女性の姿が、クッキリと浮かび上がって確認できる。第二文化村Click!の南に接した三間道路を、第一文化村方面へ向かって歩いているのだが、作品が描かれた1926年(大正15)当時はめずらしくなくなっていたものの、1923年(大正12)に第二文化村が拓かれた当初は、このような洋装の女性が歩いたりすると文化村周辺ではウワサが立つほどだった。
印刷のカラー画像と実物の画面とで決定的に異なるのは、描線の豊かでいさぎよい質感と、佐伯画面の美しい「透明感」だ。不透明な絵具を塗った上に、透明度の高い絵具をサッと薄塗りすると、深みのある色合いと透き通るような質感とが生じる。グレージングと呼ばれるこの技法は別にめずらしくはないけれど、佐伯画面はその用い方が効果的で美しい。どのような“キタナイ”モチーフや野暮な風景を描いても、画面にキラキラ輝くような華やかさと、ジッと見つめていると吸い込まれそうになる空気感や実在感=リアリズムを与えているゆえんなのかもしれない。
「文化村前通り」は、「テニス」の場合と同様に速描きと思われるにもかかわらず、案外複雑で凝った描き方をしているのがわかる。たとえば、曇天の空ひとつとってみても、最初から曇り空を描いているのではないことがわかる。シルバーホワイトの下塗りClick!をしているかどうかまでは不明だけれど、まずブルーの絵具を乗せて青空を描いている。青空がある程度乾いたあとから、それを下敷きにして曇天の空模様を描いているのが判然としている。つまり、他の『下落合風景』のひそみに倣えば、この作品の空は、①佐伯の独自キャンバスの地塗り(白に近いベージュか?)>②シルバーホワイトの下塗り>③青空としてのブルーの下塗り>④曇天の空模様+α・・・と、四重の描画構成がなされている可能性があるのだ。
大胆かつ単純に見えるのに繊細で複雑、キタナイのに透過的な美しさ、つまらないモチーフなのに華やか・・・、このアンビバレントな佐伯の画面が、数多くの人たちを魅了してやまないのだろう。一度実物を観たら忘れられない、まるで宝石のような輝きをもったパリ街角の公衆便所・・・、佐伯の作品をひと言で表現すると、そんな言葉が想い浮かぶのだ。
今回の没後80年展には、もうひとつめずらしい作品が出展されている。やはり個人蔵の作品で、画集や図録にもめったに収録されていない、1922年(大正11)に制作された『秋の風景』だ。下落合にアトリエを建ててから2年近くが経過した作品なので、やはりアトリエ周辺の風景かと考えたのだけれど、描かれたような渓流にアーチ型の石橋(コンクリート橋?)が架けられた場所に心あたりがない。ひょっとすると、目白崖線に入りこんだ深い谷戸のひとつ、いまは埋め立てられてしまったけれど、林泉園Click!から湧き出て谷間を御留山へとくだる清流に架かっていた小橋のひとつだろうか?
『下落合風景』はもちろん、佐伯作品の実物をこの機会にぜひご覧いただければと思う。渋谷から東横線の特急で10分と少し、横浜駅はさらに近くなっていた。開催は6月22日まで。
■写真上:左は、1926年(大正15)9月29日(曇り)に描かれたと思われる「文化村前通り」で、第二文化村の南辺に通う三間道路のひとつだ。右は、めったに公開されない1922年(大正11)の秋に制作されたとみられる『秋の風景』で、いまだルノアール(中村彝ら)からの影響が顕著だ。
■写真中:左は、「没後80年・佐伯祐三展―鮮烈なる生涯―」図録。右は、1925年(大正14)ごろ第1次渡仏時に描かれた『風景』。右下に「UZO SAEKI 1928」という怪しいサインが見える。あとから誰かが描き入れたのだろうが、「犯人」を追いかけはじめると物語がひとつできてしまいそうだ。
■写真下:左は、1923年(大正12)にアトリエでこしらえたライフマスクで、山田新一による証言Click!が残る。右は、佐伯が愛用していたヴァイオリンで、今回の展覧会でともに展示されている。
なにかが舞い降りてきそうな月夜です。
nice!をありがとうございました。>takagakiさん
by ChinchikoPapa (2008-06-04 13:46)
最近ナマコ壁を見たのは、慶應大学の演説館だったでしょうか。屋根上の忍び返しが印象的ですね。nice!をありがとうございました。>一真さん
by ChinchikoPapa (2008-06-04 13:49)
大磯町の町役場に出かける用事があったので、町役場で古い山王町の地図の所在を訪ねたら休耕地図という時代の判らない地図を閲覧させてくれました。東海道線が白く抜かれています。線路は描かれていませんが、鉄道開通の明治20年前とは考えにくい地図です。山王町418番地は現在の大磯町418番地と同じ場所でした。この休耕地図には418の枝番号で6迄ふられています。線路のすぐ南側です。418番地の南側には外交官の田中氏の別荘があったようです。時代は判別しませんが、その南側旧東海道に面した場所に法務局の大磯出張所(登記所)が存在したようです。
佐伯祐三が描いた大磯風景なんて存在はしてませんよね。
以上お知らせ迄
by さいれんと (2008-07-09 10:47)