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目白の“電気の家”を拝見する。 [気になるエトセトラ]

山本邸家電製品.jpg
 早大教授の山本忠興が、高田町字高田1417番地に建設した“電気の家”Click!とは、実際にはどのようなものだったのだろうか? 「あめりか屋」の設計部責任者に、従弟の山本拙郎がいた関係で、邸の設計から建築まですべてあめりか屋が担当した。山本教授の要望で、おそらく家電製品の数々もあめりか屋が手配したのだろう。
 1923年(大正12)に発行された、『住宅』(住宅改良会)の3月1日号と4月1日号に分載された、山本の“電気の家”レポートを傾聴してみよう。
  
 (前略)アメリカ屋の熱心なる設工により色彩の配合より諸隅の加工に至る迄小生家庭並に同友の満足を得且小生等の趣味に適合した事を欣んで居ります。殊に小生の多年来懐抱し来りたる家庭動力(燃料を含む)は電力に帰一せしむべき者(ママ)であるとの持論を実際に照らして、来らんとする住宅設備改善の鍵とも云ふべき要点を確める機会を得ました。此の間にアメリカ屋(ママ)が親切な協力を以て多趣の努力を惜まれなかつた事を憶へてお尋に応じて実験より得た処を御報告致します。
                                    (同誌3月1日号「電気住宅より」より)
  
山本邸間取り図.jpg
 オール電化の家へ住む山本は、「何時の世でも先覚者と云ふ馬鹿者があつて其主張を実現して其実益を後の人々が受ける者(ママ)である」と、自身の暮らしが常々論じていることの実践であることを強調して、「家庭の電化は想像以上に有利である」と結論している。山本の主張のコアには、人件費の削減というテーマが存在していた。つまり、オール電化の便利住宅にすれば、「女中がひとり分いらなくなる」という論旨だ。
 でも、山本邸には女中部屋が当初からあったし、家電の消費電力の費用計算はしても、それ以前に目の玉が飛び出るほどの家電製品の設備投資については、「経験のある建築技師の手腕と電気技術者の協力」で、なんとか採算点を早めるよう工夫してほしい・・・としているようだ。これって、クルマは少しばかりのガソリンで走るから電車よりも便利な乗り物なので、自宅への車庫建設とベンツの入手は「経験のある建築技師とディーラーに協力」してもらって・・・と言っているようにも思えるのだけれど。当時の家電製品は、電気レンジひとつとってみても、いまの感覚では軽自動車が3~4台買えてしまうほど高価であり、一般市民とは無縁のものだったのだ。
山本邸洗面所.jpg 山本邸風呂場.jpg
 山本教授のレポートを聞こう。まず応接室は、来客があると女中が茶を運んでくるのが普通だったが、「パーコレエター」を使って珈琲・紅茶・日本茶を自分で入れていたらしい。また、電熱器では冬場は室温が最高12℃までしか上がらず、電気座布団に加え電機足温器を芝浦電気に発注している。洗面所には、今日の浄水器に似た600Wの電気温水器を取りつけ、いつでもお湯が使えるようにしている。(これは便利だったろう)
 寝室は1,000Wの電気温気器を導入したが、冬の室温は最高7℃までしか上がらなかったらしい。居間はさすがに広く、電気では温められなかったものか、石炭ストーブを導入して停電時の「避難場所」にしていた。停電以外でも、「避難場所」にしていた気もするのだけれど。(爆!) ただし、女中部屋には電気・石炭ともに暖房設備はなかった。
 台所には、もちろんウェスチングハウス社製の電気レンジと電気オーブンを備え、タイマー付きの電気オーブンでご飯を炊いていた。電気レンジだけで、なんと8,000Wの電気を消費している。電気洗濯機はさすがに便利そうだが、「女中いらず」というわけにはいかず、洗い終わったあと脱水して干さなければならないので、いまの全自動洗濯機とは概念がまったく異なる。でも、電気洗濯機については、導入した家電の中では便利さ「最高」と、山本教授は評価している。
 なんだか感電してシビレそうな、電気風呂はどうだろうか? こちらは40度のお湯を沸かすのに、冬場は12,000Wの電力が必要だとしている。ひとつの家電だけで、とんでもない消費電力だ。したがって、1回につき「七銭五厘」の銭湯代(当時)は、「余り高価とは申されませぬ」と認めている。
山本邸洗濯機.jpg 山本邸台所.jpg
  
 皿洗器。米洗い装置とか、或は『パン』焼用の『トースター』。特別な牛乳沸器とか目的に応じて考案さるべき者(ママ)枚挙に遑ない次第です。夏は電気冷蔵装置を用ふれば衛生上得る処少なからぬ事と思はれますが未だ其用意は致して居りませぬ。 (同誌4月1日号「電気住宅より」より)
  
 山本教授のレポートが、関東大震災のわずか4~5ヶ月前に書かれている点にご留意いただきたい。おそらく山本邸は震災後、送電線の壊滅的な被害による長期停電で、邸内のすべての設備機能がマヒしてしまっただろう。その年の冬、なかなか安定しない電力供給に、家族全員が石炭ストーブのある居間へ避難していたかどうかは、さだかでない。

■写真上:山本邸にあった家電製品の一例。番号順に、赤ちゃん哺乳用電熱器、電気シガーライター、電気湿潤器(加湿器)、電気座布団、電気足温器、電気掃除機、パーコレーター(電気湯沸し器)、電気トースター、⑨⑩放射型電熱器、横置き型電気温熱器、電気こて(アイロン)、電気ミシン。1部屋にそろっていたわけではなく、邸内から集めたものだろう。
■写真中上:1922~23年(大正11~12)ごろ、あめりか屋が建てた山本忠興邸の間取り図。
■写真中下は、洗面所の蛇口に取りつけられた電気温水器。は、浴室の電気ボイラー。
■写真下は、最先端の電気洗濯機。は、台所に設置された電気レンジと電気オーブン。


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かあちゃん

そんな膨大な電力を使っても大丈夫なお宅って、超庶民のわたくしには全く想像もつきません。配電盤?というのでしょうか、どうやって電気を送っていたのでしょう。本当に凄いお話ですね。今は私が日本の家電を輸入したいくらいです、もう、切実に(笑)


by かあちゃん (2008-06-26 10:23) 

ChinchikoPapa

江戸期の表店看板は、ついほしくなる作品がありますね。
nice!をありがとうございました。>一真さん
by ChinchikoPapa (2008-06-26 14:42) 

ChinchikoPapa

かあちゃんさん、コメントをありがとうございます。
大正時代は、電燈線と電力線の2種類の電線柱があって、ごくフツーの家庭には照明やちょっとした家電製品向けに電燈線が引かれているだけでしたけれど、消費電力の大きな家電を使う場合には、細い電燈線とは別に太い電力線を引き込んでいました。当時の配電盤を見ますと、庶民の家庭には電燈線用の小さな配電盤があるだけですが、おカネ持ちで家電製品が多いお屋敷には、ちょっとした戸棚ほどもある大きな配電盤を見かけます。そこには、何本もの太い電力線が収容されていますね。山本邸には、きっと造り付けのタンスほどの配電盤がどこかにあったのではないかと思います。^^;
当時の家電製品は、米国製やドイツ製が多かったようですが、電力エネルギーをふんだんに消費できる国ならではの仕様だったのでしょう。米国でも、早く省エネ製品が主流になるといいですね。
by ChinchikoPapa (2008-06-26 14:54) 

ChinchikoPapa

先日、アジサイにの葉に毒があるのを初めて知りました。
nice!をありがとうございました。>takagakiさん
by ChinchikoPapa (2008-06-27 10:51) 

sig

こんにちは。
「電気の家」の概要は以前読ませて頂きましたが、図らずもその細部に接し、面白く拝見させて頂きました。我が家は2年半前の改築の際、これからはオール電化だ、と踏み切りましたが、大正の末徹底的にオール電化を目指し、その長短(短はあまり追求されなかったかも)を実証しようとした姿勢には頭が下がりますね。膨大な設備費や経費については、当然、普及した際には問題なし、との確信が前提としてあったはずで、やはり、先見の明には降参せざるを得ませんね。
by sig (2008-06-27 11:12) 

ChinchikoPapa

sigさん、コメントとnice!をありがとうございます。
山本教授の徹底した実証主義と、「ここまでやりますか」というこだわりには脱帽ですね。関東大震災のとき、電気はガスよりも相対的に早く回復したようですが、やはり現在のような安定供給の環境とは異なり、停電がしょっちゅう日常的に起きていたようです。山本邸に、長期停電時のバックアップがあったのは、居間の暖房設備である石炭ストーブしか記事に書かれていませんが、風呂やレンジなどほかの設備もちょっと気になるところです。
山本邸も、建設されてから壊されるまでの期間は案外短く、昭和11年の空中写真に写る姿が最後です。戦時下の写真には、すでに別の建物が写っていますので、おそらく「あめりか屋」による“電気の家”が存在したのは15、6年ほどだったんじゃないかな・・・と想像しています。やはり、ランニングコストに課題があったものでしょうか。
by ChinchikoPapa (2008-06-27 12:10) 

mustitem

なんかもう科学者ってどうなんでしょう,と思いました。
にしても,こういう分野にも先駆者がいるんですねえ。
by mustitem (2008-06-27 22:15) 

ChinchikoPapa

mustitemさん、コメントとnice!をありがとうございます。
これだけ徹底して実証実験をする先生は、当時としてもかなりめずらしかったんでしょうね。この“電気の家”は、あちこちの住宅史関連の書籍に登場しています。
by ChinchikoPapa (2008-06-27 23:56) 

ChinchikoPapa

3年近くも前の記事に、nice!をありがとうございました。
 >kurakichiさん
 >hanamuraさん
by ChinchikoPapa (2011-02-10 23:28) 

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