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共振する長谷川利行と衣笠静夫。 [気になる下落合]

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 下落合に住んだ、日本におけるクリエイティブディレクターの先駆け・衣笠静夫Click!は、タバコ好きコーヒー好きでも知られるが、無類の読書好きでも有名だ。蔵書は1万冊を超えていたようで、それらの寄贈によって早稲田大学には「衣笠詩文庫」が誕生し、それをベースに現在まで、さまざまな詩に関する全集や書籍が刊行されている。いまでは、とうに失われて見つからないと思われていた詩集や資料が、彼の蔵書の中にそっくり揃っていたからだ。1974年(昭和49)に「回想 衣笠静夫」刊行会が出版した、『ロマンと広告―回想 衣笠静夫―』から引用してみよう。
  
 最初住んでいました池袋の家は、すぐ裏に西武電車池袋線が通っていましたので、夜中に通ります貨物列車は、ちょうど地震のように家中にひびきまして、その上、家も古く、主人はいつも今に自分で家を建てる頭の中に、設計図はもうできているよと申しておりましたが、三十三年秋に三輪様のお世話で、やっとわが家を持つことができました。引っ越しますとともに、また、本棚をあつらえて本を整理いたしましたけれど、入りきらない分があちこち山積みでございます。お二階の六畳のお部屋をお客間とし、私の箪笥は物置に、鏡台は洗面所の隅に押しこみました。私は折角、新しい家ができましても、ゆっくり住むわけにはまいりませんねと申しましたら、今に建増をして渡り廊下のようにし、その両側に本棚を並べよう、そうすれば部屋も広くなるよと申しました。
                                       (衣笠愛子「御礼にかえて」より)
  
 池袋の家とは、西巣鴨町大字池袋字大原(現・池袋3丁目界隈)のことであり、1958年(昭和33)の新しい家とは、下落合の三輪邸の離れ家を出て近所に新築した自邸のことだ。丸見屋商店(ミツワ石鹸)からもらう給与の大半は古書や珍本、画集などの購入にあてられ、生活費がなくて困窮したこともしばしばだったようだ。それらは、丸見屋のクリエイティブワークや広告戦略などに、少なからず活用する目的で蒐集されていたようだけれど、そのような「資料」の中に長谷川利行Click!が描いた多くの作品も含まれていたのだ。
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 ちなみに、衣笠家では戦争中、空襲が予想される時期になると、かけがえのない膨大な蔵書や絵画類を、下落合からいち早く疎開させることに成功しており、長谷川利行の貴重な作品群が焼失をまぬがれて今日まで残されたのはなによりの幸運だった。それに対して、山本發次郎に蒐集された佐伯祐三Click!の作品群(位置づけ的にも第2次滞仏期の超重要な画群)の多くが、疎開のタイミングを逸して灰になってしまったのは、返すがえすも残念だ。衣笠静夫が長谷川利行を知ったのは、1931年(昭和6)ごろのことらしい。
  
 昭和六年というと、私が早稲田の古本屋でその人とは知らずに会っていたかも知れぬ時期に当るが、この時期の衣笠静夫と長谷川利行の接触は、興味の深い推定の的となる。矢野文夫は、この異常な天才画家の生涯を描いて「元来長谷川には、奇妙な処世哲学があって、一度自分のために財布のヒモをゆるめた相手には、トコトンまでおんぶする。小遣いを強要する。相手がどんなに不景気のときでも、いつもの習慣を墨守して食い下がる。(中略)」と書いている。/長谷川利行がどうして衣笠静夫を知ることになったのかその端緒は分らないが、丸見屋は改装前はお菓子でできたお伽の国の城のような美しい建物の姿を、隅田川の両国橋Click!のたもとに映していて、長谷川利行の画題の領分であり、衣笠静夫の職場でもあった隅田川Click!をその接触の機縁とするものであろうことは疑いがない。 (関川左木夫「衣笠静夫のシルエット」より)
  
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 衣笠自身が描いた、どこかシュールレアリスティックな作品と、長谷川利行の表現とはかなり距離がありそうだけれど、このふたりには相通じる審美の共感や、美意識に対する共鳴が心のどこかに存在していたのかもしれない。それは、利行作品に漂う詩情と衣笠が抱いている詩情とが共振したからだろうか? だからこそ、長谷川利行が行路病者(行き倒れ)として収容された東京市養育院養護寮へ、衣笠静夫はわざわざ足を運んで見舞っているのかもしれない。
 衣笠静夫の蔵書コレクションには、明治以降に日本で出版されたすべての詩集が、関東大震災で一度灰になったにもかかわらず、細大もらさず網羅されていた。このコレクションをベースに、衣笠自身も加わって1950年(昭和25)より日夏耿之介、山宮允、矢野峰人、中野重治、三好達治たち監修による『日本現代詩大系・全十巻』(河出書房)の編纂がスタートしている。戦前に上落合481番地をはじめ新宿周辺に住んで落合地区でもお馴染みの、当時は国会議員だった詩人・中野重治Click!は、国立国会図書館に衣笠コレクションのコーナーを設けようと尽力していたようだが、野党の議員だったせいかうまくいかなかったらしい。
早大現代史文庫目録1963.jpg 三輪邸1960.jpg
 グラフィックデザインや、ことさら広告的な側面からとらえられることの多い衣笠静夫だけれど、関川左木夫に言わせれば「国家的文化遺産のコレクション」をコツコツとつづけ、文学の分野へもきわめて造詣が深かった彼の名前は、従来の広告分野のみならず、美術や文学の側面からも、もっと広く知られてもいいように思うのだ。

■写真上:衣笠家に残されていた、長谷川利行の作品のひとつ。(『無題』)
■写真中上:いずれも、長谷川利行の作品の一部で『無題』。
■写真中下は、同上。は、丸見屋宣伝課の記念写真で座っている右側が衣笠静夫。
■写真下は、1963年(昭和38)に早稲田大学がまとめた「衣笠詩文庫目録」。は、1960年(昭和35)に制作された「東京都全住宅案内帳-新宿西部-」(住宅協会)にみる三輪邸界隈。


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アヨアン・イゴカー

ChinchikoPapaさんのブログ記事は、本当に奥行きが深いですね。
大変興味ある内容が広がっています。出版を計画されているのでしょうk?
by アヨアン・イゴカー (2009-01-14 00:54) 

ChinchikoPapa

アヨアン・イゴカーさん、コメントとnice!をありがとうございます。
記事の内容は、仕事の合い間につれづれ書いているものですから、自分で満足のいく掘り起し取材ができていません。仕事がなければ、いくらでものめりこみそうな気がしますが・・・。(爆!) したがいまして、出版などととんでもないことです。^^; わたしが興味を惹かれたテーマだけを追いつづけていますので、マクロな地方史にもなってはおらず、あくまでもピンポイントのエピソード集といった感じに終始しています。
by ChinchikoPapa (2009-01-14 15:25) 

ChinchikoPapa

モンクの演奏を「半音階奏法」と名づけたのは、はてさて誰だったものか? 最近、忘れっぽくていけません。nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2009-01-14 15:27) 

ChinchikoPapa

ディズニーではありませんが、小学生低学年のころパーキンス教授と助手のジムさんによる「野生の王国」シリーズをよく観てました。あのころ教えられた野生動物に関する知識というのは、けっこういまでも憶えていますね。nice!をありがとうございました。>sigさん
by ChinchikoPapa (2009-01-14 15:30) 

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