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王墓は街がよく見える川向こうに造ろう。 [気になる神田川]

後円部中心.JPG 前方部東側.JPG
 さて、玄室・羨道や副葬品などの直接的な“証拠”が発見されない以上、厳密にいえば「下落合摺鉢山古墳」(仮称)Click!というような表現はありえないだろうが、周囲の傍証や上空から見るフォルムから、前方後円墳の疑いがきわめて濃厚なこのテーマ(個人的な心証は真っ黒だ)について、下落合びいきのわたしはまるで既知のごとく、あえてそう呼ばせてもらうことにする。
 前回、このような南関東では最大クラスと思われる巨大な前方後円墳Click!を企画し造営する基盤(経済力やマンパワー)が、当時の落合地域にはおそらく存在していたのだろう・・・と書いた。それは、古墳時代の遺跡(住居跡)が神田川や妙正寺川に沿った落合地域とその周辺域において、あちこちで発掘されているからだ。これらの遺構は、たいがい縄文時代(場所によっては、さらに古い旧石器時代の遺跡も含まれる)から弥生時代、古墳時代、ナラ時代、平安時代・・・と重複しており、一貫して同地域に人々が住みつづけてきたことを物語っている。言い方を換えれば、これだけ古墳時代の遺跡が見つかっているのに、造営されたとみられる当時の墳墓はどこへ消えちゃったんだろう?・・・という、別の視点からの課題提起もできるだろう。
 それらの周辺遺跡、特に古墳時代の遺構をいちいち取り上げていたのではキリがないので、ここでは「下落合摺鉢山古墳」にもっとも近い、最新の発掘調査のひとつである「上落合二丁目遺跡」から見つかった、古墳時代前期末(新宿区『上落合二丁目遺跡』報告書より)と思われる住居跡についてご紹介してみる。(ほかに同遺跡からは古墳時代後期の痕跡も見つかっている)
位置関係1994.jpg
空中写真1994.jpg
 もちろん、落合地域とその周辺では「中井遺跡」(中井富士見橋)をはじめ、ほかにも古墳期の遺構が発見されているが、それらの遺跡調査については新宿区から詳細な報告書が出版されているので、そちらをご参照いただきたい。「上落合二丁目遺跡」の発掘調査は、1994年(平成6)からスタートしている。遺跡の位置は、「下落合摺鉢山古墳」から西南西へわずか300mほどの位置、西武新宿線の下落合駅から歩いて、わずか2~3分ほどのところだ。
 「上落合二丁目遺跡」で見つかった住居跡は、後世のナラ時代のものが多数を占めるが、その中に古墳時代のものが3戸見つかっている。そのうち、古墳時代の前期末(4世紀末)と規定されている、第15号住居跡と呼ばれる遺構は、妙正寺川の南側河岸段丘の北向き斜面に建っていた。ちょうど「下落合摺鉢山古墳」とは、川をはさんで斜向かいの傾斜地に当たる。もともと上落合の住宅街の下に埋もれていて、たまたまマンション建設で地面を掘削している最中に発見されたものだ。古墳時代前期末という時代は、先にも書いたように全国で巨大な前方後円墳がいっせいに築造されはじめた時期と一致するばかりでなく、「下落合摺鉢山古墳」が造営されたと推定している古墳時代中期初め(5世紀初頭)とも近接していて誤差を生じない範囲内だ。
上落合二丁目遺跡A地区.jpg 第15号住居跡.jpg
 第15号住居跡から見つかった遺物は豊富で、坩(つぼ)形土器6個、甕(かめ)形土器8個、高杯2個、器台2個、壷形土器1個のほか、ガラスの小玉2点、種実遺体183点、動物遺体290点などが掘りだされている。その中で、種実遺体(要するに当時の植物の種子)にはイネやオオムギ、ブドウなどが発見された。すなわち、古墳時代の落合地域では、近世の江戸時代とまったく同様に、田畑では穀物の稲や大麦が栽培・収穫されており、ひょっとするとデザート用の山葡萄の育生まで行われていたのかもしれない。江戸期には天領(幕府直轄地)となった落合地域の地味(豊穣度)からいっても、豊かな収穫高を想像することができるのだ。
 もちろん、妙正寺川の南側河岸段丘に、第15号住居のみがポツンと存在していたわけではないのは明らかだ。落合地区とその周辺に点在する遺跡の発掘状況を踏まえれば、神田川と妙正寺川の流域には古墳時代を通じて、いや旧石器時代から現代にいたるまで人々が住みつづけ、比較的豊かな暮らしを営んでいたことは想像に難くない。紀元前から、人々はムラを形成し暮らしを営んできている。ある時期、わたしはそれを弥生期末から古墳期にかけての時代を想定しているのだけれど、豊かな経済力をベースに強大な勢力が形成された時期があった。特に古墳時代は、神田川(旧・平川)や妙正寺川の流域には“百八塚”Click!を造営するほどの、南武蔵勢力の中でも強大な、大王レベルの人物を輩出する勢力=クニが存在していたのではないかと想像している。
出土物1.jpg 出土物2.jpg
 そのクニは、ちょうど飯田橋の大曲(おおまがり)あたりから目白台の下まであった、「奧東京湾」の残滓である広大な「白鳥池」から西側へ、すなわち“百八塚”の同一伝承が残る戸塚-高田-下落合-上落合-大久保-淀橋の一帯へと展開していたのではなかろうか。江戸初期、神田の「お玉ヶ池」とほぼ同時に、すでに小さくなっていた「白鳥池」は、神田上水整備のために最後の埋め立てが行われている。弥生時代からすでに形成されていたと思われる、下戸塚(早稲田)の東側に横たわっていた大きな湖「白鳥池」については、また回を改めて書いてみたいテーマだ。

■写真上は「下落合摺鉢山古墳」後円部の中心あたりから、は前方部を東側からの眺め。
■写真中上:「下落合摺鉢山古墳」とその周辺域の地勢。は、前方後円墳と「上落合二丁目遺跡」との位置関係。は、同遺跡の発掘調査がスタートした1994年(平成6)現在の空中写真。
■写真中下は、「上落合二丁目遺跡」から古墳時代の住居跡が見つかったA地区(遺跡西北側)の空中写真。は、古墳時代前期末(4世紀末)と規定された第15号住居跡。
■写真下は第15号住居跡から出土した壷や食器類と、はアクセサリーのガラス玉。いずれも、新宿区上落合二丁目遺跡調査団による『上落合二丁目遺跡』報告書(1995年)より。


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コメント 18

ChinchikoPapa

見た目もかっこいいビリー・ハーパーのtsは、80年代前後から印象に残っています。nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2009-04-29 01:21) 

ChinchikoPapa

お隣りの島根や広島へはよく旅行に出かけましたが、確か山口は一度も下車したことがありません。nice!をありがとうございました。>takemoviesさん
by ChinchikoPapa (2009-04-29 10:23) 

ChinchikoPapa

今年の4月は、なにごともなくてなによりでした。わたしも、スギ花粉の「厄」がようやく収まりつつあります。nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2009-04-29 10:25) 

ChinchikoPapa

今年から、千葉に縁ができそうですので、出かける機会が増えるかもしれません。海辺育ちのわたしは、海がある地域だとホッとします。nice!をありがとうございました。>一真さん
by ChinchikoPapa (2009-04-29 10:41) 

sig

こんにちは。
「下落合摺鉢山古墳」、壮大なロマンですね。ネーミングも最高!
ほんとによく検証されていることに頭が下がります。

by sig (2009-04-29 10:45) 

漢

拝読!
by 漢 (2009-04-29 11:51) 

ChinchikoPapa

sigさん、コメントとnice!をありがとうございます。
なんとか、埴輪片の発掘記録でも摺鉢山とその周辺に残っていればいいのですが、江戸期以前に崩されている気配が濃厚ですので、むずかしいかもしれません。玄室や羨道が江戸期前に破壊されたとすると、それらの大きな岩や石など遺構の行方も探るのが難しいです。
周辺の農地では戦前、縄文や弥生の土器片や、古墳期の埴輪片があちこちで見られ、それらを砕いて開墾していたといいますから、「下落合摺鉢山古墳」その他付近の墳丘土砂は、農地として湿地帯へでも撒かれてしまっていたのかもしれません。そうなると、現在は住宅街や道路の下になってしまってますので、追跡調査は非常に難しいでしょうね。

by ChinchikoPapa (2009-04-29 13:52) 

ChinchikoPapa

漢さん、nice!とコメントをありがとうございます。
雨降りのバーのカウンターでビールというと、殻つきのピーナッツがつまみに出てきて、殻をつぶす「マリコ」の指先には桜色のマニキュアが光り、BGMは板橋文夫のめずらしくバラッドなピアノが流れ・・・と、妄想は際限なくどんどんふくらんでいきますが、どうしたもんでしょう。^^;
by ChinchikoPapa (2009-04-29 14:05) 

ChinchikoPapa

楽しそうですね。^^ 演じている間よりも、あとから考えると準備や練習をしている間こそが、楽しくて思い出深いんですよね。nice!をありがとうございました。>takagakiさん
by ChinchikoPapa (2009-04-29 19:09) 

ChinchikoPapa

わたしも、制作の仕事をよく“盗め”と教わりました。模倣からはじまって、いつか自分のスタイルを確立しろ・・・と、耳ダコで言われつづけましたね。nice!をありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
by ChinchikoPapa (2009-04-30 00:19) 

ChinchikoPapa

街角には物語があふれている・・・とスタートしたブログですが、あまりにありすぎて収拾がつかなくなりそうです。nice!をありがとうございました。>りぼんさん
by ChinchikoPapa (2009-04-30 00:25) 

SILENT

遺跡は開発が盛んな現代では発掘しつくされた
感じですがまだまだ埋蔵されてる場所があるのに驚きます。
逗子の前方後円墳も山の上にあるそうで興味深いです。
by SILENT (2009-04-30 13:59) 

ChinchikoPapa

明治期の伊藤博文「蒼浪閣」の写真、とてもいいですね。海側からの撮影でしょうか。この中で、何度か食事をしたことがあるのですが、内装は当時とほとんど変わっていないのでしょうか。nice!をありがとうございました。>SILENTさん
by ChinchikoPapa (2009-04-30 14:57) 

ChinchikoPapa

SILENTさん、コメントをありがとうございます。
神奈川県全域も、古墳と鎌倉期の遺構の宝庫ですね。東京は、地面を掘り返す機会が多いせいか、最近は頻繁に新しい発見がつづきますが、神奈川も埋蔵文化財包蔵地だらけですので、なにかのキッカケがあればものすごい遺跡が眠っているように思います。
by ChinchikoPapa (2009-04-30 15:01) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>くらいふさん
by ChinchikoPapa (2009-05-03 18:10) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>komekitiさん
by ChinchikoPapa (2009-05-11 18:04) 

ChinchikoPapa

梅雨どきなので、なかなか飛行機に乗っても地上が見えずに残念ですね。
nice!をありがとうございました。>SpeedBirdさん
by ChinchikoPapa (2009-07-12 00:25) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>SpeedBirdさん
by ChinchikoPapa (2009-07-12 00:26) 

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