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近衛町の成立前からあった舟橋邸。 [気になる下落合]

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 1924年(大正13)の6月に、舟橋了助Click!は東京帝国大学を辞職している。1932年(昭和7)に出版された『落合町誌』には、「(大正13年6月に)特旨をもつて位一級を進められ正四位に叙せられる。其間国勢院嘱託、学術研究会議員、北海道帝大工学部創立委員、仙台育英会理事等に歴任せり」と、その後の経歴を記載している。『落合町誌』が編纂される少し前、彼は荒玉水道Click!を敷設するための下落合における水道組合の役員をつとめている。
 でも、工学博士であり帝大に鉱山学科を新たに創設し、その主任教授までつとめていた帝大を、なぜ辞めてしまったのだろうか? 1987年(昭和62)に出版された、丹羽文雄『人間・舟橋聖一』(新潮社)には、次のようなことが書かれている。
  
 聖一の父親は、大学の地質学の権威であったが、藁から金が取れるといい出したのだと聞かされた。奇想天外な、子供っぽい、馬鹿々々しい話であったが、私は永い間、舟橋聖一の父親がそういう研究をやっていたのかと思い込んでいた。(中略)とうとう化学者たちが集まって、皆の前で実験をすることになった。舟橋教授は、いつもと同じように、助手をつれて、実験をはじめた。博士の態度は疑えなかった。藁を煎じている内に、藁が金に変化すると信じているひとの動作であったが、立会いの学者たちの目をごまかすわけにはいかなかった。(中略)助手の狡い工作を、舟橋教授は永いあいだ見抜くことが出来なかった。結果は明らかとなった。博士は責任を感じて、大学をやめ、世間から引退することになった。 (同書「心を鬼にして」より)
  
 まるで、御船千鶴子Click!の超能力公開実験を行った福来教授のようなシーンだが、実は、これは深刻な事実を薄めるために、世間向けに創作された“ウワサ”のように思える。鉱山学の専門家が、ワラから金が生成できるとは逆立ちしても思わないだろう。そのようなことが舟橋研究室で起きれば、真っ先に助手の挙動を疑っただろう。真相は、帝大内の深刻な派閥争いか、あるいはやり手の教授を妬んだ同僚たちのマヌーバにハメられ、追い落とされたのではないだろうか。ワラから金というような低次元のハメられ方ではなく、もっと深刻で陰湿なものだったのではないか?
 学内に敵が多かったらしい舟橋教授は、「研究室に何かの不正が生じた」(丹羽)際に、周囲からおそらく「総攻撃」を受け、東京検事局に召喚される騒ぎにまでなった。義父と同様に、足尾銅山Click!の顧問技師をつとめていた彼は、古河財閥の近藤家から妻を迎えていたので、とうとう離婚話にまで発展したらしい。そのような事情にはいっさい触れることなく、『落合町誌』には夫妻の写真が仲よく並んで見開きに掲載されている。
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 舟橋家が下落合に住みはじめたのは比較的早く、1922年(大正11)に近衛町Click!が成立するはるか以前、1913年(大正2)に1,000坪の敷地を購入して、本郷弥生町から転居してきている。したがって、船橋家は近衛家から直接、土地を購入しているのかもしれない。のちに、近衛新邸が建てられる位置に隣接して、舟橋邸はすでに建設されていた。
 先日、舟橋邸の「残月の間」へお邪魔してきた。舟橋聖一の「書斎」とされているけれど、さてどうだろうか? 下落合の近衛町北側にあり、土蔵付きの母屋に別棟総2階の書館を備え、往年の文学界では1,000坪の「目白御殿」と呼ばれた舟橋邸。でも、「残月の間」は広い敷地の西側、目白中学校Click!跡地寄りに建っていた和建築で、床(とこ)と縁(えん)を備えた「書館」1階の南部屋か、あるいは空中写真で見るかぎり「離れ家」のように見える。「妻妾同居」で有名だった舟橋聖一なので、さすがに、あまり深く突っこんでの取材はご遠慮したい。
  
 戦後、流行作家となった舟橋聖一は、妻妾同居で話題をまいていたが、稼ぎ高では文壇第一であった。妾の伊藤さんは、同じ屋敷の中の離れ家に住んでいた。そのことでも舟橋は文壇の噂をよんでいた。 (同書「憎めない男」より)
  
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 舟橋聖一が死去したとき、窪川稲子Click!時代から親交のある佐多稲子Click!が回想文を寄せている。左翼作家の中では比較的フレキシブルで、ゴリゴリの原則主義者には見えなかった彼女の位置が、舟橋にとっては話しやすかったものか。また、演劇を通じて村山知義Click!とも親交があったことは、すでにこのサイトでもご紹介Click!している。1976年(昭和51)発行の「群像」3月号に掲載された、佐多稲子の『舟橋さんとのあれこれ』から引用してみよう。
  
 「風景」の座談会を舟橋さんといっしょにしたとき、プロレタリア文学が一時期、各雑誌に優遇された、と舟橋さんが云い、そのときプロレタリア文学は勝ち組だった、という言葉で云われて、私の方ではびっくりしたこともある。勝ち組どころか私たちの方は政府の弾圧に対して必死に闘っていたという思いがあったからである。しかしそういう表現をするところが舟橋さんらしさであったのだろう。ある時期のプロレタリア文学を勝ち組と見、それに対して自分の信念を対抗させながら、それでいて、勝ち組と見た相手をやはり文学仲間とおもってきた舟橋さんをそこに感じた。舟橋さんは独特の形式主義的な論旨でモダニズムとプロレタリア文学は、新しいという点で共同して少しでも以前のものに立ちむかうべきだった、ということも云われたが、そういう論になると私は舟橋さんに対して自分の言葉の波長がちがったようになって、そのときも対応ができていない。
  
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 昭和の初期、凶暴さをムキ出しにした国家権力と、満身創痍になりつつ文字どおり命がけで「総退却戦」を闘っていたプロレタリア文学について、総括的に「勝ち組」と表現してしまう舟橋のような視点を、わたしはとても共有できそうにもないけれど、彼にはおそらく、文芸誌のあらかたを席巻していたプロレタリア文学作品群を“うらやましい”と感じる、佐多稲子には想いも及ばなかった感覚と、特異な風景が見えていたのだろう。
 文学というジャンルが「総退却戦」を闘っていそうな今日、多喜二Click!の“蟹工”ブームを見たらやはり、プロレタリア文学は「勝ち組」だ・・・と、舟橋聖一は表現しただろうか?

■写真上:移築後の現在は北に面している、広い間口の縁を備えた舟橋邸の「残月の間」。
■写真中上上左は1926年(大正15)の「下落合事情明細図」にみる、上右は1938年(昭和13)作成の「火保図」にみる舟橋邸。「火保図」に名前がないが採取漏れか、賃貸にしていたのかもしれない。下左は1936年(昭和11)の、下右は1947年(昭和22)の空中写真に撮られた舟橋邸界隈。
■写真中下:「残月の間」の瀟洒な内部で、NHK大河ドラマの初回放送(1963年)である舟橋聖一の「花の生涯」など、色紙や書などがいくつか掛けられている。
■写真下:舟橋邸の庭園を、南から眺めたところ。下左は、現在でも緊急災害時用として現役で使用可能な井戸。は、庭園側の樹間から見た現在の舟橋邸の母屋。


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ChinchikoPapa

ラヴァの『イタリアン・バラッズ』は、出たとたんに購入しました。いまでも、ときどきターンテーブルに載る1枚ですね。nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2009-05-08 10:41) 

ChinchikoPapa

いまの季節、シャクヤクかツツジか遠目では迷いますね。色味や風情がよく似ています。nice!をありがとうございました。>takemoviesさん
by ChinchikoPapa (2009-05-08 10:45) 

ChinchikoPapa

わたしのもっとも好きな魚が、タイでもヒラメでもカツオでもなく、マアジとムロアジなんです。風味や味わい深さでは、ピカイチの魚だと思っています。nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2009-05-08 10:48) 

漢

プロレタリア文学……懐かしい響きです……。
by 漢 (2009-05-08 12:01) 

ChinchikoPapa

漢さん、コメントとnice!をありがとうございます。
もちろん、わたしもすべて後追いで知った時代のことですから、リアルタイムでしかわからない微妙なニュアンスや機微はわからないです。次回も、そんな時代の物語を予定しています。
by ChinchikoPapa (2009-05-08 13:54) 

ChinchikoPapa

sigさんは、アニメ-ションもおできになるのですね! 驚嘆いたしました。
いつもnice!をありがとうございます。>sigさん
by ChinchikoPapa (2009-05-08 13:57) 

ChinchikoPapa

わたしも昔、『ヘンデルとグレーテル』には親しみましたけれど、最近はWebの世界で“パンくずナビ”をよく意識しますね。ww nice!をありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
by ChinchikoPapa (2009-05-09 00:57) 

ChinchikoPapa

戦時中、対米軍向け宣伝放送の「トウキョウ・ローズ」は知ってますが、バラに「ヨコハマ・ローズ」というのがあるのを初めて知りました。まだまだ、世の中は知らないことだらけです。nice!をありがとうございました。>一真さん
by ChinchikoPapa (2009-05-09 17:22) 

ChinchikoPapa

琵琶湖のレガッタで軒並みの決勝進出、スゴイですね! おめでとうございます。次は、こちらの戸田で開催されるレガッタとのこと。ぜひカップを狙ってください。^^ nice!をありがとうございました。>emiさん(今造ROWINGTEAMさん)
by ChinchikoPapa (2009-05-09 17:38) 

ChinchikoPapa

詩的な写真、ステキです。子供は親の背中を見ながら育つといいますけれど、親も子供の背中を見ながら、もうひとまわり育っていると感じます。いつもnice!をありがとうございます。>takagakiさん
by ChinchikoPapa (2009-05-09 18:50) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>ナカムラさん
by ChinchikoPapa (2009-05-13 19:53) 

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