カリーがカレーになったお話。 [気になるエトセトラ]
新宿中村屋Click!の前を通りかかったので、店前の歩道上で売っていたカリーパン(カレーパンではない)を買って帰る。いま、カリーパンを売っている店前の隣りでは、戦前、白い飴の棒をトントンといい音をさせながら刻んでいた菓子屋があったそうだ。カリーパンならぬカレーパンの発祥は、下町Click!は深川の高橋(たかばし)もほど近い、パンの「カトレア」のカレーパンが元祖なのだけれど、乃手では新宿中村屋のカリーパンのほうが有名だ。
中村彝Click!に兄事していた鈴木良三Click!は、しばしば新宿中村屋を訪れてカリーやボルシチを味わっている。戦後に「中村彝会」Click!の会長になってからは、しばしば同会の集まりをゆかりのある中村屋で開いているが、それまでの「中村会」を「中村彝会」と名称変更したのも、会場の中村屋の店名とまぎらわしかったからだ。
戦前の中村屋のショーウィンドウには、中村彝の『曇れる朝』(25号)が飾られていた。でも、残念なことに1945年(昭和20)5月25日夜半の山手空襲で、中村屋が全焼すると同時にこの作品も焼けている。B29が学習院下の高田町へ墜落した、あの夜の空襲Click!だ。梶山公平の『芸術無限に生きて-鈴木良三遺稿集-』(木耳社/1999年)から引用してみよう。
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しかしなんといってもうれしいのは、あのショーウィンドーに中村彝さんの二十五号大の松の樹の前景にある「曇れる朝」の絵が見られることであった。惜しいことにこの絵は戦争(昭和二〇年五月)で焼けてしまった。愛蔵・黒光両氏もなくなられ、千香ちゃんの姿にも接することが出来なくなったが、店は新築され、安雄氏が社長となり、食堂が出来てボルシチや、印度カリーが食べられるようになって私たち外来客のたのしみが増えた。/鶴田吾郎氏(画家で彝さんとエロシェンコを左右から描く)がシベリアから帰ってきて、彝さんのところで鶏のブツ切り(トサカまで入った)のボルシチを得意になって作って食べさせてくれたが、中村屋のボルシチとは比較にならなかった。 (同書「雑感」より)
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松の樹が前景にあるということなので、おそらく『目白の冬』Click!のような下落合の風景ではなく、海岸あたりの風景なのだろう。伊豆大島か、あるいは平磯海岸の情景なのかもしれない。※ 鶴田吾郎が、中村彝に体力をつけるためにか、彝アトリエClick!の片隅で鶏のトサカまで入ったボルシチを作っていたらしいが、この鶏肉丸ごとは佐伯祐三Click!アトリエの東側、青柳さんちClick!の並びにあった養鶏場Click!で手に入れたものだろうか。
※その後、南房総の白浜風景であることが判明Click!した。
新宿中村屋のカリー(カレーではない)は、特別にうまいというほどではないけれど、時代とともにその味はかなり変化をしてきているようだ。昔は、口がまがるほど辛かったようだが、現在では辛いものが苦手なわたしでさえ辛いとは感じない。鈴木良三も、こんなことを書いている。
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印度カリーは初めの頃は辛くて、コクがあってうまいと思ったが、近ごろのものは日本人向きになってしまって興味は薄らいだと思っている。食堂の雰囲気もドッシリとしているが少し暗すぎやしないだろうか。/数年前から本店の四階にサロンが出来て、彝さんの絵が沢山かけてあるのは非常に豪華だが、部屋の造りが感心しない。ゴツゴツした柱の上の突き出た部分が、なんだか頭を抑えつけているような気がして、やわらかい気持ちになれないのは残念だ。あんなところへ石材を使うのはどうかと思う。絵に当てる光線もやわらかくすべきだと思うが、どうであろうか。
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新宿中村屋のカリーは、どうやら普通のカレーになってしまったようなのだが、昔のコクのある辛いカリーを、ぜひ一度味わってみたいものだ。目白文化村Click!北側の目白通りに、インド人がやっているお世辞にもきれいとはいえない、お客が10人も入ればいっぱいの小さなカレー店があるのだが、カレーもナンの味も、率直にいって新宿中村屋よりも上だと思う。「中村彝会」が会合を開いたころは、壁にかけられた中村彝や鶴田吾郎などの作品はみんなホンモノだったようだが、現在はすべてレプリカとなっている。
さて、カリーパンの味はどうだろうか? これが、深川「カトレア」の元祖カレーパンよりも辛くなくなっている。あっさりしていて、確かにコクがほとんどない。ボルシチパンも売っていたので、ついでに買って食べたが、普通のシチュー入りのパンあるいはグラタンパンを食べているようで、これといって特徴はなかった。戦前は、ものめずらしさも手伝って評判を呼んだのかもしれないけれど、もう少し新宿中村屋ならではの“主張”があってもいいように思うのだ。
■写真上:カリーパンの売り場。ビーフカリーパンも食べたかったのだが残念、売り切れだった。
■写真中:左は1935年(昭和10)ごろに撮影された新宿中村屋で、右は現在の同店。
■写真下:左はカリーパンとその断面で、右はボルシチパンとその断面。
大好き!
by 漢 (2009-05-23 11:12)
10余年後にインドの人口が14億人というのは、想像もできないめまいをおぼえる数字です。nice!をありがとうございました。>Sanchaiさん
by ChinchikoPapa (2009-05-23 12:40)
周囲の景観や場所がらを考慮せず、机上の設計図だけでデザインした建物はほんとに無粋で無様だと思います。nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2009-05-23 12:51)
日本大通りから、神奈川県庁の旧庁舎(昔は本庁舎と読ばれていました)あたりの風情は大好きです。nice!をありがとうございました。>takemoviesさん
by ChinchikoPapa (2009-05-23 12:55)
漢さん、コメントとnice!をありがとうございます。
♪「「あなたが愛をくれたから…」聴いてきました。街を歩きながら聴くのが、似合いそうな曲ですね。街を歩くと、なぜか「孤独」を感じるような気分のときにはピッタリしそうです。
by ChinchikoPapa (2009-05-23 13:30)
ご紹介のアルバムは、一度も聴いたことがないですね。輸入盤のジャケットがしぶくて秀逸です。nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2009-05-23 13:36)
こんにちは。
あまり食べた記憶が無いので無責任な発言ですが、
仰るとおり中村屋のカリー、カリーパンは一種のブランドですから、あまり迎合する必要なく初志貫徹?していいのではないでしょうか。
by sig (2009-05-23 14:49)
最近、カルシウム不足なのか、仕事でPCのキーを激しく打っていると爪が割れます。もう少し、小魚類を丸ごと食べなければ・・・。nice!をありがとうございました。>takagakiさん
by ChinchikoPapa (2009-05-23 16:35)
sigさん、コメントとnice!をありがとうございます。
昔、大きめな缶詰で「印度カレー」というのがあって、子供のわたしには口が曲がるほど辛かったのですが、味はそこそこよかったように記憶しています。中村屋往年の印度カレーも、きっとそのような風味ではなかったかと想像します。わたしもおっしゃる通り、「日本人好み」など意識せず当時の印度カレーを出しても、いまならファンがたくさん付くのではないかと思います。
by ChinchikoPapa (2009-05-23 16:43)
長男が20歳前にインドに9ヶ月程いました。インド中を移動してネパールから帰ってきました。南インドは彼の第二の故郷のようです。次男はインドを横断して上海からウイーン迄出かけましたその時送ってきたマサラの袋の中身が今も残ってます。中村屋のカレーは一度くらいしか食べた記憶がありません。南インドからきたSEの青年に何度か本場のカリーを御馳走になりました。
by SILENT (2009-05-23 19:55)
SILENTさん、コメントとnice!をありがとうございます。
うちにも、カレー向きのいろいろな香辛料があるのですが、それらをブレンドして独自のカレーを作る・・・とまではいっていません。時間があれば、ぜひ一度挑戦してみたいのですが・・・。
これだけ日本人の舌が、さまざまな香辛料に馴れてしまった現在では、昔のように「日本人好みの」という定義が難しいかもしれませんね。わたしは、記事にも書きましたけれど、インド人が作る本場のナンやチキン/マトン/野菜/豆などのカレーのほうが、中村屋のカレーよりもコクがしっかりあって美味しく感じてしまいます。
by ChinchikoPapa (2009-05-23 20:25)
明日の準決勝と決勝、おふたりとも戸田でがんばってください。
nice!をありがとうございました。>今造ROWINGTEAMさん
by ChinchikoPapa (2009-05-23 23:27)
関東大震災で、大阪が文芸の中心になってしまった・・・というのは面白いですね。東京の復興が遅れた地域の料理屋や料理人が、いっせいに大阪へと移転し、大正末から昭和初期にかけて大阪が料理文化の中心になってしまった現象と似ています。料理の場合は、そのまま大阪へ定着してしまった組と、昭和初期に再びいっせいにもどってきた流れとがあるのですが・・・。nice!をありがとうございました。>ナカムラさん
by ChinchikoPapa (2009-05-24 22:26)
先日見たスタジオミューズ『ボクの部屋』では、中村屋のカリーが台詞に入っており、執拗に繰り返されました。それほど特徴のある味だったのかと思うと、仰るように「普通のカレー」になってしまっているのでしたら、残念です。やはり、芝居の台詞を裏切らない味を維持していて欲しいものです。
by アヨアン・イゴカー (2009-05-25 00:57)
アヨアン・イゴカーさん、コメントとnice!をありがとうございます。
あまり辛いカレーは苦手なのですが、コクやうまみがしっかりあると辛さがそれらと共鳴して溶け合い、それほど「辛い」とは感じなくなるから不思議ですね。
『銀河鉄道と銀河ステーション』のサウンド、いいですね。機関車というと大きくて重たいイメージがありますが(事実、そのようにイメージされたイラストやアニメも見かけますが)、宮沢賢治が「銀河鉄道」でイメージしたのは、軽便鉄道のかわいらしい小さな機関車だと思いますので、曲想も重厚ではなく、軽やかでなめらかな雰囲気のほうがフィットすると思います。
by ChinchikoPapa (2009-05-25 11:57)
こんなチビがいたら、たまりませんね。仕事にならないんじゃないかと思うのですが・・・。^^; nice!をありがとうございました。>TOMOさん
by ChinchikoPapa (2009-05-25 19:58)
わたしも、模型作りには目がありません。船の模型が好きですが、時間とおカネがあったら1926年(大正15)現在の、地元のジオラマを創ってみたいです。nice!をありがとうございました。>とらさん
by ChinchikoPapa (2009-05-27 15:28)
こちらにも、nice!をありがとうございました。>NOBUさん
by ChinchikoPapa (2009-05-28 19:17)