大正期に撮られた目白・下落合の動く映像。 [気になる下落合]
山梨県の観光を紹介する県の運営サイトで、1925年(大正14)の目白貨物駅、学習院の森、椿坂、そしてバッケ下の大黒葡萄酒Click!工場を撮影した、超貴重な映画Click!(5:59~7:44)が存在するのを、多田野飲兵衛さん^^;がご教示くださった。山梨県で醸造された葡萄酒の樽が、目白貨物駅へ運ばれてきて、そこから下落合10番地にあった甲斐産商店(大黒葡萄酒工場)へ運ばれる様子を、プロの映画スタッフたちがプロモーションフィルムとして35mmで撮影したものだ。
わたしは、大正期の目白・下落合界隈の実際に動いている映像を初めて目の当たりにしたので、思わずその場で飛び上がってしまった。学習院昭和寮Click!(現・日立目白クラブ)が建設される前、「近衛町」Click!が造成されて間もないバッケ下の雑司ヶ谷道を、佐伯祐三Click!が『下落合風景』Click!で描いた「ガード」Click!方向へと歩いていく通行人までが映し出されている。そこで、山梨から目白貨物駅へ到着した葡萄酒樽が、大黒葡萄酒の瓶詰め工場へと運びこまれるまでの道筋を、映画の各シーンと現在の情景、そして地図類をたどりながら再現してみたいと思う。
まず、当時の葡萄酒樽を積んだ馬車がたどった道を、詳しくてわかりやすい1938年(昭和13)に制作された「火保図」をベースにたどってみよう。大正期に撮影された目白・下落合界隈の稀有な映像というテーマがテーマだけに、きょうも記事がかなり長くなることをお許しいただきたい。
まず、映像は貨車に積まれた葡萄酒樽が、目白貨物駅へと到着するところからはじまる。1938年(昭和13)の「火保図」では、すでに貨物駅専用のプラットホームが完成しているけれど、1925年(大正14)現在ではこのホームは存在していない。引き込み線の貨車から、樽はじかに線路と同じ高さの地面へと降ろされているシーンだ。シーン①は、引き込み線の方角から椿坂の擁壁(学習院側)を向いて撮影している。目白貨物駅は、現在でもほぼ同様の地形を見ることができるが、椿坂から一段下がった位置に存在していた。小島善太郎が描いた『目白駅より高田馬場望む』Click!でも、プラットホームがいまだ存在しない、坂から一段下の貨物駅エリアの様子が観察できる。これは、近々ご紹介する予定の、小熊秀雄Click!が描いた「下落合風景」でも触れてみたい。
次のシーン②は、鉄道関係の建物や小屋が建ち並ぶ目白貨物駅の構内から、馬車がまさに椿坂へ出ようとしている瞬間の映像だ。山梨県が制作したナレーションでは、「目白通りと思われます」と解説しているが、明らかに誤りで(客車駅Click!近くの目白通りは大正末Click!になると、さすがにこのような鄙びた風情ではない)、山手線目白駅ホームの東側に設けられた貨物駅の広い構内を、椿坂の中途にある駅南の出入門付近から北を向いて撮影している。
シーン③では、椿坂へ出てから坂をゆっくり下る馬車の様子を撮影している。椿坂は特徴のある坂道で、目白通りから傾斜のゆるいなだらかな坂道を下ると、途中で道は一度水平になり、その先で再び少し傾斜の深い下り坂となっている。映画のシーンでは、坂の途中にある水平の道から、再び坂道を下りはじめた馬車の様子がとらえられている。左手に見える電信柱Click!や、電力・電燈線の柱が林立しているところが、目白貨物駅の構内のあるあたりで、右手のこんもりした森が学習院だ。映像では、血洗池のすぐ西側にある小山がとらえられており、その南側にある空地まで映されている。「火保図」でも、この小山の様子が採取され描かれている。椿坂界隈の地形は、現在でもほとんど変わっておらず、小山の東側には血洗池が横たわっている。
この映画の動画は、もう少し長いフィルムを短縮して編集されているようなので、ぜひノーカット版を見たいものだ。なぜなら、この馬車が椿坂を下って雑司ヶ谷道(東京府による新井薬師道)に突き当たり、それを右へ折れるとすぐに、佐伯祐三が翌年の1926年(大正15)秋に描いたとみられる『下落合風景』の1作、レンガで造られた当時の山手線ガードがあるからだ。
さて、ガードをくぐったあとのシーンをたどってみよう。馬車が大黒葡萄酒工場(甲斐産商店)前に到着するシーン④では、樽を積んだ馬車とともに大きめの西洋館が映っている。これは、大黒葡萄酒を瓶詰めにする工場の東側に接して建っていた、事務をとるための甲斐産商店の東京社屋だ。この建物の前で葡萄酒樽は降ろされ、次々と工場内へ運ばれていく。当時、この下落合10番地の敷地には、甲斐産商店のオフィスと工場、宮崎光太郎の東京における自宅、そしてワイン蔵と思われる倉庫、さらには馬のための厩舎などが建てられていたと思われる。
シーン⑤は、樽を積んだ馬車が到着する様子を、工場の建物側からとらえた映像だが、その向こう側に雑司ヶ谷道を山手線のガード方向へと歩いていく雨合羽を着た人物や、逆にガードの方角から早足でやってきた天秤棒をかつぐ蓑笠の棒手振(ぼてふり)ないしは荷運びが映っている。雑司ヶ谷道の向こう側、映像の正面には白っぽい倉庫のような小屋が現われるが、この建物はすでにこのサイトでも写真をご紹介していた。1933年(昭和8)に低空飛行で撮影された、学習院昭和寮(現・日立目白クラブClick!)の空中写真に、まさに大黒葡萄酒工場とともにこの建物もとらえられている。白っぽい建物の向こう側は、すぐに急斜面のバッケClick!(崖地)であり、丘上では造成されて間もない「近衛町」のオシャレな家々Click!が、次々と建設中だったはずだ。
シーン⑥は、瓶詰めを終えた大黒葡萄酒が、トラックで東京市街へと出荷されていく様子をとらえている。甲斐産商店のオフィスと工場との中間あたりを、正面(北側)からとらえた映像だ。トラックの荷台横には、「大黒葡萄酒」の白い文字が書かれ、運転席の扉には若い女性が葡萄酒を手にするイラストが描かれていたのがわかる。現在、大黒葡萄酒の工場敷地全体は、1969年(昭和44)に建設された高田馬場住宅Click!の敷地となっている。
さて、このフィルムに映された目白・下落合の情景の中で、もっとも気になるのがやはり佐伯が描いた「ガード」映像の有無だ。わたしがプロモーション映画の監督だったら、目白貨物駅で葡萄酒樽が降ろされ、馬車に詰みこまれて駅を出発し、椿坂を下ったあとのシーンには、どうしても雑司ヶ谷道を右折しガードをくぐり抜ける馬車のシーンを挿入したくなる。しかも、馬車といっしょに移動しながら、前方から撮影するカメラワークだ。椿坂から大黒葡萄酒工場へ到着する間にあるシーンを、山梨県の動画編集では冗長だということでカットしてやしないだろうか?
貨物駅から椿坂までの様子を、かなり順を追ってていねいに、ドキュメントタッチで記録しているので、工場へと到着するまでの道筋に、もうワンシーン挿入されていてもいいような感触がどうしてもあるのだ。そこでとらえられた山手線ガードの映像は、わずか1年後に佐伯祐三がモチーフとして描いたように、赤いレンガで造られているはずだ。ひょっとすると、東側の土手上に建っていた変電設備などの鉄道関連の小屋、あるいは鉄道員の宿舎と思われる建物(「火保図」にも描かれている)も、馬車の前方を移動するカメラ位置なら、とらえられている公算がきわめて高い。
■写真上:左は、下落合10番地の甲斐産商店(大黒葡萄酒工場)跡地で、正面に見えるのは目白崖線と日立目白クラブの寮舎。右は、甲斐産商店の社長・宮崎光太郎。
■写真中上:上は、1938年(昭和13)制作の「火保図」にみる目白貨物駅で、赤い点線が馬車の運搬ルート。「火保図」では、すでに貨物専用のホームが描かれているが、1925年(大正14)の映画撮影の時点では存在していない。①は貨車から馬車へ樽を積み替えている様子で、正面に見えるのが「火保図」にも記号で表現されている椿坂の擁壁。②は、目白貨物駅の出入門のある南側の情景。画面の左手は山手線で、右手には椿坂が通っている。「火保図」にも、鉄道関連と思われる作業小屋や建物が数多く描かれているあたり。③は、椿坂を馬車が下っていく様子。現在でも右手の血洗池西に接した小山はそのままで、南の空地にはマンションが建っている。
■写真中下:上は、「火保図」にみるガードから西の下落合界隈。ガードをくぐった馬車は、ほどなく大黒葡萄酒工場(甲斐産商店)へと到着する。④は工場前における葡萄酒樽の積み降ろしで、⑤は工場側から到着する馬車を映したところ。雨もよいなのか、雑司ヶ谷道をガード方向へ歩いていく人物が合羽を着ている。黄色い▽印の小屋(倉庫?)は、すでにこちらでご紹介済みの建物だ。下の写真は、1933年(昭和8)に低空飛行で撮影された大黒葡萄酒工場の様子で、▽印が同一の建物だとわかる。⑥は、工場から東京市街へ出荷される大黒葡萄酒を積んだトラック。
■写真下:上左は工場内で行われていた大黒葡萄酒の瓶詰め作業で、上右は包装作業。下左は、大黒葡萄酒工場の北東角の敷地で、いまでも古い大谷石の縁石が見られる。下右は、椿坂から下落合側へと抜ける山手線ガード。この映画に、ぜひとも映っていてほしいシーンなのだ。
■おまけ:雑司ヶ谷道を急ぎ足で歩く、雨合羽の男(左)と棒手振りないしは荷運び(右)。
すばらしいフィルムですね! ノーカット版を、是非とも見たいものです。
by ものたがひ (2009-06-16 00:34)
ノア・ハワードは60年代のギンギンなフリーJAZZのイメージがありますけれど、ときどきアレッ?と想うようなメランコリックな曲もあって意外です。nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2009-06-16 00:50)
ものたがひさん、コメントをありがとうございます。
この映像のていねいなカメラワークや、積み重ねるようなキメ細かいカットを見てますと、どうしても山手線ガードが映っている・・・と思えてしまうのですね。翌年の春以降に撮影された画面なら、キャンバスを手にフラフラしている男が映ってないかどうか、目を皿のようにして探してしまったでしょうね。(笑)
by ChinchikoPapa (2009-06-16 00:54)
これは凄いですね!是非見てみたいです。
by ナカムラ (2009-06-16 09:10)
書き忘れてしまいました。nice!をありがとうございます。>ものたがひさん
by ChinchikoPapa (2009-06-16 12:56)
諏訪湖で優勝・金メダル、おめでとうございます!^^/
nice!をありがとうございました。>キャプさん(今造ROWINGTEAMさん)
by ChinchikoPapa (2009-06-16 13:01)
ルピナスという名前は有名ですが、あまりあちこちで咲いているのを見たことがありませんでした。暖地に弱かったんですね。nice!をありがとうございました。>takemoviesさん
by ChinchikoPapa (2009-06-16 13:05)
安東広重の保永堂版「大磯」も、雨がザーザー降っていましたね。
nice!をありがとうございました。>SILENTさん
by ChinchikoPapa (2009-06-16 13:08)
ナカムラさん、コメントとnice!をありがとうございます。
これは映写施設のあるところで、実際に上映していただいたのを観てみたいです。そんな大がかりなことをして、カットシーンがなかったりしたら落胆も比例して大きいとは思うのですが・・・。
by ChinchikoPapa (2009-06-16 13:13)
わたしは1年ほど、恵比寿駅の西口へ仕事で通っていた時期があるのですが、古い商店街の中で漢方薬局の印象が強いです。まだあると思うのですが・・・。nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2009-06-16 13:18)
子供のころ、TVで30分ものの「ヒッチコック劇場」というのが流れてまして(再々放送ぐらいでしょうか)、それを夢中で観てた記憶があります。nice!をありがとうございました。>漢さん
by ChinchikoPapa (2009-06-16 13:26)
本当に素晴らしい記録です。小生も是非ノーカット版を観てみたいです。
なお、山梨県のHPにアップされている映像を見て、アナログ情報のデジタル化は慎重に行われるべきということを改めて感じました。過去の記録のデジタル化はあちらこちらで今後ますます盛んに行われるでしょうが、元のアナログ媒体が持つ膨大且つ貴重な情報の一部が安易なデジタル化により未来永劫失われてしまうようなことは是非なしにして欲しいものです。
by マイケル (2009-06-16 14:45)
マイケルさん、コメントをありがとうございます。
わたしも、映像を観たとたんに飛び上がってしまいました。昭和初期ないしは戦前あたりの映像でしたら、目白・落合界隈ならいずれどこからか出てきそうな気がしていたのですが、いきなり1925年(大正14)の、しかも35mmで撮影された映画作品が目にできるとは思いもよりませんでした。山梨県のフィルムを複製して、ぜひ新宿歴史博物館でもライブラリーに加えていただきたい映画です。
おっしゃるとおり、元のフィルムの状態のまま観てみたい、あるいは編集なしに全編をデジタル化して保存していただきたいですね。甲州葡萄のテーマからは、ほとんど意味のないカットなのかもしれませんが、大正期の目白・落合界隈が記録されている場面は、地元にとってはかけがえのない超一級資料だと思います。
by ChinchikoPapa (2009-06-16 16:58)
貴重なお写真を拝見させて頂き、僕の人生に非常に役に立ちます。
「温故知新」のイメージを今でも忘れていませんので・・・。
by ばん (2009-06-17 00:53)
こんばんは。
読ませていただいてすぐに「映画」に飛んだのですが、動画再生中にパソコンがフリーズしたりして、今になりました。
ChinchikoPapaにとって、仰るとおり驚天動地のフィルムのようですね。6巻の中にどれほど東京の風景が写っているかも気になるところですが、オリジナルにはChinchikoPapaがご推察のカットがありそうな気がします。
動画の始めに映し出されたフィルムの状態が波打っているところを見ると、直ちに全巻複製の手はずが必要と思いますが、あるいはそれを済ませた上での短縮版制作なら、見ることが出来るかもしれませんね。
by sig (2009-06-17 01:33)
ものはためしなので、山梨県にノーカット版を見る方法はないか、確認のメールを送りました。結果はまたこのコメント欄に。
by ナカムラ (2009-06-17 09:48)
ばんさん、コメントとnice!をありがとうございます。
古いことや往年のモノを知らないと、なにが新しいことなのかモノなのか、そして新しい表現なのかが、相対的に判断のしようがないし理解できない・・・というのは、わたしも肝に銘じているテーマです。それは、芸術や文化全般のみならず、科学全般やシステムの世界などでも言えますね。
話は変わりますが、わたしは長崎の皿うどん(固焼きそば系)とチャンポンには目がなかったりします。^^
by ChinchikoPapa (2009-06-17 11:32)
sigさん、コメントとnice!をありがとうございます。
そーなんです、ビックリしました。実は、このサイトで昭和初期に撮影された映像フィルムはチラリと、そのカット画像をご紹介していたのですが、下落合の近衛新邸の玄関先で撮られた近衛文麿とその家族の映像とか、地域の風景ではなく人物に限られていました。ですから、周辺の風景までが鮮明に映し撮られている、しかも大正時代の映画フィルムが存在することなど、思ってもみませんでした。せいぜい、昭和初期以降のフィルムか、あるいは目白文化村や相馬邸でロケが行なわれた映画の背景に、チラリと風景が映し出されるぐらいに考えていました。
山梨県では、おそらくデジタル化を終えた時点で映像データを編集して、サイトへ掲載したのではないかな・・・と想像しています。ちょっと、ウキウキするテーマが増えてとても楽しみです。^^
by ChinchikoPapa (2009-06-17 11:49)
ナカムラさん、重ねてコメントをありがとうございます。
わたしも、仕事の空いた時間を利用して、きょうにも山梨県へ問い合わせてみようと考えていました。早々にお問い合わせくださり、ありがとうございます。返事が楽しみですね! ぜひお知らせください。
by ChinchikoPapa (2009-06-17 11:52)
いまさっき、わたしの記事をお読みいただいている方からお電話をいただきました。山梨県の当該フィルムを、新宿区でも複製し保存していただけるよう、強力に働きかけてくださるとのことです。新宿歴史博物館などで収蔵していただき、いつでも動画再生で観られる環境にしていただけると嬉しいですね。
なんでしたら、デジタルデータ化されていれば、目白・下落合界隈の貴重な記録ですので、このサイトのサーバリソースを提供いたします。^^
by ChinchikoPapa (2009-06-17 12:01)
山梨県広聴広報課 内藤さんからのメールです。今開封しました。
お問い合わせいただいた、戦前のぶどうやワインづくりの様子を映したフィルムにつきましては、甲州市で保管をしているとのことです。
このため、ご要望の件につきましては、甲州市教育委員会生涯学習課(TEL:0553-32-1411)にお尋ねいただくようお願いいたします。
甲州市では完全版の上映会を行ったようです。その案内が以下。
http://www.city.koshu.yamanashi.jp:80/koshu/news/viewNews.jsp?id=1211426963450&dir=200805
※どうやら現地では完全版を見ることができたようですね。新宿区での上映を歴史博物館に強く要望したいですね。
by ナカムラ (2009-06-18 00:01)
ナカムラさん、ご報告をありがとうございました。
フィルムの原版は、甲州市が保管しているのですね。わざわざお調べいただき恐縮です。ということは、新宿区が甲州市と打ち合わせていただければ、フィルムに大きな支障でもない限りは、貸し出しあるいは複製の話がすぐにも進められそうですね。新宿区に働きかけてくださる方は、このブログを読んでくださっているはずですので、より具体的な収蔵先も含めたお話ができるかと思います。
わざわざお調べいただき、ほんとうにありがとうございました。
by ChinchikoPapa (2009-06-18 00:15)
そう、書き忘れてました。
目白貨物駅へ葡萄酒樽が到着するシーンで、カメラを少しパンしてくれていれば、1925年(大正14)現在の目白駅と目白橋を、目の当たりにすることができるわけですね。すでに、橋上駅化はされていたでしょうが、動く目白駅や、あわよくば目白橋を走る動くダットバスが目撃できないでしょうか。^^
by ChinchikoPapa (2009-06-18 00:21)
こんなフィルムが残っていたなんて素晴らしいですね。目白に葡萄酒のビン詰め工場があったなんてびっくりです。この大黒酒造は確か私の子供のころあったオーシャンウイスキーの工場の前身なのでしょう。この跡地は後にボーリングブームでボーリング場になり、すぐに廃れて高田馬場住宅になったのです。
またオーシャンウイスキーがメルシャンになったなんてこちらのブルグに書かれたコメントで初めて知りました。ちなみにオーシャンウイスキーは大黒ブランデーというのを作っているようです。
http://yukinosake.exblog.jp/6396296/
by 谷間のユリ (2009-06-18 00:24)
谷間のユリさん、コメントとnice!をありがとうございます。
敗戦直後の1946年(昭和21)から、大黒葡萄酒ではオーシャンウィスキーを発売しているようですね。そのあと、ウィスキーブームがあって社名変更し、今度はワインブームが到来して現在のメルシャンになったものでしょうか。「大黒ブランデー」は、ちょっと味わってみたいです。^^
高田馬場住宅のひとつ前は、ボーリング場だったんですね。わたしは、建設2年目の高田馬場住宅からしか知りませんでした。そのとき、裏の雑司ヶ谷道(新井薬師道)はうろ憶えですが、いくらか商店街のような風情が形成されていたんじゃないでしょうか。山手線のガードにかけて、個人商店が並んでいた印象があります。
もっとも、学生時代の1980年前後になると、マンションがすごく増えてきて商店が少なくなり、夜にガードをくぐって歩いていくと、真っ暗だった道の印象のほうが強いですが・・・。
by ChinchikoPapa (2009-06-18 12:31)
ChinchikoPapa様
すばらしい記事ですね。
そして、みなさんの反響にも驚きました。きっかけを作ったものとして、うれしいかぎりです。
山梨の人にも読んでもらいたいです。
完全版の上映会は行きました。しかしガードが映っていたかどうかは記憶がありません。
なお、メルシャンの歴史は、明治10年の大日本山梨葡萄酒株式会社から始まります。この会社は解散しますが、製造設備を受け継いだのが宮崎光太郎の大黒葡萄酒。これがメルシャンにつながります。
三楽は、まったく別の蒸留酒会社で、メルシャンと合併したのだそうです。
by 多田野飲兵衛 (2009-06-18 18:43)
多田野飲兵衛さん、わざわざコメントをありがとうございます。
上映会へ行かれたのですね。もう、目白・下落合界隈のシーンだけでいいですから、早く観てみたいものです。(笑) きっと、この記事をお読みの方のほとんどが、ノーカット版が新宿歴史博物館あたりで上映される日を、首長でお待ちだと思います。甲州市と連絡をとっていただき、スムーズに交渉が進んでくれれば嬉しいですね。フィルムの存在をお教えくださったのは多田野様ですので、もう感謝感謝でいっぱいなのです。改めて、ありがとうございました。<(_ _)>
大黒葡萄酒=メルシャンは、山楽オーシャンと合併したんでしたね。以前の記事に経緯を調べ書いていたのを、失念してしまいました。
by ChinchikoPapa (2009-06-18 19:25)
紹介されている14分の映像早速拝見しました。大正11年とその後の映像ですね。大変興味深く、また、このような映像が残っていることが嬉しくなりました。
馬車が行過ぎる風景、40年以上前の北海道十勝の風景にちょっと似ていました。
by アヨアン・イゴカー (2009-06-19 13:54)
アヨアン・イゴカーさん、コメントとnice!をありがとうございます。
わたしが物心つくころ、まだ馬車は現役で使われていました。といっても東京ではなく、いまだ舗装されず凸凹道だった湘南道路(遊歩道路)、いまの国道134号線です。散歩する近所の人たちの下駄の音に混じって、ときどき馬車がパカポコパカポコ通っていました。なにを積んでいたのか、はっきりとは憶えていないのですが、おそらく付近でとれた農作物か、あるいは魚介類じゃなかったかと思います。
十勝は間違いなく、ワイン樽か牛乳の容器でしょうね。
by ChinchikoPapa (2009-06-19 14:37)
きょうは、ほんとうに久しぶりに外で飲んで食べて帰宅しました。(御城)下町はやっぱりいいですね。nice!をありがとうございました。>takagakiさん
by ChinchikoPapa (2009-06-19 20:49)
昨夕、映像の場所を歩きました。
碑文一つ残っていなくて、知らなければ何気なく通り過ぎる道ですが、知っていると感慨があります。
あのガードのような雰囲気の道、他にもたくさんありそうな感じです。それぞれに歴史があるのでしょうね。
by 多田野飲兵衛 (2009-06-20 10:47)
おはようございます。
昨年の今ごろ、こちらの画像を使うことのお許しを得たかったものですがコメントが反映されないまま 「どなたかChinchiko Papalogさんに連絡して」と託しながら使わせていただいてしまった者です。(2008.6.20ブログ)
文は保存してありましたので あらためてお送りしお願いいたします。
2008.6.14. 18:00
はじめまして
「宮崎光太郎」について検索し こちらにたどり着きました。
貴重な資料になる研究をなされていらっしゃるのですね。
現在、宮崎光太郎の本拠地、祝村のあった山梨県甲州市では 所有者から寄贈された宮崎光太郎の家、醸造所などを調査整備しています。(近代化遺産の公園として公開されるということです)
敷地内の道具蔵から昨年に発見された大正~昭和初期に撮影された35mm映画6巻のクリーニング、デジタル処理が終わり 地元で上映会が開催されました。
(中略)
全6巻90分は多くの観客を驚かせていました。
こちらの貴重な写真、東京での工場の場所や町誌にたたえられていたことなどを紹介、リンクしてもよろしいでしょうか。
よろしくお願いいたします。 (以上 コピー)
この文から 上映会では全90分が上映されていたことを思い出しました。昨日、勝沼図書館でDVDを見てきましたら(貸し出し不可)編集されたものでした。隣にある「ぶどうの国文化館」(入館無料)でも常時上映しているそうですが やはり編集されたものだそうです。近々見てきます。ここでは全90分を上映して欲しいものです。
「目白駅と思われます・・」のナレーションは間違っているのですね!
このことは もう甲州市には伝わっていそうですが 思わぬところからの解明に驚いていることでしょう・・
※勝沼図書館においてあるDVDは勝沼ケーブルテレビさんから販売されているものだそうです。
長々とお邪魔しました。
by take (2009-06-27 06:55)
長々と書いたわりには マヌケでした。
多田野飲兵衛さんのコメントで全てでした。
>山梨の人にも読んでもらいたいです。
>完全版の上映会は行きました。しかしガードが映っていたかどうかは記憶がありません。
私も同じです。
by take (2009-06-27 07:06)
多田野飲兵衛さん、コメントをありがとうございます。
さっそく、椿坂から雑司ヶ谷道を歩かれたのですね。^^ 学習院側の新緑から深緑へと移ろう、樹木の緑が美しかったのではないかと思います。日常的に何気なく通りすぎていますと、そこにかつてどのような“場”や“情景”が形成されていて、どのような人々の物語が紡がれていたのか、まったく気づかないまま歩いてしまうのですが、地域の記憶をいろいろ掘り起こしていきますと、つい立ち止まって周囲の風情を味わってみたくなる街角が、どんどん増えていきますね。
目白貨物駅から椿坂、そして大黒葡萄酒工場(甲斐産商店)のルートも、これほどリアルかつ鮮明に当時の情景や風情が目前に浮かんできますのも、あのドキュメンタリー映画のおかげです。改めまして、ご教示いただきました多田野さんには、幾重にもお礼申し上げます。
by ChinchikoPapa (2009-06-27 14:54)
takeさん、ごていねいなコメントをありがとうございます。
コメントが書きこめずご迷惑をおかけしたようで、申しわけありません。So-netブログでは、ときどきコメントやトラックバックが反映されない不具合が発生しているようで、わたし自身も以前に何度か経験しています。(ブログ同士のシステム的な相性も、そのときどきで微妙に異なるようなのです) では、2008年6月にわたしもタイムスリップいたしまして・・・。
> リンクしてもよろしいでしょうか。
はい、リンクも写真の流用も、また文章の引用もご自由にどうぞ。^^
さっそく拝見いたしました。ごていねいに紹介いただき、ありがとうございました。
わたしも、完全版がぜひ見てみたいです。知り合いの方で、現在新宿区の「顧問」的な仕事をされている大学教授がいらっしゃいまして、その方から新宿区へフィルム(ノーカット版)を複製(またはデジタルデータ化)して、新宿歴史博物館などで保存・閲覧できるよう働きかけていただくことになっています。ほどなく、新宿区からフィルムを保管されている甲州市の教育委員会へ、連絡がいくのではないかと期待しています。
山手線のガードが映っているとすごく嬉しいのですが、別に映っていなくても大正期の下落合界隈をとらえた非常に貴重な、かけがえのないフィルムであることに変わりありません。^^
コメントの不具合、すみませんでした。そして、いろいろとご親切にありがとうございました。心よりお礼申し上げます。
by ChinchikoPapa (2009-06-27 15:22)
こちらにも、nice!をありがとうございました。>一真さん
by ChinchikoPapa (2009-06-27 15:25)
takeさん、ただいまtakeさんのサイトの関連記事へ、トラックバックを何度か差し上げているのですが、いまだ反映されないようですね。システム環境の微妙な変動で、コメントやTBが反映されたりされなかったりするようです。(汗)
by ChinchikoPapa (2009-06-27 16:30)
先日、山梨県甲州市にあるメルシャン勝沼ワイナリーに行き、ワインメーカーズツアーに参加しました。
その折に、ワイン資料館にてこの映像を見ました!
CjinchikoPapaさんのブログで紹介されていたものだ!!と一人興奮気味になりながら見入ってしまいました。
(②の映像はやはり目白通りと紹介されていました。)
こちらで知る機会がなければ、もっと何気なく見て終わったと思います。
貴重な資料の存在を教えて頂きありがとうございました。
by ロックケーキ (2009-11-02 09:29)
ロックケーキさん、コメントをありがとうございます。
そうですか、行かれましたか。^^ おそらくワイン資料館で上映されているのも、WebサイトのVOD映像と同様に短縮版なのでしょうね。そろそろ、同記録映画の完全版が甲州市から新宿歴史博物館にとどいているころかと思いますので、今度うかがった際に訊いてみようと思います。
最新の記事でもご紹介していますが、来年の新宿区による「佐伯展」には『下落合風景』が多く出展される予定でして、その中には馬車がくぐったと思われます例の「ガード」(ポーラ美術館)も含まれています。このフィルムに同カードが写ってますと、佐伯の絵からも当時の写真からも、両面から下落合風景を眺めることができて貴重ですね。ありがとうございました。
by ChinchikoPapa (2009-11-02 19:14)
いよいよ新宿に来ますか。みなさんのご尽力のおかげです。私も嬉しいです。
メルシャンの人も、このブログのことを知っていました。
by 多田野飲兵衛 (2010-01-16 08:44)
多田野飲兵衛さん、コメントをありがとうございます。
すでに新宿歴博には、映像データがとどいているのではないかと思いますが、このところ頻繁にうかがうわりには別件に気をとられてしまい、お訊ねするのを忘れています。^^; 今度こそ、確認してみたいと思います。
by ChinchikoPapa (2010-01-16 20:36)
大黒葡萄酒の記録映画ですが、申請書はとうに新宿区から甲州市へ出されているものの、1月21日現在、いまだ新宿区へ到着していないことがわかりました。
どうやら、甲州市側でデータの手配に手間どっているようです。^^;
by ChinchikoPapa (2010-01-22 11:50)
映像(短縮版、ワイン資料館のものと同じでしょうが)が、塩山駅でも上映されていました。
by 多田野飲兵衛 (2010-01-24 22:04)
多田野飲兵衛さん、コメントをありがとうございます。
甲州市さん、早くデータを手配してくれるとうれしいですね。
グビ長で待ってますので。w
by ChinchikoPapa (2010-01-25 00:00)