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下落合の水車小屋は大丈夫だった? [気になる神田川]

淀橋橋柱.jpg
 落合地域を流れる神田川や妙正寺川には、江戸期からいくつかの水車小屋Click!が造られていた。周辺の田畑で収穫された、米や麦など穀物類の製粉用に設置されたのだろう。神田上水(神田川)には、田島橋の上流にひとつ。妙正寺川には、美仲橋の上流の四ノ坂下あたり、バッケ堰Click!の下流にひとつ。この水車小屋の旧建物は風呂屋に改造され、明治末に小島善太郎Click!の一家が住んでいた。そして、妙正寺川が和田山(井上哲学堂Click!)のある北へと大きく蛇行する、中井御霊社の南側を流れていた水車橋近くの支流にひとつ。
 神田上水にあった水車で、もっとも早くから設置されていたのが、小滝橋からさらに上流へ1,000mと少しさかのぼった、角筈村と柏木村との境にある淀橋(現・新宿区)の水車だった。おそらく地元の豪農なのだろう、弥兵衛という人物が寛文年間(1661~1672年)に水車小屋を建てるのだが、その後、3代目・弥兵衛の時代に徳川吉宗が鷹狩りで休息して以来、代々将軍の休息所に指定されている。江戸期の膨大な地誌のひとつ、『御府内備考』(1810~1829年)から引用してみよう。
  
 先祖弥兵衛と申者、年暦不知、旧来当所百姓に而罷在候処、寛文年中神田御上水助水堀分水仕、水車取立申度段相願、右水車に而小麦粉並米麦等春立渡世仕候、然処三代目弥兵衛代、享保十七子三月中、中野筋有徳院様御成の節、右弥兵衛方へ初而御小休に相成、其後年月不知、度々御成之節御小休所に相成、拝領物左之通。  八代将軍・徳川吉宗
  
 休憩所の礼として、弥兵衛は将軍からゾウの絵が描かれた衝立をはじめ、盃や酒、足袋などの土産をもらっている。当時としては、この上ない名誉なことだったろう。幕末に近くなると、弥兵衛の子孫である久兵衛という人物が、この淀橋水車を運営していた。そして、将軍家の休息所に指定されていたためか、淀橋水車は幕府からとんでもない仕事を押しつけられることになる。
 1853年(嘉永6)6月にペリーが浦賀へ来航すると、幕府は大急ぎで大砲(おおづつ)や鉄砲に使用する火薬を増産しはじめた。当時、玉薬奉行だった永田帯刀今川要作から、まず淀橋水車は鉄砲の火薬を製造するように命じられている。さらに、同年11月には西丸御留守居の下曽根金三郎から、より爆発力が強くて危険な「西洋流火薬」の製造を命じられた。これらの幕命は、大江戸Click!近郊に設置されていたおもな水車小屋の、ほとんどすべてに通達されたようだ。
上水記1781-91.jpg 関口水車(明治期).jpg
 翌1854年(嘉永7)になると、江戸近郊にあった水車小屋のあちこちで、爆発事故が次々と起きることになる。まず、同年3月5日に板橋宿字原の水車小屋が爆発し、数多くの死傷者を出している。この事故を皮切りに、3月22日には小山村御岳で、4月6日には牛込矢来下(現・新宿区)で、4月20日には荏原郡世田谷村の水車小屋が大爆発を起こした。これらの事故は、水車の回転軸の摩擦熱が高まり、空気中を粉塵のように舞う火薬粉に引火して爆発したものだろう。当時の惨状を、1916年(大正5)に出版された『豊多摩郡誌』(東京府豊多摩郡役所)から引用してみよう。
  
 翌七甲寅年三月五日昼八ッ頃、隣郡北豊島郡板橋宿字原の百姓太左衛門所有の水車にて、酒井雅楽頭にて火薬製造中車の心棒より発火し、構内の建物は勿論付近の家屋に延焼し、焼死者負傷者多く生じたること(加州下屋敷へ家ともはね込み加州長屋も余程焼失せりと) 尚又四月六日牛込矢来下酒井修理太夫下屋敷内にて製造中の火薬、水車に於て発火し、手足飛び散りて即死せしもの多かりし惨状を、当地(引用註:淀橋水車)の町民聞き込みて一同俄に恐怖の念を生じ、若し当所内の久兵衛方の火薬、水車にて過失あらんか、町家続きなる当町は板橋其他の惨状よりも一層甚しき災害を蒙るならん・・・(以下略)
  
 爆発事故があちこちで相次ぐため、淀橋町民は気が気でなくなり、水車小屋の所有者である久兵衛へ火薬製造の「所替」(中止)を奉行所へ願い出るよう促したが、久兵衛は聞き入れなかった。業を煮やした淀橋町の町役たちが、名主に働きかけようとしていた矢先、4月20日昼前に南の方角で大音響が聞こえ、まるで地震のように地面がユサユサ振動した。世田谷村の水車小屋が大爆発し、死傷者が多数出たのだ。さらに淀橋町民の顔はひきつり、名主・熊井理右衛門を説き伏せて奉行所への嘆願書を大急ぎで作成し、4月9日に町役26人の連名で提出した。
江戸名所図会「淀橋水車」.jpg
 奉行所における評定の間も、淀橋水車は相変わらずまわりつづける。付近の住民は戦々恐々としていたものの、なかなか生まれ育った家屋を離れられないから、避難する者は少なかったようだ。そして、6月11日の明け六ッを迎えることになる。引きつづき、郡誌から引用してみよう。
  
 天無情、阿鼻叫喚の修羅場は奉行所の沙汰に先んじて現れたり、嘉永七寅年六月十一日明六ッ百雷の一時に落ち来れるが如き大音響は、突如淀橋の方面に起ると聞く間もあらばこそ、屋根壁は撼い落ち雨戸襖は飛び散る凄まじさ、驚破焔硝よと付近の町民は予ての覚悟、思ひ思ひに老幼を扶けて程遠く落延び、漸く人心地つきて来りし方を顧れば、此時既に鳴動は止みたるも水車小屋の辺り一円は炎々と燃え上り居るにぞ・・・
  
 火薬の煙は黒かったらしく、周囲の空が黒煙で覆われて夜のようになり、町民たちは近くの成子坂上と中野坂上に避難している。また、爆発は一度ではなく、保存されていた火薬に次々と引火したのか何度も起き、そのたびに新たな火災も発生したため、完全に消火できたのは翌日の夜明けごろのことだった。爆発のあった水車小屋跡には、幅が15間(30m弱)に深さが1丈2~3尺(4m前後)のクレーターができ、底からは水が湧いていたというから、とてつもない大爆発だったことがわかる。淀橋水車のケースは、地元住民のほとんどが事故に備えた「覚悟」ができていたため、事故直後には奇跡的に死者はおらず、負傷者のみで済んだ。(のち重傷者の1名が死亡)
淀橋水車小屋爆発読売.jpg
淀橋1900年前後.jpg
 1788~1791年(天明8~寛政3)に作成された『上水記』を確認すると、すでに淀橋水車の記載はあるけれど、下落合の田島橋水車はいまだ記載されておらず、おそらく幕末に近い時代に設置されたのではないかと思われる。また、妙正寺川のバッケ堰下の水車ならびに水車橋近くの水車は、いつごろ設置されたのかは不明だが、明治期の地図にはすでに記載されているので、おそらく2水車ともやはり幕末から明治初期ごろに造られたのではないだろうか。
 落合地域の水車小屋で、幕末に爆発事故があったとも、また火薬を製造していたという伝承も、いまのところ聞いたことがないので、なんとか危険な幕命を避けられているのかもしれない。

◆写真上:1854年(嘉永7)6月11日の夜明けに大爆発を起こした、水車小屋近くの淀橋現状。
◆写真中上は、1788~1791年(天明8~寛政3)の『上水記』にみる淀橋で、「水車持/久兵衛」の書きこみがある。は、明治期に描かれた神田上水の関口水車。大堰Click!近くの情景で、水道木樋Click!が架かり背景には新長谷寺Click!から椿山荘Click!あたりの目白崖線が見えている。
◆写真中下:『江戸名所図会』の「淀橋水車」で、淀橋を北から南を向いて描いている。
◆写真下は、早大演劇博物館に保存されている淀橋水車の大爆発の模様を伝えた読売(瓦版)。は、1900年(明治33)前後に撮影された淀橋で橋桁はいまだ江戸期のままだ。


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ChinchikoPapa

チェンバース名義でリリースされた、コルトレーン・アルバムといったところでしょうか。もともとBuell Neidlinger名義のこのアルバムは知りませんでした。nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2010-05-22 11:38) 

ChinchikoPapa

松竹新喜劇は大好きで、たまにTV中継があるとたいがい観るのですが、藤山寛美時代の役者がいまだ何人かがご健在で、藤山直美との芝居を観ていると父娘の違いを忘れて、すっかり錯覚してしまいます。nice!をありがとうございました。>ロボライターさん
by ChinchikoPapa (2010-05-22 11:50) 

ChinchikoPapa

本格的なベトナムコーヒーを、一度味わってみたいと思っているのです。
nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2010-05-22 11:56) 

ChinchikoPapa

5月の風の中を走ると、皮膚までが深呼吸しているみたいですね。
nice!をありがとうございました。>shinさん
by ChinchikoPapa (2010-05-22 12:09) 

ChinchikoPapa

見事なステンドグラスですね。ほど遠からぬところにステンドグラス屋さんがあるのですが、店前を通るときつい立ち止まってしまいます。nice!をありがとうございました。>takemoviesさん
by ChinchikoPapa (2010-05-22 12:12) 

ChinchikoPapa

怪獣モノは見てましたが、忍者モノはあまり見ていなかったようで、ほとんど記憶にありません。nice!をありがとうございました。>suzuranさん
by ChinchikoPapa (2010-05-22 16:28) 

ChinchikoPapa

ご訪問とnice!をありがとうございました。>eternityさん
by ChinchikoPapa (2010-05-22 18:42) 

ChinchikoPapa

「経験値」ではなく、「ストレス値1187」には思わず噴き出してしまいました。nice!をありがとうございました。>toramanさん
by ChinchikoPapa (2010-05-22 18:45) 

ChinchikoPapa

子供のころ、玉子かけご飯で双子が出ると、なんとなく「ついてる」気分になりました。nice!をありがとうございました。>cocomotokyoさん
by ChinchikoPapa (2010-05-22 20:25) 

ChinchikoPapa

体力を堅持したままの減量、たいへんですね。敗者復活戦を勝ち抜いて、ぜひ決勝へ進出してください。nice!をありがとうございました。>キャプさん(今造ROWINGTEAMさん)
by ChinchikoPapa (2010-05-23 13:35) 

ChinchikoPapa

自宅の周辺でどのようなものが作られているのか、取材して歩くのはたのしいですね。わたしも近々、記事にしてみたいと思います。nice!をありがとうございました。>hide-mさん
by ChinchikoPapa (2010-05-23 13:38) 

ChinchikoPapa

修学旅行がオーストラリアとは、うらやましいですね。東京よりは、いいと思いますよ。ww nice!をありがとうございました。>ツナさん
by ChinchikoPapa (2010-05-23 13:43) 

アヨアン・イゴカー

水車小屋で火薬を作ったのですね。
黒色火薬であれば、硝酸と綿で作ったのでしょうか。
水車の動力に関係があるのでしょうか?
by アヨアン・イゴカー (2010-05-23 14:22) 

ChinchikoPapa

アヨアン・イゴカーさん、コメントとnice!をありがとうございます。
おそらく、黒色火薬を製造していたのでしょうね。木炭に硫黄を混ぜて、硝酸を加えたところで、水車の動力を利用してすりつぶしていたんじゃないかと。でも、水車の部材である材木が擦れ合って発熱し、その状態が長時間つづいたところで引火したのではないでしょうか。
by ChinchikoPapa (2010-05-23 15:49) 

ChinchikoPapa

嗅ぎタバコも噛みタバコもやったことがありませんが、ニコチンが摂取できて気持ちがいいのでしょうか。nice!をありがとうございました。>PENGUINGさん
by ChinchikoPapa (2010-05-23 15:53) 

ChinchikoPapa

わたしも東京にいると、「空が広い」とは感じにくいですね。周囲に人工物が多いせいでしょうか、浜辺などに立つとようやく「広い」と実感できます。nice!をありがとうございました。>ひまわりさん
by ChinchikoPapa (2010-05-24 10:38) 

ChinchikoPapa

みごとなヒナゲシ畑ですね。ポピーと呼ぶとよそよそしく感じますが、ヒナゲシというと懐かしいような気がします。nice!をありがとうございました。>SILENTさん
by ChinchikoPapa (2010-05-24 17:49) 

sig

こんばんは。
「黒船来る」の陰でこのような惨事が起きていたとは初めて知りました。
こんなことはどこにも書いてありませんね。
by sig (2010-05-24 21:21) 

ChinchikoPapa

sigさん、コメントとnice!をありがとうございます。
学校の教科書には、いっさい登場してこない事故ですね。1854年(嘉永7)のこの地域は、まさに「爆発年」と表現してもいいような様相でした。江戸市街に比べ、人家が比較的少ない朱引き内外の地域だったのにもかかわらず、死傷者が多いのはそれだけ爆発の威力が凄まじかったんでしょうね。
by ChinchikoPapa (2010-05-24 23:32) 

ChinchikoPapa

いつもご訪問とnice!を、ありがとうございます。>NO14Ruggermanさん
by ChinchikoPapa (2010-05-24 23:34) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>ナカムラさん
by ChinchikoPapa (2010-05-25 19:51) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>ねじまき鳥さん
by ChinchikoPapa (2010-05-25 21:32) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>tamanossimoさん
by ChinchikoPapa (2010-05-26 16:39) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>ぼんぼちぼちぼちさん
by ChinchikoPapa (2010-05-27 19:58) 

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