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近衛町の酒井邸を拝見する。 [気になる下落合]

近衛町酒井邸19310202.jpg
 地下鉄・丸ノ内線の掘削工事で出た土砂で、下落合の代表的な谷戸・林泉園Click!のほとんどが埋め立てられてしまった。そのカギの字に屈曲した中央部から南側の斜面にかけ、1960年代末に大蔵省(現・財務省)の公務員宿舎が建設されている。また、大蔵省の敷地となった約50%ほどの面積が、竹田助雄Click!をはじめ落合地域の住民による地道な活動により、「おとめ山公園」として残された。御留山Click!の広大な敷地には、こちらで何度もご紹介Click!しているけれど、1915年(大正4)から1939年(昭和14)まで大きな相馬邸Click!が建てられていた。林泉園の深い谷間をはさみ、相馬邸と隣接した下落合404番地に建っていたのが酒井正義様の邸だ。昭和初期に撮影された、酒井邸と庭園の貴重な写真を2葉お借りできたので、詳しくご紹介したい。
 まず1枚めは、1931年(昭和6)2月2日に撮影された酒井邸の庭だ。東から西に向いてシャッターが切られており、林泉園から南へとつづく渓谷がとらえられている。手前の蔦棚の下に写っている人物は、左からふたりめの酒井トキ様と酒井和夫様(赤ちゃん)を中心に、ばあやさん(左端)や女中さん(中央右)、書生(右端)のみなさんだ。撮影は、敷地の東側に建っていた別棟の2階から行なわれている。手前には、棕櫚が植えられた庭が拡がるが、奧の竹垣の組まれた位置から向こう側が急峻な崖地となって、林泉園からつづく深い谷間へと落ちこんでいる。
 そして、少し離れたところに見える対岸の急斜面が、相馬孟胤邸Click!の東端の敷地であり、森の向こう側には相馬邸母屋の“表座敷”Click!が建っているはずだ。林泉園からつづく渓谷は、V字型をしていて急激に落ちこみ、安井曾太郎アトリエClick!を1948年(昭和23)に訪れた大内兵衛Click!が表現しているように、「坂は何百尺であろうか底は見えない。ただセンカンたる水音が聞こえてくるだけである」と、渓谷は木立に覆われて谷底が見通せないほどに濃い緑の風情だった。酒井邸の北隣りが、安井曾太郎邸(それ以前は岡田虎二郎邸Click!)にあたる。
岡田虎二郎は生前、下落合356番地に住んでいたことがわかり、近衛町の下落合404番地は彼の死後、大正末に家族が転居した住所であることが判明Click!した。
 もう1枚の写真は、1935年(昭和10)前後に撮影されたもので、季節は夏の盛りだろうか、樹木がかなり濃く生い茂っているのがわかる。陽が西へかなり傾いており、御留山に多かったヒグラシの声がいまにも聞こえてきそうな情景だ。林泉園からつづく谷間は樹木の枝葉で覆いつくされ、ほとんど谷地形がわからないほどの深い森に見える。1枚めの写真と同様、酒井邸母屋の南東側に建っていた別棟2階から、西を向いて同じ庭園を写しているのだが、2枚めの写真ではテラスに面した母屋の建物が改築されているのがわかる。
酒井邸1926.jpg 酒井邸1938.jpg
近衛町酒井邸1935頃.jpg
酒井邸1936.JPG
 1936年(昭和11)に撮影された空中写真で、酒井邸を空から観察すると、2枚めの写真で撮影された情景の位置関係がよくわかる。庭園に面した北側には、テラスを備えた建物の屋根が見え、敷地の南東側にはカメラの撮影ポイント、すなわち2階建ての建物が見えている。深い林泉園の谷間をはさみ、相馬邸の表座敷および玄関に面した応接室の建物がつづいている。
 御留山の財務省官舎の跡地を新宿区が買収し、「おとめ山公園」Click!を拡張するかたちで「区民ふれあいの森」計画が進捗している。この計画の一義的な目的は、災害時における緊急避難場所Click!の確保だ。落合地域の近くには、新宿区が設定する避難場所がこれまで存在しなかった。もし大震災が起きた場合、新宿区が設定した避難場所は大久保百人町にあるので、おそらく落合地域からそこまで避難するのさえ相当な危険をともなう。「区民ふれあいの森」ができることで、落合地域の大きな不安のひとつが解消されることになるのだ。
 そして、「区民ふれあいの森」のもうひとつの目的は、もちろん目白崖線から減ってしまった緑の回復と地下水脈の確保だ。酒井邸に隣接する東急マンションが建設される際、酒井様は緑の保全とともに、特に地下水脈の確保に尽力されている。林泉園からつづく谷戸が埋め立てられた敷地1,200坪へ、2006年(平成18)に低層マンション計画が具体化すると、酒井様はコンクリートで地表を覆ってしまうことにより、御留山の地下水脈が枯れ湧水源が断たれることを懸念されて、配水管を通じ雨水の浸透を促進させる「浸透槽」の設置を施工主に要求し、それを実現させている。
林泉園渓谷跡.JPG 東急マンション工事2006.jpg
区民ふれあいの森.jpg
林泉園谷戸(拡大).jpg
 今回の東日本大震災でも明らかなように、震災時の飲み水の確保は最優先の課題であり、もともと豊富な湧水源や井戸水の利用が多かった、水脈が数多く走る河岸段丘の下落合では、避難地の設定と同時に豊富な地下水脈の意識的な保全がなされるべきだろう。それが、周辺域を含めた飲み水の確保に直結するテーマだからだ。酒井様は、今回の「区民ふれあいの森」計画にも積極的に参加され、緑の保全と地下水脈の確保および増水化へ尽力されている。
 戦前の酒井邸を撮影した写真は、上掲の2枚しか残されていない。1945年(昭和20)5月25日の山手空襲Click!により、貴重なアルバムごと邸が全焼してしまったからだ。たまたま別の場所に保管されていた2枚の写真だけが、焼けずに今日まで伝わっている。でも、たった2枚の写真を見るだけでも、わたしが1970年代半ばに初めて目にした風景などとは、比べものにならないほどの豊かな自然が息づいていた下落合を垣間見ることができるのだ。
 余談だけれど、地下鉄・丸ノ内線の掘削で出た土砂によって埋め立てられた林泉園の谷戸なのだが、丸ノ内線の工事は1942年(昭和17)から開始されたことになっている。ところが、渓谷の埋め立ては1940年(昭和15)の東邦生命による住宅地造成Click!からスタートしており、地元の伝承を踏まえ、当初から丸ノ内線の土砂が用いられたとすれば、1925年(大正14)に策定された「都市計画高速度交通機関路線」計画では「第4号線」と呼ばれていた同地下鉄の掘削は、「公式」記録よりもさらに1年以上さかのぼることになる。
御留山位置指定図1940.jpg
酒井邸1944.JPG 酒井邸1947.JPG
 ただし、戦後に埋め立てられた谷戸部分が、1951年(昭和26)から本格化する丸ノ内線の土砂であり、東邦生命による旧・相馬邸敷地と近衛町Click!との間を埋める1940年(昭和15)からの埋め立て工事は、別の場所から出た土砂である可能性も否定できない。とすれば、谷戸の中央部を埋め立てできるほどの土砂を、どこから調達してきたのだろうか? 落合地域を中心とする、このブログのテーマに沿えば、大量の土砂が発生する計画としては地下鉄「西武線」Click!の工事、あるいは戸山ヶ原における陸軍施設Click!トンネル工事Click!などが思い浮かぶのだが。

◆写真上:1931年(昭和6)2月2日(火)に撮影された、酒井邸の庭と林泉園谷戸。正面に見えているのは相馬孟胤邸の東端斜面で、林のすぐ向こう側には相馬邸の“表座敷”が建っている。
◆写真中上上左は、1926年(大正15)作成の「下落合事情明細図」にみる酒井邸(下落合404番地の敷地)。上右は、1938年(昭和13)の「火保図」にみる酒井邸。は、1935年(昭和10)ごろに撮影された夏季とみられる酒井邸。は、1936年(昭和11)の空中写真にみる撮影位置と方向。
◆写真中下上左は、林泉園谷戸の埋立地に建てられた財務省(旧・大蔵省)官舎の跡地。上右は、2006年(平成18)に同じく谷戸の埋立地に建設中の東急マンション。は、「区民ふれあいの森」の計画鳥瞰図。は、冒頭写真の林泉園からつづく渓谷林の部分拡大。
◆写真下は、1940年(昭和15)に計画された東邦生命による住宅造成の「指定申請建築線図」(位置指定図)にみる酒井邸。下左は、1944年(昭和19)に撮影された空襲直前の酒井邸とその周辺。下右は、戦後の1947年(昭和22)に撮影された焼け跡の酒井邸。


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ChinchikoPapa

ピーター・ブリューゲルの『狩り』は、昔から色合いが大好きな作品です。
nice!をありがとうございました。>ryo1216さん
by ChinchikoPapa (2011-03-18 13:07) 

ChinchikoPapa

おそらく義援金の集中によるバッチ処理の負荷でしょうか、みずほ銀行のオンラインシステムが全的にダウンしているのも残念です。nice!をありがとうございました。>siroyagi2さん
by ChinchikoPapa (2011-03-18 13:13) 

ChinchikoPapa

きのうラジオを聞いていたら、久しぶりに「あさましい」という言葉を聞きました。この言葉、1974年のトイレットペーパー騒ぎのときに、母親が発した言葉なので印象に残っています。>sonicさん
by ChinchikoPapa (2011-03-18 13:21) 

ChinchikoPapa

毎朝6時前後になると、表ではウグイスが盛んに鳴いています。例年通りの春の訪れですが、この春を迎えられなかった人たちのことを考えると、ウグイスの声に胸を締めつけられますね。nice!をありがとうございました。>sigさん
by ChinchikoPapa (2011-03-18 17:36) 

ChinchikoPapa

わたしも一昨日、たまっていたポイントをすべて義援金にまわしました。つい先ほども、郵便局から寄付してきたばかりです。nice!をありがとうございました。>あんぱんち〜さん
by ChinchikoPapa (2011-03-18 17:38) 

ChinchikoPapa

オフィスの暖房を切りっぱなしにすると、さすがに手がかじかんでPC操作ができなくなりますので、点けたり消したりの繰り返しですが、それでも少しは節電になりましょうか。nice!をありがとうございました。>cjlewisさん
by ChinchikoPapa (2011-03-18 17:42) 

ChinchikoPapa

わたしの知りうる限り、原発の設計者が登場して設計構造まで踏み込んだ具体的なTV報道は、東芝の元社員の1件だけですね。もちろん、楽観的な内容ではありませんでした。nice!をありがとうございました。>da-kuraさん
by ChinchikoPapa (2011-03-18 19:54) 

ChinchikoPapa

「何かしていないと落ち着かない」というのは、ほんとうにそうですね。たまたま期末のためか、仕事が入っているのはいいのですが、それから解放されたときの時間が落ち着きません。nice!をありがとうございました。>ナカムラさん
by ChinchikoPapa (2011-03-18 19:57) 

ChinchikoPapa

東は当分このままというか、さらに負荷の高い状況が長期間つづくと思われます。経済的にがんばってカバーしてほしいのは、今度は西の地域です。nice!をありがとうございました。>gucciさん
by ChinchikoPapa (2011-03-18 23:32) 

ChinchikoPapa

紫の花々の記事、見ているとホッとします。
nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2011-03-19 01:03) 

ChinchikoPapa

歌といい踊りといい、舞台の準備はたいへんですね。
nice!をありがとうございました。>tamanossimoさん
by ChinchikoPapa (2011-03-19 11:43) 

ChinchikoPapa

義捐金がすぐにも現場で必要な時期、みずほ銀行のネットワークが脆弱なのは残念ですね。バッチ処理の集中が要因でしょうか、1時間でも早い復旧を願っています。nice!をありがとうございました。>うたぞーさん
by ChinchikoPapa (2011-03-19 15:03) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>SILENTさん
by ChinchikoPapa (2011-03-19 23:12) 

ChinchikoPapa

お見舞い、ありがとうございます。こちらは大丈夫です。昨日、新宿区が東北地方からの罹災者の受け入れを、本格的にスタートしています。nice!をありがとうございました。>今造ROWINGTEAMさん
by ChinchikoPapa (2011-03-19 23:17) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
by ChinchikoPapa (2011-03-19 23:59) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>opas10さん
by ChinchikoPapa (2011-03-20 12:34) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>Webプレス社さん
by ChinchikoPapa (2011-03-20 16:06) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>hanamuraさん
by ChinchikoPapa (2011-04-03 11:35) 

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