SSブログ

関東大震災について書きためた記事を整理。 [気になるエトセトラ]

東京駅前19230905.jpg
 これまで、関東大震災に関連した記事をさんざん書いてきた。それは、東京の大地震に関する「69年周期説」という見方が明確に否定され、関東大震災と安政大地震とはまったく別タイプの地震であることが明らかになってきた、1990年代以降の成果を踏まえて書きためてきたものだ。関東大震災は、相模湾沖のプレートのズレによって引き起こされた地震だが、安政大地震はいまだ解明されていない、江戸東京直下を走る活断層に起因するものと思われる。
 江戸東京直下の内陸地殻内地震(安政大地震)は、ポツンと単独で起きているのではなく、その前年である1854年(嘉永7・安政元年)11月4日未明の安政東海大地震(推定マグニチュード8.4)、およびその翌11月5日(32時間後)に起きた安政南海大地震(同マグニチュード8.4)、さらに翌11月6日に四国から九州沖で起きた豊予大地震(同マグニチュード7.4)が引き金になっており、それが翌年1855年(安政2)10月2日に起きた江戸直下型の安政大地震(同マグニチュード6.9)を誘発したとみられている。今回の東日本大震災と同様に、最初は海洋プレート型の巨大地震が起きたあと、内陸地殻内の活断層が次々と刺激され、茨城北部や長野北部、静岡東部などでも大きな内陸型の地震が起きたのと、ほぼ同じドミノ・プロセスを経ていると思われる。
 特に、東海大地震がいつ起きても不思議ではない「秒読み」段階に入った現在、ほとんど1日おきのきわめて短期間につづけて起きた南海大地震、および豊予大地震を前提とするなら、そろそろ安政大地震タイプの東京直下型地震を想定しても、あながちピント外れではないだろう。また、安政期の地震経過を踏まえるならば、活断層の上に位置する浜岡原発、ならびにプルサーマル計画ですでにプルトニウム燃料が装荷された四国・愛媛の伊方原発について、深刻な事態を想定してなんらかの手を打つのが、国家の初歩的な危機管理のあり方としては急務の課題だろう。
 では、まず関東大震災あるいは安政大地震についての概要を、過去記事を通じてまとめてみよう。
 ◆安政大地震
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2008-04-08
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2012-04-29
 ◆関東大震災
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2005-08-19
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2005-08-24-1
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2006-04-13
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2006-10-16
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2011-03-12
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2011-06-07
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2014-06-10
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2015-03-13
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2015-08-31
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2016-01-25
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2016-09-30
 https://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2019-06-24
 https://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2019-07-30
 https://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2019-09-01
 https://chinchiko.blog.ss-blog.jp/2020-08-30
 https://chinchiko.blog.ss-blog.jp/2020-09-02
 https://chinchiko.blog.ss-blog.jp/2021-08-31
 https://chinchiko.blog.ss-blog.jp/2023-08-31
 https://chinchiko.blog.ss-blog.jp/2024-03-10
 ◆「めずらしい関東大震災ピクトリアル」シリーズ
 https://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2018-10-24
 https://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2018-11-14
 https://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2018-11-20
 https://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2019-01-10
 https://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2019-02-21
 https://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2019-03-02
 https://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2019-03-11
 いままで何度となく書いてきたことだけれど、今回の東日本大震災で事実として表面化したことがあった。それは、強い揺れと同時に高層ビルのエレベーターがほぼすべて止まり、中に人が閉じ込められたケースが都内で200件以上にものぼったことだ。今回は、東京が被害の中心ではなかったため、エレベーターを再起動するためのメンテナンス要員がサービス会社から駆けつけ、あるいはドアをこじ開けるために消防署からのレスキュー隊が、それほど時間もかからずに現場へ到着しているようだ。それでも「来るのが遅い!」と、サービス会社のメンテナンス要員に食ってかかった高層マンションの住民のことがニュースになった。
 でも、東京が被災地の中心であれば、当然のことながら交通路が満足に機能せず、サービス要員も緊急車両も現場へいつ到着できるかはまったくわからない。これは、エレベーターの問題に限らず、高層ビルで階下から火が出た場合の消火作業も同様の課題だろう。地付きの人間の言うことをいっさい無視し、東京に高層ビルを建てるということ、また高層ビルの上階で暮らすということは、こういうことを意味するのだということを、改めて確認しておきたい。
 東日本大震災でも、津波にまつわるフォークロアや伝承をきちんと尊重した町あるいは人々が、高台に住宅街を移して助かっているのを見れば、地元の歴史や伝承、地付きの人間の言葉がいかに大切かがわかるだろう。戦後、建設会社が意図的に流布している「流言飛語」なのか、東京湾に津波は来ないなどという“神話”があるようだ。江戸の河川が津波の伝路となり、上流域にまで甚大な被害を及ぼしたのは、わずか155年ほど前の出来事だ。ましてや、埋立地が多い“オシャレ”な湾岸沿いは、地盤の脆弱性とともにたいへん危険な0メートル地域だ。そこへ、データセンターなどの重要施設や高層ビルを建てるということが、どういうことなのかを考えてみてほしい。
 幸い火災が起きなくても、エレベーターを復旧させるために作業員が派遣されてくるのは、道路が復旧する震災から何日先か、あるいは何週間先になるかわからない。エレベーター事故が、わずか200ヶ所どころでないのももちろんだが、サービス会社や消防署・警察署との連絡網はもちろん、作業員や署員の生命さえ無事かどうかわからないのだ。東京が被災現場であれば、すぐに復旧することなどありえないだろう。その間、10階20階の住民は、いちいち水や食糧を階段で運び上げざるをえず、実質的には「高層マンション難民」とならざるをえない。いや、これは個人レベルでの居住の危険性に限らない、企業にとっても一義的なリスク管理の課題だろう。それは、阪神淡路大震災の高いビルやマンションで、すでに経験済みのことではなかったか?近衛師団司令部19230905.jpg

上野不忍池19230905.jpg
 ◆高層ビル・構造物やガラス張りビルの危険性
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2004-12-02-1
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2005-04-28
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2005-06-24
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2005-07-26-1
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2006-07-31
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2008-12-02
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2010-02-05
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2012-09-20
 また、落合地域の関東大震災に関するエピソードについても、ずいぶん記事中に書いてきている。1923年(大正12)9月1日、およびその後の経緯の中で、落合地域ではなにが起き、あの人はどのようにすごしていたのだろうか? あるいは、のちにどのような物語が生まれていたのだろうか?
 ◆関東大震災をめぐる落合地域の物語
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2005-03-15
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2006-09-01
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2007-03-03
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2007-02-24
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2007-07-10
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2007-08-31
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2007-10-10
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2007-10-22
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2007-12-25
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2008-03-22
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2008-03-26
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2008-04-12
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2008-04-22
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2008-05-31
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2008-06-07
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2008-06-26
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2008-08-08
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2008-08-18
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2008-11-26
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2008-12-18
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2009-08-10
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2009-10-05
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2009-11-07
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2010-01-07
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2010-04-16
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2010-05-04
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2010-06-09
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2010-07-09
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2010-07-17
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2010-07-20
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2010-11-03
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2010-11-06
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2010-12-24
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2011-08-31
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2011-09-28
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2014-02-16
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2014-06-04
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2014-08-30
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2016-10-03
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2017-09-01
 https://chinchiko.blog.ss-blog.jp/2023-11-08
神田猿楽町19230905.jpg

日本橋本石町19230905.jpg
 さらに、東京の(城)下町ではなにが起き、どのような物語が今日まで語り継がれたのだろうか?
 ◆関東大震災をめぐる江戸東京物語
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2005-02-10-1
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2005-02-24
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2005-06-01-1
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2005-11-04
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2005-12-16
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2006-05-09
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2006-11-27
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2007-07-16
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2007-09-12
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2007-10-26
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2007-11-05
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2008-05-12
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2008-10-03
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2009-01-14
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2009-02-04
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2009-06-28
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2010-03-13
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2010-04-25
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2013-10-07
 ◆その他の地震関連
 
http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2008-09-05
 http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2011-04-17
京橋銀座19230905.jpg
 東京で暮らすということは、いやでも安政大地震と関東大震災を意識しなければならない、その高いリスクを引き受けなければならない・・・ということだ。それを忘れたのは、オリンピックを境に東京で高いビルや高速道路が建てられはじめ、震災復興計画で設置された避難公園や、防火帯あるいは火除け地として残された水路や広場など、防災用に設置された社会資本(防災インフラ)を次々と食いつぶしてきた、小林信彦が引用する言葉を借りれば「いけいけどんどん」の人たち、いざとなれば墓や実家のある故郷へ疎開すればいい(逃げ帰ればいい)と、「わが亡きあとに洪水よ来たれ」で東京生活を送っている江戸東京の恥はかき棄ての人々だ。
 疎開するところも、逃げ帰るところもない、被災地福島が故郷・地元の人たちの心情を、いま、少しでも想像し考えてみてはくれないだろうか? そして、江戸東京の街々で語られてきた伝承、それぞれの地域に伝わる地付きの人々の物語へ、もう少し謙虚に耳を傾けてみてはくれないだろうか?

◆写真上:陸軍飛行第五大隊が撮影した、1923年(大正12)9月5日の東京駅前。
◆写真中上は、同じく飛行第五大隊が9月5日に撮影した北の丸の近衛師団司令部。は、同日に飛行第五大隊が撮影した上野不忍池と壊滅した上野駅周辺の街並み。
◆写真中下は、同日に飛行第五大隊が撮影した神田猿楽町界隈。は、同じく日本橋本石町で画面左側に大破炎上した日本銀行と三越が写っている。
◆写真下:同日の飛行第五大隊の撮影による、全滅した京橋から銀座にかけての街並み。


読んだ!(27)  コメント(32)  トラックバック(91) 
共通テーマ:地域

読んだ! 27

コメント 32

ChinchikoPapa

このアルバムは手元にないですね。いま聴くと、また新鮮にも聴こえるのでしょうか。nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2011-04-29 01:23) 

hanamura

 国民皆兵というと、スイスみたいでイメージ悪いけど…兵役は韓流俳優のおかげで、イメージ良いのかなぁ…。
 いきなり飛躍しすぎましたが、せめて消火訓練、水防訓練、サバイバル訓練、などを国民の義務にしないと!
 誰かに助けてもらうことしか考えない人たち…助け合うこと、人助けの手段を学んでいない人たち…困ったものです。
 …そして、というか、あげく…っていうのかしら?
 混乱するからボランティアを、被災地が受け入れられない…そりゃそうだ!だって何の訓練も受けていない烏合の衆なのだもの…国民を烏合の衆にしたのは…!?
 ボランティアに参加したい人が大勢居るのに、もったいない話です。
by hanamura (2011-04-29 09:09) 

ChinchikoPapa

東京はどこへ行っても、新緑が美しく春の匂いがしますね。
nice!をありがとうございました。>cjlewisさん
by ChinchikoPapa (2011-04-29 12:43) 

ChinchikoPapa

江戸に視点を据えると、石川島は人足寄場と幕末の造船所ですが、わたしが子供のころはIHIの関連生産施設だったものか、古びた工場が立ち並ぶ鄙びた風景になっていました。そのイメージが佃島のほうまで拡がり、60年代の佃島は「灰色」の印象があります。石川島の排煙とポンポン蒸気の音、それが当時の界隈風情でした。nice!をありがとうございました。>cjlewisさん
by ChinchikoPapa (2011-04-29 12:53) 

ChinchikoPapa

hanamuraさん、コメントとnice!をありがとうございます。
明治期日本の「国民皆兵」と、スイスの「全民武装」(あたかも国民に武力革命の権限さえ留保するような極端な民主主義的防衛思想)とは、思想的にも歴史経緯的にもまったく異質のものですが、防災訓練は実際に必要ですね。
ただし、その昔政府自民党の中曽根政権時でしたか、防災施策にかこつけてあわよくば「報道・言論統制」、ひいては「非常時」の「思想統制」的な施策をふところにした、時代錯誤の「隣組」組織のようなものではなくw、きちんとした民主国家的な対策ないし具体的な施策が必要なんだと思います。
今回の東日本大震災でも、東電と保安院との合同記者会見が決定されたとき、報道組織(マスメディア)や報道団体に所属していないジャーナリストを排除する動きがあからさまに見えましたけれど、「記者クラブ」オンリーの一種の報道規制は、官僚にとってはまことに都合の良い世論操作の状況づくりだと思いますね。なんとか、原発の「安心」できる材料ばかりを同記者会見で質問する大手新聞の記者たち(とてもジャーナリストとも思えず目に余ります)ばかりになってしまえば、どれだけ原発が危機的な状況を迎えているかさえ事実上報道されなくなってしまいます。結局は、多くのジャーナリストからの抗議で記者排除は撤回されましたが、おそらく旧・自民党政権ならそのまま強行されていたのではないかと想像します。
ただ防災訓練や防災意識の向上以前に、やはり街中の危険性を具体的に減らしていく、防災都市としてのビジョンを提起するのが本来の筋道ではないかな・・・と思うんですよね。
by ChinchikoPapa (2011-04-29 13:22) 

ChinchikoPapa

「猫の街」と聞いて、青梅に出かけてみたくなりました。w
nice!をありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2011-04-29 13:27) 

ChinchikoPapa

落合地域でも、妙正寺川や神田川へ注ぐ分水には、いくつかの水車が作られています。いまだに、水車橋という橋名が残っていたりしますね。nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2011-04-29 13:34) 

ChinchikoPapa

東京は、「静かなパニック」を起こしてましたね。ただ、この地域が被災地の中心になった場合は、関東大震災時のさまざまな史実が物語るように大きなパニックが起きる怖れがあります。nice!をありがとうございました。>MHPGさん
by ChinchikoPapa (2011-04-29 13:48) 

ChinchikoPapa

ネコ大好きな藤田嗣治の「猫」は、何度観ても観飽きないでいいですね。nice!をありがとうございました。>ryo1216さん
by ChinchikoPapa (2011-04-29 23:27) 

銀鏡反応

こんばんは。

東日本大震災が起こって4、5日経った頃、関東大震災のことをふと「復習」しようと思い、家にあった「週刊20世紀」(講談社刊)という写真グラフ本を持ち出し、勤め先で読みつつ、若し、今回のように大津波を伴う大震災が、東北でなく、この東京のど真ん中で起こっていたら…と思うと、心の底から恐怖を覚えずにはいられませんでした。

パニックも、被害も、死者も行方不明者も、けた違いに大きくなるでしょうし、また、復興も今の東北・北関東以上の年数がかかり、活断層が刺激されて起こる「ドミノ余震」も、大きなものが頻繁に起こっていたかもしれません…。

やはり、ゼネコンをはじめ都市開発関係各位は、その土地の、地付きの人の警告なりアドヴァイスを、東京湾岸に高層ビルを建てる前に聞いておけばよかったのではないかと…。
by 銀鏡反応 (2011-04-30 00:10) 

sig

こんにちは。
震災についての記事、すでにこれだけお書きになっていたのですね。
実際、東京直下型の大震災となるとその様子や被害状況は想像を絶するだろうとは思いますが、今回の記事を読ませていただいただけでもとても具体的で分かりやすいです。
by sig (2011-04-30 11:36) 

ChinchikoPapa

銀鏡反応さん、コメントとnice!をありがとうございます。
東京都が想定する巨大地震の被害や死傷者の数は、年々少なくなってきているそうですが、危険な建物や街がどんどん増えているにもかかわらず反比例して減っているのは、前年に比べて被害や犠牲者の数が拡大していると、対策を怠ったということで担当部局や役人が叱責されるのが原因だとか。
だから、いまや関東大震災や安政大地震レベルの巨大地震が起きても、都内の犠牲者はきわめて少なく(ゼロが2つ違うと思うのですが)、少し前まで万単位だったものが、いまや数千単位にまで減少しています。案件の責任者や担当役人の異動とともに、犠牲者の数は年々限りなくゼロに近づいて、東京都による巨大地震の定義は、しまいには「きわめて安全」になってしまうんじゃないかと思われます。(爆!)
この「お役所」仕事が非常にヤバイのは、被害が少なくなるほど防災対策の予算も組織も、「すでに被害を最小限にくいとめる施策が手厚く実施されている」ということで、当然ながら削減されていく・・・という、自ら墓穴を掘っていくスパイラル状態におこたっていることですね。東京都による震災の被害想定は、東電の福島第1原発による災害想定とまったく同様、いまや楽観論が前提のなんの根拠もない「大甘」想定となってしまっています。
根拠や裏づけ、必然性がないのに、偶発的な幸運にめぐまれつづけるという楽観論に立脚し、「勝てる」と無責任な作戦を発動した、あたかも昔日の大本営のようなありさまです。きっと、都にとっては「想定外」のことが今回の東日本題震災以上に、この東京で起きるんじゃないかと思いますね。
だからというべきか、都をまったくあてにできない、頼りにならないと「気がついている」自治体は、少ない予算を割いてはせっせと防災施策へ少しずつ投入しているような状況のように見えます。
by ChinchikoPapa (2011-04-30 12:05) 

ChinchikoPapa

「困ったときの吉永さん頼み」という言い方があるのですがw、どうしてもキャンペーンや販促を成功させなければならないとき、さてキャラクターを誰にしよう?・・・と考えると、もう吉永さんへすがるしかないという最終的な意思決定回路なのだそうです。nice!をありがとうございました。>sonicさん
by ChinchikoPapa (2011-04-30 12:16) 

ChinchikoPapa

ご訪問とnice!を、ありがとうございました。>istさん
by ChinchikoPapa (2011-04-30 12:40) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>opas10さん
by ChinchikoPapa (2011-04-30 12:50) 

ChinchikoPapa

sigさん、コメントとnice!をありがとうございます。
関東大震災は、さすがにわたしの親も経験していませんので、数少ない伝承しか書けていないのが残念です。祖父などから語られつづけているエピソードや、江戸東京における「危険のサイン」は空襲による被害以上にゴマンとあるはずなのですが、祖父や親からの断片的な情報しか吹き込まれてきていませんので、切れ切れの記事しかご紹介できていないですね。
by ChinchikoPapa (2011-04-30 13:04) 

ChinchikoPapa

わたしもバックアップを兼ねて、画像データは外付けHDへ逃がしているのですが、それでも足りなくなりそうです。nice!をありがとうございました。>モルディブTシャツさん
by ChinchikoPapa (2011-04-30 13:06) 

ChinchikoPapa

連休だというのに、なんとか歩いて帰れる距離の散歩計画しか立てていません。いまだ、どこかで非常ベルが鳴りつづけています。nice!をありがとうございました。>da-kuraさん
by ChinchikoPapa (2011-04-30 17:27) 

ChinchikoPapa

「不思議惑星キンザザ」は、ずいぶん昔に観た記憶がありますが、すっかり忘れていました。確か、チェルノブイリと同じ年の映画でしたね。nice!をありがとうございました。>ぼんぼちぼちぼちさん
by ChinchikoPapa (2011-04-30 22:40) 

ChinchikoPapa

ふつうのコーラも「しずおかコーラ」も、天然カフェインが入っているという点では、飲んだあとスッキリする効果は同じかもしれませんね。nice!をありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
by ChinchikoPapa (2011-04-30 22:45) 

fumiko

2004年から今年3・11の翌日まで・・・凄い量の貴重なブログですね。
今回のブログに書いてある事柄1つ1つに同意です。
我慢の仕方も、「東北人だからできた」と感じることがたくさんありました。
東京の地震だったら、とてもあのようにはいかない、と思っています。

by fumiko (2011-04-30 23:17) 

ChinchikoPapa

fumikoさん、コメントとnice!をありがとうございます。
わたしの知り合いでも、東北の方々はほんとうに粘り強く、また地道にひとつひとつ丁寧に積み上げていくタイプの人が多いようです。まだ、大震災から間もないため、東北人のほんとうの力を発揮するのはこれから・・・というところでしょうか。最後まであきらめず、理想的なかたちでそれぞれの地域を復興していただきたいですね。
by ChinchikoPapa (2011-04-30 23:34) 

アヨアン・イゴカー

随分沢山の関東大震災に関連する記事を書いていらっしゃるのですね。
つい、目先のことに追われているような気になって、放置してしまう傾向がありますが、真剣に考えておかねばならないことですね。
後ほど、拝読いたします。
by アヨアン・イゴカー (2011-05-01 11:35) 

ChinchikoPapa

クライングジムは、ほんとに女子の人気が高いようですね。昔は、木登りは男子ばかりで女子はクールに見てましたけれど、いまや高いところに登るのは女の子のほうが得意のようです。nice!をありがとうございました。>うたぞーさん
by ChinchikoPapa (2011-05-01 17:03) 

ChinchikoPapa

ご訪問とnice!を、ありがとうございました。>siroyagi2さん
by ChinchikoPapa (2011-05-01 17:12) 

ChinchikoPapa

アヨアン・イゴカーさん、いつもコメントとnice!をありがとうございます。
わたしも、高層ビルの展望台へ出かけると、つい見晴らしがいいなぁ~・・・と気持ちがよくなってしまうのですが、その次に、いまこの瞬間に大地震が来たらどうなるかを考えると、とたんに気持ちが悪くなってきます。
東京のビルのほとんどは、関東大震災の大きな横揺れを想定した免震構造になっていますが、安政大地震タイプの強烈な縦揺れが起きた場合にはどうなるのか、まったくの未知数ですね。
by ChinchikoPapa (2011-05-01 17:20) 

ChinchikoPapa

近くに丘や山があれば、なんとか津波から逃げられますが、関東大震災のときは藤沢から平塚までの湘南海岸では、高台がすぐ近くにないため、どこまでも津波が追いかけてきたといいますね。nice!をありがとうございました。>弥生さん
by ChinchikoPapa (2011-05-01 17:48) 

ChinchikoPapa

食の美味さというのは、したじ(醤油=紫)の良し悪しで決まりますね。nice!をありがとうございました。>mayasophiaさん
by ChinchikoPapa (2011-05-01 22:58) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>ナカムラさん
by ChinchikoPapa (2011-05-02 15:56) 

ChinchikoPapa

こちらへも、nice!をありがとうございました。>つなしさん
by ChinchikoPapa (2011-05-03 20:32) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>ばんさん
by ChinchikoPapa (2011-05-04 22:41) 

ChinchikoPapa

こちらにみ、nice!をありがとうございました。>mk1spさん
by ChinchikoPapa (2011-05-15 20:41) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 91

トラックバックの受付は締め切りました