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サエキの野▲ソよりはるかにマシじゃ! [気になる下落合]

金山センセ人くん1.jpg
 「おーい、人くん、わ~しじゃ! 散歩かい?」
 「あれれ、金山センセ、大石田からおもどりでしたか?」
 「また、あんたとこの池で遊ぶんじゃ。タライClick!持ってくとこなんや」
 「あのー、金山センセ、池はもうとっくのとうに、昭和14年ごろ埋め立てちゃいましたよ」
 「・・・なっ、なんで、わしに断わりも相談もなく、勝手に埋めるんじゃ!」
 「だってだって、ボクのうちだもん!」
 「・・・そりゃ、まあ、そうじゃったな。・・・下落合の、ほかの池はどうなっとるんや?」
 「目白文化村の弁天池Click!もなくなったし、ソミヤ先生のいる諏訪谷の洗い場Click!もサエキさんの西ノ谷の洗い場Click!も、中村センセの林泉園Click!の池もないし、みーんな住宅街の下ですね」
 「ほれ、あそこに、林フミコのプールClick!があったじゃろ?」
 「あー、金山センセ、あれも戦後ほどなく、埋められちゃいました」
 「人くん! わっ、わしは、一度でいいから、泳ぎたかったんじゃ!」
 「金山センセは、絶対に入れてくれませんよ」
 「な~ぜじゃ? ど~してじゃ?」
 「だって、フルチンClick!で泳いだりしたら、学習院通いの上品なタイちゃんの教育によろ・・・」
 「フミコばばあが、断わりもなく埋め立てたんかい!?」
 「お言葉ですが、林さんは金山センセより20歳も年下です」
 「年下だろうが同学年だろうが、気に食わんことを言ったりしたりするやつは、サイトー茂吉Click!だろうが林フミコだろうが帝展の情実審査員の奴らだろうが、じじいとばばあなんじゃ!」
 「池を埋めたのは、手塚さんですってば」
 「せっかく、タライを持ってきたのに、これじゃちっとも遊べんやないか」
 「下落合の東のほうには、おとめ山公園とか野鳥の森公園の中に、まだ池がありますな」
 「ふん、アビラ村Click!からは遠いな、村長になるはずだった満谷くんのアトリエClick!のほうじゃ」
 「金山センセ、それじゃご案内しますから、いっしょに行かれます?」
 「ふん、しかたないのう。・・・しかし、・・・三ノ坂も久しぶりじゃな」
 「こうなると、金山センセのアトリエが残っているのは、ほとんど奇跡に近い風景ですな」
 「ちゃんと、きれいに使(つこ)うてくれとるのが、えろう嬉しいやないか」
 「このまま、ずっとずーっと後世まで、残ってくれるといいんですがね」
 「・・・あん? ・・・人くんの、アトリエはどこじゃ?」
 「あのー、金山センセ、こちらを向いて、東を向いて歩きましょうよ」
 「・・・人くん! 池だけじゃなくて、アトリエも埋め立てたんか?」
 「そ、それがですね、ちょっといろいろありましてね・・・」
 「ふん、淀橋区は、なにをしとるんじゃ!」
 「新宿区なんですが、金山センセ、まあまあ、いろいろ事情があったんですってば」
 「じゃあ、人くん、キミはいま、どこで描いとるんや?」
 「あのー、月並みなんですが、満谷センセの近くのカフェ杏奴Click!で・・・」
 「なに、カフェ杏奴? あの、フォーブで長距離バッターのサエキClick!がおるとこか?」
 「おや、ご存じだったんですか。最近は、中村センセClick!ソミヤさんClick!も滞在されてますよ」
 「ふ~ん、画会の同人にしては、みんな画風や表現がバラバラでメチャクチャやないか」
 「画会じゃなくて、下落合の野球チームでも作れそうですがねえ」
 「よし、審判Click!ならわしがやってやる。さっそく、そこへ行こやないか!」
金山センセ人くん2.jpg 金山センセ人くん3.jpg
 「・・・あのー」
 「なんじゃ、人くん?」
 「杏奴には、ボクを含めて、もう画家が4人も滞在してまして、ママさんがなんというか・・・」
 「人くん、わしを仲間外れにするつもりかい!?」
 「いえいえ、金山センセ、決してそのような意味ではないのですが、そのー・・・」
 「なんじゃ、はっきり言うてみい!」
 「・・・あのー、決して、ママさんの前でフルチンとかには、ならないでくださいね」
 「なんじゃ、そんなことかいな。人くん、ぜったい大丈夫じゃ」
 「それから、ママさんが気に入ったからって、仕事の邪魔して通せんぼClick!とかもなしですよ」
 「わかっとるわい! わしももう歳じゃ。・・・そら、もうそこや。・・・杏奴が見えてきとる」
 「それに、あたりかまわず、すぐに踊りまくるのも、やめてくだ・・・」
 「人くん、くどいぞ! わしなら、もうとうから、年相応に落ち着いとる、大丈夫じゃ」
 「じゃあ、まあ、入りましょうか」
  (♪チリンチリン)  
 「わ~しじゃ、金山じゃ!・・・」
 (▼※×◇▽▲☆Д★◆(・・;) _旦~~・・・!!)
 「おう、あんたが、ママさんか。やっぱり、わしがきたから大歓迎やな!」
 「あのー、金山センセ、カウンターの前で通せんぼなさらないでください!・・・っていってますが」
 「ママさん、チロリアンダンス好きかい?」
 (☆×▲И◎◆△※(T_T)!)
 「やっぱり、わしの思った通りじゃ。今度、らくClick!と踊るパラパラダンスアニメじゃのうて、手縫いのチロリアンドレスをプレゼントするからな、期待して待ってなさい!」
 「あのー、店の中でだけは、踊らないでくださいね!・・・って、ママさんは頼んでるんですがね」
 (※▼◇◎×※×△★▽☆▲↑ш◆¶(+o+)(--〆)・・・!!)
 「そうそう、ママさん、わしはちいと、うな重にはうるさいんや。よろしゅうにな」
 「あのー、金山センセ、お願いですから、芸術院会員が、そこらの窓からオシッコClick!をまき散らさないでくださいね! それに、店の窓は開きませんし、ここはうなぎ屋でもありませんですのよ!・・・って、ママさんは悲壮な表情で念を押してるんですがね」
 「なにをいうとるんじゃ! サエキの野グソClick!や、劉生の雲虎Click!よりはマシじゃ!」
 「劉生ゆーな! 金山くん!」
 「ほう、ほかにも劉生ぎらいの中村くんに、ソミヤくんもおるやないか。下落合の東っかわばかり仲よう集まって、西側のわしらにひと声かけんちゅうのが、そもそもけしからんのじゃ!」
 金山センセ人くん4.jpg
 「元気かい、大正5年の文展特選以来だな。田中館博士Click!で憶えてるよ。はっはっは」
 「久しぶりじゃ、カルピス中村くん! ところで、なんじゃ、中村屋のなんてったかいな、娘モデルのなにがしかにじゃ、たいそうなふられ方したんやて?」
 「だから、中村屋ゆーな!」
 「シーーーッ、ダメだよ、金山さん。ツネさんは、まだぜんぜん立ち直れちゃいないんだからさ」
 「ふん、ソミヤくんも、ヘンな男のお守りはたいへんやな」
 「最近は、いまのカルピスが大正時代と味がちがうてんで、よけいにご立腹なんだな」
 「・・・なんじゃな、みんな、ヘンな連中ばっかじゃ」
 「あのー、タライを持って杏奴にくる金山センセが、いちばんヘンだと思いますけど・・・」
 「人くん、黙らっしゃい!」
 「あのな~、わしな~、最近の下落合はキレイすぎるさかいな~、そこらでババしとないねん」
 「よお~、1番バッターClick!のサエキくんやないか、久しぶりじゃ!」
 「あのな~、金山センセな、去年、わしのアトリエで会(お)うてますやん」
 「人くんが、どうしっっても、わしを杏奴へ連れていきたいいうもんやから、こうしてきたんじゃ!」
 「ママさん、ボク、いってない。ぜーったい、いってないよ、いってない」
 「サエキくん、どや、いまもぎょうさん、ヒット打っとんのかい?」
 「それでんがな、金山センセ。わしの名前な~、野グソ検索でな~、ようヒットしますねんて」
 「そうか、サエキくんもかい。近ごろのわしなんか、オシッコやフルチンでヒットしとるそうじゃ」
 「そら~、えらいこっちゃ。ほんま、けったいな時代になりましてん」
 「もともと、身からでたサビとはいえ、実にけしからん! 困ったもんじゃ」
 「あのな~、吉薗資料よりな~、よっぽど深刻ですわ」
 「・・・あっ、そや! いま思いだした、パン屋の娘の名は、確か俊子じゃ」
 「だからだから、俊子ゆーな!!」
 「・・・さ~て、ここはひとつ、どや? みんなで花笠音頭でも踊って、気晴らしせんか!?」
 (И◎◆△☆▲↑ш◎◎▽§◇××(/_;)・・・!)
 「そうじゃ、ママさんにも教えてやらんとな。らくには内緒で、わしと踊るんじゃ!」
 「あ、あのな~、金山センセな~、ママさんはな~、ここは画家の下宿でも、東京美術学校でも、盆踊り会場でも、ダンスホールでも、ましてやアトリエでもトイレでもありません! どこか、別のところでしてきてくださいませんこと!?・・・ゆうたはりますがな」
 「・・・アトリエも誰かが住んどるし、江戸前Click!のうなぎ屋も近くにないし、・・・じゃ、じゃあ、いったいわしは、どこで暮らして、どこで踊ってオシッコすればいいんじゃ!?」
 「金山センセ、これがほんとの、タライまわしってやつですかー」
 「人くん、黙らっしゃい!」
 ・・・ということで、旧・下落合の西側(現・中井2丁目)=アビラ村(芸術村)Click!からカフェ杏奴Click!に、「金山センセ」と「人くん」がやってきた。^^;
金山センセ人くん5.jpg 金山センセ人くん6.jpg
金山センセ人くん7.jpg
 「金山センセ」は着流しの上にTシャツを着て、背中には『瓜二つ』Click!(1933年ごろ)と、胸には1925年(大正14)の春に下落合へアトリエを建てたときの転居通知がプリントされている。転居通知Click!は、相変わらず「東京府豊多摩郡落合町大字下落合字小上一〇八〇(アヴィラ二十四号)」となっていて、下落合2080番地の住所が1000番もまちがったままだ。「人くん」は背広の上にTシャツを着て、表には上屋敷(あがりやしき)の斎田捷三邸の庭先で描いた、『初秋の庭』Click!(1929年ごろ)の習作がプリントされている。
 5人そろった記念写真は、美術史の研究家がご覧になったら泣いて喜ぶ、信じられない面子ばかりがそろっているのだけれど、地元・下落合でもさまざまなエピソードを残している代表的な画家たちばかりだ。このままだと、杏奴が画家たちに占領されてしまうので、「中村センセ」と「ソミヤくん」とがとりあえず、今年予定されている中村彝アトリエClick!の保存・再生=「中村彝アトリエ記念館」Click!の様子を見に、杏奴から引き上げることになった。
 いつも下落合の画家人形を作っていただき、ほんとにありがとうございます。>作者様<(__)>

◆写真:下落合のアビラ村からカフェ杏奴へやってきた、大の仲よしの「金山センセ」と「人くん」。


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コメント 33

tree2

今日の投稿は、ほんま、力作中の力作やなぁ。
by tree2 (2012-05-23 11:58) 

ChinchikoPapa

ずいぶん前から、関東大震災時に焼けた待乳山=前方後円墳を調査した、鳥居龍蔵の報告書を探しているのですが、どこに仕舞われてしまったものか見つからないですね。nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2012-05-23 16:46) 

ChinchikoPapa

「海の島のナウシカ」は、とてもストイックだったのですね。
nice!をありがとうございました。>nikiさん
by ChinchikoPapa (2012-05-23 16:50) 

ChinchikoPapa

tree2さん、コメントとnice!をありがとうございます。
なんやら、ご遺族の方々からぎょうさん文句がきそうですわ。いまから、首洗(あろ)うて待ってますのんや。えらいこっちゃ。^^;;
by ChinchikoPapa (2012-05-23 16:53) 

ChinchikoPapa

1970年代後半のブラクストンは、Creative Orchestra作品を何点か残していた記憶があります。nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2012-05-23 17:17) 

ChinchikoPapa

最近は「バベルの塔」といいますと、昨年制作されたドキュメンタリー映画をすぐに思いだします。nice!をありがとうございました。>マチャさん
by ChinchikoPapa (2012-05-23 17:31) 

ChinchikoPapa

藤沢市役所から平塚市役所まで、ルートにもよりますが20km弱ぐらいでしょうか。お疲れさまでした。nice!をありがとうございました。>siroyagi2さん
by ChinchikoPapa (2012-05-23 17:39) 

ChinchikoPapa

「出雲」は、古文献では「伊都母」と書かれていますので、古来から「イツモ」が正しいんでしょうね。いまでも、出雲大社は地元で「いつもたいしゃ」と発音されています。「八雲(やくも)」神社が、場所によっては「やぐも」神社と濁るのと同じ転訛のような気がします。nice!をありがとうございました。>dendenmushiさん
by ChinchikoPapa (2012-05-23 17:53) 

ChinchikoPapa

この記事には関係ないかもしれない、洋画家の金山平三と刑部人も、花をモチーフにした静物画をずいぶん描いています。nice!をありがとうございました。>ミッシェルさん
by ChinchikoPapa (2012-05-23 19:30) 

ChinchikoPapa

先日、銀座・資生堂と日本橋・千疋屋で、いま作られているパフェの味くらべをしてきたのですが(相変わらずオバカなことをしてますが)、まったくお互いが異なる味わいのコンセプトで甲乙つけ難かったです。神田・万惣が閉店してしまいましたので、次は新宿・高野の味をみてやろうかと・・・。w nice!をありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2012-05-23 20:58) 

ChinchikoPapa

旧・東海道の松並木の風情が、隣りの神奈川県のものとよく似ていますね。nice!をありがとうございました。>yamさん
by ChinchikoPapa (2012-05-23 22:25) 

ChinchikoPapa

地域によってストッキングの色の好みが微妙に異なるのは、とても面白い現象ですね。nice!をありがとうございました。>SILENTさん
by ChinchikoPapa (2012-05-23 22:39) 

ChinchikoPapa

ラピスラズリと水晶の数珠でしょうか。法事から湧き出た感性でしょうか。
nice!をありがとうございました。>charlie_さん
by ChinchikoPapa (2012-05-24 00:31) 

ChinchikoPapa

ご訪問とnice!を、ありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
by ChinchikoPapa (2012-05-24 15:45) 

ChinchikoPapa

詠われているのは褪色した昔のカラー写真かと思ったのですが、ドライフラワーだったんですね。ちょっと「満開と棘」で、別のことを想像してしまいました。^^; nice!をありがとうございました。>ぼんぼちぼちぼちさん
by ChinchikoPapa (2012-05-24 15:50) 

sig

こんにちは。
対話があまりにリアルで、ほんとにあつたことかと思いました。笑
by sig (2012-05-24 16:30) 

ChinchikoPapa

sigさん、コメントとnice!をありがとうございます。
なんだか、こういうオバカを書いてますと、頭の中でどこまでが史実で、どこまでがフィクションなんだか、自分でもちょっと混乱してきそうです。(爆!)
by ChinchikoPapa (2012-05-24 20:32) 

ChinchikoPapa

そうでした、金環日食の観察には溶接マスクといういいものがありましたね。先週の関東地方は、沖縄よりも暑かったようです。nice!をありがとうございました。>ねねさん(今造ROWINGTEAMさん)
by ChinchikoPapa (2012-05-24 20:35) 

ChinchikoPapa

日本の飼いネコの数が、予想以上に低く感じました。周りじゅうネコだらけなのですが、「外」で飼われているネコはきっとカウントされていないのかもしれませんね。nice!をありがとうございました。>Lobyさん
by ChinchikoPapa (2012-05-24 22:20) 

ChinchikoPapa

ほんとうに。w いまにも踊りだしそうな、絶妙な手先をしてますね。
nice!をありがとうございました。>ponpocoponさん
by ChinchikoPapa (2012-05-24 23:02) 

ChinchikoPapa

すごく豪華な「御殿」を、室町期の山城跡に建ててしまったわけですね。でも、なぜ発掘調査をしないまま「再現」してしまうのでしょう。nice!をありがとうございました。>ねじまき鳥さん
by ChinchikoPapa (2012-05-24 23:18) 

ChinchikoPapa

わたしが生まれたころの年表ですが、どの出来事も実際には残念ながら憶えていないですね。nice!をありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
by ChinchikoPapa (2012-05-24 23:22) 

ChinchikoPapa

ご訪問とnice!を、ありがとうございました。>Mackさん
by ChinchikoPapa (2012-05-24 23:56) 

Marigreen

源平時代が好きで、くだらないと思いつつNHKの大河ドラマ「平清盛」を見ていますが、この中に源氏の嫡男の持つという「ともぎり」という刀が出てきます。先の記事では鎌倉以降の刀剣史は書かれていましたが、保元の乱とか、平治の乱とかの源氏、平氏の刀剣はどんな鍛冶屋の手によるものでしょうか?(ともぎりのことだけでも知りたいです。)
by Marigreen (2012-05-25 17:05) 

ChinchikoPapa

Marigreenさん、こちらにもコメントをありがとうございます。
「友切」は刀(かたな:打ち刀)ではなく太刀(たち)で、源氏の「髭切(ひげきり)」ないしは「鬼切(おにきり)」のことです。筑前に住む唐国の鉄細工師が造ったということになってますが、中国の刀工に日本刀が制作できるわけはなく、現在では古備前の國綱・作だと鑑定されてます。当時は、「唐物」がなんでも高級なように思われていたんでしょうね。
当初は、髭を剃るほど鋭利な斬れ味だったことから「髭切」と呼ばれ、相模の源頼光(金太郎)が所有していたとき「鬼退治」に使われたので「鬼切」と呼ばれるようになり・・・と、虚実不明の伝説がまとわりついている太刀です。のちに、源頼朝から新田義貞に伝わり・・・と、このあたりも後追いでこしらえた付会や物語臭がするのですが、「髭切」=「友切」は現在まで伝えられ重要文化財に指定されています。
京都の北野天満宮に収蔵されていますので、お近くですから今度旅行をされたら覗いてみるのも面白いかもしれません。
by ChinchikoPapa (2012-05-25 19:14) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>opas10さん
by ChinchikoPapa (2012-05-26 19:29) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>sonicさん
by ChinchikoPapa (2012-05-26 19:37) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>江藤漢斉さん
by ChinchikoPapa (2012-05-27 11:50) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>月夜のうずのしゅげさん
by ChinchikoPapa (2012-05-28 10:27) 

ナカムラ

大阪の佐伯祐三展にいったら佐伯アトリエについて「下落合(現在の中落合)にアトリエをたてる」という略年譜がありました。その場で学芸員に訂正を求めましたが・・・調べないのでしょうかね。
by ナカムラ (2012-05-29 13:20) 

ChinchikoPapa

ナカムラさん、こちらにもコメントをありがとうございます。
佐伯が山田新一に宛てた、1920年(大正9)の暮れに渡仏しようかアトリエを建てようか迷っている重要なハガキは、現在、三重県立美術館に収蔵されて公開されるのを待っています。もう少し、美術館同士で情報交換がされると、「大正9年にアトリエ建設」とか「大正10年の早い時期にアトリエを建設」とかの記述が訂正されるんですけどね。ちなみに、下落合の佐伯祐三記念館の略年譜では、大正10年のいちばん先頭に書かれたままなのですが・・・。(爆!) 図録では、同年の最後になってます。^^;
このハガキや、曾宮一念の証言にもありますように、佐伯のアトリエ建設は1921年(大正10)の夏以降のことだと思います。
by ChinchikoPapa (2012-05-29 17:18) 

ChinchikoPapa

シャンパーニュ騎士団の「ダム・オフィエシエ」受勲、おめでとうございます。こちらでも、ひそかに乾杯(シャンパンではないですが)させていただきます。^^ nice!をありがとうございました。>fumikoさん
by ChinchikoPapa (2012-05-29 19:24) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>タッチおじさん
by ChinchikoPapa (2012-05-31 21:21) 

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