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「ぶつた斬つて見ろ」と潮五郎はいった。 [気になるエトセトラ]

陸士演習1940頃.jpg
 1941年(昭和16)10月、近衛文麿Click!が首相を辞任し東條英機Click!が跡を継ぐと、この国は日本史上でもかつてない犠牲の惨禍と、「亡国」の危機をともなう破局の結末へ向け、まっしぐらに突き進んでいくことになる。それを警告した人々の声は「主義者」や「アカ」「非国民」「国賊」、そして治安維持法違反と国家反逆罪などの名目で、ほとんどすべて圧殺された。
 日米開戦の直前、1941年(昭和16)11月に「反軍思想」をもつとされた作家や文学関係者たちを標的に陸軍宣伝班が結成され、いわゆる民主主義者や自由主義者、元左翼シンパ、元社会民主主義者、リベラリスト、「進歩」主義者の別なく、戦争を取材するための「宣伝部隊」として最前線に送りこまれている。軍の徴用令書を拒否すると、一般の裁判とは異なる軍事裁判によって苛烈な刑罰が科せられたので、作家たちは拒むことができなかった。この時期にかかわらず、なかば見せしめのように集められた作家には、高見順をはじめ武田鱗太郎、井伏鱒二、秋永芳郎、海音寺潮五郎、伊地知進、大宅壮一、石坂洋次郎、清水幾太郎、中島健蔵、小栗虫太郎、中村地平、阿部知二、今日出海、小田嶽夫らの顔があった。少しでも、国家総動員体制に異を唱えるような表現をした書き手は、容赦なく前線へ送られるしくみが確立していた。
 2012年に出版された桐野夏生『ナニカアル』(新潮社)には、戦地に送られた林芙美子Click!佐多稲子Click!の姿が描かれているが、彼女たちは常に憲兵隊から送りこまれた“マネージャー兼スパイ”のような男たちから監視されている。特に、林を監視したひょうきんさを装う憲兵の描写は秀逸で、桐野作品に登場する人物の中でも強烈な存在感を放っている。監視者は、彼女たちが厭戦的な言質や自由主義的な言葉を口にする、つまり本音としての“ボロ”を出すのを待ちかまえ、気がゆるんだところを「反軍思想」で収監し恫喝しようとするのだが、それを熟知している彼女たちはなかなかシッポを出さない。男の作家たちは、ソフィスティケートされた女性作家の監視環境とは異なり、むき出しの恫喝を繰り返す軍人が班長として監視役に就いていた。
 宣伝班丁班に属していた井伏鱒二らは、1941年(昭和16)11月21日に東京から汽車で大阪に向かい、翌日の朝には大阪城内にあった中部軍司令部に出頭している。丁班の班長は、栗田朝一郎という中佐だった。作家たちは、さっそく兵舎に入れられ栗田からの恫喝を受けている。そのときの様子を、2011年に出版された川西政明『新・日本文壇史』第6巻から引用してみよう。
  
 兵舎に入れられ、点呼を受けると、栗田班長は「儂(わし)は、お前たちの指揮官である。今からお前たちの生命は、儂が預かつた。ぐづぐづ云ふ者は、ぶつた斬るぞ」と言った。この喚き声を聞いて、みんなの間に、動揺の気配がおこった。その時、海音寺が「ぶつた斬つて見ろ」と言った。この一瞬の気合は海音寺の勝ちであった。/栗田班長は「お前たちのなかには、反軍思想の者が、うようよ居る。怖ろしくて手もつけられん。儂は輸送船のなかでは、必要以外のときは絶対に甲板に出んやうにする。うつかりすると、海に突き落とされるかもしれん」と言って話をおえた。
  
高見順.jpg 海音寺潮五郎.jpg
中部軍司令部(大阪).jpg
 この栗田の言葉には、実際に輸送船の上から行方不明になった軍人が過去に存在していること、自身の意志に反して無理やり徴用された者たちと、それを統率し命令を強いる軍人との間には、別に「反軍思想」をもった作家たちとの関係に限らず、きわめてシリアスな命がけの緊張関係が常に存在していたことを示唆している。実際に、栗田は輸送船が目的地に入港するまで、「東方遥拝」の時間を除いては甲板上には姿を見せなかった。この栗田の姿を、のちに井伏鱒二は『遥拝隊長』の狂った岡崎悠一の姿に重ね合わせて描いている。
 井伏鱒二も、当の軍人たちの言葉を『徴用中のこと』として記録に残している。この言葉は、1942年(昭和17)の1月にペナン島を訪問した際、第25軍参謀長の鈴木宗作中将の訓示を記録したものだ。これは、栗田班長より鈴木参謀長へ反抗的な作家たちの様子が、密告書「大阪結集以来、徴員に関する行状」として、微にいり細にいり逐一報告されていたからだ。2005年に中央公論社から出版された、井伏鱒二『徴用中のこと』(中公文庫版)から抜粋引用してみよう。
  
 お前らの中には、反軍思想の者が居る。反軍思想の者は内地へ追い返さなければならん。国賊は、軍に御奉公させて置くわけにはいかん。(中略) 反軍思想の者は、今に自己の身に不幸が訪れることを、覚悟して置かなくてはならん。このような者は、早く自己の非を悟って、改悛の道に入るようにしなくてはならん。お前らの中に、反軍思想の者が居ることはわかって居る。改悛の道に入るのは今だ。
  
 密告書には、「ぶつた斬つて見ろ」と栗田に反抗した海音寺の言葉や、甲板で海に向かって「大自然はこんなに美しいのに、どうして人間は馬鹿な戦争をするんだ」と叫んだ中村地平など、作家たちの言動がこと細かに報告されていた。また、鈴木参謀長は自身の言質に、主体設定の錯誤があることさえ気づいていない。作家たちは、友人も混じり凶作農家など貧困家庭の子弟が多い人間集団=徴兵軍に対しての反「軍」なのではなく、統治者であり政策決定の主体である政府そのものに対しての、反「戦」であることにさえ気づかない思考レベルなのだ。
 「国」や「日本」という言葉でくくられる、流動的で刹那的でさえあるその時代の政府(政治)と、そこに住む国民あるいは個々別々の人間(の想いや思想)とを安易に一体化し、ひとつの「主体」として怠惰に設定するところに、政策に組しない人々を徹底して排除・圧殺しようとするファシズム的全体主義が芽生えることを、作家たちの冷静なまなざしは熟知している。だが、「亡国」思想の権化となり果てた大日本帝国による暴力装置(昨今、このワードを現役の政治学ないし社会学用語だと知らない政治屋さえいる)によって、その場は沈黙する以外になかった。
 軍当局と徴用された作家との緊張関係は、軍に関する「秘密漏えい」のテーマでも常に軋轢を生んでいる。兵士たちの言動を忠実に描こうとする作家と、戦場での事実をできるだけ隠そうとする軍当局との相剋だ。火野葦平は、『麦と兵隊』などの作品群で膨大な記述に関する検閲・削除を経験し、陸軍が秘密として「制限」する表現をほぼ7つのテーマに大別した。つまり、軍当局が示した秘密の内実、裏返せばウソや粉飾がどのように形成されるのかを考察している。軍当局が、ひいては国家が秘密にしたがった7つの課題を、川西政明の前掲書から引用してみよう。
日本郵船龍田丸.jpg 大阪商船畿内丸.jpg
ペナン島の夕暮れ.jpg
  
(1) 日本軍が負けているところは書いてはいけない。理由は、皇軍は忠勇義烈、勇敢無比であって、けっして負けたり退却はしないからである。
(2) 戦争の暗黒面は書いてはいけない。理由は、戦争は殺人を基調におこなわれる人間最大の罪悪であり、悲劇であるから、これには強盗、強姦、掠奪、放火、傷害その他あらゆる犯罪がつきまとう。それをありのまま書けば、皇軍の実態が暴露される。
(3) 戦っている敵は憎々しくいやらしく書かねばならない。理由は、味方はすべて立派で、敵はすべて鬼畜でなければならなかったからである。
(4) 作戦の全貌を書くことは許されない。理由は、機密に属するからである。
(5) 部隊の編成と部隊名は書かせない。たとえば第七連隊第三大隊第二中隊は、〇〇連隊××大隊△△中隊という具合に表記しなければならない。
(6) 軍人の人間としての表現を許さない。分隊長以下の兵隊はいくらか性格描写ができるが、小隊長以上は、全部、人格高潔、沈着勇敢に書かねばならない。戦場における人間描写には制約があった。
(7) 女のことは書かせない。戦争と性欲、兵隊と現地人との接触はかなり深いものがあったが、それに触れることはタブーだった。
  
 1938年(昭和13)1月に上海と南京を取材した石川達三は、戦場の事実をそのまま『生きている兵隊』に描いて発禁処分を受け、「虚構の事実を恰も事実の如くに空想して執筆したのは安寧秩序を紊(みだ)すもの」として、東京刑事地方裁判所検事局に検挙され、新聞紙法違反容疑で起訴された。同年8月に開かれた第1回公判の法廷で、石川達三は次のように陳述している。史的にも、今日的にも非常に重要な陳述だと思われるので、その主要部分を全文引用してみよう。
  
 新聞テサヘモ都合ノ良イ事件ハ書キ真実ヲ報道シテ居ナイノテ国民カ暢気ナ気分テ居ル事カ自分ハ不満タ。/国民ハ出征兵ヲ神様ノ様ニ思ヒ我軍カ占領シタ土地ニハ忽チニシテ楽土カ建設サレ支那民衆モ之ニ協力シテ居ルカ如ク考ヘテ居ルカ戦争トハ左様ナ長閑ナモノテハ無ク戦争ト謂フモノノ真実ヲ国民ニ知ラセル事カ真ニ非常時ヲ認識セシメル此ノ時局ニ対シテ確乎タル態度ヲ採ラシムル為ニ本当ニ必要タト信シテ居リマス (1938年8月31日)
  
 これに対し、裁判所は「皇軍兵士ノ非戦闘員ノ殺戮、掠奪、軍規弛緩ノ状況ヲ記述シタル安寧秩序ヲ紊乱スル事項ヲ編輯掲載シ」たとして、禁固4か月(執行猶予3年)の有罪判決を下している。明らかに言論封殺の判決だが、石川達三の作品を検事局の起訴状どおり「事実の如くに空想して執筆」した、すなわち書かれていることは絵空事の内容とはせず、事実であるのを前提に「軍規弛緩ノ状況」としたところが、裁判官の軍に対するぎりぎりの抵抗だったのかもしれない。
火野葦平.jpg 石川達三.jpg
 まったく戦場の状況や事実を知らされないまま、石川達三の陳述どおり、国民は軍隊にひきずりまわされるように「皇軍の勝利」に酔いしれ、理性的かつ論理的な眼差しで状況を見きわめることができなくなり、あるいは危険だと警告を発する者たちの圧殺を繰り返しながら、大日本帝国は破滅と「亡国」へ向けて歩みを速めていった。「真実ヲ国民ニ知ラセル事カ真ニ非常時ヲ認識セシメル此ノ時局ニ対シテ確乎タル態度ヲ採ラシムル為ニ本当ニ必要タト信シテ居リマス」。
 余談だけれど、作家たちと同時期に東南アジアへ徴用された画家には藤田嗣治Click!鶴田吾郎Click!川端龍子Click!中村研一Click!、福田豊四郎、清水登之Click!、松添健の7名がいた。

◆写真上:1940年(昭和15)ごろの陸士演習Click!で、九二式重機関銃を運ぶ兵士たち。
◆写真中上は、リベラルで「進歩的」な言論から徴用で前線に送られた高見順()と海音寺潮五郎()。は、大阪城内にある旧・中部軍司令部の建物。
◆写真中下上左は、1942年(昭和17)に米潜水艦から撮影された日本郵船の捕虜交換船「龍田丸」。下落合の目白福音教会Click!宣教師だったメーヤー夫妻Click!が、聖母病院Click!での監禁生活のあと帰国したのも同船だった。上右は、1943年(昭和18)に米潜水艦から写された撃沈直前の大阪商船「畿内丸」。は、陸軍宣伝班“丁班”の派遣先のひとつでペナン島の夕暮れ。
◆写真下:ともに中国戦線の戦場を描いた、火野葦平()と石川達三()。前者は軍当局から徹底した検閲削除を受け、後者は出版直前に全文削除=発禁処分を受けている。


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コメント 43

玉井一匡

 海音寺は、こういうことを言うひとだったんですね。
 いまさらこんなことをいうのは恥ずかしいかぎりですが、戦争に駆り出された文士や画家たちの多くが軍の手先になったように思っていましたが、彼らの発言や表現によってそれぞれにギリギリのところで戦っていたことを、それぞれきちんと読み解く必要があるんだと、認識を改めました。
by 玉井一匡 (2014-01-20 07:51) 

ChinchikoPapa

玉井さん、コメントをありがとうございます。
作家たちに比べ、画家たちはいともたやすく軍当局のいいなりになっているケースが多いのが残念なのですが、作家たちがギリギリまで抵抗しえたのは、鉛筆と紙さえあれば仕事ができるという創作環境のちがいが大きいのではないかと想像しています。
紙や鉛筆は、別に当局から支給されなくてもなんとか手に入れることができたでしょうが、画家の場合は絵具やキャンバスの配給を止められたら即座に死活問題になりますので、抵抗したくてもできなかった事例が多いのではないかと思います。
ただし、長谷川春子から“戦争画”を描けと迫られ、「どうしても描けない」と断りつづけた三岸節子のような事例もありますね。画家たちの会合で、長谷川は三岸節子を「非国民!」とののしりますが、戦後、三岸は女流画家協会の設立時に長谷川春子を訪ねて、同協会への参加を再三うながしているのを見るにつけ、画家の「感性と思想と器(性格)」のテーマも、案外大きい気がしています。
by ChinchikoPapa (2014-01-20 13:58) 

ChinchikoPapa

ヨーロッパの建築を見るたびに、地震を想定した設計制約がないのをうらやましく感じますね。nice!をありがとうございました。>ryo1216さん
by ChinchikoPapa (2014-01-20 14:19) 

ChinchikoPapa

昔はカミソリを使っていましたが、ここ20年ほどは電気シェーバーです。いちいちクリームを塗らず、鏡にも向かう必要がないので無精なわたしはカミソリにはもどれそうもないです。w nice!をありがとうございました。>うたぞーさん
by ChinchikoPapa (2014-01-20 14:21) 

ChinchikoPapa

あるテーマを執拗に追いかけることをやめたら、ジャーナリズムは「死」に瀕すると思います。nice!をありがとうございました。>いっぷくさん
by ChinchikoPapa (2014-01-20 14:37) 

ChinchikoPapa

わたしも雪がダメで、ウィンタースポーツは全滅です。
nice!をありがとうございました。>bee-15さん
by ChinchikoPapa (2014-01-20 14:39) 

ChinchikoPapa

そういえば江戸の富籤のことを、追いかけて調べたことがありました。
nice!をありがとうございました。>hanamuraさん
by ChinchikoPapa (2014-01-20 14:43) 

ChinchikoPapa

今度、大磯へ「帰り」ましたら、ぜひ清酒「大磯左義長」を購入したいです。nice!をありがとうございました。>SILENTさん
by ChinchikoPapa (2014-01-20 14:49) 

ChinchikoPapa

昔から、ニコン製品は高かったので縁が薄かったんですが、いまニコン製を使ってみて、その頑強なつくりや耐久性には感心します。nice!をありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2014-01-20 14:54) 

ChinchikoPapa

姓名判断は、なかなか廃れないですね。
nice!をありがとうございました。>やってみよう♪さん
by ChinchikoPapa (2014-01-20 14:56) 

ChinchikoPapa

発売と同時に手に入れて聴いた、同時代のギル・アルバムです。
nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2014-01-20 14:58) 

ChinchikoPapa

わたしも、競輪競馬の楽しさがよくわからないクチです。
nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2014-01-20 15:04) 

ChinchikoPapa

練習不足だと、マラソンはつらいかもしれませんね。あと20日ですが、体調に気をつけて。nice!をありがとうございました。>イデケンさん(今造ROWINGTEAMさん)
by ChinchikoPapa (2014-01-20 15:06) 

ChinchikoPapa

淡くて微妙なカラーリングのライトも、落ち着いていいですね。
nice!をありがとうございました。>teftefさん
by ChinchikoPapa (2014-01-20 15:10) 

ChinchikoPapa

また今年の正月も、日の出を観そこなってしまいました。
nice!をありがとうございました。>さらまわしさん
by ChinchikoPapa (2014-01-20 15:11) 

ChinchikoPapa

ドアを開けるときに焦っている方も見かけますが、中央線で山梨の裏丹沢へ出かけると、降りたあと閉めるボタンを探している方もいます。w nice!をありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
by ChinchikoPapa (2014-01-20 22:05) 

hanamura

50年前のオリンピックの頃生まれた私です。祖父は母の若いころに亡くなっていたので、一番記憶に残る戦争の話は、シベリア抑留から帰還できた近所の方の話です。氏子が集まって、神社の掃除をしていましたが、その方の箒を持つ手の指は、ほとんど有りませんでした。
by hanamura (2014-01-20 22:41) 

ChinchikoPapa

hanamuraさん、コメントをありがとうございます。
わたしの知人の父上が、やはりシベリアへ抑留されたのですが、運がいいことに数年で帰還できたそうです。長い方は、冬を10回以上も現地で迎えているわけで、防寒の不備から凍傷による手足の損傷がひどかったようですね。
by ChinchikoPapa (2014-01-20 23:09) 

アヨアン・イゴカー

>国家が秘密にしたがった7つの課題
このまま放置しておくと、特定秘密保護法を決めた人々にから、同様の物が特定秘密の指定を頂戴しそうですね。
刑法、商法、民法などに規定されたような、本質に違法な悪事を犯した人間と、戦争しているが故に悪辣で低級だと信じさせられて憎む交戦国の人間。常に後者は政治的人為的な敵、情報操作による敵でしかありません。
by アヨアン・イゴカー (2014-01-21 00:00) 

ChinchikoPapa

ちょっと面白そうな映画ですね。
nice!をありがとうございました。>げいなうさん
by ChinchikoPapa (2014-01-21 00:28) 

ChinchikoPapa

アヨアン・イゴカーさん、コメントとnice!をありがとうございます。
そのような軍の機密や国家の秘密まみれの大日本帝国で作られた、戦前・戦中の標語やスローガン類を集めた興味深い本が、昨年の夏に出版されています。近々、ぜひご紹介したいと思っています。
いかに矛盾に満ちて一貫性のない、刹那的かつご都合主義的でバクチのような政治だったかが、ひとつの標語やスローガンを見るだけではなかなかわかりませんが、年代を追いながら順番に見ていくと透けて見えてきますね。
by ChinchikoPapa (2014-01-21 00:45) 

ChinchikoPapa

ご訪問とnice!を、ありがとうございました。>seiさん
by ChinchikoPapa (2014-01-21 00:48) 

ChinchikoPapa

ときどきSo-net事務局から、メールで送られてくる「ブログレポート」ですが、純粋に各記事へのPVの多寡ではなく「フレンドリー」とか「マメ度」とか、意味のよくわからないランク付けがなされています。これらは記事の掲載数や更新頻度ばかりでなく、「nice!」を集めた数や、押しに出向いた数で決められているようにも見えますね。でも毎日、数百ものサイトを訪問して記事を読めるかというと、わたしの日常生活ではとても不可能で、せいぜい20~30サイトの購読が限界ですね。nice!をありがとうございました。>dendenmushiさん
by ChinchikoPapa (2014-01-21 12:00) 

ChinchikoPapa

80~90年代には、けっこういろいろなパロディ映画が上映されましたけれど、最近は少なくなりましたね。nice!をありがとうございました。>makimakiさん
by ChinchikoPapa (2014-01-21 12:15) 

sig

ハリウッドの赤狩りとオーバーラップしますが、言論統制下の日本はその比ではありませんね。その中で骨のある作家たちが身体を張って主張していたことも圧殺されてしまった。まさに日本の悲劇ですね。
by sig (2014-01-21 21:14) 

ChinchikoPapa

何度も撮影に訪れる場所は、さすがに新たな撮影ポイントやアングル、被写体自体にも困ってきますね。nice!をありがとうございました。>(。・_・。)2kさん
by ChinchikoPapa (2014-01-21 23:00) 

ChinchikoPapa

勝率5%は、さすがにきびしいですね。
nice!をありがとうございました。>あんぱんち〜さん
by ChinchikoPapa (2014-01-21 23:03) 

ChinchikoPapa

子どものころは、よく予定していたようにはうまくコトが運ばず、いつも思いがけない結果になっていたような気がします。nice!をありがとうございました。>tamanossimoさん
by ChinchikoPapa (2014-01-21 23:07) 

ChinchikoPapa

喫茶店は、コーヒーの風味ばかりでなく器がいいと印象に残って、また行きたくなるものですね。nice!をありがとうございました。>ぼんぼちぼちぼちさん
by ChinchikoPapa (2014-01-21 23:08) 

ChinchikoPapa

重ねて、ご訪問とnice!をありがとうございました。>さらまわしさん
by ChinchikoPapa (2014-01-21 23:10) 

ChinchikoPapa

sigさん、コメントとnice!をありがとうございます。
ここに登場した作家たちは、それでも獄舎につながれたり、拷問死しなかったという意味では、まだ「幸運」だったのかもしれませんね。また、徴兵されて最前線へ送られた人々もいましたので、士官待遇の彼らはまだかなり「マシ」だったほうではないでしょうか。
画家も、「戦争画」を拒んだ画家には配給が止まり、代わりに赤紙がとどくケースもありましたので、軍当局は画道具配給の停止のみならず、赤紙で徴兵するのが報復だったんでしょうね。
by ChinchikoPapa (2014-01-21 23:22) 

ChinchikoPapa

何度もご訪問いただき、ありがとうございます。>さらまわしさん
by ChinchikoPapa (2014-01-22 15:59) 

Marigreen

私が塾の教師をしている時、数学が全然できない子がいて、他の子には入試問題をやらせていたが、その子だけ、教科書の例題をやらせていた。解いて自分で答え合わせをさせ、例題の答えと自分の答えが合わないと、その子は「先生、この教科書間違っとる」と私に言いにくる。その発想の転換に驚いた。私は子供の頃、国、親、教師、社会というものを絶対だと信じていたから。ちっぽけな一国民が、巨大なものを疑う姿勢が必要だと感じた。
by Marigreen (2014-01-22 17:59) 

ChinchikoPapa

「派遣法改正」は、あからさまな勤労者のプール化=産業予備軍化への規定ですね。nice!をありがとうございました。>siroyagi2さん
by ChinchikoPapa (2014-01-22 18:25) 

ChinchikoPapa

Marigreenさん、コメントをありがとうございます。
大なり小なり国家によって規定される「教科書」は、まず最初に疑うべき存在ですね。そこで「常識」とされていることが、その後の科学の発達や新たな発見により、すでに「非常識」になっているにもかかわらず、現政府には都合が悪いので訂正しない…という事例は、世界中に見られる現象ですね。少しでも疑問を感じたら、多角的に調べて“ウラ取り”をするという姿勢を、子どもたちには身につけさせたいです。
by ChinchikoPapa (2014-01-22 18:47) 

ChinchikoPapa

ご訪問とnice!を、ありがとうございました。>noveさん
by ChinchikoPapa (2014-01-22 23:56) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>suzuran6さん
by ChinchikoPapa (2014-01-25 10:10) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>opas10さん
by ChinchikoPapa (2014-01-28 23:07) 

古田宙

「ペン部隊」と称されていた従軍作家連中をオーガナイズしたのはボス菊池寛だったそうです。林芙美子も漢口上陸作戦に同行したり、派手な活動をしてて。戦後は気まずい思いをしたのではないでしょうか。
プロパガンダといえばナチスドイツを連想いたします。日本軍もかなり影響されたようです。ナチに協力していた映画監督リーフェンシュタールなんかは、結局亡くなるまで周りから嫌われていたようです。
by 古田宙 (2014-02-01 13:02) 

ChinchikoPapa

古田さん、コメントをありがとうございます。
陸軍が目をつけたのが、文壇で求心力の強かった菊池寛と井伏鱒二の存在だったようですね。その周辺で、積極的に陸軍へ協力する作家たちと、以前に逮捕歴あるいは拘引歴のある作家たちを集めたようですが、後者の井伏鱒二の宣伝班ケースは、日米戦争がはじまってからの前線取材で、明らかに見せしめないしは報復的な効果をねらっていたように思います。
リーフェンシュタールの「民族の祭典」は観たことがありますが、長くて退屈な印象でしたね。
by ChinchikoPapa (2014-02-10 23:21) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>sonicさん
by ChinchikoPapa (2014-02-10 23:21) 

横山 哲也

「ぶった斬って見ろ」潮五郎はいった を興味深く読ませていただきました。
お断りなくfacebookで紹介してしまいました。ご紹介する場合も許諾をとらなくてはならないでしょうか? お決めになっているルールをお教えください。947
by 横山 哲也 (2018-07-05 13:13) 

ChinchikoPapa

横山哲也さん、ごていねいにコメントをありがとうございます。
facebookはわたしも参加しているので、ご自由にシェアしていただいてけっこうです。あらかじめお断りを入れていただきたいケースは、他のWebサイトやTV番組、書籍などへ無断で引用する場合です。
本文には書きませんでしたが、海音寺潮五郎は剣術の達人でしたので、軍刀を即座に奪われて「ぶった斬」られたのは、くだんの栗田班長のほうだったかもしれないですね。

by ChinchikoPapa (2018-07-05 16:37) 

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