『蝶と貝殻』の面白さと美しさ。 [気になるエトセトラ]
先ごろ、上鷺宮の三岸アトリエClick!が文化庁の登録有形文化財に指定された。同アトリエの保存へ向けた取り組みにとっては、とても大きな一歩だと思う。わたしはさっそく、「ミギシくん」Click!を連れてお祝いに出かけたのだが、もうひとつ、山本愛子様Click!のお手もとにある三岸好太郎『蝶と貝殻』No.52(1934年)を拝見したかったからだ。
三岸好太郎Click!は、1934年(昭和9)3月に外山卯三郎Click!の協力をえて、筆彩素描集『蝶と貝殻』をわずか100部限定で出版している。同年7月1日に名古屋で急死する、4ヶ月ほど前のことだ。第0001番から第0100番の通しナンバーがふられた同画集は、三岸好太郎自身により1冊1冊へおもにグアッシュ(不透明水彩)で彩色がなされている。つまり、同じものがふたつとない、100冊すべてが異なる色彩やタッチで表現されているというめずらしい作品だ。
全国各地の美術館には、それぞれ異なるナンバーの『蝶と貝殻』が収蔵されていて、たとえば北海道立三岸好太郎美術館には『蝶と貝殻』No.65が、茨城県近代美術館には同No.78が、京都国立近代美術館には同No.16、(財)大川美術館には同No.51、宇都宮美術館には同No.97、そして三岸アトリエにはNo.52が残っている。真っ赤な表紙には、「LE PAPILLON ET LA COQUILLE PAR K.MIGUICI」と蝶や蛾、貝殻の線画とともにフランス語で印刷され、同様の中表紙は一転して銀色の用紙が使われている。もともと表紙は、紙ではなく金属板の装丁を予定していたらしいのだが、経費の問題でそれがかなわず、かわりに銀色の中表紙を挿入したらしい。
1934年(昭和9)の春、筆彩素描集『蝶と貝殻』が制作される前後の様子を、1992年(平成4)に求龍堂から出版された、匠秀夫『三岸好太郎』から引用してみよう。
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蝶や貝殻はシュールレアリストの作品の小道具としてしばしば見られるものであり、デ・キリコやイーヴ・タンギーからのヒントもあったと思われる。前年秋頃から、旅中よく貝殻を持参して眺めたり、博物図鑑の蝶の絵を見ることが多かったという。三月号「美術」のアンケート「展覧会予報」に、「三岸好太郎氏-今年はなるべく小品でかひがらとてふてふばかりを主題としてリアリステックな絵のやうで御座居ます。裸婦とかひがら、裸婦とてふてふ、雲の上のてふてふ、こんなやうなモティーフのやうで御座居ます」、とあり、この号は二月二〇日に印刷製本、三月一日の発行であるから、二月には構想ができていたものであろう。
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各美術館に収蔵されている『蝶と貝殻』を比較してみると、同じモチーフであるにもかかわらず、まったく色合いや筆のタッチが異なっているのがわかる。つまり、それぞれが同じ画集なのに、受ける印象がまったく別々の味わいなのだ。100冊すべてが今日まで、無事に残存しているのかどうかは知らないが、そこには100通りの表現や色彩があり、100通りの詩もしくは物語があり、観るものに100通りの印象あるいはイメージを与える、とても手のこんだ仕掛けになっている。
北海道三岸好太郎美術館で2003年(平成15)に開催された、「生誕100年記念 三岸好太郎展」の図録には、各地の美術館に収蔵されている『蝶と貝殻』5種が比較掲載されている。それを観ると、ピンクとブルーを基調色としたもの(No.65)、オレンジとブルーを基調にしたもの(No.16、No.78、No.97)、レッドまたはパープルとブルーを基調にしたもの(No.51)と、実に多様多彩だ。ナンバーが下がるにしたがって、筆運びも手馴れていったものだろうか、宇都宮美術館のNo.97の表現は流麗で、迷いのないある種のスピード感というか、安定した“ドライブ感”のようなものさえ感じる。
山本様の手もとにあるNo.52は、残念ながら画集の本体ページ部分が散逸してほとんど残されてはいないが、表紙や中扉、外山卯三郎の巻頭文、表4などが、三岸好太郎の長女・陽子様Click!の手で額装され、たいせつに保存されている。
同画集の巻頭に記された、外山卯三郎「『蝶と貝殻』に就いて」を引用してみよう。
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「蝶と貝殻」――それは決して標本室の棚に、塵埃をあびて置き忘れられてゐる昆虫箱でもなければ、また海岸に打ち上げられたそれでもない。/いま三岸君はその海辺の夢をまどろむ貝殻を捕へて、その中から豪華な蝶の貴婦人を飛ばせ、またうららかな花を慕ふ蝶を捕へては、ロマンテイクな貝殻の卵を生ませようとする。/この芸術的な魔術こそ、私のここに紹介する「蝶と貝殻」であるにかわらない。/三岸君の絵に見る素描力と、瀟洒な特色は恐らく多くの人を喜ばせるものだらう。/私達はさうしたことの外に、彼三岸好太郎の芸術家としての態度、つまり「蝶と貝殻」をどう云ふ絵画的な角度から把握するかと云ふことである。/恐らく彼の恵まれた芸術的な才能は、標本箱に秘められた貝殻に、莎茫と拡る青海原を夢み、波頭を砕ひて遊ぶドルフインを偲ぶことだらう。/また粛然と砂丘に睡る廃墟のやうな角貝の中に、麗人を思はせる蝶を休ませ、妖女豊(ママ:妖艶)な舞姫の姿態を持ち蛾を飛び出させる腕を持つてゐることだらう。/この芸術的な角度こそは、私達が画家三岸好太郎に期待してやまないものである。/言はゞ本集は、さうした三岸君の一つの夢の詩集であるかも知れない。/ただかれはそのポエジイを文字で語らないで、ただ素描に力によつて描き出した。ポエジイ・プラスライクであるに外ならない。/私の「蝶と貝殻」に題する言葉もまた。(ママ)この三岸君の芸術を標本針にさし止めないことを願つて置く。
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当時、外山卯三郎は頻繁に三岸アトリエを訪れ、また三岸好太郎も家族連れで外山邸Click!と里見勝蔵Click!アトリエを訪ねていたようだ。外山は、三岸の『蝶と貝殻』を“絵画詩”と位置づけて高く評価をしているが、「絵画的な角度」あるいは「芸術的な角度」と「角度」というワードを用いて、同作を目にする人々の美術的な視線を気づかっているようにもみえる。それは同画集が出た月、つまり1934年(昭和9)3月20日から4月12日まで、東京府美術館において第4回独立美術協会展が開催される予定であり、外山は同展へ出品される三岸作品の様子を、同画集も含めておよそ把握していたからだろう。
毎年、展覧会のたびに制作表現がクルクルと変わる三岸作品に、多くの画家仲間からは表現が変貌する「必然性」が感じられないと、さんざんな酷評があびせられていた。展評で別府貫一郎が、「これでは三岸君の真面目を疑ひたくなるではないか」と書いたとおり、同展に出品された『のんびり貝』Click!や『海洋を渡る蝶』、『海と射光』などは、前年(1933年)の第3回独立美術協会展の出品作である『オーケストラ』や『新交響楽団』、『乳首』などとは、似ても似つかない作品だった。外山は、三岸の表現をリリカルな「ポエジイ(詩情)」というワードでくくり、過去に制作された作品を意識しつつ、表現の急激な変化に1本の経糸を通そうとしたものだろうか。実際、同年の「アトリエ」5月号に、三岸好太郎は『蝶ト貝殻(視覚詩)』という詩篇を寄せている。
でも、三岸好太郎自身は、そんなことになどまったく頓着せず、ただ毎年気に入ったモチーフで描きたいものを描いているだけ、描いて美しいと思える制作手法を採用しているだけ、さらに、それが短い人生の中で螺旋状(弁証法的)に創作が進化をつづけていくことなのだ……と、平然と考えていただけなのかもしれないのだが。
さて、三岸好太郎の死後、1934年(昭和9)10月に三岸節子Click!の手で竣工した、山脇巌設計によるバウハウス風の三岸アトリエなのだが、同行したミギシくんはさっそく螺旋階段を上ったり下りたりしてご満悦の様子だった。「美しいものを創作してなにが悪い。それがオレの仕事であり、時代に眼を見開いた美術家としての必然性にちがいないのだ」と、そんな声がどこからか聞こえてきそうだ。確かに、『蝶と貝殻』はさまざまな詩情や物語を発散して、いつまでも観あきずに美しい。
◆写真上:三岸アトリエに保存されている、三岸好太郎『蝶と貝殻』の第0052番。
◆写真中上:上左は、額装された『蝶と貝殻』の表紙・中表紙。上右は、外山卯三郎の序文。下は、同画集の裏表紙(左)と外山の「『蝶と貝殻』に就いて」(右)。
◆写真中下:上は、『蝶と貝殻』の中扉(左)と三岸好太郎のサイン(右)。下は、1932年(昭和7)に撮影された西武線の鷺ノ宮駅。
◆写真下:お気に入りの螺旋階段を上り下りして、疲れちゃったのかアトリエのソファに座ってくつろぐミギシくん。三岸好太郎が夢をこめた待望のアトリエだが、その死から3ヶ月後に竣工しているので、実際に彼が螺旋階段を上下することはかなわなかった。
ジョン・チカイは懐かしい名前です。ブタさんで46分のフリー演奏というのは、すさまじいですね。nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2014-06-07 10:54)
ご訪問とnice!を、ありがとうございました。>げいなうさん
by ChinchikoPapa (2014-06-07 10:55)
先週は、アジサイより先にヒマワリが咲いているのに驚きました。
nice!をありがとうございました。>ryo1216さん
by ChinchikoPapa (2014-06-07 10:57)
新潟というと冬に出かける機会が多かったせいか、景色をゆっくり眺めるというより、とにかく日本海から吹きつける風で体温を急速に奪われていく印象のほうが強いです。その土地へいつ訪れるのか……というのは、非常に大きなテーマですね。nice!をありがとうございました。>dendenmushiさん
by ChinchikoPapa (2014-06-07 11:04)
親父が日曜劇場(TBS)と『桃太郎侍』のどちらを観るかで、迷っていたのを思い出します。nice!をありがとうございました。>いっぷくさん
by ChinchikoPapa (2014-06-07 11:14)
ご訪問とnice!を、ありがとうございました。>やってみよう♪さん
by ChinchikoPapa (2014-06-07 11:18)
東福寺というと、軒のはね上がった大きな山門を思い出します。
nice!をありがとうございました。>opas10さん
by ChinchikoPapa (2014-06-07 11:28)
「猫認識」は、膨大なアルゴリズムの集積体なのでしょうね。個々のマシンの演算スピードが高速化し、ネットワークの高速化とともにグリッドコンピューティングが当たり前になった今日、この種の学習機能は爆発的に増加していきそうです。数年前、スパコンの研究予算について議論があり、そのときに時代遅れのスパコンは航空機時代の「戦艦大和」とコメント欄に書いた憶えがありますけれど、こういうことなんですよね。一部に不具合が起きても、すぐに別のマシンを充当できるグリッドコンピューティングは、すでにスパコンを大きく凌駕しています。nice!をありがとうございました。>SILENTさん
by ChinchikoPapa (2014-06-07 11:44)
宝泉寺と淀橋界隈は、フォークロアの宝庫ですね。おそらく採集すると、分厚い本が1冊できるのではないかと思います。nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2014-06-07 11:51)
フグを食べる習慣や機会はあまりないのですが、しかし下関はぷっくりふくれたフグだらけですね。w nice!をありがとうございました。>hanamuraさん
by ChinchikoPapa (2014-06-07 11:55)
来週はジャケットにネクタイ必須のレストランに出かけるのですが、ちょっと構えてしまいます。nice!をありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
by ChinchikoPapa (2014-06-07 11:59)
しばらく、初夏の光をレンズにとらえることはできなさそうです。
nice!をありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2014-06-07 19:50)
しばらくは、美しい夕焼け空とはお別れですね。
nice!をありがとうございました。>さらまわしさん
by ChinchikoPapa (2014-06-07 20:04)
枯野を麓にした、八ヶ岳の肌合いや色がいいですね。
nice!をありがとうございました。>sonicさん
by ChinchikoPapa (2014-06-07 20:16)
湧水で冷やす飲み物は美味しそうですね、ラムネでしょうか。
nice!をありがとうございました。>yamさん
by ChinchikoPapa (2014-06-07 20:23)
ご訪問とnice!を、ありがとうございました。>Ujiki.oOさん
by ChinchikoPapa (2014-06-07 20:28)
小さく折りたためてバッグに入る、3つ折りの傘を手に入れたのですが、濡れたまま持ち歩くときのかたちが、通常の傘に比べ不便で困っています。nice!をありがとうございました。>うたぞーさん
by ChinchikoPapa (2014-06-07 20:37)
『グランド・ブダペスト・ホテル』は、観てみたい映画です。
nice!をありがとうございました。>makimakiさん
by ChinchikoPapa (2014-06-08 21:07)
きょうは、東京の河川がみんな早瀬でしたね。渦(サイ)の淵もいくつか見られました。nice!をありがとうございました。>さらまわしさん
by ChinchikoPapa (2014-06-08 21:10)
いつも、ご訪問とnice!をありがとうございます。>ネオ・アッキーさん
by ChinchikoPapa (2014-06-08 21:14)
このごろは事務職でも、かなり内部の中心的な役割を果たしているスタッフが、派遣社員だと聞いて驚くことがありますね。nice!をありがとうございました。>siroyagi2さん
by ChinchikoPapa (2014-06-08 21:22)
花巻の宮沢賢治記念館でしたか、賢治の行動マップというのを見たことがあります。宇宙的な想像力による作品を編みだしたわりには、旅の範囲が東日本のみに限られていたのが印象的でした。nice!をありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
by ChinchikoPapa (2014-06-08 23:55)
シュライナーですから、クラリネットを“分解”していくんですね。w nice!をありがとうございました。>きたろうさん
by ChinchikoPapa (2014-06-09 13:39)
エアコンのドライを入れたり、少し厚着をしたりと体感温度の微妙な季節です。nice!をありがとうございました。>さらまわしさん
by ChinchikoPapa (2014-06-09 16:18)
灯台のライトは冠かと思ったら、たいまつのほうなのですね。メンテナンスがたいへんそうです。nice!をありがとうございました。>nikiさん
by ChinchikoPapa (2014-06-09 16:24)
うちのネコは、何度かお手をさせようとすると咬みつきました。
nice!をありがとうございました。>mahimahiさん
by ChinchikoPapa (2014-06-09 20:04)
さよなら・今日はで存在感のある俳優林隆三さんが亡くなりました。ご冥福をお祈りします。
by てっちゃん (2014-06-10 13:05)
てっちゃんさん、コメントをありがとうございます。
同ドラマの林隆三というと、ピアノを弾きながら「♪俺のアンコはタバコが好きで~」と、『プカプカ』を唄っているシーンが強く印象に残っています。70年代の演劇界ではずいぶん唄われた歌らしく、林隆三は演技ではなく「地」で気持ちよさそうに歌ってますね。
by ChinchikoPapa (2014-06-10 16:17)
少し前の記事まで、nice!をありがとうございました。>fumikoさん
by ChinchikoPapa (2014-06-15 16:29)