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媒体広告にみる「近衛町」開発の推移。(下) [気になる下落合]

近衛新町林泉園.JPG
 さて、話は前後するけれど、近衛町の販売Click!がスタートしてから約2ヶ月後、1922年(大正11)6月17日に東京土地住宅は、今度は近衛町の北西に位置する林泉園Click!を中心とした、「近衛新町」の販売を大々的に発表している。
 それに先がけ、同社は5月18日に組織の大規模な変更を発表し、営業部隊と会計課を社外(本社向かいの京橋区南紺屋町24番地 皆川ビルディング5階)に移して、本社(京橋区銀座2丁目1番地)内へ新たに拡張した工務部を設置している。そして、同年5月18日の東京朝日新聞へ組織の改編を伝える告知広告を出稿した。
 この時期、東京土地住宅が工務部の拡張に注力したのは、先の「未契約地」記事Click!でも書いたように「宅地として、ちゃんと整備されてないじゃないか!」というような、顧客からクレームを考慮しての施策のような気がしてならない。箱根土地Click!目白文化村Click!で実施していたように、土地を購入した翌日から工務店を入れて、住宅建設がすぐにもスタートできるような販売手法をめざしたのではないだろうか。
 そして、新たに拡張した工務部によるサポート体制を背景として、同年6月17日の新聞紙上に発表されたのが「近衛新町」の販売だった。1922年(大正11)6月17日付けの東京朝日新聞に掲載された、同社の告知広告を引用してみよう。
  
 目白の高級住宅地
 弊社が目白近衛町運営の発表以来日々頻々として之が照会に接し其数無慮三千の多きに達しましたが果して五月七日売出当日は度外の希望者の為抽籤を以て割り当てるの余儀なきに至りました 弊社は之を甚だ遺憾に思ひ此度新に近衛町隣地七千坪の更地に加工を施し近衛新町と名つけ抽籤洩れの方並に希望者に広く提供する事に致しました
 近衛新町の真価
 凡そ何人もが住宅地を求めるに際しての理想を挙げますれば左の条項につきると思ひます/第一 処女地である事即ち他人に荒されない純潔な土地である事/第二 日当のよい高台である事/第三 周囲の気品よく閑静な事/第四 交通機関が完全で往還に便利な事/第五 教育機関に近く子弟の教養に便利な事/第六 空気水質のよい事/第七 価格の低廉な事/此等の条件を備へた土地に道路、下水、水道、電気、瓦斯、倶楽部等の文化的設備があれば真の理想的住宅地と称する事が出来ます、(中略)/こうした事実に対する深い研究と周到な用意とを以つて新に出来た近衛新町は自然に多く恵まれた土地に文化的加工を施し真に理想的住宅地として竣工されました 此処に本社は自信を以つて近衛町抽籤洩れの方並に一般希望者へ此土地を御すゝめする事が出来るのであります
  
 近衛町の分譲では、実に3,000件の問い合わせがあり、「度外の希望者の為抽選」になったことになっている。確かに、一部の好条件で人気のある区画では、応募者の間で実際に抽選が行われたのだろう。でも、売り出し敷地のすべてが抽選になったとはどこにも書いてないし、人気のない「未契約地」が残り、改めて再度の地割りや整地、道路の設置などを含む追加開発が必要になりそうなことなど、オクビにも出してはいない。
東京土地住宅広告19220518.jpg
近衛町44号1.JPG
林泉園(昭和初期).jpg
 近衛新町の広告では「更地に加工を施し」たこと、つまり整地や住宅敷地の区画割り作業が済み、いつでもその上に住宅が建てられる状況になっている点をアピールし、まるで目白文化村の広告コピーを写してきたように、「道路、下水、水道、電気、瓦斯、倶楽部等の文化的設備」が強調されているのがわかる。特に、住民の共有施設として「倶楽部等の文化的設備」を提供するなどは、目白文化村の宅地販売プロモーションをそのまま拝借、踏襲したように思えてならない。
 これは、当初の近衛町販売では見られないアピールポイントであり、「更地に加工」や「文化的加工」をせず現状(森林)のままでも、すなわちイニシャルコストをかけずに「黙ってても売れる」と踏んでいた近衛町で、「未契約地」が8区画も発生してしまったことに対する「深い研究」と反省なのだろう。近衛町の売り出しでは、直近の目白駅から徒歩3分であることと、土地を購入しておけば将来的な値上がりはまちがいないという、土地投機熱を煽るような訴求表現が見られた。
 近衛町以上にコストをかけ、工務部を拡張して注力した近衛新町の開発なのだが、わずか1ヶ月半後には「分譲中止」の告知広告を出している。これは、近衛新町の敷地を丸ごと、松永安左衛門の東邦電力が買い占めてしまったからだ。同年7月29日に東京朝日新聞に掲載された、東京土地住宅の分譲中止広告から引用してみよう。
  ▼
 近衛新町/分譲中止に就て
 近衛新町御購求漏れの方、及び一般御希望の向に提供すべく工事中の近衛新町は、此度東邦電力株式会社が社員優遇の一法として社宅貸与及び拾五ヶ年賦にて譲渡する計画の下に同町を引受けらるゝことに決定致候為一般の分売を中止仕候間左様御諒知被下度候/尚ほ、現今住宅難は依然として緩和せられず、諸会社銀行員諸氏の之が為に生活の脅威を感ぜらるゝこと深甚なる折柄、社宅の貸与、年賦制度の企画は誠に時宜に適したる挙と存じ候/社員諸氏の住宅難を一掃し、生活の安定を与へることは、社会問題解決の有力なる鍵鑑の一たるは勿論、社と社員との美はしき融合、結束を実現し、社運の永遠なる隆昌に、社風の賑起に、能率の増進に、其他効果計り知るべからざるもの有之と存候間、何卒一刻も早く此種計画後実行被下度適当の敷地は何時にても弊社に於て提供可仕候
  
 もってまわった妙な候文とともに、ここでおかしなことに気づくのは、わたしだけではないだろう。近衛町の「抽籤洩れ」の人たちなどを優先して、あるいは人気の高い近衛町の追加開発事業として、一般向けに販売を開始した近衛新町のはずなのだが、分譲開始からかなりの時間が経過しているにもかかわらず、近衛新町の全土地を東邦電力が買い占めることができている点だ。換言すれば、分譲開始から1ヶ月半の間、土地の契約者はひとりも存在しなかった、いや東京土地住宅は問い合わせをしてきた土地の希望者と、あえて販売契約を結ぼうとはしなかった(近衛町と同様に「抽籤」あるいは「工事中」とでも対応していたのだろうか?)……ということになってしまう。
東京土地住宅広告19220617.jpg
東京逓信局地図1925.jpg
東京土地住宅広告19220729.jpg
 うがった見方をすれば、東京土地住宅と東邦電力との間では、かなり早くから土地購入の話が進んでいたにもかかわらず、三宅勘一Click!と「電力王」と呼ばれたやり手の松永安左衛門との間で価格交渉がうまくいかず、東京土地住宅側がシビレを切らして販売開始の広告を出稿(一種のポーズとして)することで、東邦電力側への提示値圧力と最終的な意思決定を迫ったのではないだろうか? この1ヶ月半という時間は、東京土地住宅が本気になって近衛町の「抽籤洩れ」や一般の顧客に向けて販売活動を行っていたわけではなく、東邦電力との間で販売価格に関する最後の駆け引き、分譲地価をめぐるギリギリのせめぎ合いの期間ではなかったか……とも思えてしまうのだ。
 だとすれば、東京土地住宅は華族などの大規模な土地を「開放」して購入しやすい宅地に分譲し、一般人へ広く販売するという住宅供給の事業目的から外れ、あたかも福利厚生の社会貢献をするようなもってまわった広告文とは裏腹に、まるで下落合や目白の人気を背景に地価をできるだけ釣り上げて土地を転売する、ブローカーまがいの事業もしていたことになる。それは、この時期における同社の金融機関における信用低下と、急速な経営悪化を考慮すれば、非常にリアリティが感じられる現象といえるだろう。
 さて、近衛新町を丸ごと購入した東邦電力の「電力王」松永安左衛門について、1932年(昭和7)に出版された『落合町誌』(落合町誌刊行会)から引用してみよう。
  
 松永安左衛門 下落合三六七
 落合村は今の落合町に比したならば真に隔世の感があらう、その発展は時勢のしからしむるものとは言へ、氏等の意識的な献替がどれ程多く費されたかといふことを考へさせずに居ない、真に本町文化組織の第一人者にして其の存在は尊くも亦大きゐ氏は長崎県人先代安左衛門氏の長男にして明治八年十二月を以て生れ同二十六年家督を相続し前名亀之助を改め襲名す 同三十一年慶應義塾高等科を卒業し夙に実業界に入り現時左記諸会社の重役にして現代実力界の重鎮である、嘗て福岡市より衆議院議員に当選国政に参与す。東邦電力株式会社長……(以下略)
  
 近衛新町の分譲中止と、東邦電力が同町を買い占めた広告の左側では、青山の中山侯爵邸や五反田の池田侯爵邸などの分譲計画を告知しているが、東京土地住宅の経営悪化は止まらず、1925年(大正14)には倒産してしまう。近衛町の開発を引き継いだのは、目白文化村の販売が好調だった、当時、下落合の第一文化村に本社があった箱根土地だった。
林泉園1926.jpg
箱根土地広告19251101.jpg
近衛町44号2.JPG
 その後、箱根土地による近衛町の分譲売り出し広告が、新聞紙上へ次々と登場してくることになるが、1925年(大正14)11月1日の広告もそのひとつだ。「目白駅より約三丁/省線電車より見る事を得」とあるので、これは以前にご紹介した目白中学校Click!跡地Click!分譲と思われる広告Click!(1925年11月13日)とは別の物件だ。山手線から見えると書かれているので、追加開発が必要となった、のちにライト風の佐野邸Click!や武尾邸などが建設される、近衛町44号の斜面分譲地のことではないだろうか? つまり、近衛町の「未契約地」のうち、東京土地住宅の追加開発計画も箱根土地がそのまま引き継ぎ、改めて同社ならではの宅地造成を施して販売している可能性が高い。

◆写真上:近衛新町にある湧水源の谷戸(左手)=林泉園の北側に通う、桜並木がつづいていた道筋。途中の右手には、中村彝Click!アトリエClick!がある。
◆写真中上は、近衛町分譲のスタート直後に東京土地住宅の組織変更を伝える1922年(大正11)5月18日付け東京朝日新聞の広告。は、近衛町44号敷地に通う「S」字急坂の現状。は、堀尾慶治様Click!が保存されている1935年(昭和10)ごろの林泉園写真。
◆写真中下は、1922年(大正11)6月17日の東京朝日新聞に掲載された近衛新町の分譲広告。は、1925年(大正14)に作成された「東京逓信局地図」にみる近衛新町。は、1922年(大正11)7月29日に発行された東京朝日新聞掲載の分譲中止広告。
◆写真下は、1926年(大正15)作成の「下落合事情明細図」にみる松永安左衛門邸。は、1925年(大正14)11月1日の東京朝日新聞に掲載された箱根土地による近衛町分譲広告。近衛町は東京土地住宅の倒産後、箱根土地が開発を引き継いで分譲している。は、近衛町44号の「S」字急坂から眺めた山手線・埼京線・新宿湘南ラインの線路。


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ChinchikoPapa

たいがい、ゴジラ映画と2本立てで上映されていましたけど、わたしは当時から青大将のほうが面白くてファンでした。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>いっぷくさん
by ChinchikoPapa (2015-06-02 10:23) 

ChinchikoPapa

人によって、「帰ってきた」と感じる建築の異なるのが面白いですね。わたしは、土橋に建つ静岡新聞・静岡放送ビルのかなり手前にある、八ッ山橋と八ッ山鉄橋です。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>simousayama-unamiさん
by ChinchikoPapa (2015-06-02 10:33) 

ChinchikoPapa

先日、タカノの惣菜で甘エビとホタテ、グリーンアスパラのクリームドレッシングあえを食べたのですが、美味でした。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2015-06-02 10:37) 

ChinchikoPapa

C.ヘイデンのこのアルバムは、CDのみならずLPも残しています。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2015-06-02 10:39) 

ChinchikoPapa

ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございました。>やってみよう♪さん
by ChinchikoPapa (2015-06-02 10:40) 

ChinchikoPapa

先夜の地震、二宮が震度5強だと報道されていましたが、大磯は大丈夫だったでしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>SILENTさん
by ChinchikoPapa (2015-06-02 10:43) 

ChinchikoPapa

うちはいま最大7人ですが、家族が35人暮らせる家というのは、とてつもないスケールです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2015-06-02 10:47) 

ChinchikoPapa

イヌに起こされた経験はありませんが、ネコは重たくて、ときに痛いです。w 「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>okin-02さん
by ChinchikoPapa (2015-06-02 10:49) 

ChinchikoPapa

馬力の消防車は、明治の人たちには印象深かったものか、下町では証言を残している方々がたくさんいますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ryo1216さん
by ChinchikoPapa (2015-06-02 10:52) 

ChinchikoPapa

いま、ナスが美味しい季節ですね。このところ、毎日のように食べています。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ぼんさんさん
by ChinchikoPapa (2015-06-02 11:59) 

ChinchikoPapa

ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございました。>コミックンさん
by ChinchikoPapa (2015-06-02 13:00) 

ChinchikoPapa

トイレが和式から様式に変わったのは、高校生のころだったと思いますが、その後、学生時代に親元から独立して借りたアパートが和式で逆もどりをしました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>HAtAさん
by ChinchikoPapa (2015-06-02 14:40) 

ChinchikoPapa

ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございました。>mentaikoさん
by ChinchikoPapa (2015-06-02 15:24) 

ChinchikoPapa

香港映画はほとんど観たことがないのですが、J.チェンの作品は数本知っています。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>makimakiさん
by ChinchikoPapa (2015-06-02 16:36) 

ChinchikoPapa

ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございます。>tai-zouさん
by ChinchikoPapa (2015-06-02 18:04) 

ChinchikoPapa

奥港の夫婦岩は、二見ヶ浦の東を向いた“結界”によく似てますね。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>dendenmushiさん
by ChinchikoPapa (2015-06-03 12:37) 

ChinchikoPapa

アーティーチョークの唐揚げというのを、一度食べてみたいですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ネオ・アッキーさん
by ChinchikoPapa (2015-06-04 10:41) 

ChinchikoPapa

ほんとうに男子ダブルスカルの優勝、おめでとうございました。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>イデケンさん(今造ROWINGTEAMさん)
by ChinchikoPapa (2015-06-04 17:41) 

ChinchikoPapa

ふいに振り向いたときの女性の表情は、どうしてあんなに美しいんでしょうね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ぼんぼちぼちぼちさん
by ChinchikoPapa (2015-06-04 22:03) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>sigさん
by ChinchikoPapa (2015-06-05 11:48) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
by ChinchikoPapa (2015-06-05 19:39) 

ChinchikoPapa

こちらにも、。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>lequicheさん
by ChinchikoPapa (2015-06-07 20:09) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>opas10さん
by ChinchikoPapa (2015-06-07 20:16) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>skekhtehuacsoさん
by ChinchikoPapa (2015-06-07 22:47) 

ChinchikoPapa

こちらにも、。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
by ChinchikoPapa (2015-06-08 00:42) 

ChinchikoPapa

以前の記事にまで、わざわざ「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>うたぞーさん
by ChinchikoPapa (2015-06-13 22:49) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。> suzuran6さん
by ChinchikoPapa (2015-09-05 11:03) 

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