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矢田津世子は「ボクちゃん」を許せない。 [気になる下落合]

二ノ坂近代建築.JPG
 下落合に住んだ矢田津世子Click!は、ほとんど他人の悪口や皮肉をいったり書いたりはしていないが、中には例外的な人物評が残っている。彼女としては、よほど腹にすえかねたのだろう。標的になったのは、まったく生活に心配がない岡山のボンボンで髪結いの亭主だった、タダイストの吉行エイスケClick!だ。
 1932年(昭和7)に発行された「新潮」2月号に、『吉行エイスケ氏』と題する皮肉たっぷりな人物評を載せている。矢田津世子は、吉行エイスケを乃手Click!のお城に住む「王子」様にたとえ、彼が下界に降りていってする仕事を「手すさび」だと辛辣に評している。冒頭から引用すると、こんな具合だ。
  
 山ノ手の、緑濃い樹々に覆はれた小高い丘の上に一ツのお城がありました。お城の中には、この世に稀な、貌(みめ)麗はしい王子が住んでゐました。王子のたつた一ツの愉しみは、窓に凭れて、眼下の街々を眺めることでした。/街には――沢山の窓を持つたビルデイング。白い舗道。その上を走る鉄砲玉のやうな自動車。色彩り彩りな家々の瓦……そして、夜は、華やかなネオンサインの明滅です。/王子は端正な趣味の持主でした。窓枠から躰を起して書斎へ戻ると、彼は、ライトデスクに向つてペンを走らせるのでした。(中略) けれど、王子は、ペンが走れば走る程、云ひやうのない或る不満をロマンの中に見出していくのでした。/「アア、僕の書くものは、全てプリンのやうに歯応へのないものばかりだ! それといふのも――」/そして、王子は、或夜秘かにお城を抜け出しました。
  
 王子様は、下界のいろいろなモノに興味を抱き、「進歩的な感覚」でちょっと手を出しては、すぐに次の新しいモノへと移っていく、めまぐるしい「冒険譚」として表現している。これを目にした吉行エイスケは憤慨したかもしれないが、彼を知る人々はニヤニヤ皮肉な笑いを浮かべ、うなずきながら読んでいたのかもしれない。
 常に沈着で穏和な矢田津世子が、なぜこれほど皮肉たっぷりな文章を書くまで腹を立てたのかは不明だが、どこかで出会って反りが合わなかったか、妻帯者なのに彼女を口説いたか、あるいはピントはずれな言質で彼女の仕事を侮蔑するかしたのかもしれない。
矢田津世子.jpg 矢田津世子と大谷藤子.jpg
 もうひとつ、矢田津世子が不快感を露わにしたエッセイが残っている。おしなべて、乃手の男が大人になってもつかう「ボク」だ。彼女は、子どもに「ボクちゃん」と呼びかける母親に嫌悪感をおぼえており、どうやらわたしと……というか江戸東京の町場と同じような感覚をしていたらしい。彼女は秋田出身であり、ふだんの飾らない親しい友人との会話では、自身のこと「オレ」と表現している。秋田方言で「オレ」は、「わたし」という意味であり、女性でも男性でもつかう1人称の代名詞だ。
 東京では、「オレ」は男の1人称代名詞であり、ほかに男では「わたし」「わたくし」「あたし」「自分」、古い地付きの年寄りでは「おらぁ」「おいら」etc.…などの表現があるが、「ボク」は基本的に子どもがつかう言葉(せいぜい高校生ぐらいまで)か、あるいはごく親しい友人や幼馴染み、同窓会などでつかう言葉で、わたしの育ちからいえば大のオトナの男が日常的につかっていると、「母親に甘やかされ放題で育った、野放図なわがままマザコン男か?」というような感覚で、かなり奇妙に聞こえる。
 ただし、関西圏では大人も「ボク」と表現するのが普通のようなので、これは中部(長野や静岡あたり)から東日本にかけての地域(東京では主に旧市街地の城下町Click!)にある感触なのかもしれない。「ボクはぁ~小さな子供が好きなんで~!」と記者会見でデスクをたたいて子どものように泣きじゃくる、薄らみっともない兵庫県議の姿は、関西圏より以上に、東日本では輪をかけて情けなく、ガキ同然のありえない異様な姿として映っている。ちなみに、この感覚は以前にも一度記事Click!に書いたことがある。
 余談だが先日、NHKが収録した曾宮一念のインタビューを見ていたら、ドンピシャで「あたし」「あたしゃ」といっているのが嬉しかった。いつか、オバカな「サエキくん」のエピソードClick!を書くとき、曾宮の1人称は「オレ」か「あたし」のどちらかで迷ったのだが、あの雰囲気と性格でもともと日本橋浜町出身の彼のことだから、きっと「あたし」「あたしゃ」にちがいないと想定したのだ。早くから乃手地域に住み、歳をとってからは静岡に住んでいた曾宮一念だけれど、インタビューでのしゃべり言葉は一聴して東京の(城)下町方言であり、それは死去するまで変わらなかったのだろう。
 矢田津世子は、乃手の“奥様”が子どもへ呼びかける「ボクちゃん」に、甘やかされて育つマザコン男の典型を見たようで、ムズムズして我慢ができなかったらしい。1937年(昭和12)3月7日に発行の「東京朝日新聞」に連載された、エッセイ『浅春随想』の1編「唐梅」から引用してみよう。
矢田津世子(目白会館にて).jpg
  
 「なあによ、ボクちやん」/肥つた母親はかう呼びかけながら、愛情の度がすぎた甘い顔で舐めるやうな風に子供をのぞきこんだ。/「ボクちやん」とは「僕ちやん」の意味であらう。なんといふ、子供を甘やかした呼びかただらう。私は厭な心もちがした。/初め、母親は箸で和菓子をひとつ取つて子供に与へた。瞬く間にそれを食べてしまふと、子供は、ちよつとの間私どもの方を窺つてゐたが、上眼づかひで偸み見ながら、自分から手を出してひとつ取り、そこらを飛び跳ねながら半分ほど食べたのこりを食卓へ投り出して、また、菓子鉢へ手を突つ込んだ。/「ボクちゃん、おなかを痛くしたらどうするの」/母親は、ちらと子供を振りかへつたゞけで、咎めようともしない。
  
 わたしの子どもが訪問客の前で、こんな行儀の悪いわきまえない行為をしたら、おそらく迷わずに頭を打っ(ぶっ)たたいているだろう。
 ちなみに、(城)下町でも「ボクちゃん」はつかうが、自分の子どもではなく「ボクちゃん、危ないからおやめ」というように、女性が名前を知らない男の子へ呼びかける場合がメインだ。男の場合は「ボクいくつ?」というように、やはり名前を知らない男の子へ呼びかけるときにつかうが、まず「ちゃん」付けはしない。また、自身の雇用主や目上の人の既知の子どもに対し、「ボッちゃん(坊ちゃん)」と呼びかけることはある。
 ちょっと横道へそれるが、最近、自分の妻を人に紹介するとき、「ボクの奥さんです」などという言葉を聞くのだけれど、ゾクッとむしずが走って吐き気がする。(まさか乃手方言の慣用句じゃないよね?) どこか、自分の子どもを「ボクちゃん」と呼ぶキザ(気障り)で嫌味なイヤらしさにも似て、ちょっと品のない東京町場の職人風言葉か、怒りっぽい岸田劉生Click!風にいえば……、「てめぇの女房を他人(ひと)に紹介すんとき、敬称つけてどーすんだよ。バッカじゃねえのか?」(失礼)と思うのだ。
 つづけて、矢田津世子の『浅春随想』から引用してみよう。
  
 帰りみち、老母も私も、すつかりふさぎこんで、無口になつてゐた。「ボクちやん」で甘やかされ放題に育てられたあの子供は、「ボクちやん」で成人になつていく。二十歳になつた時の、三十歳になつた時の、あの「ボクちやん」の、人を、世の中を甘く観ることに馴らされた頭脳を想像すると、怖ろしい気がする。/こんなことがあつてからといふもの、電車の中などで、この「ボクちやん」を耳にしたりすると、私は、ぞつとする。
  
三ノ坂近代建築.JPG
 このように、町場で「ボク」は基本的に子どもに(が)つかう1人称代名詞なのだが、おそらく山手に住んだ矢田津世子は、オトナの男がつかうのを聞いて薄気味悪く感じていたのではないか。秋田では、女性も自分のことを「オレ」というぐらいだから、大の男が「ボク」というのにきっと馴染めなかっただろう。ちなみに、秋田に限らず東北方言の多くは、女性の1人称代名詞は「オレ」だ。ただし、矢田津世子のようなタイプが「オレ」といったりすると、なんだか「宝塚」の男役を想像してしまうのだけれど。w

◆写真上:洋の応接間を備えた、大正末から昭和初期の典型的な和洋折衷住宅。矢田津世子邸のすぐ近く、二ノ坂に建っていた邸だが昨年解体された。
◆写真中上:大正末ごろの矢田津世子()と、大谷藤子とともに()。
◆写真中下第三文化村Click!の、目白会館文化アパートClick!で撮影された矢田津世子。
◆写真下:一ノ坂の矢田津世子邸から歩いて5分前後の、三ノ坂の中腹に建っていた近代建築の和館だが、やはり昨年に解体された。


読んだ!(28)  コメント(33)  トラックバック(1) 
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コメント 33

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>love-peaceさん
by ChinchikoPapa (2016-04-30 19:51) 

ChinchikoPapa

最近読んだ本では、『加藤嶺夫写真全集/昭和の東京』シリーズの泉さんによる解説が楽しかったですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>lequicheさん
by ChinchikoPapa (2016-04-30 19:57) 

ChinchikoPapa

「PARIS MATCH」は、1926年に誕生した古い雑誌なんですね。エコール・ド・パリの画家たちも、目にしていたのでしょうね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ryo1216さん
by ChinchikoPapa (2016-04-30 20:09) 

ChinchikoPapa

うちの玄関とベランダにもありますが、アロエは生命力が強いですね。火傷などをすると、葉を折っては使うのですが、まったくダメージを感じないのか成長・増殖しつづけます。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>dendenmushiさん
by ChinchikoPapa (2016-04-30 20:18) 

ChinchikoPapa

ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございました。>やってみよう♪さん
by ChinchikoPapa (2016-04-30 20:19) 

ChinchikoPapa

ここ数ヶ月、竹橋の近美へは寄るのですが上野へはご無沙汰です。また近々、藝大でものぞいてみようかと思ってます。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2016-04-30 20:45) 

ChinchikoPapa

この記事でも、見なれた2軒の近代建築が解体されたことに触れていますが、そこにあった当たり前の風景が消滅するのは、やはり寂しいですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>AKIさん
by ChinchikoPapa (2016-04-30 20:47) 

ChinchikoPapa

どっしりと重みさえありそうな、フジの花が見事ですね。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>yamさん
by ChinchikoPapa (2016-04-30 20:51) 

ChinchikoPapa

「踊り子」号はたまに利用するのですが、つい好きな魚介類の弁当に手を出してしまい、「黒毛和牛御膳」弁当はまだ食べたことがないです。今度見つけたら、食べてみます。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2016-04-30 20:55) 

ChinchikoPapa

朝日レガッタ直前ですが、ぜひ中日本レガッタの記録を上まわってください。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>オカベンさん(今造ROWINGTEAMさん)
by ChinchikoPapa (2016-04-30 20:57) 

ChinchikoPapa

丸々と肥った野良ネコは、いったいなにを食べてるんでしょうね。それとも、ちゃんとエサをくれる特定の家があるのでしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>okin-02さん
by ChinchikoPapa (2016-04-30 20:59) 

ChinchikoPapa

編集発行人が和多田進時代、つまり初代の編集委員時代には毎週欠かさず読んでいた「週刊金曜日」ですが、いまもがんばってるんですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>SILENTさん
by ChinchikoPapa (2016-04-30 21:08) 

ChinchikoPapa

緑のガラスでできた徳利が、どこか昔ながらの懐かしさを感じる酒ですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>skekhtehuacsoさん
by ChinchikoPapa (2016-04-30 21:12) 

ChinchikoPapa

今年の春は、おもいっきり駆け足でしたね。そろそろ、樹木や草花からは夏の匂いがしています。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>hirometaiさん
by ChinchikoPapa (2016-04-30 22:16) 

hirometai

落合道人様
こんばんは
オレ、ボク・・使っているのを何の違和感もなく聞いていました。
「僕、そう思わへん」と私の同級生はよく言います。
いろいろ、所によって一人称の呼び方と聞く方の感覚があるのですね。
勉強になりました。
ありがとうございました。

by hirometai (2016-04-30 22:27) 

ChinchikoPapa

hirometaiさん、コメントとボタンへのお礼が時間差になってしまいました。
西日本では、おそらく「ボク」はまったく違和感をおぼえない1人称代名詞のひとつですね。たとえば、東京では年寄しかつかわない1人称代名詞に「わし」というのがありますが、関西では20代の男がつかっても、あまり違和感をおぼえないようですね。佐伯祐三も、さかんに「わし」を連発しています。
わたしは、「オレ」または「わたし」はよくつかいますが、「あたし」はほとんどつかわず、「ボク」は大学生のときに親戚から「いい歳をして」というニュアンスでバカにされて以来、まったくつかわなくなりました。
ただし、乃手には早くからいろいろな地方の出身者が混在していますので、関西方面に先祖の墓がある方々は、比較的「ボク」には違和感を感じないでつかう方も多いでしょうし、また、もともと乃手には「ボク」という1人称代名詞を、大人がつかっても不自然に感じない素地が早くから(明治期にから)あったようですね。でも、夏目漱石の「坊ちゃん」の例では「俺」で「ボク」とはいわないように、同じ乃手でも江戸期からの町場であったところでは、やはり大人の男が「ボク」をつかうことは少ないようです。
また、面白いことに(城)下町から山手方面へ生活の場を移した家庭や生徒・学生などは(戦前のケースですが)、学校生活や家庭生活など周囲の環境に適応するためか、「ボク」をつかっている人もいますね。
by ChinchikoPapa (2016-04-30 22:55) 

ChinchikoPapa

学生時代に録音した、取材の古いカセットテープが出てきたりすると、一瞬で当時の空気感に包まれてタイムスリップできます。磁気テープでも、案外きれいに残ってるもんですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
by ChinchikoPapa (2016-05-01 00:27) 

ChinchikoPapa

「治験ボランティア」をテーマにした映画がありましたね。タイトルは憶えていないのですが、治験を重ねるうちに身体がおかしくなっていくという米国映画だったでしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>いっぷくさん
by ChinchikoPapa (2016-05-01 15:54) 

Marigreen

私は大阪の高校にいましたが、その時の東大出身の現国の先生が「大人の男が僕というのはみっともないですね。○○先生はまだ独身だから僕といってもいいかもしれませんが、結婚したら私というべきでしょう」とおっしゃってましたが、現代になっては三十歳になろうが、四十歳になろうが、結婚しようが、男の人は自分のことを僕といいますね。
by Marigreen (2016-05-01 15:55) 

ChinchikoPapa

ボタンやツツジももう終わりで、ウメが大きな青梅の実をつけていますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>simousayama-unamiさん
by ChinchikoPapa (2016-05-01 15:56) 

ChinchikoPapa

ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございました。>ネオ・アッキーさん
by ChinchikoPapa (2016-05-01 15:57) 

ChinchikoPapa

Marigreenさん、コメントをありがとうございます。
わたしは、大学生にもなって「ボク」をつかってたがために、周囲から“笑いもの”になりましたけれど、別の地域では独身時代までは許されるけれど、結婚してから「ボク」というのは子どもじみてみっともない……というような感覚が、あるのかもしれませんね。
現国の先生が、どこの出身かは不明ですが、もし地元の大阪出身だとすると、大阪市内でも感覚が異なっているエリアがあるのかもしれません。
by ChinchikoPapa (2016-05-01 16:04) 

ChinchikoPapa

2001年以降、三菱自動車は自身の会社を自身の手で事業継続を不可能にしている、自ら潰そうとしているとしか見えないですけどね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>siroyagi2さん
by ChinchikoPapa (2016-05-01 16:07) 

ChinchikoPapa

きょうは都内を散歩したのですが、人が少なく案外空いていました。そのせいか、外国人観光客がとても目立ってましたね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>讃岐人さん
by ChinchikoPapa (2016-05-01 22:00) 

ChinchikoPapa

ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございました。>kiyokiyoさん
by ChinchikoPapa (2016-05-01 23:49) 

ChinchikoPapa

「追憶の森」は、ちょっと観てみたいですね。連休中は、どこの映画館も混むでしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>月夜のうずのしゅげ さん
by ChinchikoPapa (2016-05-01 23:56) 

ChinchikoPapa

1960~70年代にかけ、いわゆる「農協観光」の団体旅行が欧米で盛んに行われていたころ、メガネをかけてカメラをぶら下げ、場所がらもわきまえずに大声で話す、マナー知らずのうるさい日本人の団体観光客が、ずいぶんカリカチュアライズされて笑いのネタにされていましたので、あまり他国の人を笑うと忘れていたツバが天から降ってきそうです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>うたぞーさん
by ChinchikoPapa (2016-05-02 12:24) 

アヨアン・イゴカー

大正生まれの母の話では、信州の田舎でも女性は子供の頃、俺と言っていたそうです。
私は、大河ドラマの勝海舟で、父親の小吉がおいらぁ、と言うのを聞いて、また職場にいた江戸っ子の労働組合(御用組合ではない労組)の大将がおいらと言っていたのが格好良くて、今でも時々使っています。
労働組合の委員長が僕などと言ったら、ちょっと迫力がありません。やっぱし、おいら、ってのは格好がようござんすね。

by アヨアン・イゴカー (2016-05-03 22:32) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>opas10さん
by ChinchikoPapa (2016-05-04 15:19) 

ChinchikoPapa

アヨアン・イゴカーさん、コメントと「読んだ!」ボタンをありがとうございます。
わたしが知らないだけで、北関東でもひょっとすると男女の性別に関係なく、「オレ」という1人称代名詞がつかわれている地域があるのかもしれません。
「おいら」は、それなりの人物がつかうとカッコいいですね。勝海舟に限らず、当時の幕臣の多くは武家言葉ではなく、下町方言(町言葉)をつかうのが粋でスマートでカッコいいと思われていましたから、「オレ」や「おいら」は武家にも浸透していたのでしょうね。
戦後、この言葉で印象に残るのは、「♪おいら岬の~灯台守は~」の『喜びも悲しみも幾歳月』でしょうか。そういえば、浅草育ちの北野武も、このごろ「おいら」と昔の1人称代名詞で話しているのを聞いたことがあります。
by ChinchikoPapa (2016-05-04 15:38) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>sigさん
by ChinchikoPapa (2016-05-04 21:01) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>fumikoさん
by ChinchikoPapa (2016-05-06 19:18) 

ChinchikoPapa

以前の記事にまで、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>stakaさん
by ChinchikoPapa (2016-05-08 18:18) 

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