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文化住宅を超える落合の次世代型住宅。(3) [気になる下落合]

67号型住宅外観イメージ.jpg
 昭和初期、落合地域に建設された住宅の3軒めは、建築家・輪湖文一郎が設計した上落合470番地の邸だ。上落合470番地という住所で、すぐに思い出すのが1923年(大正12)の関東大震災Click!大蔵省の庁舎Click!が焼けたとき、自宅の居間や食堂を“開放”して新たな帝国議会議事堂Click!設計チームの業務を継承した、建築家・吉武東里Click!の大きな自邸Click!だ。
 また、同じ上落合470番地には東京朝日新聞社の鈴木文四郎(鈴木文史郎)Click!が住んでおり、その東側には近所から“アカの家”と呼ばれた神近市子Click!の自宅(上落合469番地)があった。1929年(昭和4)に東京朝日新聞社から出版された『朝日住宅図案集』収録の朝日住宅67号型と名づけられた家の平面図と、1938年(昭和13)に作成された「火保図」収録の家々とを比較してみるが、同邸と思われる住宅を発見できない。設計図を見ると、北西寄りに門と玄関が設置されいるが、それに該当する家が3階建ての鈴木文四郎邸のみしか見あたらないのだ。ひょっとすると、同邸は東京朝日新聞社の設計コンペ用図面だけで、建設されていないのかもしれない。
 67号型と名づけられた住宅は2階建てだが、1938年(昭和13)現在で確認できる上落合470番地に該当する住宅は6棟。そのうち、北西側の道路に面して門と玄関が接しているのは鈴木邸のみで、ほかの5軒は南か北に門と玄関があり、最後の1軒は北西側に門があるものの、旗竿敷地で母家が10m以上も路地の奥にひっこんでる住宅なので、同書に掲載された図面やイラストと一致しない。北西側に門と玄関を設置するためには、北側から斜めにカーブして南へと下る道沿いに敷地がなければならず、同邸は「火保図」が作成される1938年(昭和13)までに解体されてしまった……ととらえることもできる。
 『朝日住宅図案集』Click!が出版された当時、経済は世界大恐慌のまっ最中であり、たとえば近衛町の小林盈一邸Click!を例にとれば、同邸の竣工から解体までわずか5年間しか存続していない。同様の経緯が、上落合の67号型住宅でもあったかもしれず、昭和に入ってすぐに竣工した同邸が、10年前後で解体されている可能性を否定できない。当時は、戸建て住宅を購入して住むという概念よりも、既存の住宅が建っていれば新旧の別なく解体して、自分好みの家を建てるという考え方のほうが主流だった。「火保図」の中で、同邸の敷地に見あう下落合470番地の位置は鈴木文四郎邸の南隣りであり、吉武東里Click!の自宅接道をはさんだ北隣り、つまり斜めにカーブして南へ下る道路に面して北西側に門や玄関を設置できる角地ということになるだろう。
 この邸の、道路を挟んだ北西隣りが上落合670番地の古川ロッパ邸Click!、その北側(上落合444番地界隈)には麹町へ帰るまで一時期住んでいたとみられる、大蔵省営繕課職員で建築家の大熊喜邦邸Click!、上落合470番地東側の同区画内である649番地には神近市子邸、その隣りの上落合467番地には「古代ハス」あるいは「大賀ハス」の栽培で有名な植物学者・大賀一郎邸、そして南には大熊喜邦とともに現在の国会議事堂を設計した吉武東里邸……というような住環境だ。
 『朝日住宅図案集』の邸は、ちょうど南へカーブする道路と東へ折れる路地の角地にあったとみられ、南側が吉武邸の北庭で開けていて住みやすそうな敷地だ。52.5坪の敷地に、建物面積23.916坪の2階建て住宅が設計された。この家の仕様にも、大震災の教訓があちこちに取り入れられている。土台はコンクリート打ちで、基礎や柱材には檜葉をはじめ、米松やラワン(洋室)、米栂(和室)などが用いられた和洋折衷の造りだ。ただし、和室は2階の居間兼寝室(約6畳)と女中室(3畳)の2部屋だけで、ほかの部屋はすべて洋室だった。柱や筋違の接合部には、耐震性を高める金具が多用されている。
 また、タイルが導入され玄関や台所、浴室、便所が腰まわりまで各色のタイルが貼られて、テラスとポーチにはレンガが敷かれている。窓枠とシャッターには米杉が用いられ、上から各色のペンキが塗られたが、鎧戸の外には亜鉛引き鉄板張りが施されている。外壁は、鉄網コンクリートの上にクリーム色のモルタル仕上げで耐震・耐火性を高め、室内は洋室・和室ともに白の漆喰仕上げだった。
上落合470番地1938.jpg
67号型住宅平面図.jpg
 同邸の特長を、『朝日住宅図案集』から引用してみよう。
  
 【構造上の特長】震災-プランに不必要なる凸凹を少くしてプラン全体を耐震的設計となしたり、基礎及建物腰廻りは鉄筋コンクリートとなし、土台及び柱との繋結を充分になし、柱及梁には筋違ひを厳重に使用せり、屋根は耐震上最も軽き材用としてスレートを使用せり/火災-外部壁は鉄網コンクリート色モルタル塗仕上げ準耐火構造とし、軒廻り木部は金属板にて包み、窓は金属板張りのシヤツターを付したり/盗難-窓廻りは堅固なるシヤツターを付し然らざるところは(台所等)鉄格子付又は(玄関等)厚板グラスを使用せり/【間取上の特長】二重生活の煩を可成少くする為めに椅子式を採用し、寝室及女中室のみを畳敷となしたり、浴室、便所は衛生上タイル張とし、便所汲取りは大正式を採用せり、台所は保健上よりしても重大なる使命あるを以つて充分意を用ひ、方位、面積、設備の上に最大の犠牲を払ひたり、子供室は学校通学程度の子供一人と仮定して設計せり/【材料上の特長】構造に必要なる程度に於て堅牢を旨とし、体裁は次となしたり、しかし外観は住宅として単純且つ軽快を旨とし、色彩上の配合を注意せり、木材は予算上米松材を主とし、日本間は米栂となしたり
  
 この中でわからないのは、「便所汲取りは大正式を採用」というところだ。当時、東京で水洗トイレが導入されていたのは、下水道が敷設された市街地だけで、郊外の郡部ではいまだ屋根上に臭突Click!が飛び出た、汲み取り式便所が一般的だった。「大正式」とは、室内のトイレは水洗式だが、流された排泄物が敷地内の別槽へとたまる汲み取り槽が設置された方式だろうか。この方式だと、水洗トイレの便利さを実現できると同時に、屋内に悪臭が漂う心配がなくなる。
 同邸は、当時の典型的な和洋折衷住宅だが、すでに明治期から大正期にかけての“和洋折衷”とは趣が大きく異なっている。目白文化村Click!近衛町Click!などに見られる住宅では、建物の門や玄関近くに位置する応接室や客間、あるいは居間や書斎(訪問客の目に触れそうな部屋)が外観を含めて洋風で、他の部屋(家族のプライベート空間)を日本間とし、プライベート部分の建物外観も和館の意匠をしている例が多い。つまり、明治期からつづく洋館部と和館部の関係が、より密接に接合した和洋折衷の意匠をしていたが、『朝日住宅図案集』に登場する昭和期の和洋折衷住宅は、すでに和洋が混然一体となっていて、住宅の外観さえも和館だか洋館だか明確に区別ができないような姿に変貌している。
67号型住宅跡.jpg
67号型住宅側面図.jpg
67号型住宅断面図.jpg
 それだけ人々の生活が、無理なく和洋のスタイルを織りまぜて、毎日を自然にすごせるようになったのだろう。現代の住宅も、基本的にこのような考え方の延長線上にあると思われるが、もはや住宅メーカーがデザインするいま風のモデルハウスを、日本家屋と対比して「西洋館」Click!などと呼ぶ方はほとんどいないだろう。それらは80年後の今日、すでになんら不自然さを感じない「日本住宅」となってしまい、昔ながらの白壁に黒瓦を載せている和館のほうが、むしろ街中では希少で目立つ存在となっている。
 当時の「和洋折衷」の考え方について、上落合470番地に住んでいた東京朝日新聞社の鈴木文四郎は、同書の「和洋折衷に就いて」で次のように書いている。
  
 ところで和洋折衷でありますが、現在の日本人―殊に都会に住む人々の―生活そのものが和洋折衷であるのですから、住宅もさうなるのは当然であります。学校や官庁、会社等では皆椅子を用ゐ、普通又誰でも勤務先きへは洋服で出かける。そして家へ帰へれば和服を着ずには居られない。これは皆日本人の生活なつて了つてゐます。この可否を論じたところで初(ママ)まらないのみならず、私はこれで結構だと思つてゐます。(中略)そこで私は四五年前に四十余坪ほどの小住宅を建てた時に、書斎と応接間と食堂とを西洋式にし、後の大小五つの室は日本式にしましたが、今でもこれで満足してゐます。人によつて趣味や習慣が違ひますから一概には無論いへませんが、一般の日本人のサラリーメン(ママ)階級には、和式六七分に洋式三四分位ひの折衷が適してゐるのではないでせうか。この書の図案にもそれが甚だ多いやうですが、これは現代日本人の実際的の要求であり、これを巧みに調和して行くとろ(ママ)に日本の新住宅の様式が発見されるのだらうと思ひます。
  
 現在では、帰宅後に和服に着替えることはまずないし、「和式六七分」どころか和室は「一二分」ほどではないだろうか。うちも、母親の寝室として設計した6畳間がひとつあるだけで、ほかの部屋はすべてフローリング張りの洋室にしている。
67号型住宅台所玄関詳細図.jpg
上落合470敷地.jpg
上落合470番地周辺住宅.JPG
 さて、鈴木文四郎邸の東側に住んでいた植物学者の大賀一郎だが、1951年(昭和26)に東京大学の検見川厚生農場(千葉市)で縄文時代の「落合遺跡」が発掘された際、発掘チームのメンバーが地中6mよりハスの実を発見して、のち開花させることに成功している。そして、このピンク色をした花は「古代ハス」あるいは「大賀ハス」と呼ばれるようになるのだが、それはまた、別の物語……。

◆写真上:西側に接した道路から眺めた、朝日住宅67号型の耐震・防火住宅。
◆写真中上は、1938年(昭和13)作成の「火保図」にみる上落合470番地界隈。は、同邸1階・2階の平面図で上方向が北北東にあたる。
◆写真中下は、67号型邸が建っていたかもしれないあたりの現状。同邸は向かって右手(北側)にあり、左手(南側)は吉武東里邸の門があった位置。は、同邸の側面図。は、同邸の縦横断面図で南側には東南東向きのテラスが設置されていた。
◆写真下は、台所(左)と玄関(右)の詳細図。は、1936年(昭和11)の空中写真にみる同邸。「火保図」の邸とは異なる南北に伸びた屋根の形状をしているので、67号型邸が解体されたのは1936~38年(昭和11~13)の2年間のどこかだったと想定できそうだ。ただし以前にも書いたが、そもそも朝日住宅コンペ用の図面だけが存在し、実際には建設されなかった可能性もある。は、上落合470番地に残る大谷石の縁石と板塀。


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ChinchikoPapa

うちにも木製のものがありましたが、インクのプロッター(吸い取り器)が懐かしいですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ryo1216さん
by ChinchikoPapa (2017-03-29 13:06) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>鉄腕原子さん
by ChinchikoPapa (2017-03-29 13:07) 

ChinchikoPapa

数日前の早朝に雪が降りましたけれど、ようやくソメイヨシノが開花しはじめて暖かいです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>@ミックさん
by ChinchikoPapa (2017-03-29 13:10) 

ChinchikoPapa

同じ神奈川の山北町にも同様の隆起地層があって、渚に棲息する貝類の化石が産出しますね。あっ、下落合の目白崖線にも汀か浅海だったとみられる、貝化石の出土するシルト層があるのですが、おそらく堆積層が侵食で露出したもので、隆起ではないでしょうね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>dendenmushiさん
by ChinchikoPapa (2017-03-29 13:20) 

ChinchikoPapa

そろそろ新宿御苑には、世界じゅうから観光客がサクラをめざしてやってくるでしょうね。去年は神田川沿いの花見で、ロシアからの団体客を見かけました。みなさんカメラ片手に、記念撮影に夢中でしたね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2017-03-29 13:28) 

ChinchikoPapa

いつも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>やってみよう♪さん
by ChinchikoPapa (2017-03-29 13:30) 

ChinchikoPapa

表題曲の2ビート風のgといい、R.カーターの本アルバムはちょっと退屈ですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2017-03-29 13:38) 

ChinchikoPapa

樹々の枝に見える点々は、ふくらんだ蕾でしょうか。日に日に、温かくなりますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>okin-02さん
by ChinchikoPapa (2017-03-29 13:41) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>コミックンさん
by ChinchikoPapa (2017-03-29 14:42) 

ChinchikoPapa

ご訪問と、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>nandenkandenさん
by ChinchikoPapa (2017-03-29 16:21) 

ChinchikoPapa

土佐の新刀「国益」ならともかく古刀の「国益」とは、松陰はずいぶん地味な刺刀を所持していたものですね。「伝」(技法)はなんなのでしょう。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>banpeiyuさん
by ChinchikoPapa (2017-03-29 18:31) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ありささん
by ChinchikoPapa (2017-03-29 18:32) 

ChinchikoPapa

いつも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>AKIさん
by ChinchikoPapa (2017-03-29 18:33) 

ChinchikoPapa

吹き矢はダーツより、はるかに面白そうですね。風船をマトにすると、ストレスが解消できそうです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kazgさん
by ChinchikoPapa (2017-03-29 18:38) 

ChinchikoPapa

ウズラの焼いたのが、美味そうですね。スズメを空気銃で撃って、祖父が食べさせてくれたことがありました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ネオ・アッキーさん
by ChinchikoPapa (2017-03-30 00:32) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>はじドラさん
by ChinchikoPapa (2017-03-30 00:33) 

ChinchikoPapa

ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございます。>ribonribonさん
by ChinchikoPapa (2017-03-30 11:34) 

ChinchikoPapa

シャンパンのコルク栓は、棄てられずについ取っておきたくなりますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>fumikoさん
by ChinchikoPapa (2017-03-30 11:47) 

ChinchikoPapa

上野山も神田川も、ピンクのぼんぼりが吊るされて準備が完了してますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>simousayama-unamiさん
by ChinchikoPapa (2017-03-30 17:19) 

ChinchikoPapa

お嬢様の“おめでた”、おめでとうございます。「シルミチュー」の洞には、深くて濃い物語がありそうですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
by ChinchikoPapa (2017-03-30 17:32) 

ChinchikoPapa

「近江八景」というのは聞きますが、「琵琶湖八景」というのは耳慣れないワードです。戦後にできた新しい言葉でしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>skekhtehuacsoさん
by ChinchikoPapa (2017-03-31 10:18) 

ChinchikoPapa

ほんとうに誤魔化しと歪曲と、スリカエと隠蔽のオンパレード状況ですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>siroyagi2さん
by ChinchikoPapa (2017-03-31 10:20) 

ChinchikoPapa

今回の曲は、木琴(マリンバ?)の音色と動物たちの表情や動きが、とてもマッチしていると感じました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
by ChinchikoPapa (2017-04-02 18:27) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>opas10さん
by ChinchikoPapa (2017-04-02 22:03) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>うたぞーさん
by ChinchikoPapa (2017-04-03 10:49) 

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