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下落合は観世流で高田町は宝生流。 [気になるエトセトラ]

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 以前、下落合515番地(現・下落合3丁目)には二世・観世喜之邸があり、観世流の能楽堂が設置されていたことをご紹介Click!している。1930年(昭和5)に牛込区矢来町60番地に建設される観世九皐会能楽堂(のち矢来能楽堂)の前身、すなわちシテ方観世流と呼ばれる現在の「矢来観世」が主催する能楽堂が、当初は下落合の自邸内に設置されていた。そのせいで、謡(うたい)を習う下落合の住民たちの多くは観世流Click!だったと思われる。
 ところが、隣り街の高田町(現・目白)では、観世流ではなく加賀の宝生流の謡が流行っている。たまたま宝生流に通じていた金沢出身の人物が、高田町にいたことが要因らしい。また、池袋駅Click!近くにあった、成蹊小学校の教師の中にも宝生流の謡をやる人物がいたらしく、10名ほどのメンバーで「東遊会」という宝生流の会を起ち上げている。その会に所属していたのが、のちに高田町の町長となる海老澤了之介Click!だった。当時の様子を、1954年(昭和29)に出版された海老澤了之介『追憶』(私家版)から引用してみよう。
  
 私はと言ふと、醸造試験所に編輯の事務を取つて居た頃に、同僚の佐藤事務官、大竹技手と言ふ人達が、金沢出身の石井さんと言ふ所員に、宝生流謡曲を習つて居たので、私も負けずと、鶴亀から習ひ初めて居た。加賀藩はむかしから加賀宝生といつて、誰も彼も宝生流である。ひとり藩士ばかりでなく、金沢人は、大抵宝生をうたつた。/此の昔の一番本には、ゴマ節に細い註が付いて居ない。石井さんは朱筆を取つて、上げ下げからウキ、言葉のダシなどを付けて呉れる。/当時は此の事を何とも思はなかつたが、今考へると、昔の稽古を受けた人は、確かなものだつたのだなと思はれる。/かうして居る内に、雑司ヶ谷にも同好の士が移住して来たので、その人達と一緒に教へを請ふ様になつた。/後に、山形の人で、成蹊小学校の渋谷先生と言ふ人に付いたのであるが、私もこのあたりから謡に本腰を入れ初め、此の先生に習つた弟子達が十人程で「東遊会」の名の下に謡の会を作つたのは大正十年の事であつた。
  
 最初は、(城)下町の「線道をつける」Click!のと同様に、ちょっとした教養を兼ねた趣味のつもりだったようだが、上達するにつれ海老澤了之介は本職の先生について、本格的に宝生流の能楽を学びはじめた。また、ある程度の技量を習得した彼は、高田町の地元で謡の会を主宰して教えている。最初に教えはじめたのは、「高田町青年団」に所属する15名の若い男女だった。
 わたしの親父(観世流)もそうだったが、一度謡(うたい)をはじめるとやめられなくなる魅力があるようだ。おそらく、カラオケボックスや浴室などのライブ空間で歌を唄うと気持ちがよくなり、長時間つづけると一種のトランス状態になるのと同様に、なんらかの快楽的で習慣的な脳内物質が分泌されるのではないだろうか。大正期には、腹の底から声を出して歌うことなどめったになかったと思われるので、あり余る精力やストレスの発散にも効用があったのだろう。ついには海老澤了之介の哲子夫人までが習いたいといい出し、宝生流謡曲はマイブームならぬ高田町のタウンブームとなっていったらしい。
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 謡(うたい)を経験した方ならご存じだろうが、各流派の会に入門して段階的に上達していかないと、謡うことを許されない曲というのがある。技量が上がってくると、所属する会も上級者向けのものとなって師匠も変わり、より高度な曲へ挑戦することになる。最終的には、家元に近い師匠から習うようになり免状をもらうことになる。
 海老澤了之介は、宝生流の謡「十一番」ものの免状を1922年(大正11)に習得しているが、つづけて1927年(昭和2)には小皷幸流の家元から頭取・置皷・脇能の許状も受けている。つづけて、同書から引用してみよう。
  
 その後、勧進帳のお許しが昭和四年五月で、清経、芦刈、鶴亀、田村、土蜘蛛、熊坂、国栖、岩船等の能の免許は、昭和五年から七八年にかけてであつた。/私が初めて演じた能は、清経で、昭和五年二月である。(中略) 昭和五年の二月二十三日、芝紅葉館に松平頼寿伯、毛利元雄子、戸田康保子、近藤滋彌男外竹内金平氏、桜井小太郎氏、長尾真吉氏、布目鄰太郎氏、それに宝生のシテ方、囃子方一同を招待して盛宴を張つたことがある。清経の初能を演了した祝ひ心の為である。松平伯外一同からは又お祝として銀の大きな三つ組の松竹梅模様の盃をいただいた。思へば楽しかりし時代である。/その後にも上野の音楽学校に、松平、戸田、近藤のお歴々と共に、敷舞台を寄附して、その舞台開きに松平さんの翁に続き私が鶴亀をつとめた(後略)
  
 下落合に接する高田町の戸田邸Click!(現・徳川邸Click!)に住んでいた、戸田康保Click!の名前が見えているが、戸田家でも宝生流の謡を習っていたのかもしれない。
月岡耕漁「鶴亀」.jpg
海老澤了之介「鶴亀」1934.jpg
野村文挙「舩弁慶」.jpg
 さて、当時の山手女性は上記のとおり、謡を習う人もいたようだが時代が下がるにつれ、ピアノやヴァイオリンなどの西洋楽器へと流れていく。だが、明治から大正の前半ぐらいまでは、乃手の女性も(城)下町に習って三味に長唄や常磐津の教養稽古に通うことが多かったようだ。高田町でも、四家町Click!雑司ヶ谷Click!は早くから拓けていたので、常磐津のお師匠(しょ)さんが住んでいた。もちろん、ここは乃手などで通い稽古だけでなく出稽古の需要がかなり多かったようだ。
 同書より、哲子夫人の娘時代について引用してみよう。
  
 明治三十年頃でも、尚ほ大衆娯楽はないから、都下近郊一円は、昔ながらの常磐津、長唄、浄瑠璃などのお稽古とか、そのおさらひの会といふものが娯楽と、教養を兼ねたものとして、伝統的に残されてゐたに過ぎない。しかしこれは、今で言ふお茶やお花の様に、特に教育の普及して居なかつた当時の若衆又は娘達の間では、少なからず高尚な意味を持つて取扱はれて居た。其の頃、雑司ヶ谷、高田あたりの土地には、常磐津文字兵衛の高弟で、常磐津栄次と言ふお婆さんの師匠が居た。この師匠は、芸熱心と、お稽古の厳格さで知られて居たから、お弟子の中から相当優れた芸達者な人も出て来て、おさらひの会などは、仲々派手に催された。/時には人通りの多い、四家町の一隅に舞台掛けをして、当時の村人の、唯一の楽しみにふさはしいそして賑やかな人出があつたものである。/この様であるから、亡妻も十才位から稽古にやらされ、夕方学校から帰つてやれやれと、子供同志(ママ)で遊んで居ると、家人から「お稽古に行きなさい」と言はれて、しぶしぶ出かけるのが常であつたと言ふ話を度々物語つて居たが、当時の是等の事情が良く伺はれて面白いと思ふ。
  
 その後、夫人は転居してきた琴の師匠について常磐津をやめてしまうが、三味の音色が恋しくなったのか、のちに今度は長唄を出稽古で習いはじめている。
月岡耕漁「隅田川」.jpg
早大演博「小面」.jpg 早大演博「小尉」.jpg
 この長唄のお師匠(しょ)さんは、下町から雑司ヶ谷小学校の近くに転居してきた杵屋小梅という女性だったらしい。長唄は、常磐津よりも新しいジャンルなので、哲子夫人も改めてその魅力に惹かれたものだろう。うちの親父の稽古ごとにも長唄は入っていたが、同時に三味を習っていたのも哲子夫人と同じだ。これらは、江戸東京の一般教養であり、三味をつまびきながら唄のひとつも口ずさめなければ“野暮”とされるのが、戦前までの特に旧・市街地の江戸東京人では常識だった。かくいうわたしも、野暮天のひとりだ。

◆写真上:フリー画像からいただいた舞台写真だが、演目は「吉野静」だろうか。
◆写真中上は、本郷にある宝生流能楽堂。は、矢来町にある観世流の矢来能楽堂。は、空襲で焼ける4年前の1941年(昭和16)に撮影された矢来能楽堂。
◆写真中下は、能の浮世絵で高名な月岡耕漁の『鶴亀』。は、1934年(昭和9)に演じられた宝生流の能舞台「鶴亀」の記念写真。シテは海老澤了之介(中)で、亀が宝生秀雄()と鶴が前田忠茂()。は、日本画家の野村文挙による『船弁慶』。
◆写真下は、月岡耕漁による浮世絵『隅田川』。は、早稲田大学演劇博物館に収蔵されている室町期とみられる能面で「小面」()と「小尉」()。

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ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>はじドラさん
by ChinchikoPapa (2017-05-13 14:09) 

ChinchikoPapa

いつも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>鉄腕原子さん
by ChinchikoPapa (2017-05-13 14:10) 

ChinchikoPapa

最近、風吹ジュンがブームのようですが、70年代末でもないのにどうなっているのでしょうか。w 「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>@ミックさん
by ChinchikoPapa (2017-05-13 14:11) 

ChinchikoPapa

そろそろ、フレッシュチェリーパイが作れる季節ですね。缶詰めのチェリーパイよりも酸味が鮮やかで、バニラアイスクリーム添えが大好きなのです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kazgさん
by ChinchikoPapa (2017-05-13 14:13) 

ChinchikoPapa

昨日きょうで、若葉から深緑へと変わりそうな五月雨ですね。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ryo1216さん
by ChinchikoPapa (2017-05-13 14:16) 

ChinchikoPapa

いつも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>やってみよう♪さん
by ChinchikoPapa (2017-05-13 14:18) 

ChinchikoPapa

祖父母の代から、養命酒は家に置かれていましたけれど、アルコール分が強くて親父は飲むと具合が悪くなってダメでしたね。わたしも味見をしましたが、なんとなく身体が軽くなったような気がしました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>yamさん
by ChinchikoPapa (2017-05-13 14:22) 

ChinchikoPapa

わたしもときどき、万単位のアクセスに「おや?」と思うことがあります。「グラビアアイドル」や「7色パンティ」のワードにひっかかった誤アクセスかと思えば、そうじゃないケースも多々あり、規則性や「思想性」がハッキリしないので薄気味が悪いですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>いっぷくさん
by ChinchikoPapa (2017-05-13 14:32) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>AKIさん
by ChinchikoPapa (2017-05-13 14:33) 

ChinchikoPapa

日暮里の子規庵は、ウグイスの里と呼ばれた別荘街の鶯谷駅近くに保存されていますが、周囲にラブホテルが多くて近づきがたい雰囲気です。いまだに庭先にはヘチマ棚がありますけれど、静寂とした病を癒す静養の里が、100年もたつとまったく様変わりした街になってしまう典型を見るようですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>SILENTさん
by ChinchikoPapa (2017-05-13 14:40) 

ChinchikoPapa

ギターのバッキングが印象的な、ステキなアルバムですね。JAZZにgが加わると、とたんに懐かしい気がするのが不思議です。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2017-05-13 14:44) 

ChinchikoPapa

きょうは、五月雨を集めてはやし神田川…の天気です。夕べからの雨量は、かなりのものですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>okin-02さん
by ChinchikoPapa (2017-05-13 14:46) 

ChinchikoPapa

そろそろ春の花が終わって、アジサイのつぼみが膨らみそうです。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>モリガメさん
by ChinchikoPapa (2017-05-13 19:52) 

ChinchikoPapa

雨だと湿度が高くてすごしやすいのですが、どこかへ散歩・散策するのがちょっと億劫になりますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>smothalaさん
by ChinchikoPapa (2017-05-13 19:55) 

ChinchikoPapa

前のネコを14歳で看取ってから丸3年になりますので、そろそろまた飼いたくなってきました。鼻が高く足も長い、やはり日本ネコが好きですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyokiyoさん
by ChinchikoPapa (2017-05-13 20:06) 

ChinchikoPapa

葉ザクラは遠くにいると気になりませんが、近くに寄るとすごい数の毛虫がたかっていることがありますね。サクランボ見たさに近づいて、のけぞったことがあります。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>simousayama-unamiさん
by ChinchikoPapa (2017-05-14 19:53) 

ChinchikoPapa

樹々の葉が茂ってくると、いままで見えていた風景が隠れてしまい、ちがう気分が味わえますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2017-05-14 19:56) 

ChinchikoPapa

2枚舌のほか、真実を突きつけられると急に聞こえなくなる耳も2つ使い分けており、都合の悪いことは目に入らないご都合主義レンズつきの色眼鏡もかけていそうです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
by ChinchikoPapa (2017-05-14 20:09) 

ChinchikoPapa

そよ風にのって、窓からジャスミンの香りが漂ってきますね。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>hirometaiさん
by ChinchikoPapa (2017-05-14 20:19) 

ChinchikoPapa

ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございました。>ネオ・アッキーさん
by ChinchikoPapa (2017-05-14 20:21) 

ChinchikoPapa

電線や通信線の支柱がないと、街並みがスッキリして美しいですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>siroyagi2さん
by ChinchikoPapa (2017-05-14 20:25) 

ChinchikoPapa

九州の古墳は、東北の古墳と共通している鮮やかでシュールな彩色壁画が、美しくて魅力的ですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>skekhtehuacsoさん
by ChinchikoPapa (2017-05-15 23:58) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
by ChinchikoPapa (2017-05-17 09:58) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>sigさん
by ChinchikoPapa (2017-05-18 17:41) 

ChinchikoPapa

競技には、SAKEの課題まであるんですね。時間制限もあり、かなり難しい課題のように思います。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>fumikoさん
by ChinchikoPapa (2017-05-27 20:01) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>opas10さん
by ChinchikoPapa (2017-05-30 11:40) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>うたぞーさん
by ChinchikoPapa (2017-06-11 00:52) 

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