東京35区時代のプライオリティと名所。 [気になるエトセトラ]
1932年(昭和7)10月1日に、従来の東京15区が35区に再編成されたとき、新たに編入された区部を紹介する書籍や冊子が、いっせいに出版されている。その中でも代表的なのが、1932年(昭和7)に東京朝日新聞社が発行した『新東京大観』上・下巻Click!と、翌1933年に博文館が出版した『大東京写真案内』だろうか。
1878年(明治11)にスタートした東京15区は、巨大な城下町だった大江戸Click!の旧・市街地をエリアごとに区制へ置き換えたものだった。この区分けは、のちの東京35区についても同様のことがいえるのだが、ひとつの街としてのエリアを規定する上では、その文化や歴史、言語(江戸東京方言Click!)、風俗、習慣、気質、アイデンティティなどのちがいも含め、よく練られた構成だったと思う。大江戸の街は、江戸後期から世界でも最大クラスの大都市だったので、ひとつの街としての統一感はきわめて希薄だ。
街ごとに、上掲の“ちがい”が顕著であり、しゃべり言葉を聞いただけで、だいたいどこの地域か当てられるほどの差異が存在していた。いつだったか、「どちらの出身?」と訊かれて「東京です」と答えるのは、「日本です」と答えるのと同じぐらい曖昧で漠然とした回答だ……と書いたことがある。東京15区は、その“ちがい”をうまくすくいとって、歴史的な経緯などをベースに旧・大江戸の市街地を15分割したものだろう。
上掲の東京15区の中でグリーンに塗った8区が、いわゆる町人たちや幕府の小旗本、御家人たちが多く居住していた城下町(略して下町)であり、その他の7区が町人よりも比較的身分が高い武家たちが主体だった武家屋敷街(俗に旧・山手=乃手)と呼ばれるエリアだ。おもに明治末ごろから、この旧・山手は15区の外周域(郊外)へと徐々に拡大していき、西側の山手線内外に形成された屋敷街を、旧・山手と区別する意味で新・山手と呼ぶことがある。だが、現在では区制も意識も大きく変わり、新旧をいっしょにして概念的に山手(やまのて=乃手)と呼ばれることが多い。
わたしの本籍地は15区の中の日本橋区になるのだが、現在では歴史や文化が異なる京橋区といっしょにされて「中央区」と呼ばれている。江戸期から栄えているのは日本橋側だが、明治になって発達したのが銀座を抱える京橋区だ。日本橋と京橋では祭神の氏子町も異なり、日本橋側はおもに江戸東京総鎮守の神田明神Click!だが、京橋側はおもに徳川家の産土神である山王権現(日枝権現)社Click!の氏子が多い。つまり、東京15区時代の日本橋区と京橋区のほうが区分けとしては自然なのだ。わたしの故郷が、銀座や築地を含む中央区だという意識は、アイデンティティ面も含めて皆無だ。銀座や築地は、隣接する神田や柳橋、本所と同様に“お隣り”であって地元ではない。
上記15区の中でブルーに塗った区が、のちの戦後に新宿区を形成するエリアなのだが、四谷区は千代田城外濠の見附Click!に接した四谷や市谷を中心とする江戸期からの繁華な乃手の街で、牛込区はさらに外側の神田上水を抱える江戸期から農村色の濃いエリアだった。さらにいえば、四谷区は甲州街道の宿場町から発展しており、牛込区は中世の牛込氏の街から発達したより歴史の古い地域ということになる。これに淀橋区も加え、一緒くたにして戦後に「新宿区」となるわけだけれど、地域性をひとくくりにするにはだいぶ無理があるのがおわかりいただけるだろうか。
さて、この東京15区に加えて1932年(昭和7)に加わったのが、次の新しい20区ということになる。この区分けのしかたも、地域性が考慮されていて自然に感じる。
表に付加している数字は、当時の出版物で紹介されることが多かった追加20区の優先順位だ。ちなみに、東京朝日新聞社の『新東京大観』(1932年)と博文館の『大東京写真案内』(1933年)も、この順番で紹介されている。いずれも、トップで紹介されているのは豊島区で、いちばん最後が杉並区となっている。
これが、東京35区について記述する際の、当時の人々が抱いていたプライオリティだったのだろう。やはり、なんらかの歴史的な経緯や事蹟、芝居などに登場する機会の多い地域や名所、住宅街の形成や人口などが考慮されているとみられ、今日の“都心”でありギネスブックにも掲載されている世界最大のターミナル新宿駅を抱える淀橋区が、ビリから3番目で18位というのが面白い。市街地の15区を加えれば、33位の下位に位置づけられている。渋谷区も、淀橋区と肩を並べてビリから4番目の17位だ。80年以上もたつと街は大きく変貌し、まったく別の顔を持ちはじめるのがよくわかる。
『新東京大観』には、新たに編入された20区の観光ポイントを紹介する、「大東京新名所」と題するエッセイが掲載されている。以下、リストにして引用してみよう。
それぞれの名所で、現在でも通用するもっともな区もあるけれど、中には「なんでだい?」と首をかしげるところも多い。知名度の高い豊島区が強いのは、やはり子育てには霊験あらたかな雑司ヶ谷の鬼子母神Click!を抱えているからだろう。かわいそうなのは荒川区と品川区で、なぜ江戸期の処刑場だった小塚原Click!(こづかっぱら)と鈴ヶ森Click!が、区内を代表するお奨め観光スポットになるのだろうか。江戸川区の星降りの松はいいとして、板橋区の縁切り榎もあんまりだろう。もっと、ポジティブで気持ちのいい場所を紹介すればいいのに……と、わたしでなくても思うのではないだろうか。
「明日は、首斬りの土壇場があった小塚原へいくの、とっても楽しみだわ」とか、「鈴ヶ森の磔(はりつけ)跡を見るの、いまからウキウキして今夜は眠れそうもないね」とか、今日の心霊スポットめぐりではあるまいし、通常はありえないだろう。「ねえ、あなた、せっかく35区の大東京時代になったのですもの、今度の日曜日に板橋の縁切り榎までハイキングしませんこと?」と妻にいわれたら、「あれ、オレもいま、そう思ってたところさ。ほんと、気が合うねえ!」などと答える夫は、まずいそうもない。
◆写真上:東京メトロ・早稲田駅から東へ300mほどの、宗参寺にある牛込氏累代の墓。
◆写真中上:上は、1932年(昭和7)撮影の淀橋区にあった角筈十二社池Click!。下は、1933年(昭和8)撮影の同じく淀橋区の新宿駅近くにあった新宿カフェー街。
◆写真中下:上は、1933年(昭和8)に撮影された牛込区の神楽坂Click!。下は、1932年(昭和7)撮影の四谷区にある神宮球場で東京六大学野球Click!の開会式のようだ。
◆写真下:上は、1932年(昭和7)に空撮された豊島区の雑司ヶ谷鬼子母神。下は、1933年(昭和8)撮影のコンクリート新駅舎が完成した中野区の中央線・中野駅。
こんばんは。
このような地誌を語れる人は、今では落合道人さんくらいしかおられないのではないでしょうか。オチもなかなか効いてますね。笑
・・・上映会まで1か月となり、かえって多忙です。これが済めばブログに戻れるかどうか。いろいろな市民活動ともつながり、地元の連絡網となっているfacebookからは、もう逃れられなくなってしまいました。
by sig (2017-05-16 01:06)
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>はじドラさん
by ChinchikoPapa (2017-05-16 14:49)
いつも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>鉄腕原子さん
by ChinchikoPapa (2017-05-16 14:49)
sigさん、コメントと「読んだ!」ボタンをありがとうございます。
旧・山手を含めた(城)下町には、もっと“郷土愛”が強烈な古老たちがたくさんいますので、その方たちに比べたらわたしが“こだわり”で書くものなど、親からの受け売りも含めてまったくタカが知れています。より濃い「江戸東京人」は、まだまだ大勢いらっしゃいますね。
大きなプロジェクトを起ち上げられているようで、くれぐれもお身体にはお気をつけください。わたしの場合、facebookはリンクを張るだけで「放置」していますが、そちらまでサポートするとなると時間がいくらあっても足りなくなりそうですね。^^;
by ChinchikoPapa (2017-05-16 14:55)
きのう、あえてソメイヨシノが満開の1週間の混雑を避けて、「花見」をされる方のお話をうかがいました。ヤエザクラやハナミズキなどが開花して、落ち着いた花見ができる…ということで、15年前から仲間を集めて開催しているようです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ryo1216さん
by ChinchikoPapa (2017-05-16 14:57)
結婚して子どもを産んでから、井川遥は格段によくなりましたね。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>@ミックさん
by ChinchikoPapa (2017-05-16 14:59)
中目黒アトラスタワーができてから、目黒の複雑に入り組んだ道で目印がわりになるので、迷うことが減りましたけれど、やはり同ビルは目ざわりですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2017-05-16 15:02)
出ました、A.アイラーのいななき。でも、いまの年代でこれを聴くのはスタンダードナンバーが多いとはいえ、やはりしんどいですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2017-05-16 15:05)
深く熟睡できるというので、わたしも「グリナ」を試してみましたが、飲んでも飲まなくても7時間以上、爆睡するようなので止めました。w 「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>やってみよう♪さん
by ChinchikoPapa (2017-05-16 15:08)
今回のマルウェアの亜種(ランサムウェア)は、昔からロシアが“本場”だと思うのですが、相変わらず2ヶ月前の3月にMS社からパッチがリリースされているにもかかわらず、それをちゃんと適用しなかった運用管理の甘いマシンが狙われていますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>banpeiyuさん
by ChinchikoPapa (2017-05-16 15:17)
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>nandenkandenさん
by ChinchikoPapa (2017-05-16 15:17)
わたしも一度は川越を歩きたいのですが、どうしても「海のあるところ」優先になってしまい、いまだに出かける機会がありません。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>siroyagi2さん
by ChinchikoPapa (2017-05-16 15:20)
いつも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>AKIさん
by ChinchikoPapa (2017-05-16 17:49)
先日、玉川上水から山本有三邸あたりを散策したのですが、紹介されている店へ立ち寄ればよかったですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ぼんぼちぼちぼちさん
by ChinchikoPapa (2017-05-16 17:51)
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>コミックンさん
by ChinchikoPapa (2017-05-16 17:51)
ホタルブクロは、懐かしいですね。昔住んでいた海辺の家の周辺に、たくさん咲いていました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kazgさん
by ChinchikoPapa (2017-05-16 23:12)
「大東京新名所」独特のセンスで選定されていますね(笑)
ここで紹介された全名所を訪ねた方などいらっしゃったでしょうか?
文化伝統や歴史にお構いなしの行政区の再編や、地名改称が、地方でも進んでいて寂しい限りですが、東京もしかりですね。
by kazg (2017-05-16 23:16)
毛野エリアは南毛に限らず、観音めぐりではなく古墳めぐりをしてみたい地域です。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>skekhtehuacsoさん
by ChinchikoPapa (2017-05-16 23:26)
kazgさん、コメントも重ねてありがとうございます。
わたしはけっこう歩いていますけれど、板橋区の縁切り榎に足立区の西新井厄除大師は、一度も行ったことがないと思います。また、江戸川区の「星降りの松」は、子どものころ生えていた跡だけ立ち寄った記憶があるかないか…ですね。
区の自治体が35もあると、それだけコストもかかるのでたいへんですが、せめて「東京オリンピック」を契機に変えてしまった地名は、元にもどしてほしいものです。
by ChinchikoPapa (2017-05-16 23:33)
着々と、工事は順調に進んでいますね。早く来年度になって、名古屋城の全貌が見たいです。おそらく、どこかでドキュメンタリー番組をやるのでしょうね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ねじまき鳥さん
by ChinchikoPapa (2017-05-16 23:42)
昨年の息子さんの準決勝、惜しかったですね。今年こそ、インターハイへ出場できますよう。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ウッチィーさん
by ChinchikoPapa (2017-05-17 00:01)
『加藤嶺夫写真全集』1の「新宿区」は、中井駅から山手通りへ上る階段がなつかしいですね。刊行が3の「千代田区」で止まっていますが、続刊されるのでしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
by ChinchikoPapa (2017-05-17 09:57)
いまちょうど、下落合に住んでいた「スタイル」のデザイナー松井直樹を調べてまして、「正岡子規展」の次に予定されている「宇野千代展」を観てみたいです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>SILENTさん
by ChinchikoPapa (2017-05-17 10:05)
ヘビイチゴというと、この季節のハイキングを思い出します。子どものころは毒があるので食べられないといわれていましたが、ジャムにするとけっこう美味しいそうですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>okin-02さん
by ChinchikoPapa (2017-05-17 16:21)
ネコは段ボールと、デパートの紙袋が大好きですね。ときに、スーパーの買物袋にはまるのは、あのカサコソする音が魅力なのでしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyokiyoさん
by ChinchikoPapa (2017-05-17 17:03)
根津社も出雲神なので、「八重垣」というワードが使われているのですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ネオ・アッキーさん
by ChinchikoPapa (2017-05-18 09:42)
最近、スモークツリーをよく見かけます。モヤモヤしているので何だろうと思って近づくと、同樹の花でした。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>hirometaiさん
by ChinchikoPapa (2017-05-18 09:44)
昭和七年の神宮球場の写真を拝見。東京六大学全盛期のようで、満員状態ですね。小学生のころから何度も観戦しておりますが、最近はこれほどの観客が集う事はなくなってしまったようです。私もすっかりご無沙汰です。
by 古田 (2017-05-18 13:25)
古田さん、いつもコメントをありがとうございます。
わたしも、東京六大学野球はご無沙汰です。若いころは、ときどき早慶戦を観にいっていたのですが、今後は東大が優勝しそうになる奇跡でも起きない限り、観にいきそうもありません。w
戦前の六大学野球人気というのは、今からは想像できないほど高かったようですね。六大学以外の大学も、それぞれ贔屓の大学があって応援していたようです。いろいろな資料から、街中がその話題で持ち切り……というような光景も、めずらしくはなかったようですね。
by ChinchikoPapa (2017-05-18 13:52)
ブロック遊びは、よく子ども相手にやりましたね。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>nemo_zさん
by ChinchikoPapa (2017-05-18 14:14)
展望台がリニューアルされてから、江ノ島はご無沙汰で出かけてないです。サザエの壺焼きの香ばしい匂いと、店の軒下で揺れるガラスの浮きや風鈴と、セミの声を背に石段を上下する浴衣姿の人たちが印象的ですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>(。・_・。)2kさん
by ChinchikoPapa (2017-05-18 14:22)
>江戸期の処刑場だった小塚原(こづかっぱら)と鈴ヶ森
この二つは杉田玄白の『蘭学事始』で知った場所ですが、当時名所になって紹介されているというのが面白いです。
どのような場所だったのか気にはなっていました。
ウィキペディアで読んで見ると、鈴ヶ森では、八百屋お七も処刑されていたのでした。『好色五人女』改めて見てみると、確かにそのように書いてありましたので、近くいに行く機会があれば寄ってみたいと思います。
by アヨアン・イゴカー (2017-05-22 13:17)
アヨアン・イゴカーさん、こちらにもコメントと「読んだ!」ボタンをありがとうございました。
小塚原のほうは、近くの回向院も含めて昭和初期の雰囲気と、それほど大きくは変わっていないと思います。もっとも、周囲にはビル状のマンションが建ち並ぶようになりましたが…。
鈴ヶ森のほうは、昭和初期と現代とでは風情が激変していますね。クルマがひっきりなしに通る第一京浜沿いに、まるでグリーンベルトのように細っそり三角形に残った狭い敷地が処刑場跡です。夏になると「心霊スポット」などと紹介されますけれど、クルマが危なすぎて幽霊さんもめったに出られないですね。ぼやぼやしてたら、クルマに轢かれてしまいます。w
by ChinchikoPapa (2017-05-22 16:48)
以前の記事にまで、わざわざ「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>fumikoさん
by ChinchikoPapa (2017-05-27 20:01)
サクラ並木と雪洞というのは、どうしてピッタリと似合うんでしょうね。どこか遺伝子レベルに組みこまれた、昔から馴染みの情景だからでしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>opas10さん
by ChinchikoPapa (2017-05-30 11:39)
ごていねいに、以前の記事にも「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>うたぞーさん
by ChinchikoPapa (2017-06-11 00:52)
私は韓国人で、韓国の昔の詩人の日本での痕跡を探しています。偶然に落合道人のブログを読んで感心しました。1942年頃の東京の住所と当時の情報を探していますがなかなか分かりません。たぶん、中野区、あるいは新宿区のどこかようと思いますが、正確な現住所を探せないです。いい方法がないか、ちょっと相談したいですが、連絡先を分からないのでコメントに書きました。たいへん失礼ですが、もし良かったら私にメールで連絡してくれませんか。sinpodo12@hanmail.netです。
by seo (2018-12-08 16:02)
seoさん、コメントをありがとうございます。
日本に滞在していた中国人やベトナム人、インド人、ロシア人などについては、革命運動と政治的な亡命に関連して資料に当たったことはありますけれど、韓国の詩人については一度も調べたことがありません。あまりお役に立てないと思いますが、のちほどメールをお送りします。少しお時間をください。
by ChinchikoPapa (2018-12-08 16:26)
seoさん、先ほどメールをお送りしましたが、お役に立てたでしょうか? また、なにか判明しましたら、改めてメールを差し上げます。
by ChinchikoPapa (2018-12-08 21:16)