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下戸塚(西早稲田)地域の関東大震災。 [気になるエトセトラ]

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 これまで、郊外の落合地域とその周辺域から東京市街地にいたるまで、関東大震災Click!によって記録されたさまざまな証言や現象を記事にしてきた。今回は落合地域の南西側、下戸塚から早稲田鶴巻町にかけての震災直後の様子をご紹介したい。自身が避難しながら周囲の様子を記録したのは、1923年(大正12)の9月1日現在、下戸塚(現・西早稲田界隈)の古い2階建ての下宿屋Click!に住んでいた井伏鱒二Click!だ。
 9月1日は、早朝にまるでスコールのような大雨が降ったが、昼が近づくにつれて雲がまったくなくなり、快晴となって気温が急上昇した……という記述をよく見かける。だが、この気象は東京の市街地、特に被害が大きかった(城)下町あたりで多く見られた天気の様子で、東京各地では異なった天候が記録されている。東京は広いので、各エリアで天候が少なからず異なっているのは、以前にも岸田劉生Click!が郊外風景を描いた作品の空模様や劉生日記Click!の天気と、永田町にあった東京中央気象台で記録された天候とのちがいでも書いたとおりだ。ちなみに、新宿区のみに限っても下落合では薄日が射しているのに、同時刻の飯田橋駅附近にいる知り合いの電話の向こうでは土砂降りの雨が降っていたのを、わたしも何度か経験している。
 東京中央気象台のある永田町では、関東大震災が起きた9月1日の天候を、降水量15.3mmをともなう「雨」と記録している。だが、永田町上空も昼前後はよく晴れていたと思われるが、午後からは気象情報の収集どころではなくなり、結局は午前中のみのデータにもとづく記録になってしまったか、あるいは震災後から市街地の上空を覆いはじめた大火災の熱い焼煙によって、午後から夜にかけ市街地上空には雨雲が形成され、実際に雨がパラついていたのかどうかはさだかでない。
 井伏鱒二も、のちの関東大震災について各種書籍に書かれた市街地の天候と、郊外の下戸塚(西早稲田)で自身が経験した天候とが、「それは少し違つてゐる」と書いている。夜明けごろから強い雨が降りだしたのは、下戸塚も市街地と同様だったが、そのあと午前中には抜けるほど青い空が一点の雲もなく四囲に拡がり、快晴となったとされている部分が少しちがっているとしている。彼は午前中、東の空に「今まで私の見たこともないやうな」大きな入道雲(積乱雲)を目撃しており、それは「繊細な襞を持つ珍しい雲であつた」と書いている。つまり、東京の東部域には積乱雲がかかり、雷をともなう雨が降っていた地域もあったらしいことがうかがわれる。
 さて、早大近くの下戸塚に建っていた古い下宿で、大地震に遭遇した瞬間を井伏鱒二は次のように記述している。ちなみに、井伏鱒二はあえて牛込区の早稲田鶴巻町ではなく豊多摩郡戸塚町の下戸塚と書いているので、彼が下宿していたのは早大キャンパスの西南側なのだろう。1986年(昭和61)に新潮社から出版された、『井伏鱒二自選全集』第12巻収録の『荻窪風土記』から引用してみよう。
  
 地震が揺れたのは、午前十一時五十八分から三分間。後は余震の連続だが、私が外に飛び出して、階段を駆け降りると同時に私の降りた階段の裾が少し宙に浮き、私の後から降りる者には階段の用をなさなくなつた。下戸塚で一番古参の古ぼけた下宿屋だから、二階の屋根が少し前のめりに道路の方に傾いで来たやうに見えた。コの字型に出来てゐる二階屋だから、倒壊することだけは免れた。/私たち止宿人は(夏休みの続きだから、私を加へて、四、五人しかゐなかつたが)誰が言ひだしたともなく一団となつて早稲田大学の下戸塚球場へ避難した。不断(ママ:普段)、野球選手の練習を見たり早慶戦を見たり体操したりしてゐたグラウンドである。(当時、早慶戦はまだ神宮球場で試合をしてゐなかつた) 私は三塁側のスタンドに入つて行つた。そこへ早稲田の文科で同級だつた文芸評論家の小島徳弥がやつて来て、私たちは並んでスタンドの三塁側寄りに腰をかけた。
  
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早大カエル踊り.JPG
 文中に登場する「下戸塚球場」は「早大戸塚球場」Click!のことで、戦後は野球部長だった安部磯雄Click!の名前をとり「安部球場」と呼ばれたグラウンドだ。現在は、早大の中央図書館と国際会議場やホールなどになっているが、その前を通う坂道は相変わらず「グラウンド坂」と呼ばれて球場の名残りをとどめている。
 井伏鱒二の記述から、「一番古参の古ぼけた下宿屋」はどうやら早大キャンパスのすぐ近く、大字下戸塚字松原か字三島あたりではないかと思われる。以前、1923年(大正12)6月に戸塚球場で行われた早明戦の試合を、東京朝日新聞社がチャーターした飛行機から撮影した空中写真をご紹介Click!したけれど、この写真の中に井伏鱒二が暮らしていた下宿屋が写っているかもしれない。関東大震災のわずか3ヶ月前に撮影された空中写真なので、球場の観客の中には彼も混じっている可能性が高い。
 3塁側スタンド、つまり早稲田通り寄りのスタンドへ避難したということは、南側の早稲田通り側からグラウンド坂を下って戸塚球場に入り、すぐ左手のスタンドへ入って腰を落ちつけたとすれば、井伏鱒二の下宿屋は幕府の高田馬場跡Click!がある早稲田通り沿いの三島か松原、通りをわたった向こう側、穴八幡社Click!スコットホールClick!のある荒井山のいずれかということになる。つづけて、同書より引用してみよう。
  
 ここの野球グラウンドは、下戸塚の高台に上る坂の途中に所在する。三塁側のスタンドから見ると、女子大学のある目白台が正面に当り、そこからずつと右手寄りが伝通院の高み、その先が丸山福山町か本郷あたりといふ見当である。火事は地震と同時にそこかしこから出てゐたかもしれないが、目白台も伝通院の方にも本郷あたりにも、まだ火の手も煙もあがつてゐなかつた。すぐ目の下に見える早大応用化学の校舎だけは単独に燃えつづけてゐたが、その先の一六様の森から市電の早稲田終点の方では火の手も煙も出てゐなかつた。グラウンドの外の坂路には、火事を逃れた人たちが引きつづき先を急いでゐた。高田馬場の方へ逃げて行く人たちのやうであつた。(後からわかつたが、応用化学の校舎は薬品の入つてゐる瓶が独りで床に落ち、床を焦がして火事になつたものであるさうだ)/私と小島君が坐つてゐるすぐ下の段に、人足風の男が二人やつて来て、「お前、後で学校の事務へ行つて、ありのまま言つた方がいいぜ」と一人が言ひ、「それは言ふ。痛いもの」と一人が言つた。地震で早大の煉瓦建の大講堂が一度に崩れ、人足の一人が足を挫かれてゐるのがわかつた。
  
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早大大講堂(震災前).jpg
早大大講堂.jpg
 井伏鱒二は、目前を横ぎる目白崖線沿いの土地勘がありそうなので、おそらく周辺を散歩していたのだろう。早大の中で、地震により唯一出火したのが理工科応用化学教室の煉瓦ビルだった。薬品が棚から落下し、化学反応を起こして出火したのは下落合の佐藤化学研究所Click!と同じだが、同研究所がボヤだったのに対し早大の応用化学教室は薬品の量が多かったせいか、煉瓦造りの校舎が全焼している。下戸塚界隈で大きな火事があったのは、早大の応用研究室のみで、ほかは住宅や店舗の倒壊が何軒か記録されている。
 応用化学教室を消火したのは、地元の戸塚町消防組だった。当時の様子を、1976年(昭和51)に出版された『我が街の詩・下戸塚』(下戸塚研究会)から引用してみよう。
  
 早大応用化学科実験室より出火レンガ造りの周囲だけを残して全焼したが、戸塚町消防組の必死の消火活動で類焼は免がた(ママ:免がれた)、とその時の消防組の的確な働きに、感謝していたそうです。又校舎も倒れた所が多かった。又民家でも自転車屋さんが押しつぶされて二階が一階になったり、屋根瓦が落ちたりした家も少なくなく、又、水稲荷神社のお富士さんが崩れたり、三島通りの方でも魚藤さんとおもちゃ屋さんの二軒がつぶされました。/板金屋の本田清さんのお父さん等は、ある下宿屋の屋根に登って仕事中地震に会い、屋根にしがみついて、地震が終って気がついてみると、もうそこは、地面だった等と沢山の逸話がありますが、当町に於いては火事を出さなかったのが不幸中の幸いでした。(中略) 当時の三島通りは下町の方から、家財道具を荷車に乗せ転出地へ向う被災者の群で大変な混雑が二週間続いたそうです。
  
 文中に「校舎も倒れた所が多かった」と書かれているが、壁面などが崩れた校舎や講堂はあったが倒壊した校舎はなく、レストランや会議室などが入る大隈会館の屋根が崩落したのが最大の被害だったようだ。戸塚町は、落合地域と同様に関東大震災による損害が軽微だったせいか、むしろ市街地からの避難民を受け入れる側の立場になった。
早大大隈会館.jpg
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 1931年(昭和6)出版の『戸塚町誌』Click!(戸塚町誌刊行会)にも、大震災の記録が載っているかどうか調べたのだが、ほとんど記述されていない。大正中期から昭和初期にかけ、早野町長が公金を持ち逃げして行方をくらまし、収入役が引きつづき税金を町民から二重取りして着服・費消して大騒動となり、町議会では助役選出や町金庫の選定などをめぐる乱闘で流血がつづくなど、町政が前代未聞の「激震」状態だったため、町民たちは激怒して呆れはて、町会議員の大半も「バカらしくてやってらんねえや」と抗議辞職して、およそ関東大震災どころではなかったのだが、それはまた、別の物語……。

◆写真上:下落合から眺めた、夏の巨大な入道雲(積乱雲)。
◆写真中上は、関東大震災3ヶ月前の1923年(大正12)6月に撮影された戸塚球場の東京五大学野球決勝・早明戦。東京帝大(現・東京大学)野球部が準備不足のため、まだ六大学リーグにはなっていない。は、早大運動会開会式を3塁側から撮影した写真。式台背後には、東西を横ぎる目白崖線が見えている。は、早大運動会のカエル踊り。東京美術学校(現・東京藝大)のヨカチン踊りより、まだ少しは上品だと思われる。(爆!)
◆写真中下は、全焼した理工科応用化学教室の煉瓦ビル。震災前の早稲田大学大講堂()と、外壁が崩落した震災直後の同大講堂()。この震災被害により、正門前に新たな大隈講堂の建設計画が進捗することになった。
◆写真下は、屋根が崩落した大隈会館。は、1922年(大正11)ごろに撮影された早大キャンパス全景。戸塚球場は、画面右上の端に3塁側が見えている。は、関東大震災から1月余の1923年(大正12)10月10日に講義の再開を宣言する総長・高田早苗。

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コメント 26

ChinchikoPapa

日本では導入されはじめているウォークスルーの入退場は、テロがつづくヨーロッパではむずかしいかもしれないですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>八犬伝さん
by ChinchikoPapa (2017-09-01 14:50) 

ChinchikoPapa

D.チェリーの同フランス盤は、ふつうのレコード屋では見かけなかったですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2017-09-01 14:55) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>鉄腕原子さん
by ChinchikoPapa (2017-09-01 14:56) 

ChinchikoPapa

若いころから、カドカワの鳴り物入りで登場した薬師丸ひろ子にはピンときませんでした。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>@ミックさん
by ChinchikoPapa (2017-09-01 14:58) 

ChinchikoPapa

そういえば、学生時代に『誰かと今日もすれ違い』という坂田晃一の曲がヒットしていました。唄っていたのはダ・カーポでしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2017-09-01 15:00) 

ChinchikoPapa

うちはBDプレーヤーのドライブが、ディスクをうまく読み取らなくなりましたが、電源OFFで完全リブートしたら直りました。プログラムのエラーなんでしょうね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>やってみよう♪さん
by ChinchikoPapa (2017-09-01 15:03) 

ChinchikoPapa

大学を出たあと、初めて入った会社で先輩がゴールデン街と、2丁目のバーを連れ歩いてくれました。2丁目の風情は、この30年間で大きく変わってしまいましたが、ゴールデン街は当時とあまり変わらない印象です。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
by ChinchikoPapa (2017-09-01 15:05) 

ChinchikoPapa

最近、地面からコツンと突き上げるような、微小な震動を感じるような気がするのですが、夏の疲れによるめまいか気のせいでしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>siroyagi2さん
by ChinchikoPapa (2017-09-01 15:06) 

ChinchikoPapa

きのうから今日にかけては10月の気温だそうで、なんだか月見の季節のような陽気です。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>okin-02さん
by ChinchikoPapa (2017-09-01 15:08) 

ChinchikoPapa

肉を生で食べることは、まずないですね。韓国料理は、あまり得意ではありません。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyokiyoさん
by ChinchikoPapa (2017-09-01 17:47) 

ChinchikoPapa

学生時代から“天城越え”を一度はしてみようと思うのですが、いまだ機会がないですね。体力のあるうちに登りたいものです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>tarouさん
by ChinchikoPapa (2017-09-01 17:49) 

ChinchikoPapa

こちらは夕方から肌寒い陽気で、雨が降りつづいています。セミの声も途切れがちで、一気に秋めいています。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kazgさん
by ChinchikoPapa (2017-09-01 22:27) 

ChinchikoPapa

にゃんともシャレたデザインのカップ酒です。これなら女性が飲んでいても、違和感をあまり感じないですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>skekhtehuacsoさん
by ChinchikoPapa (2017-09-01 22:29) 

skekhtehuacso

私の母校のお話でしたので、興味深く拝読させていただきました。
ですが、理工科応用化学教室の建物がどこにあったのか、私には見当がつきませんでした。
13号館と言われていた建物のあたりだったのかも。

それに、最後から二枚目の写真ですが、今とは道路の配置がだいぶ違うようですね。
by skekhtehuacso (2017-09-01 22:34) 

ChinchikoPapa

skekhtehuacsoさん、ボタンのお礼と前後してしまいました。コメントをありがとうございます。
陸軍の射撃場の跡地に、理工学部の戸山キャンパスができるまでは、13号館とその周辺の校舎が理工学部でしたね。親父は戦後すぐのころから、そこへ通っていたと思います。田中角栄が建設を請け負ったというウワサがありましたが、ほんとうでしょうか。
道筋もぜんぜんちがいますが、キャンパスも狭いですね。いまは、水稲荷社が甘泉園の西側に遷座し、富塚古墳を全的につぶしてキャンパスにしてしまっています。それに、三神テニスコートも安部球場の敷地も、現在はみんな早大の施設が建っていますね。
by ChinchikoPapa (2017-09-01 23:34) 

ChinchikoPapa

カムイエト゜(kamuy-etu)岬も「神岬」岬で、江戸(エト゜/etu)岬の「岬」岬と同様、二重名称になっていますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>dendenmushiさん
by ChinchikoPapa (2017-09-02 15:03) 

ChinchikoPapa

このドラマは同時代で、高校時代だったでしょうか。ほかにユニオン映画では、「雑居時代」というのもあったような気がします。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>いっぷくさん
by ChinchikoPapa (2017-09-02 15:06) 

ChinchikoPapa

すっかり秋めいて、そろそろ秋の花々が咲きそろいそうですね。今年はキノコ類も、豊作ではないでしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>simousayama-unamiさん
by ChinchikoPapa (2017-09-02 23:18) 

ChinchikoPapa

明治期に学校として使われていた建物が、面白い建築様式をしていますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>yamさん
by ChinchikoPapa (2017-09-03 19:59) 

ChinchikoPapa

ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございます。>U3さん
by ChinchikoPapa (2017-09-03 20:03) 

ChinchikoPapa

いつも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>ネオ・アッキーさん
by ChinchikoPapa (2017-09-03 20:11) 

アヨアン・イゴカー

大隈重信邸は、こんなに広かったのですね。空中写真で見るとその大きさがよく分かりますが、何坪くらいあったのでしょう。
by アヨアン・イゴカー (2017-09-03 22:38) 

ChinchikoPapa

アヨアン・イゴカーさん、コメントと「読んだ!」ボタンをありがとうございます。
現在の大隈庭園部だけで1万坪以上ということですから、邸地や家令の宅地まで含めるととんでもない広さになりますね。ただ、建設された当初は周囲が早稲田田圃で、水車がまわる水田だらけだったと思いますので、土地は田畑多価格で非常に安かったと思います。
by ChinchikoPapa (2017-09-03 22:55) 

ChinchikoPapa

ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございました。>takaさん
by ChinchikoPapa (2017-09-03 22:57) 

ChinchikoPapa

以前の記事にまで、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>fumikoさん
by ChinchikoPapa (2017-09-23 19:22) 

ChinchikoPapa

こちらにも、わざわざ「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>うたぞーさん
by ChinchikoPapa (2017-10-09 13:17) 

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