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下落合を描いた画家たち・清水多嘉示。(5) [気になる下落合]

清水多嘉示「風景(仮)」OP287.jpg
 前回もご紹介したように、清水多嘉示Click!の作品には1923年(大正12)3月に渡仏する以前と、1928年(昭和3)5月に帰国して以降に、下落合(ないしは東京郊外)を歩きながら描いたと思われる風景画が少なからず存在している。清水がしばしば下落合を訪れたとみられるのは、1929年(昭和4)まで中村彝Click!アトリエClick!中村会Click!(のち中村彝会Click!)として機能していたことと、多くの友人知人のアトリエが下落合にあったことが要因として挙げられる。
 今回ご紹介する作品もまた、はっきりとした道筋や地形、建物の特徴などが鮮明に描かれておらず、いかにも昭和の最初期の下落合をとらえたような作品ばかりだが、描画場所をピンポイントで規定できないものが多い。まず、冒頭に掲示した『風景(仮)』(作品番号OP287)から見ていこう。この作品も、2015年(平成27)に武蔵野美術大学彫刻学科研究室が刊行した『清水多嘉示資料/論集Ⅱ』によれば、「滞仏期[1923-1928年]か」と疑問形で収録されている1点だ。
 この画面を観て真っ先に思い浮かべたのが、目白文化村Click!の第一文化村に接して建っていた、レンガ造り2階建ての箱根土地本社Click!のビルだ。同本社ビルは建設当初、まるで明治期の西洋館を彷彿とさせる赤いレンガの建物だったが、1925年(大正14)に箱根土地が国立へ移転すると同時に中央生命保険(のち昭和生命保険に吸収)が買収し、以後は「中央生命保険俱楽部」として利用されている。その際、赤いレンガだった外壁は全面をベージュに塗り直されているとみられ、また建物の東側に2階建てのウィングを増築していると思われる。
 下落合1328番地にあった赤レンガ時代の箱根土地本社ビルは、1925年(大正14)に松下春雄Click!『下落合文化村入口』Click!として描き、外壁をベージュに塗り直したあとの中央生命保険俱楽部の建物は、1926年(大正15)に林武Click!『文化村風景』Click!として制作している。いずれも、同ビルを南側にある庭園「不動園」Click!側から描いたもので、庭園の池に向けて南側へ下る地形の上にレンガ構造の建物が建っていた。建物は戦時中に解体され、不動園の斜面や池も埋め立てられ整地化されたが、現在でも南へ向けた傾斜はそのまま残っている。
 さて、清水多嘉示の『風景(仮)』(OP287)を見ていこう。この画面が制作されたのは、もちろん1928年(昭和3)以降だとみられるので、建物は外壁がベージュに塗り直された中央生命保険俱楽部の時代だ。門柱には、黒っぽい長めのプレートが嵌めこまれているような表現が見えるので、ネームにはそう書かれているのかもしれない。この門が正門だとすれば、北側から南を向いて描いていることになる。つまり、文化村派出所(交番)Click!のすぐ横から、中央生命保険俱楽部を向いて制作していることになる。
 画面左手(東側)には、すでに南の庭園「不動園」に向けて急傾斜の斜面上に、中央生命保険が増築した新たな東ウィングが見えている。手前の道路を右手(西北西)に歩けば、隣接する第一文化村の北辺へ、また左手(東南東)に歩けば、ほどなく落合第一小学校Click!や落合町役場の前へと抜けることができる。昭和初期なので、改正道路Click!(山手通りClick!)工事はまだはじまっていない。
 だが、確信をもって描画場所を規定できないのは、箱根土地本社時代のビルの全景写真は現存するので確認できるのだが、中央生命保険俱楽部時代の建物は東ウィングが増築された、1936年(昭和11)のぼやけた空中写真でしか見たことがないので、いまひとつ建物全体の姿を把握できないことだ。また、増築された東ウィングの部分写真なら、落合第一小学校の卒業記念アルバムで確認できるが、俱楽部の本館(旧・箱根土地本社ビル)に対して、東ウィングが北側の道路からどのように見えていたものか、あるいはどのような増改築の過程があったのか、はっきりと把握することができない。
 1925年(大正14)ごろから1928年(昭和3)まで、落合第一小学校は校舎の全面建て替え工事Click!のため、卒業アルバムの記念写真を中央生命保険俱楽部に南面する庭園で撮影していた。その撮影場所が、ちょうど東ウィング前の急斜面にあたる。
箱根土地本社ビル.jpg
松下春雄「文化村入口」1925.jpg
林武「文化村風景」1926.jpg
不動園池.jpg
 また、清水多嘉示は外壁をベージュではなく、おもにグレイで描いている。(部分的にベージュが使われてはいるが) 描かれているのは建物の北面であり、曇りがちの日であれば蔭りでグレーに見えたのかもしれないが、林武は西日を受けた同建物の南面外壁をタマゴ色に描いている。ちなみに、赤レンガの構造物を防水剤を混ぜたベージュのペンキで厚塗りする施工法は、佐伯祐三Click!が描いた新橋駅のレンガ造りガードClick!でも見ることができる仕様だ。
 さらに、同倶楽部の門からエントランスまで、やや距離がありすぎるようにも感じる。大正期でなく、もはや昭和初期の洋画であれば、実際の風景をそのまま忠実に写すばかりでなく、多分に“構成”やデフォルマシオンが加えられている可能性もあり、いまひとつ下落合1328番地の風景だ……と規定することがむずかしいゆえんだ。
 さて、次の『風景(仮)』(OP288)も描画場所の特定がむずかしい。『清水多嘉示資料/論集Ⅱ』によれば、「不明・帰国後[1928年以降]」とされている1枚だ。西洋館が3棟に、日本家屋が2棟ほど描かれているように見えるのだが、電柱が1本も存在していない。そのまま受けとれば、電力・電燈線Click!共同溝Click!に埋設した目白文化村の一部を描いたようにも思えるが、このような一般的でありふれた仕様の住宅が並んでいる様子を、わたしは目白文化村の内部では知らない。また、家々も文化村にしては近接しすぎていて、敷地の規模が小さすぎるように感じる。いかにも当時の下落合なら、どこにでも建っていそうな住宅群の一画だ。清水は、あえて電柱を省略して描いているのかもしれない。
 この作品が、まちがいなく東京で描かれているとみられるのは、中央に描かれた西洋館の尖がり屋根が白く塗られているからだ。別に、この家だけに雪が降ったわけではなく、昼間の光線を反射して屋根が光っているからだろう。1923年(大正12)の関東大震災Click!以降、下落合に建てられつづけた住宅(特に西洋館)は、地震で重たい瓦屋根が倒壊するのを防ぐために、軽いスレートやトタンで葺く屋根が急増していく。佐伯祐三が描く「下落合風景」シリーズClick!にも、住宅群をとらえた風景のところどころに、白く反射Click!するトタンかスレートの屋根が描きこまれている。これは下落合に限らず、東京じゅうの新興住宅街で見られた大きな特徴だろう。
 もうひとつ、画面には大正期から昭和初期にかけて大流行した、住宅建築(西洋館)の特徴がとらえられている。白い屋根の左隣り、赤い屋根の西洋館に設置された、尖がり屋根のかわいい玄関ポーチだ。これは、現存する大正期の西洋館(たとえば中谷邸Click!)でも実際に見ることができる。画面の西洋館は、中谷邸Click!に比べればかなりコンパクトだが、それでも当時のトレンドを積極的に取り入れたのだろう、自邸を建設できた住民のうれしさが伝わってくるような意匠の建物だ。
落一小卒業記念写真1928頃.jpg
箱根土地本社ビル1936.jpg
清水多嘉示「風景(仮)」OP288.jpg
佐伯祐三「遠望の岡?」1926.jpg
 だが、このような住宅は昭和初期の下落合では随所に見られ、描画場所を特定するメルクマールにはならない。強いていえば、住宅の周囲が空き地のような風情である点や、手前に農業用水の井戸(肥溜め?)のような施設が見えるところから、畑地が多く残る昭和初期の下落合(現・中落合/中井含む)西部のような気がする。もっとも同時代の高円寺風景といっても、なんら不思議ではない画面だといえよう。
 もう1枚の画面も、『清水多嘉示資料/論集Ⅱ』によれば「滞仏期[1923-1928年]か」と、疑問視されている『風景(仮)』(OP290)だが、わたしには下落合あたりの日本の風景に見えている。先述したトタンないしはスレートの光る屋根が、ここでは中央左に描かれた住宅の屋根として、よりはっきりとした質感や“てかり”とともに描写されている。どうやら、淡いブルーのトタン屋根のようだ。
 関東大震災時の市街地では、重たい瓦屋根を載せた住宅の倒壊や、瓦の落下による死傷者が相次ぎ、東京市では震災後に釘止めができる屋根瓦以外の使用禁止や、軽量なトタンあるいはスレートの屋根を奨励している。また、トタンやスレートよりもさらに軽量な「布瓦」(石綿スレート)Click!が発明されてブームになり、佐伯祐三アトリエも屋根の重量を軽くするために、防災仕様Click!の「布瓦」で葺かれていた時代があった。
 『風景(仮)』(OP290)の画面には、やはり電柱が描かれていないが、前出の『風景(仮)』(OP288)と同様に文化村かどうかは不明だ。右手に描かれている赤い屋根の住宅は、あめりか屋Click!あたりが建てそうな昭和初期の洋館のように見えるし、左手のトタン屋根の家は下見板張りの外壁にクレオソートClick!を塗布した、焦げ茶色の和洋折衷住宅のように見える。手前にはカーブする道が描かれているけれど、家々がまばらな様子から下落合東部の風情には見えない。これもまた、下落合西部に見られた街角風景だろうか。
中谷邸.JPG
清水多嘉示「風景(仮)」OP290.jpg
木星社跡.JPG
蕗谷虹児アトリエ跡.JPG
 清水多嘉示は、中村彝アトリエの周辺や曾宮一念アトリエClick!蕗谷虹児アトリエClick!、そして木星社Click!(福田久道Click!邸)の周囲を描いていると想定できるが、この中でもっとも西寄りなのが下落合1443番地の木星社だ。清水ははたして、そこからさらに西へ足を向けているのだろうか。もし福田久道などから、モチーフになりそうな風景が西にありそうだと奨められれば、画道具を抱えて積極的に出かけていたようにも思える。

◆写真上:帰国後に描いた可能性がある、清水多嘉示『風景(仮)』(OP287)。
◆写真中上は、下落合1328番地にあった竣工当時の箱根土地本社ビル。東側のウィングは、いまだ増築されていない。中上は、1925年(大正14)制作の松下春雄『下落合文化村入口』で箱根土地本社がレンガ色をしている。中下は、1926年(大正15)制作の林武『文化村風景』で中央生命保険俱楽部の外壁がベージュに塗り替えられている。は、1922年(大正11)ごろに撮影された不動園の池(手前)。池から西北西を向いて、目白文化村住民の親睦施設であるF.L.ライト風の「俱楽部」を撮影している。
◆写真中下は、1928年(昭和3)春に撮影された落合第一小学校の卒業記念写真。左手の斜面上に見えているのが中央生命保険俱楽部のウィング東端で、「おちあいよろず写真館」(コミュニティおちあいあれこれ/2003年)より。中上は、1936年(昭和11)の空中写真にみる中央生命保険俱楽部。中下は、帰国後に描かれた清水多嘉示『風景(仮)』(OP288)。は、トタンやスレートの屋根の“てかり”を表現したとみられる佐伯祐三が二ノ坂上を描いた『下落合風景』(「遠望の岡」?/部分)。当初、画面の洗浄でニスを洗い落とす際、薄塗りの絵の具まで洗ってしまった可能性も考えたが、ほかの作品表現も含めて考えるとどうもそうではなさそうだ。
◆写真下は、尖がり屋根の玄関ポーチがかわいい中谷邸。中上は、帰国後に描いていると思われる清水多嘉示『風景(仮)』(OP290)。中下は、下落合1443番地にあった木星社(福田久道邸)跡。は、下落合622番地の蕗谷虹児アトリエ跡で、現在は右手の洋館が和館に建て替えられている。また、道路の突き当たりは下落合630番地の敷地で里見勝蔵アトリエClick!森田亀之助邸Click!が建っていた。
掲載されている清水多嘉示の作品画像は、保存・監修/青山敏子様によるものです。

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ChinchikoPapa

わたしも谷中で、寺の門前に植えられたススキを見かけました。穂が重たげに、風に揺れてました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>simousayama-unamiさん
by ChinchikoPapa (2017-09-10 14:58) 

ChinchikoPapa

親父がなぜかピンキラ好きで、流行ったころはよく口ずさんでました。歌謡番組などまず見ない親父が、ピンキラが出るところはチャンネルをまわして見てましたね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>@ミックさん
by ChinchikoPapa (2017-09-10 15:03) 

ChinchikoPapa

灯台のかたちが、1960年代に建設されたアパート群のウォータータンクのようで、めずらしいフォルムをしていますね。識別標の役割りも果たしているのでしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>dendenmushiさん
by ChinchikoPapa (2017-09-10 15:08) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>鉄腕原子さん
by ChinchikoPapa (2017-09-10 15:08) 

ChinchikoPapa

『 Last Date』は、いくつかあるジャケットデザインの中では、イラストのものがいちばん好きですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2017-09-10 15:11) 

ChinchikoPapa

列車が暴走するテーマというと、黒澤明の原案で米国で撮られた『暴走機関車』を思い出します。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>やってみよう♪さん
by ChinchikoPapa (2017-09-10 15:14) 

ChinchikoPapa

わたしがラジオ番組でロックを聴きだすのは、もう少しあとの70年代に入ってからでした。深夜放送は、もう少し前から聴いてたん照すけどね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>芝浦鉄親父さん
by ChinchikoPapa (2017-09-10 15:18) 

ChinchikoPapa

鍾乳洞と聞くと、すぐに行ってみたくなります。この近くですと、石灰岩質の山が多い秩父あたりでしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>yamさん
by ChinchikoPapa (2017-09-10 15:20) 

ChinchikoPapa

ひと晩たった、おでんのタマゴは大好きです。今度、煮タマゴもやってみます。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>いっぷくさん
by ChinchikoPapa (2017-09-10 15:24) 

ChinchikoPapa

鋲が目立つチョコレート色の車両は、子どものころ茅ヶ崎駅から出ている相模線か、東神奈川駅からの横浜線で乗ったような記憶があります。内部は木製で、床からはコールタール(クレオソート?)のような臭いがしてました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2017-09-10 15:29) 

ChinchikoPapa

きのうと今日が晴れたので、セミたちが名残り惜し気に鳴いています。風に乗って、ちかくの神社から祭囃子が聞こえてきますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>okin-02さん
by ChinchikoPapa (2017-09-10 15:33) 

ChinchikoPapa

ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございました。>ネオ・アッキーさん
by ChinchikoPapa (2017-09-10 17:11) 

ChinchikoPapa

うんこ都電は、災難でしたね。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>(。・_・。)2kさん
by ChinchikoPapa (2017-09-10 18:23) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ありささん
by ChinchikoPapa (2017-09-10 18:24) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>八犬伝さん
by ChinchikoPapa (2017-09-10 19:17) 

ChinchikoPapa

日本酒でアルコール度数が18度と高いのは、めずらしいですね。わたしは、味わったことないかもしれません。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>skekhtehuacsoさん
by ChinchikoPapa (2017-09-10 21:31) 

ChinchikoPapa

カナヘビの赤ちゃん、かわいいですね。うちではときどき、「キ」というカタカナ文字が、窓や壁に書かれていることがあって、よく見るとヤモリなんです。家じゅうの害虫を退治してくれるので、そのまま大切にしているのですが、さすがに何匹も見つけたときは、捕まえて外に出すようにしています。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kazgさん
by ChinchikoPapa (2017-09-10 21:35) 

ChinchikoPapa

「怪演」の裏では、表現に対するものすごい努力がなされているのでしょうね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
by ChinchikoPapa (2017-09-10 23:11) 

ChinchikoPapa

緑のモミジも、瑞々しくていいですね。色づきはじめるのは10月でしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>soramoyouさん
by ChinchikoPapa (2017-09-11 21:52) 

ChinchikoPapa

ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございました。>U3さん
by ChinchikoPapa (2017-09-11 21:54) 

ChinchikoPapa

パドルボードは、神奈川県の海辺にいくとあちこちで見られますね。「読んだ!」ボタンを、ありがとうございました。>tarouさん
by ChinchikoPapa (2017-09-12 09:40) 

ChinchikoPapa

わたしも艦船の模型づくりが好きで、子どものころからずいぶん作りました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>スーおばさんさん
by ChinchikoPapa (2017-09-12 15:30) 

ChinchikoPapa

ごていねいに、こたらにも「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>うたぞーさん
by ChinchikoPapa (2017-10-09 13:15) 

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