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下落合を描いた画家たち・清水多嘉示。(6) [気になる下落合]

清水多嘉示「民家(仮)」OP648.jpg
 前回につづき、清水多嘉示Click!が描いた帰国後の風景作品を検討していこう。まず、冒頭の画面は武蔵野美術大学彫刻学科研究室が刊行した『清水多嘉示資料/論集Ⅱ』によれば、『民家(仮)』(作品番号OP648)とタイトルされており、これも制作時期が「不明(帰国後[1928年以降])」と分類されている作品だ。この風景も、昭和最初期の下落合ならあちこちで見られた風情だろう。光線の射し方や、家々の屋根が向く切妻の方角から見て画家の背後が南側であり、平屋と2階建ての住宅がかなり密集している。
 手前は畑か、冬場の草原のような様子をしており、広めな空き地の向こう側に低木の生垣を隔てて住宅群が並んでいる。そして、清水の画面にはめずらしく電柱や、家々に建てられた長い竿状の細い柱、そして銭湯の煙突らしいものまで描きこまれている。これだけ、住宅の上空に賑やかな描きこみのある清水の作品はめずらしい。
 まず、家々に建てられた細い竿状の柱はなんだろうか? 大正期から住宅のトイレに、2階屋根よりもかなり高めな「臭突(臭い抜き)」Click!が設置される事例が急増している。トイレが水洗ではない、おもに東京郊外の住宅街で目立つ流行りの設備だった。だが、「臭突」だと先端に風を受けてまわり、筒内部の空気を逃がす風車のふくらみがないとおかしい。あるいは、画面左手と中央右寄りの住宅に描かれている2本の竿は、鯉のぼりを泳がせるために男の子がいる家が建てた掲揚竿だろうか? だが、右側の1本は、どこか電柱の横木を思わせるような表現にも見える。明らかに電柱とみられるフォルムは、中央に描かれた灰色屋根の2階家から、ちょこんと突き出ているのが確認できる。
 さて、関東大震災Click!を経験した東京らしい、トタンかスレートとみられる2階家の赤い軽量屋根の左端から突き出ている、太い棒状のものはなんだろうか? 先端から灰白色の煙のようなものが流れ出ており、空に描かれた右手へとたなびく異なる色彩の表現を考慮すれば、手前の密集した住宅街の存在とあいまって、風の強い日にとらえられた近くにある銭湯の煙突と想定しても、あながち不自然ではないだろう。昭和初期に落合地域で開業していた銭湯は、すべて把握している。
 それらの銭湯とその周辺に拡がる住宅街を、ひとつひとつ地図や空中写真で検証していくと、当時の下落合にはこの風景に合致しそうな場所が3ヶ所ある。画面には丘状の地形も、また坂道などの傾斜地も見られないことから、目白崖線の丘上と解釈してまちがいないだろう。そうすると、このように建てこんだ一般的な住宅街の北側に銭湯の煙突が見える場所は、下落合574番地の「富士の湯」か、下落合635番地の「福の湯」Click!、下落合1498番地の「菊の湯」の3ヶ所しかない。
 ただし、光線の射しこむ様子から画家の背後が南だとすれば、「菊の湯」Click!の南側には敷地も広く大きめな第一府営住宅Click!の屋敷街が展開しているので、このような風情には見えなかっただろう。同様に、「富士の湯」の南側は大正末から住宅が密集しており、手前に描かれたような広い空き地あるいは原っぱの存在が想定しにくい。すると、残るは「福の湯」の煙突ということになる。
 また、煙突が「福の湯」だとすれば、1931年(昭和6)以降のこの位置には、補助45号線Click!(聖母坂Click!)が通っていなければならない。そう考えると、『民家(仮)』(OP648)が制作された時期は帰国した1928年(昭和3)5月から、聖母坂の道路工事がはじまる1930年(昭和5)ごろまでの間……と想定することができる。以上のような状況を踏まえながら、改めて画面を眺めてみると、手前の空き地は畑でも宅地造成でできた原っぱでもなく、東京府が計画する補助45号線の買収を終え、家々が解体された道路用地にも見えてくる。
 清水多嘉示がイーゼルを立てている(とみられる)位置は、右手のキャンバス枠外に下落合630番地の森田亀之助邸Click!、画家の位置から右うしろへ70mほどのところに下落合622番地の蕗谷虹児アトリエClick!(1930年代前半だとすると未建設)、同じく右うしろ100mほどのところには下落合623番地の曾宮一念アトリエClick!、また画家の左うしろ100mほどのところには下落合1443番地の木星社(福田久道邸)Click!……というような関係になる。以前にご紹介した、曾宮アトリエを描いたとみられる『風景(仮)』(OP284/285)Click!の、わずか西北西へ100mほど歩いた地点だ。
 1930年(昭和5)1月に、清水多嘉示は『清水多嘉示滞欧作品集』を木星社から刊行しているので、その打ち合わせに下落合の福田久道Click!を訪ねた際、1929年(昭和4)ごろにちょっと“寄り道”して制作された作品なのかもしれない。
清水多嘉示「民家(仮)」OP648拡大.jpg
福の湯1926.jpg
福の湯1936.jpg
福の湯煙突.JPG
 1930年(昭和5)に入ってしまうと、聖母病院Click!フィンデル本館Click!の建設がはじまり、同時に補助45号線(聖母坂)の造成・掘削工事もスタートしていただろう。この道路工事によって、手前の空き地に建っていた家々と同様に、画面左手に見える家々は立ち退きを迫られ、ほどなく解体されることになったかもしれない。清水多嘉示がイーゼルをすえているのは、用地買収を終えた下落合655番地の山上邸の東側敷地か、同656番地の高田邸の跡地あたりということになる。
 だが、山上邸や高田邸の東側には、何ヶ所かが「く」の字にクラックする細い路地が通っていたはずなのだが、画面にはハッキリと表現されていない。手前の空き地に繁る枯草の間を、斜めに横切るような土面の表現がそれに相当するのだろうか? いずれにしても、道路建設の直前の情景だとすれば、周囲は空き地だらけになっていたはずであり、細い道路自体がまったく用をなさず、東京府が買収を終えた草原の中にまぎれてしまっていた可能性も否定できない。
 ちなみに、佐伯祐三Click!も近くの情景を「下落合風景」シリーズClick!で描いている。1927年(昭和2)の5~6月ごろ、八島邸Click!や竣工したばかりの納邸Click!を入れ、「八島さんの前通り」Click!を北側から描いた第2次渡仏直前の1930年協会第2回展Click!へ出展された作品だ。佐伯がイーゼルを立てているのは、清水多嘉示の描画位置から西へわずか140mほどのところということになる。清水の画面に描かれた当時は一般的な住宅群を、2~3年前に描いた佐伯の画面でも見ることができる。清水は南を背に、北へキャンバスを向けて制作しているが、佐伯は逆に北側から南を向いて仕事をしている。
 清水は、描く風景のメルクマールとでもいうべき、特徴的な道路や住宅、電柱、工場、煙突、坂道などを入れて描くことが少ない。『民家(仮)』(OP648)は、煙突らしいフォルムが描かれていたので描画位置を推定することができるが、もしこれが銭湯の煙突ではなくたとえば電柱だとすれば、落合地域の随所で、あるいは清水が帰国後に新居をかまえた高円寺でも、あちこちで見られた風景のように思える。
福の湯1938.jpg
佐伯祐三「曾宮さんの前」1926.jpg
森田亀之助邸跡.JPG
 さて、次に『風景(仮)』(OP589)を見てみよう。この作品も、「不明(帰国後[1928年以降])」と分類されている。手前には丘へ上る坂道が描かれ、右手には丘上か斜面に建つ洋風の2階家がポツンと描かれている。画家の視点は、道路をはさんで反対側のやや小高い位置から坂道を見下ろしている点にも留意したい。いかにも、坂や斜面が多い下落合らしい風情だが、これに合致する場所は昭和初期の現在、地図や空中写真あるいは多様な資料を前提に考えても、なかなか思い当たらない。
 下落合は、南斜面と丘上を中心に明治期から拓けた別荘地であり、大正期から昭和初期にかけては新宿方面(南面)への眺望に優れ、冬は陽当たりがよく北風が防げて暖かな南へと下る坂道や斜面では、積極的な宅地開発が行われている。したがって画面のような坂道があれば、すでに昭和初期にはその両側に家々が建ち並んでいる場所が多い。ただし、わたしの知る限り例外が2ヶ所ほどある。
 ひとつは、大倉財閥が丘全体を買収し、明治期には伊藤博文Click!の別荘があったという伝承が残る下落合(現・中落合/中井含む)東部の大倉山(権兵衛山)Click!界隈と、ふたつめは改正道路(山手通り)工事が予定されていて宅地開発が進まず、のちに樹木が伐採されて「赤土山」Click!とも呼ばれ、同工事により坂道(たとえば矢田坂Click!振り子坂Click!など)の多くが全的に、または部分的に消滅してしまう下落合の中部一帯だ。
 まず、この情景が大倉山(権兵衛山)だとすれば、描かれている坂道は七曲坂Click!の最上部であり、見えている家は大正期中に下落合630番地へ自宅を建てて転居する、下落合323番地の旧・森田亀之助邸Click!の並びに建てられた家の1棟……ということになるだろうか。大倉山(権瓶山)のピークは画面右手の枠外にあり、清水多嘉示がイーゼルを立てるかスケッチしているのは、下落合775番地の大島久直邸Click!の敷地土手ということになる。なお、森田亀之助が転居した理由は明確でないが、大倉家がテニスコートなどのスポーツ施設を建設するために、周辺の借家を解体している可能性がある。
 この七曲坂を、そのまま目白通りのある北へと歩けば、途中で中村彝Click!アトリエのある林泉園Click!が右手に見えてくる。また、画面右上に描かれた住宅の北側には細い路地が東西に通い、七曲坂へと抜ける道沿いにはヒマラヤスギの並木Click!が植えられていた。画面の中央上から左にかけて、少し尖がり気味の樹木が描かれているのがそれだろうか?
清水多嘉示「風景(仮)」OP589.jpg
七曲坂1936.jpg
赤土山1936.jpg
赤土山1938年以降.jpg
 また、『風景(仮)』(OP589)の画面が下落合中部の丘陵地帯の場合、わたしには描画場所が不明としかいいようがない。なぜなら、改正道路(山手通り)Click!の敷設によって地形が大きく改造されてしまった同エリアでは、消滅してしまった場所へ実際に立つことも不可能だし、1936年(昭和11)に撮影された空中写真と昭和初期の地形図からしか、消えた丘陵地「赤土山」を想像する以外に手だてがない。しかも、当該のエリアには住宅が少なかったせいか撮影された写真も少なく、現存する資料類もほとんど見当たらないからだ。

◆写真上:1928年(昭和3)の帰国後に制作された、清水多嘉示『民家(仮)』(OP648)。
◆写真中上は、同作品の空を拡大したもの。中上は、1926年(大正15)作成の「下落合事情明細図」にみる推定描画ポイントで聖母坂は存在しない。中下は、1936年(昭和11)の空中写真にみる同所。は、補強された解体直前の福の湯煙突。
◆写真中下は、1938年(昭和13)作成の「火保図」にみる福の湯とその周辺。は、1926年(大正15)9月20日制作の佐伯祐三『下落合風景(曾宮さんの前)』(部分)に描かれた福の湯の煙突。は、福の湯の南にあった下落合630番地の森田亀之助邸跡(右手)。
◆写真下は、同じく帰国後に描かれた清水多嘉示『風景(仮)』(OP589)。中上は、1936年(昭和11)の空中写真にみる七曲坂上。中下は、同年の空中写真にみる山手通りの工事が計画されている赤土山周辺。は、1937年(昭和12)以降に赤土山から撮影されたと思われる風景。左側に見える電柱が並んだ坂道は、第二文化村の南端に通う振り子坂で、赤土山から北西の方角を見て撮影したと思われる。同写真は、「落合新聞」1967年(昭和42)3月1日号に掲載されたもので熊倉家所蔵の1枚。
掲載されている清水多嘉示の作品画像は、保存・監修/青山敏子様によります。

読んだ!(26)  コメント(29) 
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コメント 29

古田宙

大倉山にテニスコートがあったのですね。現在落四の校舎がある辺りなのでしょうか。伊藤博文別邸もあったそうですね。初耳の事ばかり!!
by 古田宙 (2017-09-16 10:17) 

ChinchikoPapa

古田宙さん、コメントをありがとうございます。
落四小の北側校舎の西半分ぐらいが、大倉山のテニスコートだったようですね。1926年(大正15)の「下落合事情明細図」には、すでに掲載されていますので、おそらく森田亀之助が転居した直後ぐらいから工事がはじまり、大正末には利用されていたのではないかと思います。
「伊藤博文の別荘」の話は、複数の方からうかがいました。同別荘といえば、わたしは子どものころから訪れていた、大磯の別荘(当時は中華料理店でした)をイメージしたので驚きました。でも、確かに目白崖線沿いには、明治期から椿山に山県有朋の「椿山荘」が、下落合には徳川家(大垣)の別荘が建っていたわけですから、短期間かもしれませんが、ありえないことではないと考えています。
by ChinchikoPapa (2017-09-16 12:58) 

ChinchikoPapa

なんとなく顔が“薄め”のせいでしょうか、当時からあまりこの女優には惹かれませんでした。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>@ミックさん
by ChinchikoPapa (2017-09-16 15:39) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>鉄腕原子さん
by ChinchikoPapa (2017-09-16 15:40) 

ChinchikoPapa

使用言語はともかく、形質人類学からのアプローチやSt遺伝子・白血球の因子レベルから見ますと、わたしはまちがいなく「坂東夷」だと思いますので、ナラのヤマト朝廷の方々とは民族以上に、人種レベルの適合進化からしてちがいそうです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>dendenmushiさん
by ChinchikoPapa (2017-09-16 15:46) 

ChinchikoPapa

わたしの義父・義母は背が低かったのですが、男子は180cm近く女子は160cm超えと、あまり親子の身長計算式はアテになりません。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>やってみよう♪さん
by ChinchikoPapa (2017-09-16 15:50) 

ChinchikoPapa

台風にともなう低気圧の前線が近づいているせいか、いつものことですが耳がピキピキ鳴って、頭に少し圧迫感を感じます。>「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>okin-02さん
by ChinchikoPapa (2017-09-16 15:53) 

ChinchikoPapa

小学生のころ江ノ島弁天の参道で、大きなサザエのつぼ焼きを4つたいらげた記憶があります。いまは、あれほど大きなサザエは見かけませんね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>tarouさん
by ChinchikoPapa (2017-09-16 15:56) 

U3

地点を探すって地道な作業ですね。
by U3 (2017-09-16 19:01) 

ChinchikoPapa

1950年代の「Cool」に対して「Hot」なのですが、いまから聴くと現代音楽のような匂いがします。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2017-09-16 19:06) 

ChinchikoPapa

今年は、マジックが点くのが早かったようですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>とれたてトレンドさん
by ChinchikoPapa (2017-09-16 19:09) 

ChinchikoPapa

そろそろ空気が澄んで空が高くなり、きれいな月が見えないですかね。台風がくるうちは、まだ夏の名残りでしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>simousayama-unamiさん
by ChinchikoPapa (2017-09-16 19:12) 

ChinchikoPapa

いつも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>ありささん
by ChinchikoPapa (2017-09-16 19:14) 

ChinchikoPapa

U3さん、コメントと「読んだ!」ボタンをありがとうございます。
すごく地味で時間のかかる作業なのですが、かなり馴れてきたせいでしょうか、10年前に比べると場所特定のリードタイムが格段に短くなっています。これって、実はなんの役にも立たないんですけどね。w
by ChinchikoPapa (2017-09-16 19:21) 

ChinchikoPapa

明日は、さすがに外出がむずかしそうですね。わたしは散策や取材をあきらめて、仕事をする予定です。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2017-09-16 21:06) 

ChinchikoPapa

ブルーのガラス瓶の酒を見ると、つい買いたくなるわたしです。静岡は水がいいので、心惹かれますね。w 「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>skekhtehuacsoさん
by ChinchikoPapa (2017-09-16 21:11) 

ChinchikoPapa

使いはじめて半年間、弾力が失われないスポンジがあれば、さっそくキッチンへ導入したいのですが、たいがい1ヶ月でフニャフニャになりますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>soramoyouさん
by ChinchikoPapa (2017-09-16 23:58) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>はじドラさん
by ChinchikoPapa (2017-09-17 00:37) 

ChinchikoPapa

クレーンの大きさからすると、かなり大きな模型ですね。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>スーおばさんさん
by ChinchikoPapa (2017-09-17 00:39) 

ChinchikoPapa

ムナグロという鳥は、見かけたことがないですね。田畑のある地域にしか、立ち寄らないのでしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kazgさん
by ChinchikoPapa (2017-09-17 10:10) 

ChinchikoPapa

陽がなかなか沈まない白夜し、わたしも経験しましたけれど視覚から脳に作用するのでしょうか、だんだん体内時計が狂ってくるのがわかります。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>八犬伝さん
by ChinchikoPapa (2017-09-17 14:34) 

ChinchikoPapa

いつも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>ネオ・アッキーさん
by ChinchikoPapa (2017-09-17 14:34) 

ChinchikoPapa

タマゴかけご飯は、わたしも1日おきに食べる好物です。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>マルコメさん
by ChinchikoPapa (2017-09-17 15:54) 

ChinchikoPapa

ヒカシューは若いころ、ライブに出かけたことがありますが内容はほとんど憶えていません。そういえば、80年代に演ったC.コリアのアコースティックライブも、印象が薄いですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
by ChinchikoPapa (2017-09-18 01:21) 

ChinchikoPapa

いまごろ湿原に接する森林では、さまざまな菌類(キノコ類)が見られるのではないでしょうか。散策しながら、キノコ観賞も面白いですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>yamさん
by ChinchikoPapa (2017-09-18 18:30) 

ChinchikoPapa

コンサートや観劇などでは、少し古いオペラグラスを使っていたのですが、コンパクトで視界も明るく性能のいい現行品を見ると、つい欲しくなります。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>sugoimonoさん
by ChinchikoPapa (2017-09-18 18:32) 

ChinchikoPapa

先週は関東地方のあちこちで、虹が見えたようですね。太鼓橋のように写る虹の橋、街中ではとてもめずらしいです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>siroyagi2さん
by ChinchikoPapa (2017-09-18 19:39) 

ChinchikoPapa

以前の記事にまで、ごていねいに「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
by ChinchikoPapa (2017-09-23 12:58) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>うたぞーさん
by ChinchikoPapa (2017-10-09 13:13) 

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