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記憶の糸が途切れた武蔵野風景。 [気になるエトセトラ]

三千人塚1.JPG
 「♪かわる新宿あの武蔵野の~月もデパートの屋根に出る~」と唄われたのは、1929年(昭和4)にヒットした『東京行進曲』Click!だが、戦前から1950年代にかけては、「変わりゆく武蔵野」というフレーズがよく使われている。だが、1960年代から今日までは、「変わりすぎた武蔵野」という表現がいちばんピッタリとくるようだ。
 そんなことを痛感させてくれる出来事が、先日、府中を訪れたときに起きた。府中市郷土の森公園へ、大賀一郎Click!が育てた古代ハスClick!を観賞しに出かけたときだ。武蔵野線の府中本町駅で降りて、多摩川のある南へ歩いていく道すがら、「三千人塚」という史跡があった。近くの分倍河原では、鎌倉幕府軍と北関東の新田義貞軍が激突した古戦場跡も近いので、多数の戦死者を埋葬した塚なのだろうと想像した。同時に、どこかで聞いた史跡名だとも感じたが、先を急ぐのでそのまま塚をあとにした。
 近年の発掘調査によれば、「三千人塚」という名称やその謂れは後世の付会で、鎌倉末期の戦死者を弔った塚などではなく、鎌倉期から室町期にかけ地域の有力な一族を葬った塚墓のひとつであることが判明している。とんだ戦跡にされてしまった同塚には、鎌倉末期の板碑Click!が添えられていたので、よけいに分倍河原の合戦と結びつけられて口承伝承されてきたのだろう。
 どこかで聞いたような「三千人塚」の名称だが、ようやく思い出したのは塚を訪れてから1年後、つい最近のことだ。親父のアルバムに、「三千人塚」の手書きキャプションがあるのを思い出したのだ。1950年代後半から60年代にかけ、親父はよく武蔵野をあちこち散策して歩いている。もっとも、当時の武蔵野のイメージはすでに山手線の西域部ではなく、戦後の住宅難と市街地化に押されて、23区の西側に位置する三鷹市や武蔵野市、小金井市、府中市などへと移っていた。親父の書棚には、武蔵野に点在する石仏に関する本や資料が並んでいたころだ。
 そのころのアルバムをめくると、見憶えのある写真とともに「三千人塚」のキャプションを見つけた。大きなエノキが写る写真には見憶えがあったが、先日、そのすぐ前を歩いて通過しているにもかかわらず、まったく写真の情景と現実の風景とが一致せず、記憶の糸が途切れたままつながらなかったのだ。それほど、現在の「三千人塚」とその周辺はさま変わりをしていて、アルバムの写真と同一の場所とは思えなくなっていた。一連の写真には、幼稚園児ぐらいのわたしも写っているので、おそらく親と一緒にハイキングでも楽しんだのだろうが、府中本町で降りてから多摩川べりへ着くまでの間、まったくなにも思い出せなかった。こんなことは、ほとんど初めての経験だ。
三千人塚1960頃.jpg
三千人塚板碑1960頃.jpg
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三千人塚ビール工場.JPG
 たとえば、同じ武蔵野Click!のエリアでも、武蔵小金井の南に連なる国分寺崖線Click!は、ハケの道(同地域では崖線の急斜面をバッケClick!とは呼ばずにハケと呼称している)にしろ、貫井弁天社や滄浪泉園、野川、恋ヶ窪、小金井公園にしろ、高校生や大学生になってからも何度か散策しているので、いま現在そこを歩いても十分に既視感(既知感)があって、1950~60年代のアルバムに貼られた情景と一致せず、まったく気づかずに通り過ぎる……などということはありえない。でも、府中ではそれが起きてしまった。まるで、タイムスリップで未来にきたような、あるいは浦島太郎のような感覚とはこういうことか……と思う。アルバムに貼られた写真は、おそらく1960年代の撮影だろうから、それから50年以上が経過していることになる。
 同じく、50年以上がたっているにもかかわらず、それほど雰囲気や周囲の環境が変わらずに、すぐさま思い出せるような“武蔵野”もある。世田谷区にある、徳冨蘆花の蘆花恒春公園などそれだ。親父のアルバムにある写真と、何年か前に訪れた同園とは、遠景の住宅街を除きほとんど50年以上前のままだ。つまり、記憶の糸がとぎれずに、なんとかたぐり寄せられる風情を残している。同様に、小金井公園の古びた郷土資料館や前方後円墳はなくなったが、新たに造られた江戸東京たてもの園の周辺には、当時の深い森や静謐な空気の名残りがそのままだ。ただし、サクラの名所でも有名な小金井橋は、まったく異なる次元の姿へと変貌してしまったけれど……。
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蘆花恒春公園.JPG
蘆花墓所1960頃.jpg 蘆花墓所.JPG
 恋ヶ窪にしても、今村繁三Click!の別荘跡ののちは、昔から大手企業の研究所になっていたので、武蔵野の湧水池と原生林の面影をよく残していて、公開日に散策すると清々しくて楽しい。もっとも、傾城伝説が残るここの美しい「姿見の池」は、いつの間にか「大池」という名前に変えられ、おそらく観光用に新たな湧水池を造成したのだろう、現在は同研究所の池から西へ400mほどのところに、新しい「姿見の池」が造られている。
 そんな武蔵野の残り香がただよう文章を、1951年(昭和26)に講談社から出版された大岡昇平Click!『武蔵野夫人』Click!から引用してみよう。ちなみに、描かれた情景は軍隊から復員してきた「俺」が、小金井のハケの家ですごした敗戦から間もないころだ。
  
 俺が幾度も狭山に登つて眺められなかつた広い武蔵野台地なんてものも幻想にすぎないぢやないか。俺の生れるどれだけ前に出来たかわからない、古代多摩川の三角洲が俺に何の関係がある。あれほど人がいふ武蔵野の林にしても、みんな代々の農民が風を防ぐために植ゑたものぢやないか。工場と学校と飛行場と、それから広い東京都民の住宅と、それが今の武蔵野だ。
  
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小金井雑木林1960頃.jpg
小金井ハケの道1974.jpg
小金井公園.JPG
小金井橋1960頃.jpg
 この文章が書かれたのは、1949~50年(昭和24~25)だが、場所をさらに東京の外周域に移して、いまでもまったく変わらない情景が「武蔵野台地」で、人々の営みとして繰り返されている。「三千人塚」の近くには、大きな電機工場や団地、中央高速道路沿いのビール工場などが林立し、記憶の糸がたぐれないほどのたたずまいを見せていた。

◆写真上:いまや住宅や工場、高速道路などにすっかり囲まれてしまった「三千人塚」。
◆写真中上は、親父のアルバムにある1960年代の「三千人塚」と鎌倉期の板碑で、とても同じ場所とは思えない。は、「三千人塚」の現状。は、塚の南にある中央高速道路に面したビール工場で「♪左はビール工場~」の建屋だろう。
◆写真中下は、1960年代の世田谷にある蘆花恒春公園と現在の様子。は、1960年代初めごろに撮影された徳冨蘆花の墓所()と現状()。
◆写真下は、わたしが1974年(昭和49)の高校時代に撮影した野川の源流域と恋ヶ窪の森(右手)。その下が、恋ヶ窪の森にある湧水源の元・姿見の池。は、1960年代の小金井の雑木林と1974年(昭和49)に撮影したハケの道の風景で、カラー写真は小金井公園に拡がる雑木林の現状。は、1960年(昭和35)前後に撮影された小金井公園の南西にある小金井橋で、現状の4車線道路の橋と比べたらまったく別世界の風景だ。

またまた、SSL化による不具合とみられる現象が起きた。左側のサイドカラムに貼りつけたバナーの画像が、一昨日の時点ですべて外れてしまっていた。Soーnetの運用管理チームは、改修にともない少しずつ不具合つぶしをしているように想像するのだが、こちらをいじるとあちらが不具合というような、モグラ叩きに状況に陥ってないだろうか?

読んだ!(27)  コメント(33) 
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読んだ! 27

コメント 33

kiyo

「三千人塚」が気になったので、検索すると、写真中上の「中」のとおりですが、肝心の板碑は健在で、写真中上「上」のままの状態なのですね。
それにしても、写真上の一枚は、幽霊でも出て来そうな、江戸の昔を感じさせる一枚ですね。
素晴らしいです。
by kiyo (2018-07-01 09:57) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>はじドラさん
by ChinchikoPapa (2018-07-01 14:13) 

ChinchikoPapa

1960年代前半のフリーイディオム作品は、モードに気が向いていたぶん聴いてないですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2018-07-01 14:18) 

ChinchikoPapa

わたしは木造校舎で勉強しましたけれど、ちょうど別の校舎が鉄筋に建て替えられている最中で、その過渡期に小中学校へ通っていたようです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>simousayama-unamiさん
by ChinchikoPapa (2018-07-01 14:22) 

ChinchikoPapa

いつも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>@ミックさん
by ChinchikoPapa (2018-07-01 14:24) 

ChinchikoPapa

わたしは寿司も刺身も、一夜干しも、ふつうの開きも、みりん干しも、塩焼きも、マアジを筆頭にアジ系の魚には目がないんですね。特に、相模湾で獲れたマアジとムロアジは、もの心ついたときから大好物です。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>いっぷくさん
by ChinchikoPapa (2018-07-01 14:34) 

ChinchikoPapa

大原から鞍馬山へ抜けるハイキングのあと、貴船川の冷たい水に手足をつけてホッとした憶えがあります。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ryo1216さん
by ChinchikoPapa (2018-07-01 14:47) 

ChinchikoPapa

ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございました。>おぐけんさん
by ChinchikoPapa (2018-07-01 14:50) 

ChinchikoPapa

そろそろフレッシュチェリーパイや、チェリーパフェが食べられる季節ですね。情宣活動は、熱中症にお気をつけて。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>siroyagi2さん
by ChinchikoPapa (2018-07-01 14:52) 

ChinchikoPapa

kiyoさん、コメントと「読んだ!」ボタンをありがとうございます。
「三千人塚」の記憶は、情けないことにまったく欠落していました。アルバムの写真を頼りに、けんめいに当時の様子を思い出そうとしたのですが、5歳前後の体験では無理でした。たぶん、塚の周囲は畑地が拡がっていたと思うのですが、農家や森、多摩川の記憶というのもありません。小学生になってたら、もう少し憶えていたかもしれないですね。
写真のネガが残っていれば、ほかにも別カットが撮られているでしょうから、記憶がよみがえるかもしれませんが……。

by ChinchikoPapa (2018-07-01 15:06) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>鉄腕原子さん
by ChinchikoPapa (2018-07-01 15:16) 

ChinchikoPapa

きょうは、わずか往復2kmほど歩いただけで汗が吹き出しました。33℃ぐらいはありそうですが、梅雨明けが早いせいかセミの声がまだ聞こえません。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>okina-01さん
by ChinchikoPapa (2018-07-01 15:19) 

ChinchikoPapa

ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございます。>ネオ・アッキーさん
by ChinchikoPapa (2018-07-01 15:21) 

ChinchikoPapa

伊400は、敗戦間直にどこを彷徨っていたのでしょうかね。パナマ運河は遠そうです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>スーおばさん
by ChinchikoPapa (2018-07-01 15:31) 

ChinchikoPapa

事実を捻じ曲げる権力(ときに思想統制され組織化された社会)は、歴史をも平然とウソで塗り固めて捻じ曲げますね。こちらでも何度か記事にしていますが、科学的な事実が判明するたびに、そのウソが露わになっていく史観も同様です。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyokiyoさん
by ChinchikoPapa (2018-07-01 16:20) 

ChinchikoPapa

膝の痛み、おだいじに。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>takaさん
by ChinchikoPapa (2018-07-01 16:25) 

kiyokiyo

ChinchikoPapaさん
こんばんは!^^
早速、コメントを頂きましてありがとうございます。
仰る通りなんです、権力とは恐ろしいものですね。
驚いたのは、あの中国で、天安門事件についてNHK海外放送がニュース番組で報じた時に、突然画面が突然真っ黒になって放映が中断されたということがあったそうです。
わが国が、そのようにならないでほしいと思っています。

私は、生まれた土地へ行った時に、その当時の記憶をたどりながら歩いたことがあります。
確か3歳ころまで過ごした場所です。
殆どの場所は開発され、記憶の糸がつながりませんでした。
路地を歩いていた時に、当時お世話になっていた床屋さんと診療所があったんです。
記憶の糸がつながった時、いろいろな記憶が蘇りました。
そんな時って、感動しちゃいますね^^
by kiyokiyo (2018-07-01 19:49) 

ChinchikoPapa

kiyokiyoさん、コメントをありがとうございます。
わたしも先年、子ども時代をすごした街を歩いてみたのですが、住んでいた家がなくなると、とたんに別の街のように感じました。子どものころ、さんざん歩きまわった道筋なのに、家がなくなるととたんに思い出に霞がかかったようになり、記憶が曖昧になっていきます。
わたしも、記憶のメルクマールにしていた医院や松林、原っぱなどがなくなり、見知らぬ街を歩いている感覚になりましたが、当時と同じ店や住宅を見つけると、とたんに思い出が湧き上がりました。街のメルクマールというのはかけがえがなく、とても大切なものなんですね。
by ChinchikoPapa (2018-07-01 21:11) 

ChinchikoPapa

勾玉印の「天の戸」は、黒い意匠もきれいでかなり惹かれます。焼酎に氷を浮かべると、確かに少し苦くなりますね。スピリッツには氷を浮かべて飲みたいわたしとしては、それでちょっと苦手なのかもしれません。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>skekhtehuacsoさん
by ChinchikoPapa (2018-07-01 21:37) 

ChinchikoPapa

わたしもマロンパフェやフルーツパフェなどを平然と注文しますので、最近はぜんぜん不思議がられなくなりましたよ。w 「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>マルコメさん
by ChinchikoPapa (2018-07-01 21:45) 

middrinn

新古今和歌集に武蔵野を詠んだ秀歌が2首ありますけど、
詠まれた情景もいつの時代まで残ってたのかしらと想像
するなど、貴記事を拝読しインスパイアされました(^^)
by middrinn (2018-07-02 09:08) 

ChinchikoPapa

そろそろ虫たちがたくさん、身のまわりで目につきはじめましたね。ことしは梅雨明けが早かったせいか、セミの声はまだ聞こえませんが…。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>soramoyouさん
by ChinchikoPapa (2018-07-02 09:55) 

ChinchikoPapa

わたしの16ビット使い始めは、PB-100(1シリーズしか販売されず)とPC-98がほぼ同時でした。最初は、処理の速さだけで嬉しかったですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kazgさん
by ChinchikoPapa (2018-07-02 10:07) 

ChinchikoPapa

middrinnさん、コメントと「読んだ!」ボタンをありがとうございます。
1960年代の写真のような情景を探すとなると、いまでは都内を突き抜けて、埼玉県の南西部まで出かけないと出会えそうもないですね。それでも、鉄道の沿線は宅地化が進んでいますので、そこから外れたエリアでしょうか。
by ChinchikoPapa (2018-07-02 10:20) 

ChinchikoPapa

カミソリで顔にケガをされなかったのが、なによりでした。改めて、地震お見舞い申し上げます。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>芝浦鉄親父さん
by ChinchikoPapa (2018-07-02 18:26) 

ChinchikoPapa

家を建てるとき、居間や寝室の照明を「ゴア様の円盤の底のようなライトにしよう」といったら、子どもたちの目が点になっていました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
by ChinchikoPapa (2018-07-03 12:08) 

ChinchikoPapa

クラウドファウンディングの成果は、地域に住むみなさんの意識の高さを感じます。ぜひ、「三沢川いきものがたり」のリプロデュースを成功させてください。こちらのトラスト基金は、おそらく緑地保存に関する最大の“試練”に直面しています。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>sigさん
by ChinchikoPapa (2018-07-03 12:20) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ありささん
by ChinchikoPapa (2018-07-04 13:34) 

Marigreen

武蔵野と言えば、野口五郎の『武蔵野詩人』を思い出します。あの中のフレーズで「生きてることは哀しい詩だ」とか「手を花びらがすり抜けてゆく」「恋を失くした人はみな寒い詩人になるという」とかがいいなぁと思っていました。武蔵野に関して全く無知で済みません。でもPapaさんの今日の講義を聞いたので、ちょっとは知り得たかな?
by Marigreen (2018-07-05 09:50) 

ChinchikoPapa

Marigreenさん、コメントをありがとうございます。
野口五郎の「武蔵野詩人」は知らないです、すみません。いま調べたら、「むさし野詩人」と表現するのですね。公衆電話が光る、広大な武蔵野公園(小金井の公園のことだとすれば)に、たったひとりというのはあまりに不気味で怖すぎます。w
(詩を創作中に)15行目で恋をして、18行目で終わったというのは、たった数日でフラれたということでしょうか。
by ChinchikoPapa (2018-07-05 12:10) 

ChinchikoPapa

以前の記事にまで、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
by ChinchikoPapa (2018-07-14 12:39) 

ChinchikoPapa

以前の記事にまで、ごていねいに「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>fumikoさん
by ChinchikoPapa (2018-07-27 18:07) 

ChinchikoPapa

スケルトンのMacには、少なからず誘惑されました。w
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>dendenmushiさん
by ChinchikoPapa (2018-08-14 11:16) 

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