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鉄道事故は頻繁にどこかで起きていた。 [気になる下落合]

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 鉄道事故は、首都圏のどこかで毎日起きているが、大正期から昭和期にかけても、現在とそれほど変わらない頻度で事故はたびたび起きていた。特に東京郊外では、いまのような厳重な遮蔽物などなく線路上へ誰でも容易に侵入できたので、列車見送りによる大規模な事故Click!から、近道をしようと線路を横切ったり踏み切りをわたる際の人身事故Click!、自殺をするための飛びこみ事故Click!、スピードの出しすぎでカーブを曲がりきれない脱線事故、車両故障や工事の過失にともなう運休事故Click!など、今日とほとんど同じよう事故が多発していた。
 これまで、落合地域とその周辺で起きた、当時のさまざまな鉄道事故(山手線・西武線・中央線など)をご紹介してきたが、今回は落合地域の住民たちも少なからず影響を受けたとみられる、2日連続で朝の通勤・通学の時間帯に起きた、ふたつの事故を取りあげてみたい。ひとつは、1928年(昭和3)9月12日(水)の早朝、武蔵野鉄道Click!(現・西武池袋線)の椎名町駅Click!近くの踏切で、日本橋高等女学校の教諭が貨物列車に飛びこんで自殺した人身事故。そして、翌日の9月13日(木)には朝のラッシュアワーに、中央線の代々木駅-千駄ヶ谷駅間で満員電車が脱輪し、そのままカーブを走りつづけたために脱線転覆して多数の死傷者を出した事故だ。
 武蔵野鉄道の事故では、下落合西部や西落合の住民たちが通勤・通学時に、人身事故の影響で電車が動いておらず、東長崎駅や椎名町駅から徒歩で、あるいはバス通りに出て乗合自動車Click!目白駅Click!をめざしたかもしれない。また、翌日の中央線の脱線事故では、東中野駅へ出て通勤・通学をしようとしていた上落合の人々が、大事故の発生で復旧の見こみがまったく立たず、山手線の新大久保駅か新宿駅までバスに乗るか歩いたかもしれない。当時は、今日のような地下鉄網が存在しないため、そう簡単に代わりの交通手段を選べなかった時代だ。
 では、1928年(昭和3)9月12日(水)に発生した武蔵野鉄道の事故の様子を、翌9月13日(木)に発行された東京朝日新聞の社会面からひろってみよう。
  
 日本橋高女の教諭自殺す
 元鉄道で有名な勅任技師/武蔵野鉄に飛込み
 十二日午前五時二十七分府下長崎町椎名町日本橋高女教諭佐藤信夫氏(五三)は長崎町並木町一九四五先武蔵野鉄道踏切にて貨物列車をめがけて飛込み自殺を遂げた、原因は極度の神経衰弱から同日午前零時頃家出して右の始末におよんだものであると/氏は元鉄道省の勅任技師、非常に優秀な頭脳の所有者で明治大帝の行幸の時には必ず運転監督を承はつた程であつたが、神経衰弱のため退職し以来日本橋高女の教諭を勤めてゐたところ最近益々病気がかうじてこの悲しい最期をとげたものといはれてゐる
  
 この中で、「長崎町並木町」というおかしな住所が登場している。「長崎町(字)並木」が正しい表現なのだが、そうすると1945番地という地番が昭和初期の当時、(字)並木のエリアには存在していない。番地が誤植であり、1495番地とすれば椎名町駅と上屋敷駅Click!の間の、椎名町駅寄り(東側)にあった踏み切りということになる。
 また、1945番地が正しかった場合、所在地は「長崎町(字)大和田」と書かなければならないはずだが、この地番は武蔵野鉄道から離れ、目白通りに近い位置になるのでその「先」に踏み切りはありそうにもない。おそらく、「1945番地」という地番のほうがまちがっているのだろう。
椎名町駅1935頃.jpg
東長崎駅1935頃.jpg
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 自裁した佐藤教諭は、当時の病名で「神経衰弱」と書かれているが、今日でいう壮年期の鬱病にかかっていたものだろうか。武蔵野鉄道の人身事故は早朝だったが、事故発生とともに貨物列車はその場に停車しつづけて現場検証となり、午前6時以降の通勤・通学電車へ大きな影響が出たとみられる。東長崎駅の利用者は、すぐに長崎バス通りへと出て乗合自動車Click!に乗りこんだろうが、椎名町駅の利用者は池袋駅まで歩いたか、あるいは練馬方面からくる超満員に膨れあがった乗合自動車Click!を尻目に、目白通りを目白駅まで歩きつづけたかもしれない。
 翌9月13日(木)になると、今度は中央線で電車が脱線転覆する大事故が起きている。同年9月14日(金)発行の、東京朝日新聞から引用してみよう。
  
 代々木で省電転覆/乗客七人死傷す
 荻窪駅を発し千駄ヶ谷駅へ/進行途中の惨事
 十三日午前八時卅七分、省線電車荻窪発八五二(運転手大塚四郎)が代々木駅を発車し千駄ヶ谷駅の中間に差しかゝつた際前部から二台目の車台が突然脱線しそのアヲリを食つた三台目も脱線し危くも転覆せんとした騒ぎに折柄のラツシユアワーで各車台いづれも満員の乗客であつたので一大シヨツクと共に多数の重軽傷者をだしその内一名は病院収容後間もなく、絶命するの惨事を引起した、事件突発と同時に中央線上下とも不通となり急報によつて東京鉄道局から係員や工夫急行負傷者を鉄道病院や付近の医院に収容手当を加ふると共に復旧作業を急いでゐる/惨死者と怪我人(以下略)
  
 病院で死亡したのは、信濃町の洋服店員だった51歳の男だが、ラッシュアワーの満員電車だったためか7名の重傷者には女学生や勤務先へ向かう女性が多かった。被害は打撲症がほとんどで、その多くが全治数週間と診断されている。また、人数は掲載されていないが多数の軽傷者も、打撲や擦過傷を負ったようだ。
 東中野駅を利用していた人々(落合地域では上落合西南部の住民が多かっただろう)は、脱線転覆した電車が線路をふさいでいるという情報が伝わると、復旧の見こみがないと判断して、中央線沿いに歩いて新宿駅へ向かうか、あるいは大久保通りに出ると山手線・新大久保駅をめざしたのだろう。
武蔵野鉄道(昭和初期).jpg
武蔵野鉄道貨物列車1934.jpg
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 事故の様子について、再び同紙から引用してみよう。
  
 脱線を知らず/進行して
 現場は下り線だけ/一時半開通
 事故の原因について鉄道当局の調査したところによると同上り電車が代々木駅を発車後、間もなく第三台目の客車の車輪が脱線したがそのまゝ進行を継続した、そのためその客車にほとんど満員に近く寿司詰になつてゐた乗客は烈しい動揺のため不安を感じいづれも腰かけにしがみついたり、座つたりしてゐたといふが、電車は千駄ヶ谷駅の手前約一丁半のガード付近にて遂に大脱線し二台目の車体はカーヴの護輪軌道に乗りあげそのはずみに三台目の車体は信号機に衝突し同時に下り線路上に転覆したもので乗客一同は悲鳴をあげて現場大混乱となつたものである、新橋運輸事務所からは救援電車急行し復旧に努力した結果下り線は午後一時半開通したが上り線は見込不明であるが夕刻までかゝるらしい/出勤途中惨死/哀れ二児を残して(後略)
  
 事故の規模が大きいにもかかわらず、死傷者が少なくて済んだのは、代々木駅を発車した直後、カーブに差しかかったところで乗客たちが異常に気づき、なにかにつかまったり床に座ったりと、あらかじめ身がまえていたからなのがわかる。当時、通勤・通学の時間帯を走る中央線は4両編成の電車で運行されており、同紙に掲載された写真にとらえられた転覆車輌は3両目、そのうしろで脱線しているのが4両目の車両と思われる。
 ご存じのように、中央線(総武線)は代々木駅を出るとすぐに、千駄ヶ谷駅へ向けて大きなカーブに差しかかる。ここで電車を加速しすぎると、満員の乗客を乗せた重たい車両には、カーブの外側へ向けた強い慣性力がかかる。大塚運転士は、時刻の遅れを取りもどそうとでもしたのだろうか、このカーブで急加速したのかもしれない。冒頭写真のとおり、満員電車の脱線転覆という大事故にもかかわらず、事故の予兆があったためか最小限の被害で済んだのだろう。
新宿駅プラットホーム1928.jpg
東中野駅踏切1933.jpg
新宿駅中央線ホーム1935.jpg
 この事故で想起されるのが、1927年(昭和2)4月に開通した西武電鉄の山手線手前に設置された、高田馬場仮駅Click!で起きているエピソードだ。同仮駅へと向かう電車が、カーブの角度が急すぎる軌道を曲がりきれず、頻繁に軌道からの脱線(脱輪)事故を起こしていたという伝承がある。氷川明神前にあった旧・下落合駅Click!を、実質的な起点(終点)Click!にしなければならなかった事情は、そのあたりにもありそうだ。
その後の取材で、高田馬場仮駅は山手線土手の東側にももうひとつ設置されていることが判明した。地元の住民は、「高田馬場駅の三段跳び」Click!として記憶している。

◆写真上:1928年(昭和3)9月13日午前8時37分ごろに起きた、代々木駅-千駄ヶ谷駅間の中央線脱線転覆事故。写っているのは転覆した3両目と脱線した4両目で、カメラマンが屋根にのぼっている2両目も脱線していると思われる。ラッシュアワーの満員電車で起きた事故で、1名が死亡し6名が重傷を負い軽傷者多数という惨事になった。
◆写真中上:1935年(昭和10)ごろに撮影された、武蔵野鉄道の椎名町駅()と東長崎駅()。は、1928年(昭和3)9月13日発行の東京朝日新聞記事。
◆写真中下は、昭和初期に撮影された郊外の新興住宅地を走る武蔵野鉄道の電車(左端)。は、1934年(昭和9)に撮影された武蔵野鉄道の貨物列車。は、1928年(昭和3)9月14日発行の中央線脱線転覆事故を伝える東京朝日新聞記事。
◆写真下は、1928年(昭和3)撮影の新宿駅プラットホーム。中央線のホームから、山手線ホームを眺めたところか。は、1933年(昭和8)に撮影された東中野駅の踏み切りで通過しているのは中央線。は、1935年(昭和10)に撮影された新宿駅の中央線プラットホーム。写っているのは普通電車ではなく、ED56形が牽引する中・長距離旅客列車。

読んだ!(23)  コメント(28) 
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コメント 28

Marigreen

お誕生日おめでとう‼眠いのでプレゼントをあげられずごめんね。
by Marigreen (2019-01-22 06:30) 

ChinchikoPapa

おや、Marigreenさん、わざわざありがとうございます。
家の中はシーンとしていますので、いまSNSで「ひとり祝い」になりそうと書いたばかりだったりします。^^; ゆっくりお休みください、
by ChinchikoPapa (2019-01-22 11:59) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>はじドラさん
by ChinchikoPapa (2019-01-22 12:00) 

ChinchikoPapa

ここ数ヶ月の、右肩下がりが収まりましたか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>鉄腕原子さん
by ChinchikoPapa (2019-01-22 12:02) 

ChinchikoPapa

いつも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>@ミックさん
by ChinchikoPapa (2019-01-22 12:02) 

ChinchikoPapa

海老塩らーめんに魅かれました。あっさりしてそうで、ツルッと食べられてしまいそうですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>いっぷくさん
by ChinchikoPapa (2019-01-22 12:12) 

ChinchikoPapa

風さえなければ暖かい…という日がつづいていますね。直射日光は、ジッとしてるとけっこう暑く感じるようになりました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ryo1216さん
by ChinchikoPapa (2019-01-22 12:15) 

ChinchikoPapa

2曲目と4曲目、7曲目が好みです。まるで、60年代の現代音楽を80年代感覚でリニューアルしたような感じですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2019-01-22 12:20) 

ChinchikoPapa

カジカの声は、ドキュメンタリーの音声としては聞いたことがあるのですが、生の声はたぶん聞いたことがありません。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kazgさん
by ChinchikoPapa (2019-01-22 12:22) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ありささん
by ChinchikoPapa (2019-01-22 12:22) 

ChinchikoPapa

青首ダイコンが美味そうですね。こちらは朝は曇りがちのようでしたが、昼近くになって快晴になりました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>okina-01さん
by ChinchikoPapa (2019-01-22 15:03) 

ChinchikoPapa

冷えと乾燥による風邪は、恢復されたでしょうか? ちまたではインフルが猛威をふるっていますので、くれぐれもご自愛ください。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>sigさん
by ChinchikoPapa (2019-01-22 15:47) 

アヨアン・イゴカー

上の写真の駅舎は、昔の小中学校の建物のようで、味があり、好きです。
病名は時代によって変わったりますが、都会でプレッシャーの下に働く人々の心の状況は同じで、自殺したのですね。
by アヨアン・イゴカー (2019-01-22 16:37) 

ChinchikoPapa

アヨアン・イゴカーさん、コメントと「読んだ!」ボタンをありがとうございます。
屋根に明かりとりの小窓が付いて、どこか分教場のような雰囲気がありますね。戦前の私鉄の駅は、いまの鉄道駅とは異なり、それぞれ多種多様なデザインを採用した駅舎が建っていて、味わいがあります。
日本橋高女の教諭ですが、2学期が始まって早々に自殺をしていますので、学校で教えるのがイヤになっていたのかもしれないですね。
by ChinchikoPapa (2019-01-22 17:49) 

ChinchikoPapa

好きなバンドが(JAZZだとコンボという言い方が多いですが)、これからが楽しみなサウンドへ変貌していくのは嬉しいですが、自分の好みじゃない音へ変節していくのは辛いですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ぼんぼちぼちぼちさん
by ChinchikoPapa (2019-01-22 22:50) 

ChinchikoPapa

懐かしいですね、林檎の『真夜中は純潔』。アニメのPVとともに思い出しました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>(。・_・。)2kさん
by ChinchikoPapa (2019-01-23 10:59) 

ChinchikoPapa

イカの天かすの入ったおむすびは、ヒットしたとしても油っぽそうで手が出ないですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
by ChinchikoPapa (2019-01-23 11:15) 

ChinchikoPapa

昼間と夜の気温差が12℃もありますから、このところ午前中はちぢこまって、なかなか仕事のエンジンがかかりません。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2019-01-23 11:19) 

ChinchikoPapa

こういう事件があると、ビラが社員たちに読まれて払底するというのは、ちょっと情けない気もします。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>siroyagi2さん
by ChinchikoPapa (2019-01-23 12:33) 

ChinchikoPapa

majyoさんという方のブログは、存じあげずに読みそこなっていたようです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyokiyoさん
by ChinchikoPapa (2019-01-23 12:51) 

ChinchikoPapa

だんだん熊本城が、もとの姿にもどってきましたね。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>soramoyouさん
by ChinchikoPapa (2019-01-23 21:34) 

ChinchikoPapa

ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございます。>はっこうさん
by ChinchikoPapa (2019-01-23 21:34) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>takaさん
by ChinchikoPapa (2019-01-24 17:38) 

ChinchikoPapa

長期貯蔵のシングルモルトを注文しそうになりましたけれど、値段を見て数秒間フリーズしました。w 「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ネオ・アッキーさん
by ChinchikoPapa (2019-01-24 17:41) 

ChinchikoPapa

廃園になった「小豆島大孔雀園」は、なんだか立ち寄ったような記憶があります。小豆島とクジャクがイメージの中で結びついているのは、そのせいでしょうか。クジャクを滑空させるようなイベントがあったような。30年以上も昔のことですので、不確かな記憶ですが…。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>dendenmushiさん
by ChinchikoPapa (2019-01-24 17:46) 

kiyokiyo

ChinchikoPapaさん
こんばんは
もしよろしければmajyoさんのブログへお立ち寄りください。
宜しくお願いしますm(_ _)m

by kiyokiyo (2019-01-24 20:15) 

ChinchikoPapa

kiyokiyoさん、コメントをありがとうございます。
さっそく、「読んでるブログ」に登録させていただきました。なんとか、1日でも長く書きつづけていただきたいですね。
by ChinchikoPapa (2019-01-24 21:54) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>fumikoさん
by ChinchikoPapa (2019-01-31 10:17) 

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